【閲覧注意】

2002年(平成14年)、3月6日、17歳(当時)の少女が祖父の家に助けを求めて駆け込んだ。
少女の右足の親指の生爪は剥がれ、自分で剥がすように強要されたと証言。
虐待事件が発覚した。

だが、その後、次々と判明した事実により更に大規模で凶悪な事件が発覚。世間を震撼させた。
「北九州監禁殺人事件」と名付けられたこの事件は、そのあまりの悲惨さ・残虐性・非人間的行為から、マスコミ側から自主規制がかかったという。
そのため事件の概要はともかく、詳細は調べなければわからない。

「サイコパスによる猟奇的犯行」の一言で済ませるには、あまりにも重大な事件である。
洗脳による殺し合い(家族含む)をさせられた被害者達は、まさに生き地獄をのたうちまわっていた。




【主犯】
松永太
一連の事件の中心的人物。自ら直接手を下すことはなく、次々と殺人を実行

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松永の少年時代は記録では輝かしいものであり、小中学校では成績優秀・委員や生徒会、大会等でも優れた成績を残した。しかし高校では風紀委員長を務めながらも不純異性交遊が発覚し、転校させられている。
高校卒業後、実家の家業を継ぐが転業させ、個人店から株式会社へと成長させた。
1度は結婚するが後に離婚。
緒方純子との間にも子供を産ませている。
(病的な嘘吐きで自意識が強く、目立ちたがり屋で神経質、臆病だが虚勢を張る:元妻の証言)
好んでエリートを演じていたらしく、その容姿と巧みな話術で女性にはモテたらしい。
複数の女性と関係を持つと同時に、どんな年齢でも女性であればOKであったのか、母親と娘と同時に関係することもあった。
内縁の妻である純子の母親と、純子の妹とも関係を持つ。
(松永自身は女性から誘ってきたというが、他の生存した女性たちの証言から信憑性は限りなく0に近い

松永は自分を"世の中の救世主"と語っていたが、松永と出会った人は全員不幸になった。
松永によっていつか死人が出ると思ってた。
多くの嘘で上塗りをしていくと、松永の中では本当のことになる。
あんな人間、二度と出てこない。

全て元妻の証言である。

また、両親を含めた親族は取材を拒否
だが会社の元従業員からは松永の暴力団関与と、松永の実父のピストル所持の証言がある。


緒方純子
事件における最重要犯人の1人。
松永によるマインドコントロールを受けていたと思われるが、自らの家族をも死に至らしめた。

もとは非常に真面目で従順な性格だったらしい。
松永とは高校の同級生であった。

短期大学卒業後、幼稚園教諭となるが松永と不倫関係に陥る。
離婚後、松永の内縁の妻として2人の子供を出産。
子供好き「どんなにひどい状況でも子供達に接している時だけ忘れられた」と言うが、逆に子供の存在が松永に縛られ続ける結果となった。
裸の写真等も撮られており、何重にも束縛されていたことが判明している。
松永の他の愛人に会う時には家族を装うこともあった。

松永には長期間のDVを受けており、胸には煙草の火で「太」と焼印、太ももにも安全ピンとで同じく「太」と入れ墨させられていた。
一度は自殺未遂をはかり、松永が面倒を見るために家族との「絶縁書」を書かせている。
この頃から既に純子の母親も松永との関係を持っていたが、なぜか純子の両親は松永を信用し、純子は籍を抜かれ完全に孤立していた。

松永からのDVで喉を攻撃され、老婆のようなしわがれ声で話す

度重なる通電で、右足の小指と薬指が癒着し、親指の肉が欠けおちていた。

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【一連の事件の流れ】
・名称は「北九州監禁殺人事件」ではあるが、実際には複数の事件の連なりでもある。
それぞれの事件がさらに別の事件に関与してゆくため、非常に複雑でわかりにくい。
時系列では以下の通り。
1992年 詐欺事件・脅迫事件
1993~1994年 母子不審死事件
1996年 父娘2人監禁事件
1996年 女性監禁事件
1997~1998年 緒方家一家監禁・殺害事件
1999?~2002年 女性詐欺事件 (被害届不提出)
2002年 少女監禁事件


最後の少女監禁事件にてようやく少女が外部に助けを求め、芋づる式に事件が発覚。
どうしても、家族が家族を殺しあい遺体をバラバラに切り刻んだ「緒方家一家監禁・殺害事件」に注目しがちだが、ここでは一連の事件の全容について触れてみたい。


【洗脳 マインドコントロール】
・事件の概要に入る前に、松永の人間コントロール法に触れておく。


弱みにつけこみ、金を奪う。

まず対象者に言葉巧みに近づき信用させ、弱みを握る。(松永は酒を飲ませる事を好んだ)
弱味に乗じて金銭を要求するも、遠回しに察するようにしむけた。
家族の場合であれば、分裂させ、孤立化させて不安感・孤独感を煽る。

緒方純子と家族の場合
・純子と関係を持ったのは松永の離婚前。
おとなしい性格につけこみ、強行的に関係を持った。
その後、不倫に精神的に不安定になった純子とその両親の軋轢を利用。
純子の実家は裕福な農家であり、土地も多かった。
世間体を気にする両親の前で、松永は誠実で爽やかな好青年を演じ、取り入ることに成功する。
離婚して純子との結婚と婿入りの約束を、書面に書き残す。
また、純子の母親を呼び出し、相談するフリをして強引に肉体関係に持ち込む。
松永から母親の性的行為の話を聞いた純子は実母に嫌悪感を抱くようになり、次第に純子は孤立していった。

松永はこのようなターゲットを金主と呼んでいた。
主に幼い子供を利用し、相手を心理的に拘束していった。

②虐待・拷問
特に松永のお気に入りだったのは、通電と称した電気ショックだった。
電気コードの先にクリップをつけ、体を挟み感電させる。
激痛と火傷を伴い、酷い時には水膨れとなる。
腕・手・足・太腿・乳首・口・耳・顎などのほか、男女の関係なく性器にも通電していた。
殊に女性の場合には屈辱的なポーズをとらされた上での拷問であった。
いくつかの証言がある。

緒方純子
「顔面に通電されると、1秒でもものすごい衝撃で激痛が走り、意識が遠のいて目の前が真っ暗になり、このままどうなるかという恐怖感があった」
「顔面への通電で判断力を失い、何も考えられなくなったことがある。生きていくのが嫌になり、生きていたいという意欲が削がれた」
(性器へと通電された時)「性的な意味で自分という人間を否定されるような屈辱感があり、石にでもなってしまいたかった」
元従業員 
「肉が食い込み、締めつけられ、千切れるような熱感で身体が捩れ、息ができず歯を喰い縛った」
「脳天に突き上げられる衝撃で目の前が真っ暗になって倒れて気を失った」
通電された男性
「筋肉が引き攣って痛くて火傷をし、一発で気持ちを圧し折られてしまう
監禁された女性 
「乳首に通電されるとちぎれるような痛みがあり、心臓がバクッとして胸にドンという電気の衝撃があり、仰向けに倒れたことがあった。眉毛への通電では、目の前に火花が散って真っ白になりそのまま失神した」

純子の証言によれば、松永は虐待や通電を楽しんでおり、酒を飲みながら行った時もあるという。
通電を含めた虐待は10歳や3歳の女児にも及び、通電そのものを逃れたのは5歳男児のみ。


③支配
松永は確認書のような文書を作ることを好んだ。
(私は~します。私は~しました。というテキストが基本)
被害者らは約束であれば守らなければ嘘つきと責められ、罰則として金銭や虐待を受ける。
文書の内容はでっちあげでも何でも良く記録として残すことが重要だっだと思われる。

生活の制限ルールの強制

衣服・・・松永の許可なしでは着用不可
     1着のみ与えられ、洗濯も自由にしてはならない。

移動・・・部屋の中でも、決められた方法で移動しなければならない。
     匍匐前進などの義務づけ。

睡眠・・・布団の使用不可。週刊誌を敷いて新聞紙を被せる。
     寝室使用不可。台所で雑魚寝。昼間に3~4時間のみ許可。
会話・・・許可なく会話してはならない。

食事・・・1日1~2回。何故か相撲の蹲踞のポーズで食べる。
     時間制限があり、他の者がタイマーで監視。
     コンビニ弁当、カロリーメイト、生卵など指示された物だけ許可。

排泄・・・許可なしではトイレ使用不可小便はペットボトルにすること。
     大便は1日1回便座に腰掛け禁止他の者が監視役となる。

外出・・・運転免許証と車のキーのとりあげ。
     玄関のドアには南京錠がつけられ、自由な外出の禁止
     外出時には携帯電話で15分毎に報告義務移動時間の制限
金銭・・・全て松永本人が取り扱い、必要な分だけ支給される。
     
人間の生理的欲求を制限することにより、人間扱いされない環境に落とし込み慣れさせ、他者に監視させることによって恥辱・屈辱を利用し思考を奪う
特に排泄は、監視される者は監視する者に対し、恥ずかしいという気持ちから思考停止状態になる。

また、そのほかにも基本的に何かをしようとしたり、道具を使うにも許可を必要とする。
絞殺器具や、死体の解体道具も含む

ルール違反をした者は、さらなる虐待を受ける

④マインドコントロール
密室の支配構造を強いて被害者を序列化
常に頂点は松永。通電される者は下位の人間とする。
盗聴器を使い、自分が不在でも逆らう言葉を話させない。
(少しでも松永の気に触れたらリンチ・通電)
上位の者が下位の者に通電するルールのため、誰かが下位になれば自分は安心だという安堵感を与え、被害者らをライバル化させる。
ひたすら松永の機嫌を取る絶対服従のシステムを作った。
(共犯の純子も他の被害者らからの通電を受けている)

敵対関係に陥った被害者らは、孤立化した状態で殻に閉じこもり松永の指示に従う。
殺人も、死体の解体も、従わなければ下位に落とされる。

そしてそれらの行為にも罪悪感や自己嫌悪を感じ、被害者らは自縄自縛のループに陥る
松永は言葉巧みに翻弄するだけで良い。

また、ターゲットとなる人物も「人の良い」「大人しい或いは穏やかな」「(人質となる)子どものいる」等の条件にあった人間ばかりを選んでいた。



【被害者たち】
・非常に入り組んだ事件でもあり、加害者が後に被害者として殺害されている。
「死人に口なし」の言葉通り、全容が明らかになることは、もう不可能なのかもしれない。

・元従業員たち (複数)
松永の会社の従業員。
虐待や通電を受けたが被害届は出していない。

・松永に騙されて離婚した女性(享年32歳)
松永との結婚のために子供2人を連れて離婚したが、金だけを毟り取られ自殺した。
(以下、母子不審死事件)

・女性の子供(詳細不明)
母親とともに無理心中。

・女性の次女(享年1歳)
母親の自殺の5ヵ月前に頭部強打で死亡。
何故か緒方純子が母親を騙って病院へ搬送した。


⁂Xは松永、Yは純子を指す。
この図の中で生還した被害者は17歳の少女Aのみ。

・17歳の少女
2002年に脱出した少女。
父娘2人監禁事件にて父親を殺害され、純子の子2人を含めた4人の子の子守役をしていた。
度重なる虐待により、中学3年間で180日欠席、成長が著しく止まるなどの多大な被害を受けた。
少女監禁事件の被害者。

・少女の父親(実名報道されず)
上図のBにあたる。(享年34歳)
元不動産会社勤務。松永や純子と同学年だった。
1番目に死亡。

・監禁された女性(当時36歳)
死亡した少女の父親を介して松永と知り合う。
やはり松永との結婚のために離婚、3歳の女児を連れて同居するも監禁され、虐待を受ける。
隙をみて逃亡。
(以下、女性監禁事件)

・女性の娘(当時3歳)
松永と純子のみならず、純子の命で母親からも虐待を受ける。
母親逃亡後、実父の家の前に置き去りにされた。

・緒方誉さん(享年61歳)
農協系土地改良区副理事で、純子の父。
2番目に死亡。
(以下、緒方家一家監禁・殺害事件)

・緒方静美さん(享年58歳)
純子の母。
3番目に死亡。

・緒方理恵子さん(享年33歳)
歯科衛生士で、純子の妹。
4番目に死亡。

・緒方主也さん(享年38歳)
農協系土地改良区事務所職員で元警察官。
純子の義弟。
5番目に死亡。

・緒方優貴くん(享年時5歳)
純子の甥。保育園児。
6番目に死亡。

・緒方彩ちゃん(享年10歳)
純子の姪。小学生。
7番目に死亡。

・詐欺被害に遭った女性
松永との結婚のために離婚を求められた。
純子に双子を預け、金を送金。
(以下、女性詐欺事件)

・詐欺被害にあった女性の双子
純子の子供らとともに少女と暮らす。
厳しい理不尽な生活ルールに縛られていた。

・松永と純子の子供達(2人)
実の母親を嫌うよう父親に支配されていた。
保護されるまで正常な環境で生活したことがなく、父の指示で暴力をふるうこともあった。


刑事事件として表沙汰にはならなかったものもあり(被害届けなし)、逃亡した少女の伯母もまた、松永と肉体関係を結んでいた。
松永の手口は常に自ら手を下すのではなく、相手にそれとなく察しさせることにより、金を持ってこさせたり、逃げ道を塞いで行動を示唆したりするものであった。
(松永の気に沿わなければ、当然、些細な因縁をつけられリンチ・通電が待っている)
自分は実行犯ではないとでも思っていたのか裁判では無罪を主張し続け、のらりくらりと追及をかわす態度を最後まで崩さなかった。
他人をコントロールすることに快感を得ていたらしく、人を苦しめる事自体が楽しかったようだ。
緒方家一家惨殺後、純子にも自分の実の子供らとともに無理心中させようとしていた。
だが子供らが言う事を聞かなかったために詐欺事件が起き、結果として少女は逃亡し事件発覚となった。

あまりにも凄惨で陰湿なこの事件は、比較的狭い人間関係の中で展開されている。
狭い人間関係の中だからこそ、被害者らはますます深みに嵌り逃げ場を失った。

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【緒方純子のマインドコントロール】
・同級生だった松永と純子の接点は、実は高校時代は全くない。
卒業アルバムを入手した松永が、裕福な農家の娘・純子に目をつけ強引に不倫関係に持ち込んだ
緒方家は体面を気にする家であり、おとなしい長女の純子は親の決める婿取りが決まっていた。
不倫への後ろめたさからか、松永の離婚後も純子は入籍を求めていない。

やがて「過去の男友達への嫉妬」という名目のDVが始まる。
どうすれば信用してくれるのか、との問いに純子は胸に煙草の火で松永の名前を焼印され、太腿の付け根
にもピンと墨汁で刺青を刻ませられた

度重なる暴力に、純子はいつしか「自分が悪いからだ」と思い込む

1985年、心労と過労により純子は倒れ、自殺未遂を起こす。
松永は「自殺されたら原因を探られ、自分も警察に呼ばれて迷惑だ」、純子のせいで妻に不倫がばれれば損害賠償を請求される等と、一貫して被害者の立場を貫く
その一方で純子の裸の写真を撮るなどし、同時に強迫行為にも及んでいる。
精神が不安定な純子はますます混乱した。

自己判断の出来なくなった純子は勤め先の幼稚園を辞め、松永の会社で働きだした。
幼稚園を辞める際には、松永の目の前で電話し紙に書かれた言葉をそのまま言わされている
罵りの言葉をぶつけられた勤め先側は困惑し、それまで築き上げた純子の人間関係は崩壊した

純子の父も演技に騙され、松永を気に入っていた。
娘の自殺未遂の原因よりも、「迷惑だが、仕方なく面倒をみる」と約束した松永の言葉に従い、純子の籍は緒方家から抜かれてしまった。

孤立し、行き場のなくなった純子は松永の完全なコントロール人形となり、人が変わったようになる。
また前述の通り、松永から自分の母親との肉体関係を事細かに告げられ、同じ女性として生理的嫌悪感を抱き続ける。

一方、松永の妻と純子は同じ小学校であり、一緒に遊んだ事もあったという
やがて妻は純子の存在を知ったが、他にも数多い愛人の1人として感覚が麻痺しており、やはり酷いDVを受けていた。彼女は暴行されれば大声で抗議しており、無言で殴られ続ける純子を不思議に思ったという。

その後、元妻は子供を連れて警察署に駆け込み、DV申請の後、逃げ切って離婚が成立した。

元妻は松永だけではなく純子にも暴行を受けていたが、松永の指示だと気がついていた。
純子を気にしながらも、自分と子供が逃げるだけで精一杯だった。
事件発覚後は純子を気遣う発言をしつつ、逃げなければ自分が純子の立場になっていたかもしれないと証言している。


次の記事で事件の流れを追う。


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