【閲覧注意】

孤立化し社会との断絶に追い込まれた人間が、どれほど絶望にうちのめられるにかはわからない。

「もうこうなったら、松永さんににぶら下がって生きていくしかありません」誉さんが宣言するほど彼らは追い詰められていた。
完全な思考停止状態に陥り、おそらくは事実関係の把握すら正常にできていなかったと思われる。

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【緒方一家監禁連続殺人事件 2】

1997年12月 誉さん(父親)殺害 (但し裁判では傷害致死)
・松永は、緒方家の土地の売却ができなかった責任は誉さんにあるとして、娘の純子に通電させた。
結果、誉さんは死亡する。(誉さんは連日通電を受けていた)

無言で倒れた誉さんを松永が人工呼吸したが、間に合わなかったという。
が、即座に金歯が無いと松永は指摘。
人工呼吸の時に金歯が気道に入り、気道をふさいだからではないかと結論づけた。

松永は、かつて孫の彩ちゃんが願い事をきいてくれなかった祖父に対し「おじいちゃんなんか死んじゃえ」と言った事を持ち出し、自分が望んだからおじいちゃんは死んだのだと教え、10歳の彩ちゃんに罪悪感を植え付けた。

知人の時と同じように、家族の静美、純子、理恵子、主也、彩ちゃんに死体を解体させた。
解体には10日程かかり、肺の中から金歯が発見されたという。

純子は、自分が殺してしまった事で警察に捕まってもいいから葬式をあげたいと希望。
だが、親戚に迷惑がかかることや、全員が逮捕されると松永に説得されたため、あきらめた。


驚くべきことに、遺体の解体作業中にクリスマスを祝ったり、何も知らずに5歳になった優貴君の誕生日の記念撮影なども行っており、いかに異常な状態下に一家が置かれていたかが伺えよう。

1998年1月 静美さん(母親)殺害
・この頃、静美さんは常に最下位であり性器に通電用のコードが繋がれたままにされていた。
完全に松永の玩具となっていた純子の母親は精神に異常をきたし、奇声を発していた。
松永は、その処遇について純子と理恵子、主也に対応策を考えさせる。

精神病院への入院転居で環境を変えるなど、いくつかの提案があがるも松永は悉く却下
無言の圧力をかけた。
とうとう殺害が提案されると、松永はあくまで緒方一家の決断であることを強調する。
「おまえたちがそうしたいならそうすればいい。やるんだったら早くやれ」。

主也が快方の可能性を考え「様子を見るべき」と主張すると、「今は暴れていないが、殺す段階で暴れるようになったら、殺害が困難になる」とし、「どうやって殺すんだ?」と考える時間を与えないように急き立てた

全ての物の所有権は松永にあるため、純子は許可を得て電気コードを借りなければならなかった。
主也が先に解体道具の購入を提案するが、「買いに行っている間に声が外に漏れたらどうする?」と言い、暗黙の殺害優先を要求する。

静美さんは実の娘たちに体を押さえつけられ、義理の息子に絞殺された。

1998年2月 理恵子さん(妹)殺害
・松永は必要な時以外は家族をバラバラに分散させて監禁していた。
理恵子と一緒に閉じ込められていたのは娘の彩ちゃんである。
(同じマンションに松永と純子も居住)
理恵子は必要な買い物を担当させられており、松永との関係も続いていた。

夫主也とは別居させられていたが、実際には松永は理恵子を特別扱いしていたわけでもなく、虐待など必要な時以外は彩ちゃんとともに浴室に監禁されていた。
度重なる通電に理恵子は耳が遠くなっており、松永の指示の解釈を巡って自分の娘と口論もあった。

理恵子の殺害は他の誰よりも残酷であり、また胸糞悪い。

松永は理恵子が「おかしくなった」と因縁をつけ、純子に対し母親のようになったらどうするんだと暗に殺害を示唆。同行していた彼女に「今から向こうのマンション(殺害現場)に行く。どういう意味がわかるな?」と念を押している。

マンション移動後は「俺は今から寝る。今から一家で結論を出しておけ」「俺が起きるまでに終わっておけ」と指示。理恵子を浴室に閉じ込め、洗面所に純子、主也、彩ちゃんを置き去りにして部屋へ戻る。
3人は話し合うが盗聴器の存在が逃亡の相談をさせなかった

妹であり、妻であり、母親である理恵子の殺害は3人とも拒否したがった。
本当に殺すのかと松永に確認したかったが、下手に質問すれば通電される恐怖がある。
例え殺害しなかったとしても、理恵子はさらに酷い虐待や辛い思いをするのではないか、最後にはやはり殺されるのではないかと話し合いは堂々巡りとなった。

結局は3人で松永に確認を取ることで同意。
しかし、突然洗面所のドアが開かなくなる

もし、松永が今すぐ現れれば事態が変わっていないことに腹を立て、通電される恐れがある。
心理的な恐怖が躊躇を上回った

純子は理恵子の件が終わらないと自分達も酷い目にあう事、彼女が生きていても松永から虐待され続け辛いだけだと主也を説得する。
主也は「それなら自分がやる」と言い、彩ちゃんに「お父さんが首を絞めるから、おまえは足を押さえて最後の別れのあいさつをしなさい」と話し、彩ちゃんは「うん」と答えた。

主也と彩ちゃんだけで監禁場所の浴室に行き、主也がコードをかけると理恵子は「私、死ぬと?」と呟く
主也は「すまんな」と答え、彩ちゃんに体を押さえつけさせて絞殺した。

直後、「とうとう、自分の嫁さんまで殺してしまった」と主也はすすり泣いたという。

この時、理恵子は松永の子を妊娠していた可能性が高い

生理が止まった事に対し松永は「体調変化だろう」などと言いつつ、理恵子の陰部への通電は自分の子の流産を狙ったものと思われる。
理恵子の妊娠が発覚すれば、主也らの反感を買いかねない。
支配が困難になる事をおそれた松永が、妊娠が発覚する前に殺害させたと考えると筋が通る

ランクの最下位におとされていた理恵子は、2月に服の着用も許されず、下着1枚で上半身には何も着ることを許されていなかった。
夫主也はせめてもと両手を胸の上に組ませたが、死後硬直を面倒がった松永はほどくように命じる。

理恵子の殺害直後、松永は洗面所に現れた。
そして、「あんたたち、なんてことをしてしまったんだ!!とんでもないことをした!呪われる!なんでやる前に聞きに来なかったんだ」と騒いでみせた。

「解体作業は早めに終わらせてね」
騒いだ直後の松永の発言である。


純子、主也、彩ちゃんが理恵子を解体。

1998年4月 主也さん(義弟)殺害
・次の最下位ターゲットは主也であった。
松永の命令で純子が通電するのは主に性器である。
通電による水膨れが酷かったという。

通電と食事制限のため、主也は度々嘔吐や下痢をくりかえしていた
症状が治まった際には、松永の愛人通いのために車で送迎する。
監視役の純子とともに、時間まで不審がられないようレストランで量の多い、食べるのに時間がかかるセットものを注文するように指示されていた。

当初は純子が胃腸薬を飲ませていたが、主也の症状は日々悪化してゆく。
閉じ込められた浴室の中で吐き続け、吐くものがなくなってもむせ続けていた。

歩けなくなった主也はオムツをつけられた。
やはりオムツ内にした排泄物を、トイレットペーパーに包み飲みこませられている

松永は2人きりの浴室内で、主也に眠気防止ドリンクと500mlの缶ビールを一気に飲み干させた
純子は直接は目撃してはいないものの、カラになったビール缶を持って浴室から戻ってきた松永の姿を目撃している。

1時間後、主也は死亡
娘の彩ちゃんが死亡を確認し、松永らに報告した。

後に、純子は死亡の2日前には「病院に連れていかないと死んでしまうと思った」が、母親の時に病院へ連れて行く事を拒否されたことから「病院に連れて行こうと考えなかった」と証言している。

「死ぬと思ったから、最後にビールを飲ませてやった」、浴室から物音がしなくなったので「もう死んでるんやないか」と言った事から、松永も死を認識していたことは間違いない。

裁判では、主也さんは「高度の飢餓状態に基づく胃腸管障害による腹膜炎」の可能性が指摘されている。


解体は純子と彩ちゃんで行った。

当然のように解体には時間がかかり、腐敗臭が漂ったという。
松永が行ったのは、芳香剤を置くことだけであった。

1998年5月 優貴君(甥)殺害
・父主也の死により、残されたのは松永と純子、純子の子供2人、少女と彩ちゃんと優貴君だけとなった。
純子と松永の子供と少女は比較的まだマシであったが、残りの2人の境遇は悲惨なものであった。

松永は優貴君だけは罪悪感で縛ることができなかったので、「子供に情けをかけて殺さなかったばかりに、逆に大きくなって復讐されたという話もある」「そうならないためには早めに口封じをしなければならない」と純子に迫る。
子供好きの純子は2人の子供を死なせたくなかった。
だが松永に説得され、生きていても虐待させられるだけと考えるようになり、最後には「そうするしかないですね」と同意する。

彩ちゃんは「このことは誰にも言いません。弟にも言わせません」として、父親の実家に帰らせて欲しいと松永に願い出ている
だが、松永は「死体をバラバラにしているから、警察に捕まっちゃうよね」と脅迫、幼い優貴君が黙っているのは難しいとさとし、警察に捕まったら自分も彩ちゃんも困るということ、「(松永が逮捕されたら)責任が持てるの?」と巧みに誘導尋問をかけた。
そして優貴君が可哀想だから、「お母さんのところへ行かせてやる?」と追い詰めた。
結果として彩ちゃんは「そうします」と答える。

彩ちゃんは自分1人で行うつもりだったが、松永は純子と少女も参加させた。
弟を台所の床に仰向けに横たわらせ、彩ちゃんが「お母さんのところに連れて行ってあげる」と言い、純子と2人がかりで絞殺した。少女は体を押さえていた。

5歳の優貴君は事情も何もわからないまま、ただ事件に巻き込まれ、殺害や遺体の解体を手伝わされた果てに死亡した。

しかし後に得たこの時の様子は、純子と少女では証言が微妙に異なっている。

解体は純子と彩ちゃんが行った。

1998年6月 彩ちゃん(姪)殺害
・最後に残った彩ちゃんも繰り返される通電で衰弱してゆく。
告げ口するつもりだろうと因縁をつけられ、責められ、毎日通電が続いた
松永は「太っていたら大変だろ?」食事もさらに制限している。
この時、純子は殺害後死体を解体しやすくするために痩せさせようとしているのだと考えていた。

他にも松永は「アイツは口を割りそうだから処分しなきゃいけない」「アイツは死ぬから食べさせなくていい」と最早殺害計画を隠そうともしていなかったらしい。

実は優貴君殺害の直後、松永は解体道具を多めに購入するよう指示を出している。
純子も、死体の解体の準備として認識していた。

監禁場所の浴室内で2人きりとなり、何度か松永は説得という名の洗脳を続けた。
最後には、この子も死にたがっているとの松永の言葉に彩ちゃんが頷き、殺害が決定した。

弟と同じ台所に静かに横たわった彩ちゃんは、首を絞めやすいように自分から首を持ち上げたという。
純子と少女で絞殺は行われた。

実はこの部分でも純子と少女の証言に食い違いがある。

少女の証言によると、松永が彩ちゃんに通電し続け、動かなくなった後に松永と純子で首を絞めた
だが、裁判では純子の証言が採用された。


彩ちゃんの遺体もまた、解体され、遺棄された。



この頃の主也・理恵子夫婦の住所はアパートとなっており、家賃は1998年の3月まで振り込まれている。
その後連絡が途絶えた事に不審に思った管理人は、合鍵で部屋に入り、ランドセルや携帯電話などの必要生活用品がそのまま残っていたことを確認していた。

誉さんの乗用車は、駐車場に放置されているのを土地の管理人が発見。
連絡を受けた誉さんの親族が車を引き取るが、この時は彼らの行方は以前として不明のままであった。


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