師匠シリーズ 

981 :ペットの話:2012/03/04(日) 11:42:26.98 ID:C8/Dhig30
ああ、ピーチが喋っている。人の言葉で。
私はわけもなく湧いてくる寒気が、身体の表面を走り抜けるのを感じた。
いったいなにを喋っているのだろう。

×××

私はゆっくりと近づきながら耳をすませる。
こんな時間にピーチはどうして起きているのだろう。
たまたまだろうか。
それともいつも起きているのだろうか。
いつも家族が寝静まった深夜に、
小さな籠の中でひとり、私たちの知らないなにかを話しているのだろうか。




妹の言葉が頭をよぎる。
ピーチは、ここにいない人や
死んでしまった人の思念を受信して、それを言葉にして囀るのだと。
まるでラジオのように。
だから時おり、誰も教えていないはずの言葉を流暢に発するのだ。

今もそうなのだろうか。
誰も教えていない言葉を、あるいは家族の誰も知らないはずの話を……
だったら、今この暗い部屋の中には、
目に見えない人間の言霊が漂っているのか。
あるいは、見ることも触れることもできない死んだはずの人間が
今、この部屋の中に立っているのか。
鳥籠の形をした布の先に手が触れ、私は動きを止める。



982 :ペットの話:2012/03/04(日) 11:43:11.21 ID:C8/Dhig30
妹の主張がもたらしたそんな恐ろしい想像がふいに希薄になり、
また別の想像が自分の中のどこか暗いところから湧いてくるのを感じた。

妹の話をなかば笑いながら聞いた時、
私はそれとは全く別の想像をしてしまっていた。
とっさに気味の悪いそれを心の奥に押し込め、忘れようとしていた。今まで。

なのに。
私のした想像。いや、してしまった想像。
それは、
夜中にふいに寝床から起きる私。
しかし私には意識がない。私としての意識が。
夢遊病のように階段を降り、鳥籠の前に立つ。
そしてその中に話しかける。
無意識の私が。いや、あるいは私という器の中に入り込んだ、もう一人の別の私が。
その言葉は、

…………ソウムド…………

耳に入った音に、私は我に返った。



983 :ペットの話:2012/03/04(日) 11:43:42.46 ID:C8/Dhig30
鳥籠の中から声が聞こえる。
押しつぶされたような声。ひどく聞き取りづらい。
私は息を飲んで耳をすませる。
布越しに声は続く。

…………ミツカ…………
…………シキチ…………
…………ルノサン…………

ようやくそれだけが聞こえる。
それで声は止まり、しばらくするとまた同じ言葉が繰り返される。

…………ソウムド…………
…………ミツカ…………
…………シキチズ…………
…………ルノサンポシャ…………

やはり良く聞き取れない。
なぜか背筋がぞくぞくする。



984 :ペットの話:2012/03/04(日) 11:44:13.70 ID:C8/Dhig30
…………ソウムドイ…………
…………ミツカイ…………
…………シキチズ…………
…………ルノサンポシャ…………

四つの言葉が繰り返されているようだ。いったいこれは誰の言葉なのか。
私ではない。
そう直感が告げている。
想像してしまっていたように、
記憶のない時間、私自身がピーチに教えた言葉などではない。

ピーチ自身の言葉?
いや、それも違う。
イメージが浮かぶ。
鳥の小さな頭は空洞で、遠くから目に見えない
波のようなものが押し寄せてきて、その空洞の中で反響し、くちばしが言葉として再生する。
誰もいない部屋で、誰にも聞かれず。

なぜこんなに怖いのだろう。ガチガチと歯が音を立てる。
悪意。
夜に滲み出る目に見えない悪意が、
ほんの気まぐれに寝静まった住宅街を通り過ぎていく。
そんな気がした。



985 :ペットの話:2012/03/04(日) 11:44:48.84 ID:C8/Dhig30
…………キケン…………
…………キケン…………
…………ゼンイン…………
…………ケス…………

最後にそう言って、鳥籠の中の声はぴたりと止まった。
微かな月明かりの中に沈む部屋に、静けさが戻ってきた。

私はハッとして腕を伸ばし、布を取り払うと、
駕籠の中のピーチが驚いたように頭を振って小さく鳴いた。
不思議そうに首を傾げながら、
口の中で小さくウロウロという低い声をこねている。
それが私には、我に返った姿のように思えた。

仄かな月の光を反射し、ピーチの瞳が一瞬くるりとまたたく。
それが妖しく艶かしい黒い宝石のように見えた。
なにか、恐ろしいことが起こる前触れのようだった。


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