2002年3月。
日本の神戸市西区で暴力団の愛人と偶然目が合ったという理由で、大学院生の男性が暴力団組員らに長時間リンチされ、生きたまま放置、凍死させられるという凄惨な事件が発生する。
「神戸大学院生リンチ殺人事件」と名付けられたこの事件は、複数の通報と拉致の状況証拠が多くあったにも関わらず、警察が職務を果たさなかったとして、裁判法廷内において初めて警察の職務怠慢が認定された事件となった。


「浦中邦彰」の画像検索結果

【事件の概要】
2002年3月4日 午前3時過ぎ
・神戸商船大学大学院生・浦中邦彰さん(27歳)は、友人に自宅である県営団地へと送ってもらっていた。
この県営住宅には、加害者の1人である暴力団組長の愛人・谷京子(当時35歳)も住んでおり、彼女と暴力団組長・佐藤高行(当時38歳)と目が合ったというのが事件の発端である。

組長・佐藤は浦中氏に突然殴り掛かり、浦中氏の眼鏡が吹き飛んだ。
その際に友人が仲裁しようともみ合いになったという。
この時、被害者自らも警察に通報している。

激高した加害者らは被害者の携帯電話を取り上げ、愛人の女性はさらに組員を呼びだす。
現れた数人の組員(いずれも30代)により、被害者と友人は意識が朦朧とするまで暴行を受け、駆けつけた組員の車に無理やり押し込められた。

・現場に警察が到着。通報から16分後
神戸西警察署管轄の井吹台交番から2名、神戸西警察署から2名の4名である。
驚くべきことに、現場から一番近い有瀬交番から巡査部長と巡査が現れたのは、さらに4分後(通報から20分)であった。

警察の到着に気づいた浦中氏の友人は、意識がはっきりしないままに車から飛びだす。
血だらけの状態で助けを求め、車内に浦中さんが閉じ込められている可能性を伝えた
一方、パトカーの到着に組長の佐藤と愛人の谷は、谷の自宅へと姿を消している。

しかし、警官らは車のナンバーを控えたのみ。
後日出頭するという犯人グループの言葉に事件は解決したと判断し、立ち去っている
加害者である暴力団組員らには返り血がついており、被害者の友人も全身に血が付着していた状態であったにも関わらずだ。


⁂この時点で既に拉致の目撃者も少なくなかった。
また浦中氏が監禁されていた車もスモークガラスではない。



・警官が去った後、そのまま浦中氏は2km離れた空き地に連れ込まれ、更なる暴行を受けた。
この時の加害者らは計6人であり、6人がかりで意識がはっきりせず抵抗できない被害者をリンチにかけていた事になる。
しかも被害者の体はフェンスに縛りつけられ、身動きもできない状態であった。

加害者らは友人の居場所を聞き出そうとしたが、浦中氏は口を割らなかった。
暴行は熾烈を極め、被害者が失神する度に水を掛けて意識を戻させそのうえでまた暴行を加えるという、リンチと言うよりはほぼ拷問であり、凶行は3時間に及んだという。

・佐藤ら加害者グループは瀕死の浦中氏を山中の宝光芒川に放置
初めは生き埋めにするつもりであったが、一目につかず重機を運び出すことができなかったために予定を変更したという。


⁂川内に放置されたのは午前7時頃であった事が、検死の結果判明している。



翌3月5日 16時20分頃
・遺体発見。
ほとんどの肋骨が折られ、右後頭部が割れ、くも膜下出血の痕跡がありそのため意識を失った形跡も残されていたが、直接の死因は凍死。
生きたまま3月の川に投げ捨てられ、数時間ほど生存していたと思われる。


3月9日
・組長ら逮捕。


3月26日
・事件に関与したとして9人目が逮捕された。


【通報】
・事件発生直後から、少なくとも3件の通報が警察には寄せられている。

03:18
・女性の声で「喧嘩が起きている」との通報。

03:20
亡くなった浦中氏本人の通報「ヤクザが暴れている」。

03:34
・男性の声で拉致の可能性を指摘。「連れていかれる」「車に乗せられている」との情報あり



【警察の失態】
・この事件では、警察側においても数多くの疑問点が残る。
職務怠慢というには、あまりにも杜撰すぎる失態に非難が殺到した。

・事件発生時は現場が集合住宅の敷地内であったこともあり、多くの目撃者が現場を目撃していた
数十分にわたりエスカレートする騒ぎは、やや離れた場所の住民ですら気がつくほどであったらしい。

しかし、実際の到着は最初の通報から16分後、最も近いはずの交番からは20分もかかっている。
理由を問われ、警察側は警官が仮眠していた為だと解答。
着替えに10分かかったと説明した。

・また、前述の通り被害者が拉致された車はスモークガラスでも何でもなく、例え深夜であっても懐中電灯を使用すれば目視で被害者を発見できた可能性が高い。
職務質問を行ったのはグループのうち1人のみ。
通報を受けて現れたはずの警官らは、誰1人として車を検める事もなく、身体検査すら行わなかった。

午前4時30分、組員の1人が有瀬交番に出頭し「1人の犯行であること」を証言。
複数の加害者がいることを確認しながらも、警察は1時間の事情聴取で終了し帰宅させている。
この後この組員は浦中氏のリンチ場へ直行し、犯行に加わった

だが同じ頃、警察は浦中氏の家族への帰宅確認を行っている。
当然本人は帰宅しておらず、事件性は明らかであったがその後のフォローは全くなされることは無く、家族への詳しい説明も行われなかった。


⁂5時44分、病院搬送された友人の意識が回復し、浦中氏を拉致した車の特徴を証言。
連れ去られたことを明言したが、事態が動くことはなかった。



・現場の状況保存が不十分であり、事件後初めて鑑識作業を行ったのは6日後。
前日には雨が降っており、既に血痕や足跡、タイヤ痕といった証拠の採取は不可能であった。


⁂事件発生当日の午前7時には、拉致現場などで浦中氏の眼鏡や携帯電話が発見されていた。
しかし、写真などの詳細な記録はせずにそのまま回収していたことが判っている。


「浦中邦彰」の画像検索結果


【刑罰】
・殺害した組長ら加害者の懲罰が確定するまで約2年を要する。

2004年3月26日
・神戸地検は組長に無期懲役、他の組員ら6人に懲役21年を求刑。

同年8月5日
・神戸地裁にて、組長に懲役20年。組員らは10~14年の懲役。組員らを呼び出した女性は懲役3年、執行猶予4年が確定する。


【兵庫県警及び兵庫県の対応】
・2002年4月4日
不手際があったとして兵庫県警は遺族側に正式に謝罪。
しかし、警察内の処分があまりにも軽微であったため(訓戒及び減給3ヶ月)、さらに苦情が殺到する結果となり火に油を注いだ状態となる。


2003年4月17日
・遺族側が県警察の管轄元の兵庫県、及びや加害者らを相手に1億4,000万円損害賠償訴訟を起こす。
一転して兵庫県警側は捜査は適切であったと主張


2004年12月22日
・「警察が適切に職務を果たせば男性は死なずに済んだ」と神戸地裁が指摘、警察側の責任を認定
兵庫県及び加害者らに合わせて約1億円の賠償金支払いを命じる。


2005年7月25日
・兵庫県側が控訴するも、大阪高裁にて一審を支持。控訴を棄却

 
2006年1月19日
・上告するが、最高裁は県側の上告を棄却。一、二審の判決で確定した。



尚、余談ではあるが事件を起こした暴力団「末原組」は山口組系の組織「西脇組」のさらに下部組織であった。(末原は組長佐藤の妻の旧姓)
事件を受けて西脇組は佐藤らを絶縁処分しており、末原組は解散している。


関連記事
神戸院生リンチ殺害事件 2ちゃんログ