事件は非常にはやいペースで発生しており、当時は既に警察が動いていたにも関わらず犯行をためらうような兆候もなかった。
逮捕後は宮崎勤は26歳で成人していたため、報道は実名で行われる。

⁂宮崎は以前にも性犯罪の前科があり、警察の捜査リストにも名が挙がっていた。


【オタクバッシング】
・宮崎の自室は約6000本近いビデオテープ大量のマンガ本で埋めつくされていた。
宮崎の犯行が明るみになった直後、多くの報道陣が自宅に押しかけ、父親は息子の部屋をマスコミに公開
ドアがなくカーテン〈布)で仕切られ、窓もつぶされていたその部屋は衝撃的な光景でもあり、以後、宮崎=オタク・ホラーマニア・ロリコンというイメージがついてまわるようになる。
後にこれらのビデオテープの中から幼女殺害時の映像も発見

しかし「オタク」の理由とされたビデオ・マンガのジャンルは多岐に渡っており、実は全く一貫性がない

例えば、映画であれば日本のスプラッター映画の「ギニーピッグ」が発見されたため、同シリーズは廃盤に追い込まれた。しかし、実際に所持していたのは同シリーズの中でもコメディ色の強い4作目であり、それなりにスプラッター的描写はあるものの、シュールなギャグ映画に近い。

「ギニーピッグ」シリーズ・・・日本の特撮技術を使ったホラースプラッターシリーズ
1~2作目はスナッフフィルム風に構成され、同作品を見た観客が本物と思い込んで警察に通報したというエピソードがある。4作目は竹中直人・柴田理恵・久本正美や景山民夫が出演する「ピーターの悪魔の女医さん」。主人公はピーター(池畑 慎之介)本人演じるモグリの女医で、ゾンビ病人面疸ド根性ガエル病等といったグロテスクな患者が次々と登場する。


アニメ作品なら「宇宙戦艦ヤマト」「ドカベン」「魔法使いサリー」「ゲゲゲの鬼太郎」
「ウルトラマン」「仮面ライダー」「太陽にほえろ」松田聖子のビデオ、野生動物のドキュメンタリー番組など、どちらかといえば節操のない収集癖家のイメージが浮かぶ。
さらに宮崎は収集することで満足してしまうタイプの人間であり、実際に全部のビデオを観ていたわけではなかったらしい。

⁂「太陽にほえろ」・・・故石原裕次郎氏を中心に活躍する刑事たちの活躍を描いたテレビシリーズ。15年もの間不動の人気を誇る。終了は故石原氏の健康状態の配慮のため。最高視聴率40%。

マンガも性的描写の多い成人向け雑誌はごく一部のみで、ビデオ同様に所持比率は極端に低かった。
しかし「オタク」=「ロリコン」=「有害」との認識が拡大し、コミック等のの有害図書指定が強化されてゆく。
テレビ番組などでも規制が強まり、連載が打ち切られた漫画もあった。

「宮崎勤 被害者」の画像検索結果

「宮崎勤 被害者」の画像検索結果

⁂後に報道陣の1人が、演出のためにコミック本に上に性的描写の多い成人雑誌を乗せて撮影した「やらせ」映像だった事を告白
また、宮崎本人は人並みに性的興味はあったものの、小児愛者(ロリコン)では無かった
あくまで成人女性の代替として扱いやすい子供を利用したと思われる。(性的欲望・倒錯の痕跡は全く無し
ごく普通に恋人がいた時期もあったらしい。


【宮崎勤像】
・加害者である宮崎本人は比較的裕福な家庭で育った。
祖父の代から続く地元の名士と言っていい家柄の長男であり、多忙な両親は宮崎のために住み込みのベビーシッターを雇っていた。
宮崎は手の障害を両親のせいと恨んでいたが、祖父には良く懐いていた。

⁂祖父の死は1988年の5月。1人目の誘拐・殺害事件が起きる3ヵ月前
祖父が居なくなった後は家庭内で暴力をふるいだす。


幼女を殺す度に藁人形を用意して自宅の部屋で祖父復活の儀式を行った、というのは後の裁判時の宮崎の証言ではるが信憑性は極めて低い。
バラバラにした野本綾子ちゃんの「手足を焼いて食べた」または猫自宅近くの野生動物や猫などが食べたとの主張もある。
祖父が亡くなった際には火葬場からこっそり「遺骨を持ちだして食べた」とも証言。

しかし、事件の裁判が開始された後の宮崎の行動や証言も、まったく要領を得ない意味不明の事を繰り返す事が多かった。そのためこれらの主張はいずれも真実ではないと判断されている。

犯行は「覚めない夢の中で起きたこと」であり、「ネズミ人間が現れて行った」という。
また、車とビデオの返却を強く求めるなど(自己所有権の主張)、本人の現実感のなさが更に周囲を混乱させてゆく。
犯行時のアナグラム犯行文からもわかるようにパズルマニアでもあり、裁判中もずっとノートに何かを書き続けていた。

⁂実際にはローマ字変換に1文字足りなかったり、今田勇子=今だから言う等、パズル感覚であったとしてもあまり正確で几帳面とは言い難い。そのためこじつけ論も強かったが、実際に宮崎はパズル社にいくつか作品を送っていたらしい。(ほぼ不採用)

宮崎は現実と向き合わず内面に没頭していたが、コミュニケーション能力に問題はなく、気が向けば雑談に応じる事もあった。
しかし徹底した他人無視の態度は、身勝手というよりは理解不能に近い。
会社勤めの経験もありながら、その傍若無人な振る舞いはどうしても人に嫌われがちだったと思われる。

宮崎の精神鑑定は数回繰り返され複数の専門家が鑑定したものの、全て異なる鑑定結果となる。
人格障害統合失調症解離性同一障害など)
同じ結果が出たのは「刑事責任能力がないわけではない」という1部分のみ。
この部分を受けて裁判は進行する。

なお、宮崎は私選弁護人を付けて欲しいと父親に頼んだが、父親が断ったために国選弁護人がこの裁判を担当することになる。

宮崎は父親を「父の人」母親を「母の人」と呼んでいた。
1994年、父親が多摩川に飛び込み自殺。しかし加害者である息子は最後まで無関心だった。

「宮崎勤 絵」の画像検索結果
宮崎の描いた絵
「宮崎勤 絵」の画像検索結果
ねずみ人間


【裁判から死刑まで】
・実はこの事件の動機は未だ解明されていない。
犯人・宮崎の死刑確定は2006年であり、死刑執行は2年後の2008年。
最後まで無罪を主張しており、冤罪説を支持する支援団体まであった。
  
1997年 東京地方裁判所で死刑判決
  宮崎本人はしらけた表情でノートに落書きを書き続け、薄ら笑いで退廷する。即日控訴。

「宮崎勤 絵」の画像検索結果
死刑判決時に描いていたという落書き
  
・2001年 控訴棄却
  弁護側は宮崎が幻聴を訴えていることから再鑑定を求めて上告。

・2006年 最高裁にて死刑確定
  「あほかと思う。あの裁判官は後から泣くことになる」とはその後の宮崎の言葉。
  面会に訪れた人間にも「あの判決は何かの間違い」と発言。


しかし、後に宮崎は恐怖に怯えだしたようだ。
宮崎は獄中にて「夢のなか」という著書を執筆しており、その中で詳しく己の恐怖を語っている。
絞首刑ではなく薬殺刑にして欲しいと希望し、その理由について「落下の瞬間の恐怖」を語り、人権侵害だと強く主張
その恐怖のあまり罪の反省・遺族への謝罪を考える余裕がなくなるため無意味だとした。

一方、同じ著書の中で被害者や遺族への思いを訊ねられ、「とくにない」と答え、「いいことができて良かったと思う」と発言。
また自身の死刑判決の報道の大きさを知り、「やっぱり私は人気者」とも語っている。


・2008年 
  鳩山邦夫法務大臣(当時)下にて、死刑執行。最後まで謝罪や反省は見られなかったという。
  遺体に対面したのは母親のみ。母親は遺体の引き取りを拒否。葬儀すら行なわれていない。
  

⁂真偽のほどは不明ながら、有名な逸話がある。
通常死刑囚に執行日が予め通知されることはなく、その日の朝に知らされる。
拘置所内ではビデオ・映画鑑賞が可能で、宮崎はあるジブリ作品を見ていたという。
「あのビデオ、まだ途中なのに・・・」とは、死刑執行を告げられた際の宮崎の言葉。


また、鳩山法務大臣の死刑執行への反発も強く、人権団体やアムネスティなどの団体が強く抗議している。


【5人目の被害者】
・記事1でも少々触れたが、宮崎が「今田勇子」の名で送った「告白文」には、全く別の未解決事件の被害者の名が記されている。
「群馬小2女児殺害事件」と称されるこの事件は、遺体が白骨化した状態で発見されたために手がかりが得られず迷宮入りとなっており、当時「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の1つと考えられていた。

遺体の遺棄現場や遺体の状況など共通点も少なくなかったことから、この事件も宮崎の犯行では?との憶測を呼ぶ。もし、そうであれば、宮崎の被害者は少なくとも5人いたことになる。

しかし、被害者の殺害時期が1年程前であることや地理的な面、何より証拠がなく宮崎の犯行とは立件できない。また、「告白文」のなかでは被害者の名前を間違っており、ただの便乗犯の可能性も高い。

この「群馬小2女児殺害事件」は、何ら手がかりを得ることができず、2002年に時効が成立。
未解決事件となっている。

関連記事
【閲覧注意】事件 「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)」 1
【閲覧注意】事件 「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)」 2