【閲覧注意】

【事件の終焉】
2月1日
・山本・大槻の遺体を埋めるため車で移動中の坂口らが、大勢の警官と指名手配のポスターに警戒、遺体を車に乗せたままベースに戻り報告する。

しかし森は坂口を信用せず、翌日坂東に様子を見に行かせることを決定。

森は金子が総括しない時には「子供を取り出す」必要があり、いざとなれば自分が取り出すと話しだす。永田も手伝うと言い、子供の父親である吉野は「拒絶はできない」ためやるしかないと決意

子供を組織の子として育てるという森に、永田は母体である金子を小屋に入れ食事させることを提起し、坂口の同意を得て彼女を屋内に移動させる。
小屋内でも金子への批判・追及は続いたが、永田は女性陣に金子の体をきれいに拭かせて新しい服を着せてから再び縛った。

この頃は森と山田の対立が深まっていた。
執拗な過去の追及に山田はCC(中央委員会)からの辞任を表明するが、批判と総括要求は続く。

2月2日
・森から青砥に婦人科の医学書購入の指示あり。
あまりにも非常識な指示に呆れ結局青砥は従わなかったが、森は本気だったのか何度か同じ指示を繰り返している。

山田の総括が不完全であるとして食事の禁止が決定
森は屋外に雪で台を作らせ、その上に山田を正座させた。
この時思わず植垣が「またか」とつぶやくと、隣にいた青砥も「いやだなあ」と答えている。

正座は一日中続いたが、夜も「総括できていない」として屋内で正座が続く。
森は山田の総括は「0.1パーセントの可能性」でしかないとし(つまり不可能)、監視付きで一日一杯の水のみで重労働の薪拾いをさせることを決定。

2月3日
・早朝、山本と大槻の遺体を埋めたメンバーが帰還し、森・永田・坂口の指名手配ポスターが多く張られていることを報告。

金子は永田にトイレを訴え、永田は森に進言したが森は無視。繰り返し永田が訴えると、ようやく認めたものの間に合わなかった。
下着を替え再び柱に縛ろうとするが衰弱した金子は立つ事ができず、永田は森に金子を横に寝かせることを進言。森は金子が刃向かう可能性があるとして寝かせて縛った。

この夜、就寝前に永田は吉野に金子へ牛乳(ミルク)を与えるよう指示を与えている。
金子本人は既に正気を失いつつあったが、吉野は気づかなかった。
メンバーの傍らで奇妙な発言を繰り返す妻に焦った夫は、森の視線を気にして牛乳を与えることを失念してしまった。
動揺を隠し冷静な振りをして就寝した吉野は、翌朝、妻の餓死死体を発見することになる。

一方、空腹のまま薪拾いを行っていた山田は不慣れなため良い成果を出す事ができなかった。
再び山田は逆エビ型に縛られ、そのまま追及と暴行が始まった。

2月4日
・早朝に金子みちよの死亡が確認される。
11人目の被害者

⁂事件発覚後、掘り起こされた金子の遺体には妊娠8ヶ月で身長40.5cm、体重1630gの胎児がいた。
逮捕後、吉野は女の子だった事を聞き泣き出したという。

金子の死に、森は体内の子供を取り出す事を断念。
金子が自分の死を隠していたため不可能になったとし「子供の私物化と闘えなかった」、「子供の私物化を許したのはCCが躊躇したから」とCCへの自己批判を行った。
(あくまで自分の責任ではなく、委員会全体の責任とすり替えた)

この件は大きな波紋を呼んだようである。
永田は山田の総括について、食事の有無と総括は無関係であること、丸太敷きの床のうえに逆エビに縛るのは厳しすぎると主張。坂口らの同意を得て、山田に食事を与え柱に縛り直すことを決定。
金子の遺体はこの日のうちに吉野らによって埋葬された。

⁂思考が麻痺していた吉野は、妻の遺体を埋葬するにあたって初めて遺体は物ではなく「人」だと認識したらしい。穴に落とされた彼女は痛いだろうと感じ、腹部が地面に当たると「子供の悲鳴が聞こえたような気がした」という。

この日以降、森は永田とともにベースを離れ都内のアジトに潜伏
かつて下山メンバーが交通手段を決めずに行動していたことを激しく批判・追及していた森本人が、全くのノープランで下山したことに永田はひどく驚いた。
(その後も同じような事態を永田は何度も目撃する)

ようやくここで永田は森の大きな矛盾口先だけの言行不一致と自己保身責任逃れの現実逃避に気づくことになるが、引き返すにはもう遅かった。

2月5日
【迦葉ベース】
・榛名ベースを解体するため、数人のメンバーが榛名山に出発。

2月6日
【迦葉ベース】
殺された山本順一の妻、保子が脱走
子供は取り上げられており、夫も殺されたためたった1人での逃亡だった。(1972年3月出頭)

脱走に気づいた中村愛子が坂口に報告、坂口は保子が子供奪還のため警察を連れて来ることを警戒した。
総括中で縛られたままの山田に警察が来たらどうするか問い、手榴弾で自爆するという回答に何故銃で戦うといわないのかと反論。山田が銃を持って戦うと答えると、「総括は終了した」と宣言、縄をほどくが山田の手足は凍傷で動かなくなっていた

坂口は中村に金を渡し、山本夫妻の子供を連れて榛名に向かい、その後ベースメンバーに妙義山に移動するよう伝えるよう要請。坂口の言葉を受け、中村は乳児を連れて迦葉山を下山。榛名に向かう。

2月7日
【榛名ベース】
・小屋の解体を終えたメンバーは迦葉への移動を開始していた。
移動手段にはバスが使われたが、服装や悪臭などから不審がられ、当初予定のバスを見送り停留所で次のバスを待つ。
この時、前沢虎義が突然走り出し脱走。(1972年3月出頭)
板東が同行していたが、人目を気にして追うことができなかった。

また、赤ちゃんを連れた中村はタクシーで榛名山に向かったが、その汚れた身なりと表情から親子心中を疑ったタクシー運転手が警察に通報保護された。
(中村は翌日友人に迎えに来てもらい、次の日には友人に山本夫妻の子供を預けて消息を絶つ。1972年3月出頭)

【迦葉ベース】
・坂口が森への報告のために下山、公衆電話から都内のアジトに連絡するも連絡がつかず。
坂口は必ず山田を助けるつもりでおり、いざとなれば森の殺害すら考えていた。

しかし突然の榛名メンバーの帰還に事態は混乱する。
妙義山への移動が伝わっていなかった上、前沢の脱走中村の失踪にメンバーは浮き足立ち、騒然とした状態のなかで坂口は山田の総括完了宣言ができず、坂口と青砥がレンタカーの調達中に再び山田は縛られてしまった

2月8日
【迦葉ベース】
・メンバーら妙義山へ出発。
ようやく森らと連絡が取れ、坂口は前沢と中村の脱走を伝え、自己判断で妙義山への移動開始、山田の縄を解いたと報告。
しかし、途中で強硬派の板東が電話を奪い取り、山田の自爆する発言は問題であると進言
山田への総括の必要性が森と板東との間で強調される。
これにより、坂口が森に感じ始めていた「戦闘意思が腰砕けになって」しまったという。

森は永田に坂口は「共産主義化をわかっていない」と批判、「坂口君はこれまで永田さんに庇護されてきた。今後はそれは許されない」と強く主張。
残念ながらこの段階で、事実を最も的確に把握していた坂口の行動は封じられてしまった。
坂口は山田の総括完了を宣言できず、山田の運命が決まってゆく。

実はこの日、たった1日違いでで榛名ベース跡地が警察に発見されている。

2月9~11日
・移動しながらベース候補地の探索。
ようやく妙義山に洞窟を見つけ、ベースとする。(妙義ベース)
坂口のリーダーシップは的確であったが、それ故に山田のケアにまで手が回らなかった。
縛られたまま寝袋に入れられて放置されていた山田の衰弱は激しく、体を必死にねじって雪を食べようとしていたという。青砥はその様子に山田が脱水症状になっているのではないかと感じていた。

2月12日
・12人目の最後の被害者、山田の死亡が確認される。

坂口が森に電話で死亡を報告。その様子が悲しそうだったと、森は永田相手に坂口批判を開始。永田は坂口を擁護したものの、それも批判の対象になった。

勢いあまったのだろうか、森は自分の妻にも問題があるため森と永田が結婚するのが「正しい」道だと宣言。永田は了承し、翌日坂口にその旨伝えることを告げると、今度は森が躊躇ったという。

2月13日
【都内】
・坂口上京。
森は山田の縄をほどいた事で坂口を批判
山田の遺体はまだ埋葬されておらず、森はすぐに埋めるよう坂口に要請。
坂口は山田の最後の言葉「総括しろだって?ちくしょう!」を森に伝え、暗に賛同していないことを示したが、森本人に伝わったかどうかは不明。
永田、森が好きになったので離婚したい旨を坂口に告げる。坂口はしばらく無言の後、頷く。

2月14日
【都内】
・森の不在時に、永田は本当は坂口が好きだと伝えるが、坂口は取り合わず。
森の帰宅後、離婚に向けて相談と称して2人は喫茶店で総括について話し合う。永田は必要なことだと諭すが、坂口は「総括が何だか分からなくなった」と回答。

2月15日
【都内】
・榛名ベース跡地発見の記事を新聞で知った森と永田が妙義山へ移動開始。

【妙義山ベース】
坂口・板東による総括会議。(坂口は14日のうちに帰還)
坂口が山田の縄をほどいた件で自己批判の後、「私を批判して欲しい」と言うも誰も発言せず
各自の総括を順番で行うが、途中で居眠りはじめた者もおり、「もうやめた」と植垣が発言。全員で眠ってしまった。
深夜、坂口ら数人で山田の遺体を妙義山中に埋葬。

2月16日
【妙義山ベース】
・坂口らはラジオで榛名ベース跡地が発見されたことを知り、移動を決定。
少人数の方が怪しまれないため、合流地点で再集結することにして、先発隊の車が出発。
坂口も森達2人に電話連絡するため一緒に同乗。
(2人は妙義山へ移動中だったが連絡がなかったため坂口は知らなかった)

途中、検問に引っかかり警官の職務質問を受けるが、坂口は顔の割れていない杉崎ミサ子と奥沢修一に時間稼ぎを命じ、板東ともに逃走
杉崎と奥沢は9時間車に籠城し、その間に坂口らは一旦妙義山ベースに戻り、残っていたメンバーと一緒に再び長野方面へと移動。

⁂警官達は森と永田の2人組をメインに探しており、「不審なアベックを見ませんでしたか?」との問いにまさか坂口は森と永田のことだとは夢にも思わなかったらしい。

【妙義山中】
・妙義山ベースへ移動中の永田と森が、山狩り中の警官に職務質問を受ける。
が、身綺麗で手配中の山岳組とは雰囲気が異なっていたため、うまくすり抜けることに成功。
ベースへ戻る方法で永田と森で意見が食い違う。永田は最短距離でベースに向かおうとするが、森は山狩りを警戒して迂回ルートをたどる事を主張。
結局は森の主張通り迂回ルートを通ったため、翌日先回りされて逮捕される結果を招く。

2月17日
【榛名ベース】
・森と永田が無人のベースに帰還。
山狩りの警察官達に包囲された事を知った2人は「殲滅戦」を覚悟。
森は「もう生きてみんなには会えないな」とつぶやいたが、それは「敗北主義以外のなにものでもなかった」と永田は後に回想

警察官に発見された2人は格闘の末、あっさりと逮捕。「殲滅戦」で彼らは傷1つ負わなかった。

【逃亡中のメンバー・場所不明】
・2人の逮捕はラジオで速報で流れ、坂口達は驚くが奪還に向けて決意を表明。

2月19日
・坂口らは山中で道に迷い、何とか軽井沢にたどり着く。
着の身着のままで逃げてきた彼らはまず食料を確保しようとして、通報され4名が逮捕された。
(植垣、青砥、伊藤和子、寺林真喜江)

この逮捕もまたラジオで速報として流れ、残った坂口、坂東、吉野、加藤兄弟の2人があさま山荘事件を引き起こす。

あさま山荘事件・・・追い詰められた連合赤軍メンバーが保養所の管理人の妻を人質に立て籠もった事件。警官隊・機動隊に囲まれた長期にわたる籠城にも関わらず一切の要求もなく、人々に不気味な印象を与えた。連合赤軍メンバーの親族らも集まり説得を行ったが、その中には処刑された寺岡の親族もおり、籠城したメンバーらは無言でそれらを聞いていたという。

2月28日
・長時間の籠城により人質の安否が気遣われ、ついに機動隊が山荘に突入。
抵抗したものの5人は逮捕。
これで脱走者を除く生存メンバーは全員逮捕となったが、この時点ではまだ死者(総括リンチ被害者)の存在は判明していなかった。

しかし、まもなく迦葉ベースが発見されると、大量殺人の証拠が浮上する。
次々と発見される無残な総括遺体の様子は連日報道され、そこで初めて我が子の暴行死を知った親も少なくない。

また報道を受け、逃亡中の4人(岩田平治、山本保子、中村愛子、前沢虎義)も翌3月中に全員が自首・出頭。事件は終結した。

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