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おいら ◆9rnB.qT3rc:2010/01/17(日) 18:27:05 ID:fJ3UDovY0

【勧誘】
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S大学前駅でO急線の電車を降りた。
駅名にもなっている大学へと足を向ける。今日はそこの学園祭。
露店からウィンナーを焼く匂いがしてきた。
どこの大学も学園祭と言えば、それほど変わらないものだ。

別棟の三階に登る。
右手の廊下の奥、暗がりにエスニック風な手書きの看板が見えてきた。
「民俗学研究室」。お目当ての場所だ。
部屋に入ると、アジアっぽいお香の匂いが立ち込めている。
微かにガムランの音色。
ゼミの研究展示と、その時のお土産だろうか、ちょっとした喫茶と雑貨の販売をしているようだ。
まだ午前中のためか、客はあまり入っていないように見えた。
民俗学というと、柳田國男に代表される日本ぽいイメージだが、ここは少し様子が違う。
どちらかというと世界各地を回って、エスニカルな見識を集めているのだろう。
全体に色彩豊かな工芸品の展示で固められている。

こう見ていると、やっぱり東南アジア方面は人気があるなぁ。
教授に付いていくとは言え、学生身分で毎度海外へ渡航するとなると、結構金がかかるだろうに。
逆に、家が金持ちでなければ無理かもしれない。
高いかもな…ここの学費。

案内の学生に声をかけられた。
髪はサラリとしたショートに薄い眼鏡。朱いサリーを着ている。
彼女はインド系がお好みか。
見回すとスタッフは殆どが女性で、しかも思い思いの民族衣装を着ている。
なるほど、室内を見るとタイかバリ風のヒーリングサロンのような雰囲気だ。
ここまで固められてしまうと、一見の男性は逆に気恥ずかしくて入り難いだろう。


575おいら ◆9rnB.qT3rc:2010/01/17(日) 18:28:03 ID:fJ3UDovY0

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…と、そんなことは言ってられない。
名刺入れから一枚の名刺を出した。
「民俗学フィールドワークゼミのミカドさんて、いらっしゃいますか?」
自分の名前を名乗りながら、ミカドさんを訪ねた。
「今日、エリって来てるっけ?知り合いの方だって」
彼女は笑顔で取り次いでくれた。

「あのー、ミカドですけど…あ!どうも、この前はありがとうございました」
最初、聞き慣れない名前に不審そうな顔をして、控えから出てきた女性。ミカドさんだ。
おいらの顔は忘れてなかったようだ。感激した。

彼女は先日、N部線の怪しい踏切で、大きな黒い口に喰われそうになった女子大生。
偶然にも、おいらが助けた格好になってしまった。
あの夜、携帯の番号を交換し損なって、ずっと気になっていた。
彼女の美貌もそうだが、あの大きな黒い口のことが、気に掛かっていた。
あれから同じような目に遭っていないだろうか。
あの赤いチェックのスカートと白い脚が、アンなことやコンなことになってやしないか。
他人ごとながら心配していた。

それから一回だけ、おいらの勤務先に彼女からメールが来たことがある。
今度、学園祭で研究室の展示をするので、良かったら一回見にきて欲しいと。
当然、小躍りして喜んだ。
その日以来、楽しみにしてきたのが、本日この学園祭だという訳だ。


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おいら ◆9rnB.qT3rc:2010/01/17(日) 18:28:39 ID:fJ3UDovY0

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「どうも。ご招待頂いたので、来てみました。いい雰囲気の展示ですね」
「わざわざお越し頂いちゃって、すみません。とりあえず座ってください」
ミカドさん、今日は白いスカートに薄いサーモンのジャケット。
今日は非番なのか、他の学生と違って私服だった。

しつらえられた喫茶席に通される。
学園祭らしく普通のパイプ椅子にアフガンストールを掛けただけの簡素なものだ。
先程のショート髪のサリーの子が、注文を聞いてきた。しっかりしてる。
実のところコーヒーが欲しかったが、
ここは場に合わせてチャイを二つ頼んだ。

「どうです?あれからまた変な目に遭ったりしてませんか?こっちも気になって…」
「あれからは…特に変わったことはないです」
そこに、チャイを持ってきたショートのサリーちゃんが、横から口を挟んだ。
「うそ…また遭ったの?エリの『スタンド』、黒くて大きいもんね」
「トモちゃん、ダメだって…」
「だって大丈夫じゃん。あんたの彼氏、霊能力者だし。エリも怪我なんてしないし」
「ね、彼も実は『スタンド』持ってるんでしょ。羨ましーわー」

黒くて大きい『スタンド』?
霊能力者?何言ってるんだ、このメガネっ子?
…って今、この子『彼氏』って言ったか?言ったよな?
…まー、そういうもんだよな…普通。
これだけの美人だし、そら居るわな、彼氏くらい。

心底ガックリきたのも束の間で、おいらは『黒くて大きなスタンド』という言葉に、見事釣り上げられた。
どういうことだ?あの時の、大きいワニの口のことか?
熱いチャイを少しすすった。
シナモンは香り高いが、ちょっと甘すぎる。


577おいら ◆9rnB.qT3rc:2010/01/17(日) 18:29:10 ID:fJ3UDovY0

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『スタンド』か…。
確かに上手い喩えだと思った。おいらもジョジョは好きだ。
ということは、ミカドさんがあのワニの化け物を「出す」ということなのか?
もしそうだとして、なぜ彼女がそれに襲われる?
「その『スタンド』って、この前、踏切で遭ったのと同じものですか?」
「…」
「いや、いいです。すみません、込み入ったこと聞いて」
「いえ、…あの夜と同じものだと思います。みんなは『スタンド』って呼んでますが」

ちょっと待て。
みんなって…そんなに有名なの?
そんなに頻繁に出てくるものなの?

「中学校の時に海外旅行に行ってから、時々出てくるようになりました。
一緒に居たみんなも同時に見ることがあります。
このトモちゃんも、去年の夏に伊豆の合宿で-」
「そうそう!あの時もエリの彼氏がすっぱり鎮めちゃったんだよね。カッコ良かったー」

はぁ…そうですか。開いた口が塞がらない。
気付くと、他のスタッフの学生も会話の輪に入ってきていた。
みんな口々にミカドさんのスタンドとやらの凄さと、その彼氏の能力を誉めそやしている。
あの…ここは、ああいうのが当たり前のゼミなのでしょうか?

彼氏の職業は各地の「地脈」を鎮めるため、
日本中を飛び回る「ナントカ心霊研究所」の行動員(アクティベート・スタッフ)なのだという。
終いには、おいらの体験談をいろいろ根掘り葉掘り聞かれ、
それに適当な解釈を付けられ、その「ナントカ心霊研究所」の連絡先メモを握らされ、
挙句には紹介されるところだった。

大学の頃、しつこく折伏し勧誘してきた、学会の学生構成員の連中のことを思い出した。
あの時、幾重にもおいらを囲んで、執拗に説得してきたやつらの目とそっくりだった。
おいらはぞっとして何回も頭を下げ、丁重に辞退した。

そして逃げるようにS大学を後にした。


578おいら ◆9rnB.qT3rc:2010/01/17(日) 18:29:40 ID:fJ3UDovY0

5/5
あちゃー。あいつらはモノホンかも。
おいらも個人的な霊体験はあるが、霊媒や祈祷師、その類だけは願い下げだ。
今まで相談しに行ったことは無いし、これから行くことも無いだろう。
正直そういった連中は、どこかイカれていると、今でも思ってる。

あのS大民俗学フィールドワークゼミの連中も、基本的には同じなのだろうか?
世界各国の風俗に伝わる神秘とロマンと伝説に、現地を回ってどっぷり浸かっているうちに、
向こう側の仄暗い深みに、ズブズブと嵌り込んでいくのだ。
そして最後、もうこちら側には戻れない。

折角の気品と美貌を兼ね備えたミカドさん。ああミカドさん…。
周りがあんな真性オカルトだらけでは心配だ。
このままでは後戻りできなくなってしまう。
きっと、愛する人をカルトに持っていかれる焦燥感と似たような感覚なのかもしれない。
これはかなりハードでタフな問題だと実感した。

一つ名案が閃いた。
彼女の『スタンド』とやらについても、別な解釈が与えられるかもしれない。
きっと面白いことになるに違いない。いつか彼女を連れて行ってやろう。
おいらの恩人、広島弁三船敏郎声のヒッピージジイが良く来る、上野の飲み屋に。
「ナントカ心霊研究所」とかと違って、あのジジイは知る限り、きっとロンリーだ。
法外な金を取られることもないだろう。
一二杯おごってやればいいしな。