オウム真理教は、麻原彰晃(本名松本智津夫)を開祖とするカルト的な新興宗教団体。
一般市民に向けて世界で初めてサリンという化学兵器を利用し、大量殺戮を行ったことで世界を震撼させたテロ組織である。


「オウム(AUM)」とは、サンスクリット語またはパーリ語の呪文「唵」のことで「ア・ウ・ム」の3文字に分解できる。
日本の仏教系、チベット、ヨガなどの教義も取り入れた全く新しい宗教として登場した。

1995年には、世界初の都市型毒ガス多発テロを実施。
1996年1月に宗教法人としての法人格を失ったものの、宗教活動は継続された。
2000年2月には破産に伴い消滅したとされる。
(破産により、遺族らへの補償金は支払われなくなった)

同時に、新たな宗教団体アレフが設立。教義や信者の一部が引き継がれる。
アレフは後に「Aleph」と改称され、宗教団体「ひかりの輪」が分派する。



【教団の歴史】

・1984年、麻原彰晃(本名・松本智津夫)は後に「オウム真理教」となるヨーガ教室「オウムの会」(その後「オウム神仙の会」と改称)を開始。
この頃、オカルト系雑誌の『月刊ムー』が、このオウムの会を「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた。
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また、同年11月にはニューヨーク支部も設立。
1989年(平成元年)8月25日に東京都に宗教法人として認証された。

麻原は解脱して超能力を身に付けたといい、神秘体験に憧れる若者を中心に組織を急速に膨張させていく。
さらに麻原は自らをヒンドゥー教の最高神の一柱である破壊神シヴァ神あるいはチベット密教の怒りの神「マハーカーラ」などの化身だとも説き人を力づくでも救済するこの神の名を利用し、目的のためには手段を選ばず暴力をも肯定する教義へと傾斜していく。
また海外に進出し、複数の国に支部を置くなどその規模は拡大していった。
ロシア国内では教団番組を放送し、日本語のほか英語やロシア語が使用されている。

だが実は松本(麻原)本人は、名前を変える前には薬事法違反で逮捕されたことがある。
勿論、そういった知識があったことは間違いなく、幻覚剤、覚醒剤といったドラッグを使用しての神秘体験・超常体験を展開していったことは想像に難くない。

「オウム真理教」の画像検索結果

番組内では、麻原彰晃作曲とされる多くのオウムソングが流され、「超越神力」、「エンマの数え歌」、「御国の福音」第1楽章の一部や「シャンバラ・シャンバラ」などが放送された。

1995年3月22日、オウム真理教に対する警察の強制捜査が行われ、翌23日にはこれに対する麻原自らが反論する内容のが放送される。
1995年2月からは、麻原が「悔いのない死」を呼びかけるメッセージを送り続けていたが、3月23日の放送の最後にもこれが放送されオウム真理教放送最後のオンエアとなった。

麻原の妄想・幻聴は1992年頃より現れ始めたという。
3女麗華は麻原を統合失調症などの精神疾患に罹患していたのではないかと推測している。


1993年(平成5年)以降は麻原が自ら進んでメディアに登場することはなくなり、国家転覆を狙った凶悪犯罪の計画・実行に傾斜してゆく。
この頃には、アメリカから毒ガス攻撃を受けていると主張するようになり、車には空気清浄機を付け、ホテルでは大真面目に隙間に目張りをしていた。
ヘリコプターが通過する際には、毒ガスだと言って車に駆け込み退避するよう命じていた。 


各地では住民によるオウム真理教追放運動が表面化し、時にはヒステリックなまでにエスカレートした。


【教団の崩壊と事件への傾倒】
・1988年には在家信者死亡事件、1989年には男性信者殺害事件
など、凶悪事件を起こすが、この頃は証拠不十分などのためにまだ事件性すら確定されておらず、オウム真理教への容疑は全国的には及んでいなかった。

・1990年には政党真理党を結成し、第39回衆議院議員総選挙へ麻原と信者24人が集団立候補するも、全員落選する。
その政治活動も、、信者が麻原のお面やガネーシャの帽子をかぶり、尊師マーチなど教祖の歌を歌うといったものであり、派手なパフォーマンスなど奇抜な活動が注目を浴び、徐々に知名度が上がってゆく。

「オウム真理教 ...」の画像検索結果

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驚くべきことに、この時、公職選挙法を大きく逸脱する行為が堂々と行われている。

また他の候補者のポスターを剥がす、汚損するなどを麻原自身が指示、深夜に信者を使い、他の候補者を中傷するビラを配布させたりもしている。
元信者達は、「もしも誰かから注意されたりしたら、『これは布教活動です』と言って逃れるように」と指示されていた。

知名度があがったという現象も、実は全く支持されていたわけではなく、その行動が笑いを誘うといった人気ぶりであったが、彼らは大真面目に自分達が歓迎されていると思い込んでいたらしい。
(実際に残酷な事件を陰で起こしており、刑事・民事の訴訟を抱えての政治参戦である)

全員落選という結果を受けた麻原は「国家権力により弾圧を受けている。これからは武力で行く」と宣言。
被害者意識をより一層高め非合法活動を更にエスカレートさせた。

・同じく1990年(平成2年)5月。
教団は「日本シャンバラ化計画」を実行に移すことを決定。
熊本県阿蘇郡波野村(現在の阿蘇市)に進出するも、地元住民の激しい反対運動を受ける。国土利用計画法違反事件でも強制捜査を受けた。

この件は、結局のところオウムが5000万円で手に入れた土地を、波野村は9億2000万円で買い戻すことになり、この金額の差額の約8億7000万円は、以降のオウムの大きな資金源となった。

これがきっかけとなり、ほぼ同じ時期に、一斉に全国の各オウムの施設付近で追放運動が巻き起こる。

「オウム真理教 ...」の画像検索結果

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また、選挙での惨敗後は教団より脱会希望者者が続出していた。
教団側は焦ったのか、石垣島にてセミナーを強行、在家信者の家族まで参加費30万で強制参加させる騒動を起こしている。
宣伝文句は「オースチン彗星が接近しているために日本は沈没するが、オウムに来れば大丈夫」。

だが、実際には会場予約すらしておらず、天候も荒れたなか、「現在の東欧動乱は、1986年のハレー彗星の影響であり、今年のオースチン彗星の接近によって何かが起こる」とのみ宣言し、解散と言うお粗末なものとなった。
これはその後「ハルマゲドンが起こる、オウムにいないと助からない」と危機感を煽り、信者や出家者をかき集める方法の原点になったと考えられる。


さらに教団は複数の凶悪事件をエスカレートさせてゆくが、ほぼ同時にこの頃より布施の強化が図られ始める。脱会に成功した信者にも執拗にハルマゲドン思想などを説き続けた。

LSD(幻覚剤)を使ったイニシエーション(儀式)がに対しても盛んに行われた。
費用は100万円であったが、工面できない信者には大幅に割引されるしくみになっており、中には5万円で受けた信者もいる。


在家信者に対し、出家して共同生活をおくる信者の居住建物をサティアンと命名していた。
サティアン(教団建物名)には独房が造られ、教団に対し疑問を持つ信者を監禁し、洗脳、精神がおかしくなるものも続出した。
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出家した新信者が教団の実情に驚き、脱退しようとすると体力のある信者数人がかりで押さえ込み、監禁する行為も日常敵に行われていた。

「信徒用決意」というマニュアルがあり、信者は全財産を教団に没収される。
麻原は、「泣こうがわめこうがすべてを奪いつくすしかない」「身包み剥ぎ取って偉大なる功徳を積ませるぞ」「丸裸にして魂の飛躍を手助けするぞ」等と宣言し、強引に金を集めるよう信者に命じている。
これらが信者の、監禁・誘拐事件の正当性にすり変えられていったと思われる。

元医師・林郁夫によって開発された儀式「ナルコ」は、チオペンタールという麻酔薬を使い、意識が朦朧としたところで麻原に対する忠誠心を聞き出し、確認するためのものであった。

しかし疑心暗鬼の虜になった麻原は社会との軋轢が増すにつれ、教団内部にスパイが潜み、裏から工作しているに違いないと思い込みはじめる。
そのため教団内では、信者同士が互いに監視しあい密告するよう奨励していた。

*実際のところは不明だが、教団そのものの手口が、各社会内に信者を送り込んでいたと裏読みされても仕方のない不可解な現象が各地で起きている。松本サリン事件における不手際と、の引き金となった情報の漏洩も通常では考えにくい。が、解明はされていないので事実は不明なままである*

林郁夫は信者に「ニューナルコ」と呼ばれる薬物を併用した限界を超えた電気ショック療法を使い始め、その結界、救出された信者の中には字が書けなくなったり記憶がなくなっている者が見つかっている。


・1995年(平成7年)、警視庁は全国教団施設の一斉捜査を決定。
だが、やはり事前に教団は捜査の情報を入手している。

捜査の目を眩ますためだったのか、自身の「ハルマゲドン」の予言の成就のためだったのかは判明されていない(本人もわからなかったのかもしれない)が、首都東京で大事件を起こすことを計画、3月20日に地下鉄サリン事件を実行した。

・事件2日後の3月22日。
山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)の教団本部施設への一斉捜索が実施される。
サリン等の化学兵器製造設備、細菌兵器設備、散布のためのヘリコプター等が見つかり、オウム真理教の特異な実態が明らかになった。
(尚、この模様はテレビ中継され人々の目をくぎ付けにした)

以降、同事件や以前の事件への容疑で教団の幹部クラスの信者が続々と逮捕。
1995年(平成7年)5月16日には、教団代表であった松本智津夫(麻原彰晃)が上九一色村の教団施設で逮捕される顛末となった。

発見当時、松本は狭い隠し部屋に横たわっており、手元には多額の現金が入ったスーパーの袋があったという。

強制捜査の際にも信者向けのマニュアルがあった。
信者の青山吉伸弁護士が他の信者に指示し、「絶対に警察の手に渡ってはいけない違法なものに限り持ち出し、露骨な持ち出しをしないように」気をつける事、「令状呈示のメモ及び録音で時間を稼ぎ、私服警察官に対しては警察手帳の呈示を求める」で、合法的に時間稼ぎをすること(おそらく証拠の隠滅及び幹部逃亡の為)を徹底させている。
また、「水際で相手を嫌にさせて、捜索意欲をなくさせる」という法的に抵触しない嫌がらせの指示、「排除等の暴行に及んで来たらビデオで記録化する」心理的作戦、「施設の電源を落とす」「内鍵をして立て篭る」「勝手に触ると修法が台なしになると主張する、ほとんどのものを修法されているとする」という子供のような作戦を展開させた。
その他にも、警察との想定問答が極秘に出されていた。

しかしながら、いくら専門知識のある弁護士でも、信者の行動の抑制はできなかったらしい。
一斉にビデオを構える信者の姿は異様でしかなく、「暴行だ!」と叫ぶ信者が警官を押し、体勢を立て直すために警官が他の信者に触れざるを得ない状況を作り出していたことなどまでテレビカメラにて放映。
また「さわらないで下さい!」と叫ぶ女性信者には誰も触ってはいない。
自己演出による狂言であることがそのまま中継されてしまった。


【その後の動き】
・教団幹部に対し、刑事裁判では13人の死刑判決、5人の無期懲役判決が出されることとなった。

教団は著名人との交流があったが、事件後は一変して多くの人物がオウム批判に転じている。


・2000年、教団は前年に出所した上祐史浩を代表として「オウム真理教」を母体とした宗教団体「アレフ」へと名称変更。
同年7月「アレフ」は破産管財人の提案により、被害者への賠償に関する契約を締結。だが、その支払いは遅々として進まず。
2003年には「アーレフ」2008年にはさらに「Aleph」と改称し、宗教団体として現在も存続している。


・2007年には上祐派の信者たちが脱会、新宗教団体「ひかりの輪」を結成
この団体は松本智津夫の教えからの脱却を志向していると主張しているが、公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版でもその活動が麻原の修行に依拠していることが報告された。


・2010年3月に公安調査庁は、サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、警戒を強めている旨を発表。


オウム真理教の教義は、元となっている宗教教義を誤って解釈したもの、意味を取り違えたもの、都合主義的な拡大解釈などが多く、きちんと教義体勢が整っているとは納得しづらい。

(余談ばかりでも申し訳ないが、当時麻原が攻撃をうけている証拠として、難病の「Q熱リケッチア」と闘病しながらも活動に専念しているというものがあった。突っ込む気はないが、「Q熱リケッチア」とは豚が罹患する病気の名であり養豚業者であればご存知の方も多い。教団側はその事実を知らなかったらしく、いつの間にかこの話題は消えていった)

しかし、密教を中心に原始仏教からキリスト教まで幅広い宗教を学習し、さらなるオウム独自の体系化が図られたとして、仏教学者やキリスト教神学者を含む宗教学者・宗教家が、事件から二十年を経た今でも論評・批判することも稀なままの状態である。

このため麻原の説教の録音テープや録画映像が、今だに布教に用いられてアーレフの信者などに信奉されている現実がある。


これら一連の事件における被害者数は、死者30人・重軽傷者6000人以上。
オウム真理教とは、実は日本史上最悪の組織的犯罪であるといえる。


最後に、当時あまりにも有名になった「麻原アニメ」「麻原ソング」を記載する。
絶対に笑わないように。





当時はこれが大真面目に取沙汰されていた。
現在も、まだ団体が存続していることを考えれば背筋が寒くなる。



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