事故当時、墜落地点は御巣鷹山と報道されたが、正確には御巣鷹山の南隣に位置する無名の尾根であった。(高天原山系)
後に、上野村村長によって「御巣鷹の尾根」と命名。

当然といえば当然かもしれないが、123便の緊急事態の発信は東京ACC、横須賀基地以外でも受信されている。以下、航空自衛隊も含めた救助の動きを追う。


【捜索・救難活動】

18時28分頃
・千葉県愛宕山の航空自衛隊中部航空警戒管制団第44警戒群(通称「嶺岡山レーダーサイト」)で、123便の「スコーク7700」を受信。
直ちに中部航空方面隊に報告、航空自衛隊の中央救難調整所 (RCC) が活動を開始する。
(RCC・・・・Rescue Coordination Centre)

18時56分
・嶺岡山レーダーサイト当直司令は123便が墜落したと判断。
スクランブル待機中のF-4EJファントムの緊急発進を中部航空方面隊司令部に提案。

19時01分
・航空自衛隊の百里飛行場よりF-4戦闘機が離陸。


実はこの時、羽田の東京航空局東京空港事務所では、123便の緊急事態発生に対し東京救難調整本部 (Tokyo RCC) を開設し、123便の緊急着陸態勢を整えていた。
管制塔よりレーダーから機影が消えたとの連絡受信は18時59分であった。

19時03分
・Tokyo RCCは防衛庁、警察庁、消防庁、海上保安庁などに異常事態を通報。
123便の捜索にも当たった。
レーダー消失直後は、まだ同機が低空飛行を続けている可能性も考えられていた。そのため管制や社内無線からの呼びかけも続行していた。
(あまりに高度が低ければ、レーダーには反映されない)


19時15分頃
・米空軍のC-130輸送機が、群馬・長野県境付近の山中に大きな火災を発見下との情報がRCCに届く。

19時21分頃
・百里基地を緊急発進したF-4戦闘機の2機も墜落現場の火災を発見。
長野県警臼田署のパトカーからも「埼玉県と群馬県境あたりに黒煙が見える」と通報あり。

19時54分
・百里基地より救難隊のKV-107ヘリコプターが離陸。
事態がまだはっきりしていない時期ではあったが、救難の為の見切り発進であった。
 
KV-107ヘリコプター(写真)

20時33分
・Tokyo RCCより航空自衛隊へ航空救難の要請(災害派遣要請)。

20時42分
・現場上空にKV-107ヘリコプターが到着。

当時のKV-107救難ヘリは救難用ライト4灯装備など夜間の救難作業は可能であった。が、赤外線暗視装置などの本格的な夜間救難装備の無いという理由で、事故当夜の救難員が降下しての救助活動は行われていない。(当時同ヘリは夜間救難作業に従事し、何度も出動している)

21時30分頃
・Tokyo RCCから、初めて陸上自衛隊に救助要請提出。

21時39分
・埼玉・長野両県警のパトカーが三国峠の西北西に赤い煙を発見する。


この間、マスコミの報道も中継や速報など大きく拡大していった。

めまぐるしく変化する状況に現場は相当混乱したと思われる。
情報も錯綜した。

また、123便の遭難から航空自衛隊への災害派遣要請は約1時間40分後である。
Tokyo RCCの「位置が確認できないことには、正式な出動要請はできん」という幹部判断と、運輸省の「レーダーから消えた地点を特定せよ」との連絡が東京ACCに何度も連絡が繰り返されたために、時間のロスが生じた。

あくまで位置・地点特定に固執した結果の混乱や錯綜が窺われるが、当の航空自衛隊は要請の約30分前に救難ヘリを見切り発進させている。

12日深夜までには、長野県警は墜落現場は群馬県側の山中であると発表。
しかし、混乱は治まらず間違った情報が各方面より伝達され続ける。
以下、箇条書きにしてみる。
・「長野県北相木村のぶどう峠付近に墜落した」との110番通報(匿名)
・「御座山北斜面」日本航空による22時の広報
・「北緯36度02分、東経138度41分」の場所(運輸省)
・「長野県南佐久郡御座山北斜面」(運輸省)
・防衛庁からのリーク「現場は長野県の御座山北斜面」(朝日新聞) 等

これらの情報で地上からの捜索は混乱、航空自衛隊の地上捜索隊及び陸上自衛隊の各捜索隊は、翌13日の朝まで現場に到達することができなかった。

なお、運輸省による「北緯36度02分、東経138度41分」は123便のレーダー消失地点であり、実際の事故現場は御巣鷹山から北側約2.0kmの群馬県側になる。
根拠のない長野県南佐久郡北相木村」、「御座山北斜面」等の情報が付け加えられてゆき、結果緯度・経度情報が地上捜索隊の活動に生かされることはなかった。


また、海上では乗客が機外に吸い出された可能性があるとしてTokyo RCCが通報、海上保安庁の巡視艇3隻が駿河湾周辺の捜索を行っている。

翌8月13日
04時30分頃
・航空自衛隊救難隊が墜落機体を発見。

05時10分
・陸上自衛隊ヘリによる機体確認。

05時37分
・長野県警ヘリによる墜落現場の確認。

テレビ映像を見た、当時の群馬県上野村長の黒沢丈夫氏は、現場が村内の「スゲノ沢」であると判断。
土地勘のある消防団員に捜索隊の道案内をするように要請する。
現場への距離は約2kmだったが、傾斜角30度の急斜面のうえ熊笹が生い茂り、到着には1時間30分を要する難所であった。

08時30分頃(墜落からおよそ14時間後)
・長野県警機動隊員2名がヘリコプターから現場付近にラペリング降下。
陸上自衛隊第1空挺団員も現場に降下し救難活動を開始した。

ラペリング降下(写真)

陸路からは上野村消防団・群馬県警機動隊・警視庁機動隊・陸上自衛隊・多野藤岡広域消防本部藤岡消防署救助隊が到着。
ようやく本格的な救難活動が開始される。


8月13日午前11時前後
・4名の生存者が長野県警機動隊、上野村消防団などによって発見。
4人とも重傷を負っており、陸上自衛隊のヘリコプターで搬送され病院へ向かった。


【放射性物質】

・123便には、多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていた。
また、機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていた。
これらの放射性物質は墜落によって現場周辺に飛散し、放射能汚染を引き起こしている可能性があった。
このため、到着した陸上自衛隊部隊は、すぐに現場には入らず、別命あるまで待機するよう命令されたという。

(医療用ラジオアイソトープ・・・放射性医薬品などの化学物質。癌の治療にも使用され、カプセルタイプの経口薬もある)


この事故において、縦割り行政の問題点が大きく注目された。
当時、東京消防庁航空隊にはサーチライトを搭載した救助ヘリコプターが2機配備されてあり、事故当夜は要請に備え待機していたにも関わらず、運輸省・防衛庁・警察庁それぞれの幹部ともにその存在を知らなかったらしい。
また、生存者の搬送中には、前橋赤十字病院医師の判断により、救急車から消防ヘリに載せ替える事態が起きた。
(乗せ換えの理由は、消防庁の幹部移送のためである)

当時の「航空機の捜索救難に関する協定」では、主に警察庁と運輸省などが中心であり、捜索救難の主体は警察が担うことになっていた。

また、警察と各自衛隊との協力は防衛庁を挟んだ上での連携のみ可能であり、航空自衛隊救難隊との直接の無線連絡はもちろんのこと、RCC(航空自衛隊中央救難調整所) との連携すら明確には規定されていなかった。


墜落直後、現場にヘリコプターが現れたがやがて遠ざかっていったという生存者の証言がある。
また、報道機関のうち最も早く現場発見した朝日新聞社のヘリは、現場を超低空で飛行するヘリを目撃したと証言。
マスコミ各社は「日本側がアメリカ軍の救助協力を断った」と報道し、救難体制の不備や関係当局の姿勢に対する批判が全国的に高まっていった事件でもある。

1995年(平成7年)になってから、当時123便を捜索したロッキードC-130輸送機に搭乗していたという元在日米軍中尉が新しい証言をしている。
・事故直後に厚木基地のアメリカ海兵隊の救難ヘリを現場へ誘導した
・救助開始寸前に中止を命じられた
・その事実も他言しないよう上官から命令された          等


〈2016年8月11日、墜落事故から4年後の1989年にアメリカ合衆国司法省がボーイング社に対し日本の検察の捜査に協力するよう促していたことが判明〉
 より


不可解な事件や、不明な点の多い事故はなかなか風化しにくい。

この事故は数多くの小説、ドラマ、映画の他に劇団などの芝居にもなり、何年経過しても人々が忘れることはない。
また、ボーイング社のあるアメリカ国内でも取り上げられ、複数の番組が製作されている。
・ナショナルジオグラフィックチャンネル
『メーデー!:航空機事故の真実と真相 第3シーズン第3話・御巣鷹の尾根(「OUT OF CONTROL」)』
「急減圧のために操縦士らに低酸素症による判断力の低下が起こった可能性はあるか?」という内容である。
再現ドラマには、ぼうっとした操縦士のシーンはあるものの、低酸素症を起こした、とは断言されず。
(実際のボイスレコーダー等の記録により、低酸素症はあり得ないことが判明している)

『衝撃の瞬間6 第5話 日本航空123便墜落事故(「TERRIFIED OVER TOKYO」)』
「事故を検証」する観点で制作。上記「メーデー!」とは内容が異なる。
本便に搭乗し、亡くなった坂本九の妻・柏木由紀子のインタビュー含む。

・ディスカバリーチャンネル
『エアクラッシュ2 点検の不備』
「メーデー」と同じ再現ドラマ構成であるが、やはり内容が若干異なる。

長々と記事を書いて来て申し訳ない。
読者の中にはもう飽き飽きされている方も入るかもしれないが、調べれば調べる程矛盾点が大きくなってゆく事件には、正直首をかしげざるを得ない。

このような状態では、犠牲となった方々の冥福を祈るどころか、無念を募らせてしまいかねないのではないかとすら思う。
(遺族の方々には心よりお悔み申し上げる。この記事に、人を中傷する意図は皆無であることを了承いただきたい)

米国ミサイル論、自衛隊誤射説など無責任な噂が飛び交い、現在も様々な陰謀論が囁かれている。
どのような理由にしろ、一刻も早い原因解明こそが必要なのではないか。
これ以上、保存期限を過ぎた等という理由で、重要な証拠が廃棄されるなどはあってはならない。

【閲覧注意】ボイスレコーダー・航路リンク編



関連記事 




空へと向かって無数の手が伸びている
日航機事故の思い出