サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

カテゴリ: 歴史の闇

https://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1535920044/-100

17 :本当にあった怖い名無し:2018/09/05(水) 15:24:59.25 ID:mjMHFqIX0.net
石じじいの話です。

みなさんは「人形液」というものを知っていますか?
これは昔、日本人形の肌の表面を汚れや傷からまもるために用いられた一種の樹脂です。
昔の人形の肌は貝がらをすりつぶしたもの(胡粉)を使っていたので
はかなく繊細で美しいものでした。
しかし、柔らかく傷がつきやすく汚れがつくと落ちにくかったのです。
その対策として昭和のはじめごろに考え出されたものだとか。

じじいは、面白い石をとることができる比較的近場の採集地に
トラックの定期便に便乗して通っていました。
ある日、山に登るところの集落で一人の少女を見かけたそうです。
彼女は、農家の前で歌を歌っていました。
『それはのう、「門付け」ゆうもんでのう。まあ、ゆうたら乞食(ママ)よ。」
しかし家の人はだれも出てきませんでした。
留守だったのかもしれません。
じじいは不憫に思って彼女に声をかけて話を聞きました。

彼女が言うには、母親と二人で住んでいるのだが今母親は病気で伏っていて
お金がないのでこうやってお金を乞うているのだ、ということでした。
彼女が言う彼女たちの住処はじじいの行く方向とは逆だったので
少しのお金をやって別れたそうです。

その日、帰るときに村の人に訪ねたところ
その母子は数年前にどこから流れてきて
村外れのお堂(そのころは廃されていた)に住み着いたのだとか。
(昔はそのような人を「ほいと」、「ほいど」などと呼んでいました。)
母親はそのときは元気で手先が器用だったので
竹箕の修繕や農作業の手伝いをして金を稼いで生活をしていたと。
彼女たち以外の家族や親戚は空襲で全滅した、ということでした。
よそ者でしたが戦後の混乱期だったので不憫なことと思って
村の近くでの滞在を許したそうです。
母親の人間性も良かったからだとも。

別に彼女たちを嫌って特に冷たく接している様子は
地元の人間には見られなかったといいます。
ただ、少し前から母親は病気がちとなり
あまり外出しているところを見かけることがないとのこと。




18 :本当にあった怖い名無し:2018/09/05(水) 15:26:00.84 ID:mjMHFqIX0.net
次にその女児に会ったとき
彼女は青い顔をしてすこしやつれているように見えました。
田舎では戦後の食料危機はそれほどでもありませんでしたが
まあ、乞食の身であるので食べられないこともあるだろうと思い
じじいは自分の飯をあげたそうです。

彼女はそれの半分を美味しそうに食べ、残りを習字に使われた半紙(ほご)にくるみました。
これは病気で寝ている母にあげるのだ、と。
そして彼女は、もっている巾着のようなものから
茶色のガラス瓶を取り出してその中の液体を一口飲んだそうです。
じじいはそれは何か?と尋ねると、彼女はこれは「人形液」だと答えたそうです。
「にんぎょうえき?」じじいは意味を尋ねました。

彼女曰く:
これを飲むと、人形になれるのだ。
人形になれば、病気になることも、年をとることも、死ぬこともない。寒くもない。
だから、これを飲んで人形になるのだ。
もし自分が人形になれたら、この薬を母親にも飲ませて一緒に人形として暮らすのだ。
ということでした。

じじいは迷信深い人間ではなかったし、ある程度の医療の心得もあったので(衛生兵程度)
そんな薬はないだろうということを彼女に話して
それは害はあっても益は無いのでやめるように説得しました。
母親が病気なら医者に見せて
それなりのところ(孤児院:当時の名称)に移れるのではないか?とも話しました。
いろいろと説得しましたが彼女は納得せず
困ったような顔をして泣きそうになったそうです。

「こどもあいてに、おとながむつかしいことゆうてもわからなんだろうのう。
わしもばかやったい。」

彼女はつらそうな顔をして言ったそうです。
「こんなもので人形になどになれないことは、わかっている。」と。
大人のような口調だったといいます。

じじいは、あとから村の人がお堂に行くから言うことを聞くようにと言い残して別れました。
石の採集作業の帰りに村人何人かにあって
その母子の命が危ないかもしれないので面倒をみること
役場や警察などと相談すること
なにか手助けできることがあれば連絡するように、と自分の住所を教えました。

じじいが自宅に帰ってから1周間ほどたって電報が届いたそうです。
「ホイトハハコシス・・・」


19 :本当にあった怖い名無し:2018/09/05(水) 15:27:31.18 ID:mjMHFqIX0.net 
じじいはその部落に急行しました。
村人に尋ねるとじじいが村を離れたあと
村人がその母子のところにいって説得し、役場にも相談して
母親を病院に入れようということになり
母子を迎えに行ったら母親はお堂のなかで死んでいたそうです。
病死(心臓麻痺)だったとか。
では、その女児は?

女の子の姿はどこにも無かったそうです。
村人は探しましたが見つけられなかったと証言しました。
警察にもとどけましたが
まあ、そのような時代ですからあまり真剣に捜査などはされなかったそうです。

それからしばらくたって
その村(山)に再度石を取りに行ったときに
山の中で人形(種類不明、メモに記述なし)を見つけたそうです。
それは、松の木の根本に転がっていたそうです。

女児の「人形液」のことを思いだしたじじいは、感じることがあり
それを寺のお堂(廃堂とは別)に持ち込みました。
その人形は、そのお堂にずっと祀られていたそうです。

「その女の子の薬(人形液)は、どうやって、どこで、だれからもろうたん?」
私は当然の質問をしたと思うのですが
それの答えについてはメモの記録にも私の記憶にもありません。
このような話であったと思います。


21 :本当にあった怖い名無し:2018/09/05(水) 20:28:10.53 ID:bs8U3HkCO.net
本意との母子は切なくて悲しい最期でしたね。
願わくば娘だけでも人形に変化して生きる苦しみから解放されたと思いたいです。



https://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1535633303/-100

350 :地元の幽霊列車に纏わる話:2019/07/18(木) 13:39:00.15 ID:5EWlAsTv0.net
戦時中、地元に幽霊列車が走っていた。
本当は戦時下兵員輸送~とかなんとか言うらしい
要は夜中に部隊を動かすときに走らせる列車。
車内灯をつけず列車の前方灯も上空から見えないように細工していたらしいしい。
勿論駅も照明を落としてあり、通過時には駅員だけが見送る。
時には時間調整か空襲除けなのか、町と町との間の山地や
林の中、耕作地に止っていたりした。

それだけに情報の扱いは慎重だった。
特高や憲兵が幽霊列車の話をする子供まで引っ張っていってたらしい。
鉄道列車の社員などは勤務について家族に口外するのも禁止されてたそうだ。
蒸気で動かす省線と違い地元の私鉄は電気で動かしていたから便利だったんだろう

戦争が終わりそんな列車も走らなくなり極少数の地元の老人が偶に口にするだけになった
1970年代にオカルトブームが起きる。
そこで、都市伝説として幽霊列車が取り上げられた。





351 :地元の幽霊列車に纏わる話:2019/07/18(木) 13:54:35.57 ID:5EWlAsTv0.net
・駅の灯も消えた夜中に現れる
・駅ではない場所に止っているとこがある
・見ると不幸が起こる
・口外すると不幸が起こる
戦時下の幽霊列車の特徴を伝えるオカルト話で
地元では直ぐ廃れたが離れた都会では未だに囁かれている

夏になると幽霊列車見物にやってくるDQNがでて数年に一度はそれで事故が起こる。
田んぼの側溝に落ちた、帰りに居眠り運転で事故った。
というのはまだましで、酷いのになると
線路に侵入した挙句、最終の時間を間違えて列車に轢かれたりする
オカルトスポット探しのためか
深夜に住宅の敷地に無断侵入する奴もいるので地元では頭を悩ましている

でも、幽霊列車なんてない。といっても何故か信じないんだよね。
それで噂を聞いて今年もDQNがやって来る。

正直、無責任にテレビやラジオ、怪談系サイトで取り上げられるのに
地元の人はかなり迷惑していたりする



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1368209573/

58 : 本当にあった怖い名無し:2013/06/19(水) 12:37:04.13 ID:AIuWiPx00.net
23区多摩合同記念に、全く無名な心霊スポットを教える。
東京メトロ東陽町駅だから、誰でも気軽に行けるだろう。
大勢で行くと迷惑だから、少数で行ってもらいたい。

東西線東陽町駅の中野方面行きの一番後ろ(西船橋側)にトイレがある。
南砂町方面にも改札口があり、駅員が常駐しているが、最も近いはずのこのトイレは使わない。
わざわざ中野方面の改札にあるトイレまで行く。
都内では珍しく、戦没者の霊がでるという。
wikiでの東西線の駅紹介で、
他の駅の紹介にはないトイレの位置をわざわざ解説しているのが、何かを暗示している。

 



70 :  本当にあった怖い名無し:2013/06/29(土) 00:02:46.04 ID:IIgX0Ci10.net
>>58で書いたものだが、誰も凸ってないのか
でな、話の続きがあるんだ。
トイレがある側のでの話の続きなんだが
駅事務所の防犯カメラに白い物体がよく映っていたんだ。
駅構内の通路に白い物体が浮遊しているのを防犯カメラがとらえてて
白い物体は通路を行き来していた。
防空頭巾みたいなのをかぶっていたその白い物体は一定の場所の壁に消えて行って
また出てきたりしていた。
もちろん駅員たちは気味悪がっていたけどどうしようもない。

あるとき、エレベーターをつけると東京メトロで決まって
エレベーターを付ける工事が始まった。
旧式の構内ではつける位置がなく新たに通路を作ることになった。
その通路の位置が、白い物体がよく目撃される位置の近所だった。

通路を作るため採掘をしていたら、突然空間がポッカリ空いた。
その空間を調べることになって中に入ってみたらそれは防空壕の跡だとわかった。
その防空壕の中で白骨化した2遺体が発見された。
その白骨化した2遺体が、空襲の時に死んだ人の遺体か
生き埋めになった結果だったのかはわからなかった。
だが、白い物体がこの防空後跡の壁から出たり入ったりしていることだけは、誰でもわかった。

その後、その防空後跡は通路になった。
よく心霊スポットの話は客観的な話ばかりであそこはガチヤベー程度の話ばっかり
信じる信じないは勝手だが
ここまで詳細に書けるということは、わかるよな?


71 :  本当にあった怖い名無し:2013/06/29(土) 00:21:17.30 ID:OBoxtcq+0.net 
そうでしたか、東西線には通勤でいつもお世話になっております。
で、よく映っていたんだ・・とは今は写らない(出ない)?ってことですか?


72 :  本当にあった怖い名無し:2013/06/29(土) 00:46:19.24 ID:rfX3c/Ni0.net 
どんだけ深い防空壕だよ


73 :  本当にあった怖い名無し:2013/06/29(土) 03:05:07.51 ID:0zjEKgsC0.net 
>>72
笑わせるなよwww
まぁ死んだ祖母の話だと防空壕とは名ばかりのちょっとした退避スペースが真実らしいが…
生前戦争映画やドラマで防空壕に逃げ込むシーンなんかがあると
「あんなに深くて立派ならもっと人が助かっていた。」ってのが口癖だったからね。


74 :  本当にあった怖い名無し:2013/06/29(土) 04:12:43.18 ID:rfX3c/Ni0.net 
今みたいに重機なんてない時代に手掘りで作ったからね
窪みくらいの深さだったらしいね
>>70の話は門前仲町駅建設の時の話がごっちゃになってる




http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1368209573/

809 : 本当にあった怖い名無し:2014/11/14(金) 09:02:31.98 ID:Vo+pbcYSO.net
鈴ヶ森は、よく自転車で通るがちゃんと供養されてるのか何も感じないが
夜間プールやっているところを探してて
そばの水族館のある公園内に入ろうとしたら何か怖くなった。
見えないけど圧を感じるというか痴漢、強姦とか出そうな空気
プール見に行ったら定休日でテニススクールはやってたから
その辺りは明るかったけど小走りで自転車のとこまで行って逃げるように帰ってきた。
夜は二度と行かない。
昔、逆さ磔で潮の満ち引き利用して処刑してた場所って この辺だったのかな?


812 : 本当にあった怖い名無し:2014/11/14(金) 16:53:52.97 ID:Vo+pbcYSO.net 
逆さ磔は別物か
水磔っていうのが正解か




832 : 本当にあった怖い名無し:2014/11/24(月) 20:53:07.97 ID:fss8haXP0.net 
霊能者の言によると鈴ヶ森刑場跡は隣のお寺が今でも供養しているので清浄だとか
昔、夜遅くに小塚原回向院の辺り通ったらなんかすごく重かった
歴史詳しい人が
「あそこは幕末に政治犯がたくさん処刑されてるからねえ」とか
言われて腑に落ちたな



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1439786982/

882 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 21:54:58.81 ID:ym9oIAn40.net 
小さな頃、母が歌っていた子守唄がこわかった。ねんねこさっしゃりませ~ってやつ。
青菜の様にジャキジャキ切るみたいな歌詞。
まわりに訊いても誰も知らないって言われる。


884 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 22:09:55.50 ID:KxToBcJNO.net 
「ねんねこさっしゃりませ」中国地方の子守唄が元ですな
口伝だったのを、山田耕作が歌詞をまとめて童謡にしたので
広く知られているのは3番仕立ての物です
寝ない子は面憎い→明日は宮参り→お宮でお祈りしよう

で、その元の口伝に近いものが、絵本「11ぴきのねこ」に登場します
寝ない子は面憎い→憎いからまな板で、青菜のように刻むぞ(だから早く寝ろ)
→お宮参り→参ったら豆ご飯を炊こう
の順だったはず
絵本のタイトルで検索すると、考察頁などがヒットします

お母様は岡山あたりのご出身だったのでしょうかね?
古い歌をご存じだったのですね


886 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 22:23:53.41 ID:4dZh9Lf90.net 
怖すぎる・・・
今だったら虐待で通報されかねないぐらいの過激な歌詞だ。

 



887 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 22:32:08.78 ID:ym9oIAn40.net 
詳しくありがとうございます。
中国地方住みなので、地元の古いうただったんですね。スッキリしました。

幼少期は夜になると、よくこわいものがでてきてよく泣く子供だったので、
母が怒って怖いうたを作っていたのかと思いました。
絵本みてみます。


888 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 22:39:55.58 ID:mtFbLXPr0.net 
その怖いものについて詳しく


889 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 22:56:08.15 ID:ym9oIAn40.net 
その日によって様々なので、あれですが…
凄くこわかったのは寝てるときに
急に知らない女の子に一緒にあそぼうって腕を引っ張られたりとか、
白っぽい着物を着たおじいさんが真顔で顔をじっと覗きこんできたりですかね。
あと、特定の怖い夢を見ると、
地元の橋で事故や自殺で人がなくなるっていうのも何回かありました。


893 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 23:41:12.37 ID:mtFbLXPr0.net 
ふつーにこえーよ
それは寝てる時に出て来たの?
起きてる時に来るの?
そして怖くて泣いてる時に脅しの追い打ち(わろえない
まあ、母上に悪気はないのだろうけど


894 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 23:52:31.85 ID:O2KBYZLU0.net 
相当な霊感少女だったんだね
青菜の歌よりそれらの体験のがよっぽど怖いw


896 :本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 00:37:10.45 ID:9nbJW7WD0.net 
女の子は寝てるときで、おじいさんはふつうに居間で勉強してるときだったとおもいます。
そうなんです。
母の早く寝ろと言わんばかりの威圧感バリバリのうたが怖すぎて、
幽霊の怖さなんかぶっ飛んでましたねw


890 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 22:57:30.15 ID:GbPGrsSh0.net 
とんでもなく怖い歌だな


891 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 23:28:26.86 ID:mtFbLXPr0.net
子守唄ぐぐってきた。
ミュージカル「11ぴきのネコ」(ナゼかカタカナ)の、
井上ひさし版「魚の子守唄」ってのもあるのね。ツベにたくさんあがってる。
これも、なんか意味怖だったわ。
うるさいから息するなって…


892 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/22(火) 23:35:54.80 ID:o0xekLAU0.net 
「本当に怖い。世界10か国の子守唄の不気味な歌詞」ってな題で世界の子守唄が紹介されてるな 
子守唄が怖いのは、どこも同じらしい


901 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 08:34:22.62 ID:Ox4as72T0.net
昔は年端も行かない子供たちが奉公に出されて、奉公先の赤ん坊の子守をさせられていたから、
子守なんてしたくない、早く家に帰りたい っていう心情のものが多いんだよね。
それはそれで切ない。



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1428242367/

1001 : 本当にあった怖い名無し:2015/10/27(火) 00:06:11.55 ID:iuBPPVQ90.net 
「夙」(しゅく)、宿という字もあてたりはしますが、「夙」と呼ばれる人たちがいました。
この夙という人たちはどういう人たちかというと、
記録の上では10世紀ぐらいに夙非人という形で文書に出てきます。
この人たちっていうのは14世紀ぐらいになりますと、神社の隷属民になるのですね。
神社の支配下に入っていきます。

この神社の隷属民といっても別に神社の境内に住んでいたわけではありません。
当時の神社というのはお寺もそうですが、非常に広大な荘園、農地を持っていました。
その神社が支配している荘園内にいる夙の村があって、
その夙の人たちを神社が支配下に置いたということなのです。

この夙の人たちなのですが、何かをしたのかというと清めなのです。
この清めというのは、お祭りがあったりしたときに神輿が出たり、あるいは山車が出る。
そういう際に夙の人たちが先頭を歩くのですね。
先頭を歩くことによって道についたさまざまな穢れというのを取り去ってしまう、
吸収してしまう、 取り払ってしまう、
そういう特殊な能力を持っているのだと当時の人たちは考えました。

この夙の人たちは穢れを扱う特殊な能力を持っている。
それがゆえに汚れた存在だと、みなされたのです。

ですから、周りの人たちは夙とは結婚はしない、普段のつき合いも制限する、
そういう態度を取り続けました。



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1439786982/

20 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/18(火) 13:21:13.29 ID:B7K6WGHFO.net 
実話です
今から7~8年前でしょうか?
お盆休みを利用し旅行がてら、当時の彼女と某山城跡を見に行った時のことです

麓の温泉旅館を予約してあっため先にチェックインし、荷物を下ろし
軽装に着替えていざ出発!
山城のため、城跡までたどり着くのに楽に30分以上掛かりました
登山途中色々あったのですが長くなるので割愛

頂上らしき所にたどり着くと、城跡説明の大きな看板が!
しかしあまりメジャーな所ではなかったため、
手入れが届いてない感じで看板も苔が生えてました(当時も私達二人しかいませんでしたし)

で、天守を目指し覆い繁る木々をかわしながら馬洗い場を抜け、
某氏旧館跡(ここで城主は切腹したと云われています)、大広間と進んでいき
ついに天守跡に
ここで色々作戦練ったり、政をしていたのかと思うと感慨深い物がありました




21 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/18(火) 13:22:25.30 ID:B7K6WGHFO.net
一通り見て回ったことだし、さぁ帰ろうと戻りだしました
大広間を抜けた辺りに百葉箱?みたいな物が立っているのですが、
そこまで来たとき
チリリン…
と背中側から鈴の音が

空耳?と思ったのですが、彼女の方から
今鈴の音したよね? と聞かれ、
あぁやっぱり空耳じゃなかったのかと思うと同時に振り返ってはいけない気がして
したね。振り返らずに手を合わせよう
と自然と言葉が出ていました

二人で手を合わせ、そのまま帰路へ
不思議と怖いという思いはなく、ただ安らかに眠って欲しいと願うのみでした

この時期になると毎年思い出します
鎮魂の願いと共にここに書かせて貰いました
読んでくれた方、ありがとうございました



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1439036907/

84 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/14(金) 00:23:37.27 ID:N7/gQWdU0.net 
まぁね
だからこそ、彼らはかつて世界を震撼させた大日本帝国の復活を心の底から恐れ、
怯えているわけだなw


101 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/15(土) 12:09:07.43 ID:AaQo1cID0.net 
彼らが恐れているのは「帝国」と「民主主義」を両立した国が存在していたこと
そのため、終戦が1945年である
(=天皇の命令で戦争をやめた=民主的手続きで戦争をしたわけではない)と宣伝している
そして、その宣伝を与党は受け入れた




117 :本当にあった怖い名無し:2015/08/15(土) 19:19:24.41 ID:/qFEmCRB0.net
70年談話、日本の歩み評価=比
時事通信 8月15日(土)10時31分配信

フィリピン外務省は14日、安倍晋三首相の戦後70年談話を受けて声明を出し、
「日本が戦後、思いやりを持ち国際法に従って行動してきたことで、両国は多くの分野で
信頼関係を築くことができた」と、日本の戦後の歩みを評価した。
 
フィリピンは戦中、日本に占領され多くの市民が犠牲になった。
談話はフィリピンの国名も挙げ、「苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫してその平和と繁栄の
ために力を尽くしてきた」と述べている 
フィリピン政府の無慈悲な安部談話支持表明キタコレ♪


118 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/15(土) 19:32:07.81 ID:AaQo1cID0.net 
戦後70年を否定しないということは、フィリピンも
アメリカによる植民地を正当化して民主主義を否定したい派だったということか…


221 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/19(水) 23:51:07.66 ID:ihk9G4Vr0.net 
戦後70年談話を出したことにより日本政府が認めたこと
・戦前日本は民主主義ではない
・日本人には国際慣習の概念がない
・日本人には停戦と終戦の区別すらない


232 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/20(木) 22:28:19.19 ID:SJbbXHHY0.net
日本は当時としては民主主義的な手続きで戦争を選択して戦争に突入した
その時の選挙では議会の討論で軍人宰相に「腹を切れ」と啖呵を切った議員を
選挙で落選させている

戦争を始めたのは国民の手続きとしての総意なので、天皇は国民の決定を変更できない
天皇が介入した瞬間に民主主義が終わるから

1945年8月15日の玉音放送も、天皇から日本人にのみにたいするお願いであり、
それで戦争終結が決まったわけではない

もしこのときに戦争が終了していたのなら、日本は民主主義ではなかったことになる
実際の手続きは、その放送を受けて、大本営が9月2日に「停戦」協定を結び、
講和の調停が1951年でその講和が発効したのが1952年

つまり、日本は1951年までは戦争状態であり、
東京裁判での殺人が正当化されるのもそれが戦争行為だから
でも日本人は、1945年~1951年の戦争で死んだ人間の存在を認めず、
戦前日本の民主主義も否定した


297 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/25(火) 22:16:12.15 ID:lH7hjIuG0.net
日本は侵略戦争をやったとか、総理は認めないのですか?とか
ほんと100億回●ねよって日本国民はみんな思ってるよね

日本は当時の国際法に則って、宣戦布告の文書を
在アメリカ大使館からアメリカ政府に渡そうとしていた
なぜ予定通りに引き渡すことが出来なかったのは謎だけど
有り得ない怠慢だったのか?陰謀だったのか?
国家の最優先事項を怠って、奇襲攻撃呼ばわりさせる原因を作った外務官僚は処分どころか
敗戦後の日本で大出世してるんだよね
普通、大目玉どころか重大違反として処分されるべきなのに

そもそもアメリカは真珠湾攻撃の半年以上前に
日本軍にほんとの奇襲攻撃をしているわけですよね
中国にパイロットと戦闘機を送り込んで、国民党軍に成りすまして
日本軍を攻撃しているわけで明らかに国際法違反であり、奇襲攻撃そのものです
この件を受けて、当時の軍部は早晩日本はアメリカと対峙するしかないと決断したはずです

ところで第二次大戦後のアメリカは一度でも宣戦布告をして戦争をしましたか?
してないよね

北方領土や満州を侵略したソ連はどうでしょう?
宣戦布告どころか日ソ不可侵条約を勝手に破棄したわけです
ロシアは最低のクズです
蛮族ですよね

侵略戦争ってどこを侵略したんですか?
日露戦争は侵略してませんよね
満州を侵略支配していたロシアを追い払っただけですよね
日清戦争によって清国はなくなりましたが後継者を皇帝として満州帝国を建国しましたよね
満州はロシアに侵略支配されていた土地です
日本は、清国の属領だった朝鮮を解放して、大韓帝国の建国に貢献しました
1500年の歴史で初めて朝鮮人は独立国を持つことが出来たわけですが、日本のおかげですよね

ところが国家を維持できずに莫大な借金を作り日本に泣きついて併合を懇願してきました
仕方なく併合してあげたのですが、侵略って誰がいつしたんですか?

東南アジアに至っては400年近く白人の植民地にされ、先住民は人ではない奴隷として
生きてきたわけですが 日本が白人どもを蹴散らして植民地から解放し、
先住民を対等の人間として扱い統治しただけですが
それのどこが侵略で植民地支配になるのですか?


323 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/27(木) 15:38:43.54 ID:GlY00jLm0.net 
1945年8月15日は、天皇が日本人だけに(日本の行政に)終戦をお願いした日
1945年9月2日は、「停戦」協定を他の国と結んだ日
1951年9月8日が、終戦条約を締結した日
1952年4月28日が、終戦条約が発効した日

日本の終戦は1951年か1952年のいずれかです
少なくとも1945年~1951年は日本はまだ戦争中です


327 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/27(木) 18:39:58.00 ID:oP8d0E9e0.net
日本の終戦は1945年8月15日だぞ
本邦は天皇の一声でビシっと戦いを止めたからな
これにアメリカはビビったw


339 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/28(金) 16:34:58.94 ID:DzpLgCs50.net 
日本は民主主義国で、民主主義的手続きで戦争に突入したんだから、玉音放送に意味はない
専門家以外が玉音放送をクローズアップするのは民主主義を破壊する行為



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1433256994/

614 : 本当にあった怖い名無し:2015/07/10(金) 10:26:22.70 ID:ecE9w6+I0.net
アメリカのインディアン政策は胸糞話の宝庫だが、中でも究極に酷いのが
「サンドクリークの虐殺」。
もし既出だったらすまん。

まず19世紀当時、アメリカはガンガン西へ開拓を進めていったんだが、
そこに住むインディアン達は邪魔者とされ、問答無用で虐殺されていった。
そんな惨い仕打ちをされながらも、
インディアンの中には白人たちとの和平を望む部族もいた。
ブラック・ケトルが酋長となったシャイアン族もそのひとり。
で、和平派の部族らと白人たちとの会合が開かれ、
結果としてシャイアン族がコロラド州のサンドクリークに移ることになった。

・・・なのだが。
ここでインディアン嫌いの軍人チヴィントンが騎兵部隊を率い、
サンドクリークのインディアンたちを襲撃した。
合言葉は「殺せ!どいつもこいつも頭の皮を剥げ。大きいのも小さいのもだ。
シラミの幼虫はシラミになるからな!」

その時のインディアンたちは男たちが殆ど狩りで出払っていて女たちばかりだった。
数少ない男たちにしても非武装、
しかもケトルは抵抗しない証として白旗と星条旗を住処に掲げていたのに・・・。
結局、500人ほどのインディアンたちが惨たらしく殺される悲惨なことになった。




615 :  本当にあった怖い名無し:2015/07/10(金) 10:33:42.84 ID:ecE9w6+I0.net 
その後チヴィントンの部下の証言で虐殺の実態が明らかにされ、
白人たちの中でも流石に非難の声が高まった。

「これは合衆国の庇護下にあるインディアンに対する連邦軍の謀殺以外のなにものでもない
(ユリシーズ・グラント)」
「これは卑怯かつ冷酷な虐殺であり、加害者には拭い去れない汚名を着せ、
アメリカ人一人一人の顔に恥辱と憤激を塗りつけるには十分なものだ
(陸軍法務部長ジョゼフ・ホルト)」

・・・なのにチヴィントンはコロラド民兵の職を失っただけ。
しかもその後もインディアンへの抑圧は続き、
のちにブラック・ケトルもワシタ川の虐殺で殺される。
彼の最期の言葉は「友達だ!友達だ!」・・・


684 :  本当にあった怖い名無し:2015/07/13(月) 19:40:34.65 ID:H3QiYuds0.net 
ググってみたら酷すぎ 
ウンデット・ニーの虐殺(ウンデット・ニーのぎゃくさつ、Wounded Knee Massacre)は、
1890年12月28日、サウスダコタ州ウーンデッド・ニーで、
ミネコンジュー他のスー族インディアンのバンドに対して、米軍の第7騎兵隊が行った民族浄化。
この虐殺を白人側は「ウーンデッド・ニーの戦い」と呼び、
虐殺を実行した第7騎兵隊には議会勲章まで授与されている。
しかし、インディアン側ではこれを「ビッグ・フット一行に対する虐殺」と呼んでいて、
インディアン戦争の象徴にもなっている。

1890年12月29日、 朝がた、フォーサイスはインディアンたちの武装解除に取り掛かり、
8時ごろ、インディアンたちが軍の前に座った。
生き残りの一人によれば、まだ武器を差し出していない戦士がおり、
フォーサイスは兵士に命じ、ティピーに押し入って無理やり銃を探させた。
寝ている女の毛布を剥がす者もいた。
この陵辱行為に人々は怒り、キャンプは一触即発の緊張状態となって、にらみ合いとなった。

イエロー・バードという戦士が、身体に白いシーツを巻きつけ、眼だけ覗かせていた。
彼はシーツの下に銃を隠し持っていた。
一人の白人士官が、イエローバードから銃を奪おうとした時、揉み合いになった。
このとき、銃が誤射され、白人士官を射殺してしまった。
生き残りはそばで一部始終を見ていたが、「完全な事故だった」と証言している。

これをきっかけに、ついに米軍はインディアンに対する無差別虐殺を開始した。
無抵抗の病人のビッグ・フットは、兵士に頭に弾を撃ち込まれて殺された。
兵士達の多くは、まだゆうべ飲んだウィスキーが頭に残っていた。
軍は丘の上から速射ホッチキス砲で無差別砲撃を加えた。
さらに新鋭のスプリングフィールド銃で馬も犬も子どもも狙い撃ちし、皆殺しにした。
100人弱の戦士たちは、没収された銃を手にするまでは素手で虐殺者たちと戦った。


685 :  本当にあった怖い名無し:2015/07/13(月) 19:41:01.94 ID:H3QiYuds0.net 
銃・砲弾の降り注ぐ中、インディアンたちはそれでも3キロばかり逃げたが、
負傷のためにそこで力尽き、倒れていった。
部族員のほとんどが武器を持たず、それを四方から取り囲んだ兵士達が銃撃した。

白人は29人死んだ。白人側の負傷者は39人だった。
カスターの部下だった士官もいたが、彼は味方の攻撃の巻き添えを食って死んだのである。
それほどまでのすさまじい無差別銃撃だった。

「ホッチキス砲は1分間で50発の弾を吐き、2ポンド分の弾丸の雨を降らせた。
命あるものなら何でも手当たりしだいになぎ倒した。
この(子供に対する3キロ余りの)追跡行は、虐殺以外何ものでもない。
幼子を抱いて逃げ惑う者まで撃ち倒された。 動くものがなくなってようやく銃声が止んだ」
と、兵士の一人は回想している。

また、「これまでの人生で、このときほど
スプリングフィールド銃がよく出来ていると思ったことはない」と、
ある白人士官が言葉を残している。

乳飲み子もたくさんいたが、米兵はこれも無差別虐殺した。
「この幼子達が身体中に弾を受けてばらばらになって、
穴の中に裸で投げ込まれるのを見たのでは、どんなに石のように冷たい心を持った人間でも、
心を動かさないではいられなかった」と、埋葬隊の一人は言葉を残している。

この無差別虐殺は、発生直後にその報がシャイアンクリークの野営にも届き、
直ちに20騎ばかりのスー族戦士団が虐殺現場へと馬で駆けつけた。
米兵は彼らに発砲したが、すぐに退却した。
救援の戦士団は、ワゴン砲の砲撃でばらばらになったたくさんの死体を見た。
こときれた母親の胸で、乳を吸おうと泣き叫ぶ赤ん坊もいた。
死んだ母親のショールに包まって生きていた赤ん坊が3人いた。

救援に駆け付けたスー族戦士のブラック・エルクとレッド・クロウは
転がっている赤ん坊をそれぞれ一人ずつ見つけ、ショールでくるんで連れ帰った。
この二人の赤ん坊はスー族が引き取ったが、白人に連れ去られた赤ん坊もいた。


686 :  本当にあった怖い名無し:2015/07/13(月) 19:44:18.28 ID:H3QiYuds0.net 
応援の戦士団に対し、退却した米兵は濠を掘って応戦した。
夕方になって米兵は去り、ブラック・エルク達はようやく虐殺の全容を把握した。
彼はこのとき、「自分も死ねばよかった」と思ったという。

虐殺された人々に対しては、哀れみや同情よりも、
「いっそ白人の支配するつらいこの世に別れ、あの世で幸せに暮らすほうがいいかもしれない」
と思ったと語っている。
かれらはワシチューに対する復讐を誓った。

12月30日の朝、ブラックエルクたち保留地のスー族はウーンデッド・ニーに向かった。
すでにスー族同胞による戦闘は始まっており、
両岸に待機したスー族は川沿いに下ってくる米兵を攻撃していた。
スー族の攻撃は米兵を圧倒し、これを全滅させる勢いだったが、
このあと「黒いワシチュー(黒人兵)」の一団が加勢してきて、結局スー族は退却した。

1891年1月1日、埋葬隊が派遣された。
銃座が置かれた丘の上に、ひとつだけ穴が掘られた。
彼らの遺体は一人あたり2ドルの手間賃で、
民間人アルバイトによって無造作にこのひとつだけ開けられた土の中へ投げ込まれた。

このビッグフット一行の死者数に関しては、虐殺した側と虐殺された側とで証言が食い違っている。
白人側は150人から多くて200人程度だとし、
スー族側は300人、またそれ以上の数を挙げる向きもある。
どちらにしろ、白人側は殺したスー族を上記のようにぞんざいに扱って、
その数を全く数えなかったし、未だにきちんとした検証も行われていない。
スー族の主張が感情に流れるのは自然なことであろう。


688 :  本当にあった怖い名無し:2015/07/13(月) 20:50:42.68 ID:7E6y5Mh20.net
白人たちってインディアンに親を殺されたの?


765 :  本当にあった怖い名無し:2015/07/16(木) 09:42:00.79 ID:mDhx+7Z10.net
そういえば奴隷解放をしたリンカーン大統領は祖父を先住民に殺されてて、
そのせいかは知らんが先住民のことはメチャクチャ差別してて弾圧とか許可しまくってたらしいよ
リンカーン自身は祖父とは面識無いんだけど、
父親から先住民への憎しみを刷り込まれてたんだろうか
もしそうならまさに負のスパイラルだな


774 :  本当にあった怖い名無し:2015/07/17(金) 01:31:40.26 ID:lQecIPS/0.net 
リンカーンが偉人扱いされてる事が後味悪いな。
ググると胸糞な記事が沢山出てくる
以下コピペ

リンカーン大統領の伝記を、小学校のときに読んで、えらく感動した覚えがある
だって、奴隷だった黒人を解放した人だよ!
小学生の私には、人種差別を無くした人格者であり、正義の味方、
スーパーヒーローのように見えたものだった…
とくに、ゲティスバーグの演説、
「人民の、人民による、人民のための政治」、なーんて、超かっこいい!
ところが、時がたち、私が成長した後に、リンカーン大統領について調べてみると…

彼は、アメリカ先住民を皆殺しにしてる人だったのだ
先住民なんて、人間以下、害虫駆除くらいにしか考えてなかったようだ…

インディアンの領土を取り上げる代わりに、年金を支給する条約を結んでも、
そんな条約なんぞ、無視して、文句を言えば皆殺し
スー族だろうが、ナバホだろうが、インディアンは、みな害虫!
なんて、卑怯で残忍なやり方で大量虐殺をするんだろう?…と思ったものだが、
「卑怯だとか言えるのは、同じ人間同士に使う言葉」なのだろう
害虫ならば、どんな方法で虐殺しても、まったく罪の意識なんて感じないってことだ

リンカーンに限らず、この当時は、敬虔なイングランド系プロテスタントが多かったはず
彼らは、毎週日曜には教会に行き、聖書も学んでいた
しかし、神の前に平等なのは、「同じプロテスタントの白人のみ」としか考えなかったようだ
インディアンは滅ぼすべき害虫!
ならば、南北戦争まで引き起こした、黒人奴隷の解放の意図は、どこにあったんだろう?
黒人は、自分と同じ人間として接するつもりだったんだろうか?
…否!
「私の至上の目的は、この連邦を救うことにあります。
もし、奴隷を一人も自由にすることなく、連邦が救えるならば、私はそうするでしょう。
(ー中略ー) 
私が、奴隷制度や黒人種についてすることは、
これが、連邦を救うに役立つと信じているからです。」
「黒人種」って表現、すごくない~?
決して、Black peopleって言ってないんだよね…やっぱ、同じ人だとは思ってない!


775 : 本当にあった怖い名無し:2015/07/17(金) 01:32:15.26 ID:lQecIPS/0.net 
また、スピーチでは、こんな事を言っている(彼は、聖書の言葉を引き合いに出している。)
「分かれたる家は立つこと能わず(マルコ伝3の25)。
半ば奴隷、半ば自由の状態でこの国家が永く続くことはできないと私は信じます。
私は連邦が瓦解するのを期待しません」
つまり、建国したアメリカを守り抜くための、国策ってわけだったのだ

リンカーン個人はこの時点で奴隷を解放しなければ戦争には勝てないと決断していた
優れたスピーチで人心のつかみ、また、先見の目を持つ優れた政治家であったことは確かだろう
しかし、人類はすべて平等だとは思っていない
そんな正義や人道のために、奴隷制度を廃止したわけではなかったという事だ

小学校のときの伝記によれば、
リンカーンが、まだ若い頃、父親に連れられて、南部に行ったときに、
売り買いされる黒人奴隷を見て、
「なぜ、同じ人間なのに、人が売り買いされるんだろう。」と、
ひどく心を痛めたってエピソードが書かれていたのを思い出す…
いったい、その伝記、どんなリサーチして書いたんだ??
うーーん、昔の小学校の図書館にあったヤツだし、著者もわからん…

リンカーンの生い立ちを調べてみると、彼のお祖父さんは、
家族の目の前で、インディアンの襲撃に合い、殺されたようだ
個人的な恨み、私怨か?
しかし、それを引き起こしたのは、
先住民の土地を奪い、抹殺しようとした白人たちが、そもそもの原因
個人的な恨みの連鎖が続けば、それは永久に終わることが無い

リンカーンは、たしかに秀でた政治家だったと思う
しかし、やはり、一人の人間に過ぎない・・・と思う
それを言ってしまえば、どんな偉人と言われる人であっても、みな同じだろうね

だから、私は、小学校にあった伝記ってヤツは、な~んとなく敬遠してしまう
だって、いいことしか書いてなかったんだもん
小さい頃から、どれだけ優れていたかって事ばっか。
絶対、バカな事やっちゃったり、失敗したりもあったはずなんだけどな~
私は、そうゆう伝記を読みたかったのだ。
真実を知りたかったんだけどな~



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1440824523/

120 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/29(土) 22:48:37.21 ID:c3MfBe+r0.net
知り合いの霊能力がある人の話
いや普通霊能者って言えばなんか厳かな感じの人が多いというイメージあるんだが(俺だけ?)
知り合いの人はそこら辺に居そうな
筋トレ好きな体育会系のおっさん(ちなみに空手有段)なのよね

でまぁ例のアレは見えることは見えるらしいんだけど
特段祓ったりする力があると言うわけではないらしい

で普通霊能者ってまぁ汚ない話、報酬なりで金品とかとる人多いけど
そのおっさんはまず報酬を受け取らないわけ
詳しくはしらんが医療関係の仕事に就いてるらしく
休みの日に無償で見るというか相談に乗るという感じ
(たまに瓦割りの実演とか見せてくれるwww)




121 :本当にあった怖い名無し:2015/08/29(土) 22:49:50.37 ID:c3MfBe+r0.net 
ここからが本題なんだが
去年、俺の母ちゃんが乳癌になったことが判明したときに
色々あってそのおっさんと知り合ったんだけど
その時に話の流れで母の実家の写真を見せたらしいのね
(いわゆる誘導とかではない)

そしたらおっさんブワーと鳥肌が立って(霊関係のものを感じると鳥肌が立つらしい)
写真に一部写ってた実家の敷地内にある納屋というか倉庫を指して
ここがヤバイって言うんだよ


122 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/29(土) 22:50:58.30 ID:c3MfBe+r0.net 
でまぁその倉庫てのが
20年くらい前まで貸し家をしていたんだけど
自殺2回全焼1回というすさまじいことになったんで
貸し家を取り壊して倉庫に建て替えたらしい
その情報はおっさんには教えてなかったからやべーってなったわけですよ

(そもそも実家のことを相談するために写真を見せたわけではない
暇なときに泊まりに来ませんか?ということで見せた)


124 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/29(土) 22:52:10.95 ID:c3MfBe+r0.net
でおっさん曰く
何かその土地には貞子を60歳位にした感じの幽霊的なものが憑いてるらしく

そのあと色々調べてみたら
貸し家やってたときに自殺した60代のばあさんが
おっさんの言う幽霊との特徴が一致してるってことで更にビビった

つまりその自殺したばあさんが化けて出ていたということなんだが
おっさん曰くこのばあさんの幽霊は何かに操られてるにすぎない
もっとヤバイ霊的な存在に操られてるとか言うわけですよ


125 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/29(土) 22:52:45.90 ID:c3MfBe+r0.net 
でまぁ母の実家は元地主の分家でそこそこの土地持ち農家なんだが
所有している田んぼのある一部の土地が
大昔(安土桃山ぐらい?)には処刑場(てか首切り場)になってたらしく
そのことと関係あるのかな-と思ってみたりしました

まぁその相談的なことをしたのち
色々あっておっさんとは疎遠になったんだが
未だに何かそういう因縁話みたいなのは放置されっぱなしで何か怖いなーと思い
書き込みました



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