サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

カテゴリ: 事件

【閲覧注意】

もともとは革命左派が毛沢東主義であり、赤軍派はトロツキストと考えられていたらしい。
両派が結託した連合赤軍は毛沢東主義を掲げていたが、森はかなり原理主義的な考え方をしており、現中国(当時)のあり方にも批判的だったため、親中派の坂口とはソリが合いにくかった。

毛沢東主義・・・ここでは文化革命当時の思想を指す。
人民戦争理論による暴力革命及び武装闘争を肯定し、平和革命を強く否定。階級による闘争の必要性を説く。カンボジアのポル・ポト派が奉じていた事で有名。

トロツキスト・・・トロツキズム(トロツキー主義)者。マルクス主義の1派。
本来は「平和を求める大衆の要求を軽視してはならない」思想であるが、共産主義思想としてはやや異端であるため、揶揄の意味を込めて反逆的な共産主義者を思想に関係なく「トロツキスト」と呼ぶ。

森は論理展開が上手く、論理的演説や論理的説明などは永田や坂口もかなわなかったという。
だが後に残された遺書の文章や行動を鑑みるにあまりにも幼稚かつ矛盾点が多く、疑問が残る。

例えば、毛沢東思想は基本的にはスターリン擁護であるが、連合赤軍内ではスターリンは絶対悪であり、スターリン傾向を持つとして「死刑」となり処刑されたメンバーもいる。
党結成はしたものの、実質には何ら具体的な活動をせずひたすら仲間内で殺し合った連合赤軍には、そもそも明確な活動プランすらなかった可能性が高い。

相次ぐ凶悪事件に、当時既に「過激派=迷惑な犯罪集団」といったイメージが先行し、事件が明るみになった後も、被害者の死を悼むというよりは興味本位な関心が集まりやすかった。
しかし、この事件は主義・思想による連続殺人事件というよりは、北九州連続監禁殺人事件に近い性質を持つ。

言わばテロリズムを隠れ蓑に、個人が閉鎖された空間で自己満足と優位的保身のために他者を虐殺していったに他ならない。強制的に共犯関係に持ち込み、有無を言わせぬ従属関係を作り上げた点でも同様である。
 

映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」予告編

【連合赤軍メンバー】
・初の合同訓練は赤軍派の用意した新倉ベース(山梨県・新倉山)で行われた。
最終的に山岳ベースに集合するのは29名(うち女性10名)であり、12~1月の間に全員が揃うはずだったが、実際には12月には既に死人が出ており、何も知らずに合流しそのまま戻れなくなった者を含む。

メンバー構成は元赤軍派が9名元革命左派が20名
しかし集合日に元革命左派メンバーが水筒を持参しなかった事を、「革命戦士としての自覚が足りない」と責めたことから、元赤軍派リーダー森恒夫が連合赤軍リーダーとなった。
この水筒問題はその後のパワーバランスに大きな影響を及ぼす。

また、元革命左派のリーダー・永田洋子は坂口弘と内縁関係だったが離婚し、森と再婚するのが思想的に正しいという結論にいたるが、森は既婚者であり妻子を残してのベースキャンプ参加だった。

ややこしい事に、永田は森に心酔しつつも元革命左派リーダーとして常にライバル意識を持ち続けていた。「総括」(仲間によるリンチ)「革命戦士を覚醒させるために必要不可欠」と信じ切っており、批判追及を競い合うような部分が見受けられる。
個人的気質から特に女性同志へは辛く当たり続けた。

森自身はかつて交番襲撃事件の前には逃亡するなど、後に証言されるように実は小心者だった。
学歴コンプレックスが強く、優柔不断というよりは相手によって態度を変えるなど、必死に虚勢を張りつつ理論だけで優位に立とうとする癖があり、実行力を伴わない肥大した自己顕示欲の持ち主だったと思われる。
森は常に行動力のある永田の陰に隠れており、それが現実乖離に拍車をかけた。

当時の連合赤軍メンバー構成と、年齢、その後の運命を記載する。
元赤軍派(9名)
森恒夫・・・当時27歳 (連合赤軍中央委員会委員長) 公判前に拘置所内で自殺
坂東國男・・・25歳 あさま山荘事件に関与 日本赤軍テロにより国外脱出 国際指名手配中
植垣康博・・・24歳 軽井沢駅で逮捕 
青砥幹夫・・・22歳 逮捕 
進藤隆三郎・・・21歳 死亡
遠山美枝子・・・25歳 死亡
行方正時・・・25歳 死亡
山崎順・・・21歳 死亡
山田孝・・・・・27歳 死亡

元革命左派(20名)
永田洋子・・・27歳 (連合赤軍中央委員会副委員長) 死刑 2011年病死
坂口弘・・・25歳 あさま山荘事件に関与 死刑
吉野雅邦・・・23歳 金子の内縁の夫 あさま山荘事件に関与 無期懲役
金子みちよ・・・24歳 妊娠8ヶ月 死亡
加藤能敬・・・22歳 死亡
加藤倫教・・・19歳 能敬の弟 あさま山荘事件に関与 逮捕
加藤元久・・・16歳 同じく弟 あさま山荘事件に関与 逮捕
奥沢修一・・・22歳 杉崎ミサ子の夫 逮捕 
杉崎ミサ子・・・24歳 奥沢修一の妻 逮捕 
山本順一・・・28歳 死亡
山本保子・・・年齢不詳  山本順一(死亡)の妻 乳児の娘を置いて脱走 自首
寺林真喜江・・・23歳 逮捕 
中村愛子・・・22歳 山本夫妻の娘の世話係 乳児を連れて脱走 自首
伊藤和子・・・22歳 逮捕 
前沢虎義・・・24歳 脱走 自首
岩田平治・・・年齢不詳 脱走
尾崎充男・・・22歳 死亡
小嶋和子・・・22歳 死亡
寺岡恒一・・・24歳 死亡
大槻節子・・・23歳 死亡

実はこの事件の全ての詳細が明らかになっているとは言い難い。
後に逮捕された数人(あさま山荘犯人含む)の供述は各自証言が食い違い整合性が合わない
山岳ベースは数カ所あり、それぞれに人員が配置されていたほか、資金集めなどで別行動をとる者もおり全員が常に揃っていたわけではなく、故に責任の擦り付け合いがあった可能性も高い。

それぞれの証言を元に、事実を再現、補足、推察したものが事件の概要となる事を念頭に入れておいていただきたい。


【総括】
・概要の前に、彼らの精神状態について簡単に説明する。

活動家において「総括」とは、互いの批判や自己批判も含む反省や評価、今後の検討等を指す。
山岳ベース事件では好んで「自己総括」が使われたが、偏った自己批判はアイデンティティの崩壊を招き、うつ状態になりやすく、思考停止などの洗脳に近い状態を招く。
山岳ベース内では、援助と称して周囲の者が総括対象者に対し、意見や批判を各々行うものへと変化していった。

それは実際にはただの虐めでしかなく、問題のある者(殆どが些細な理由)は仲間外れにされるなど、いつ自分がその対象になるか常に緊張が続いていた。

暴力肯定の組織内では「総括」はエスカレートし、やがて攻撃的なものへと変化する。
「集中のため」に行われた心理的攻撃は、「革命戦士へと生まれ変わるため」に必要な暴力的儀式へと移り、長時間の正座食事抜きから殴る蹴るの身体的虐待へと変わっていった。
仲間全員から受ける暴行は強い反省を強要するものであり、実質的なリンチではあったが、「総括援助」のために必要なこととされた。

リーダーの森は暴行等で気絶した後総括対象者には別の人格が発生し、真の戦士になれると嘯いていた。そのため、暴行(リンチ)は総括の援助であると正当化される。

被害者の死因は内蔵破裂から凍死衰弱死(餓死)など多岐にわたるが、それはあくまで「総括できないことに絶望してショック死した」本人の責任であると森は主張、「敗北死」と命名。
冷酷な責任転嫁ではあるが誰も異論を唱えず、また総括援助は全員が強制参加であるため、加害者と被害者が入り交じる奇妙な共犯関係へと繋がってゆく。

やがて総括不可能と森が判断した者は、人民裁判によって「死刑」が宣告され(最高責任者は森)、縛ったままアイスピックで刺しその後絞殺という処刑が行われていた。

総括の対象となる理由は特になく、他者への「総括」中に個人的な文句を言ったというだけで次のターゲットになり得る。
あまりにも有名な「殺らなければ、殺られていた」とは、逮捕された後に生存者が語った証言。

【閲覧注意】

山岳ベース事件とは、1971~1972年に起きた連合赤軍同志による凄惨な連続リンチ殺人事件
1972年に連合赤軍によるあさま山荘事件が発生。(死者3名・負傷者27名
事件収束後に発覚したのがこの事件であり、この2つを合わせて「連合赤軍事件」とする。
これらの衝撃的な事件は社会に大きな衝撃を与え、日本の新左翼運動が衰退する大きな要因となった。

新左翼運動・・・1950年代以降に世界的規模で拡大した、既存の社会主義・共産主義を批判する新しい社会・共産主義勢力。幅広い意味合いを持ち、主に反帝国主義、反共産党、スターリン批判などがある。イデオロギーは多種多様で、アナキズム・マルクス主義・トロツキズム・毛沢東主義や構造改革派まで含む。

事件現場となったのは群馬県の榛名山・迦葉山・妙義山のベース(活動拠点)。
連合赤軍は警察の追及を逃れ、山岳地帯に潜み活動を続行するはずだった。


【連合赤軍の誕生】
・事件の背景には、少々説明を要する。
かつて日本国内で学生や労働者による政治活動や運動が多発、学生を中心に1967年に急速に新左翼派組織が活発化、諸派の中でも1969年に結成された関東派中心の赤軍派は過激で武力革命を謳って憚らなかった。
戦争と称しては大阪・東京等各地の交番を襲撃し、多くの殉職者を出している。
(火炎瓶で火だるまになった機動隊員を集団で襲い掛かる「東峰十字路事件」など、悪質凶悪な事件の他、婚姻関係等で一般の住民を巻き込み思想的支配ー強制・洗脳ーを積極的に行った)
動員された中には高校生も多く、革命の意味を理解していない者も多かったと思われる。

「東峰十字路事件...」の画像検索結果

だが、首相官邸襲撃の計画が漏れ(大菩薩峠事件)多数の逮捕者が出ると、組織そのものは一気に崩れ出す。

1970年には「よど号ハイジャック事件」が発生、9人が北朝鮮へ亡命。
1971年には赤軍の一派が中東へ脱出し、「日本赤軍」を名乗る。

よど号ハイジャック事件・・・羽田空港を離陸した日本航空351便のハイジャック事件。
乗員らは福岡・ソウルで解放、運航乗務員や政府関係者は北朝鮮まで連行された。

⁂国際指名されたテロ組織「日本赤軍」は、1971年に国外脱出した赤軍派のグループ。
後にイスラム過激派と組み多くの無差別テロ事件を起こす。

残された日本国内組は米軍基地攻撃(ダイナマイト闘争)など過激の一途を辿り、刃物・鉄パイプ・爆弾・火炎瓶の他に銃武装するなど明確なテロリストへの道を進んでゆく。

銀行強盗等で資金を調達し、警官・機動隊員の死亡(殺害)は権力側に非があると叫ぶ彼らは、殺人を「殲滅戦」と言い換え、自らの正当性を主張。
銀行や銃取扱店は権力側の味方であり、従業員は一般人ではなく敵の一味と見做された

上赤塚交番襲撃事件ではメンバーの一人である柴野春彦が死亡。死者が出たことに被害者感情を爆発させた彼らの活動は更に凶暴・凶悪化する。(多数の機動隊・警察官らの死傷者は無視

念のために記載すると、新左翼派全てが過激な行動に出たわけではない。
1955年には日本共産党や日本社会党は暴力革命路線の放棄を表明しており、過激派はただのテロリストにすぎなかったが、当時はまだテロという概念が浅かったためか同調する者も少なくなかった。

過激派はそれぞれ複数の思想派が集結したものであり、その中の一派・革命左派は合法部(法を守る部)と非合法部(犯罪部)に分かれ、非合法部は警察の追求を逃れるために山岳地帯に拠点(ベース)を作り活動していた。

革命左派(正式名称・日本共産党革命左派神奈川県委員会)
マルクス・レーニン主義派と毛沢東主義派等、内部はやはり分裂気味だった。
都市活動組(合法部)・山岳組(非合法部)に分かれて活動していたが、最終的に分裂。
赤軍派と合流したのが山岳組であり、リーダーは永田洋子と坂口弘の2人。
永田は「革命で殉死」した柴野の恋人であり、過激活動の象徴的存在となっていた

赤軍派はM作戦(金融機関強盗)により資金はあったが武器が少なく、革命左派は交番襲撃真岡銃砲店襲撃事件等、銃はあったが資金力が弱かった。
赤軍派も警察の追及から逃れるため山岳拠点活動を視野に入れており、ここで利害が完全に一致した。
彼らは自らを軍隊組織と見做しており、赤軍派の中央軍・革命左派の人民革命軍が合流、「連合赤軍」と名乗る。

赤軍派のリーダーは森恒夫であり、森と永田が連合赤軍のダブルリーダーとなったが、一見友好的に見えるこの関係には常に主導権争いが見え隠れしていた。(後に永田は森に心酔)

連合赤軍の結成は1971年7月だが、実際にメンバーらが合流したのは同年12月。
赤軍派の新倉ベース(南アルプス・新倉山)で初の合同軍事訓練を行った。
そのまま榛名ベース(榛名山)、迦葉ベース(迦葉山)、妙義ベース(妙義山)へとメンバーは移動し、数名の脱走者とともに12人の死者を出す結果となる。

赤軍派メンバーらは知らなかったが、同年8月には革命左派は山岳ベース脱走者を粛正(処刑)しており(印旛沼事件)、処刑の発案者は森本人

さらに柴野の一周忌の対応を巡って、革命左派内で都市部(合法部)と山岳部(非合法部)が対立したため山岳部は派と決別し、元赤軍派・元革命左派による新党が結成。

両派の特性上、暴力を厭わない下地ができあがった。


関連記事
【閲覧注意・事件】連合赤軍・山岳ベース事件 1
【閲覧注意・事件】連合赤軍・山岳ベース事件 2
【閲覧注意・事件】連合赤軍・山岳ベース事件 3
【閲覧注意・事件】連合赤軍・山岳ベース事件 4
【閲覧注意・事件】連合赤軍・山岳ベース事件 5
【閲覧注意・事件】連合赤軍・山岳ベース事件 6
【閲覧注意・事件】連合赤軍・山岳ベース事件 7
【閲覧注意・事件】連合赤軍・山岳ベース事件 8
【閲覧注意・事件】連合赤軍・山岳ベース事件 蛇足

http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1475847844/

281 : 本当にあった怖い名無し:2016/11/02(水) 00:28:22.73 ID:IJZspmNd0.net 
もう30年以上前のはなしだが、俺は秋田県の県北の市営住宅に住んでたんだ。
そこでの不思議な話は沢山あるのだが、その中でも不可思議な話を。

小学6年生の頃ずーっと同じ夢を見続けてた事があるんだ。
夢の中の自分は女で、結婚もしてる事は考えるまでもなく分かってる。
鉱山のようなところで鉱石の選別作業をしてるんだ。
旦那も鉱山で働いてる。
そこには同じアジア系(多分朝鮮?)の人達も働いてる。
一人の朝鮮人が「ハリが落ちて班長が潰された」って駆け込んでくる。




282 : 本当にあった怖い名無し:2016/11/02(水) 00:30:01.15 ID:IJZspmNd0.net
班長が旦那の事だっていうのも分かってて、急いで駆けつけると
そこに旦那はおらず、数人の外国人に囲まれ石で撲殺される。
当時はその夢のせいで病院に通うほど悩まされた。

でもさ、中学校に入って知ったんだよ。
俺の住んでた地域は昔鉱山があって外国人労働者がいたって。
場所バレるけどさ、花岡事件って聞いたことないかな。
学校で習うと思うんだが。
戦時中には中国人に過酷な労働をさせて数百人単位で外国人が死んでる、
あるいは殺されているんだと。
俺の住んでる所がピンポイントでそこなわけ。獅子ケ森って町名。
もうその後は番地しかないわけ。


283 : 本当にあった怖い名無し:2016/11/02(水) 00:36:23.46 ID:IJZspmNd0.net 
もしかしたらその女性が殺された場所はこの家の場所なのかと思ってさ、
親に部屋を変えてくれって頼んだのさ。
本当なら家を変えてくれって頼むんだろうが、
バカな中1だし部屋を変えればあの夢は見ないってなぜか思ったんだ。


284 : 本当にあった怖い名無し:2016/11/02(水) 00:38:17.45 ID:IJZspmNd0.net 
部屋数はそんなに多くないから親の寝室と交換した。そしたら朝までぐっすり。
何日たっても見なくなったんだよ。

たださ、今度は母親がさ
「やっとあんたの苦しさがわかった」って言い出して、数日で引っ越したよ。
親に聞いても言わないが、多分同じ夢を見たんだろうね。
その家では不思議なことが他にもあったけど、
考えてみたらその花岡事件に繋がっているんだろうな。


【裁判の行方】
・ウクライナは死刑制度が廃止されている。
そのため裁判は非常に後味の悪い結果となった上に、さらなる禍根も残すことになった。

3人が逮捕された時、彼らの携帯やパソコンには複数の殺人動画及び動物虐待の映像が残されていた。被害者の葬儀にも参加しその様子を撮影、墓標の前で被害者を侮辱する記念写真もあった。
これらの映像では堂々を自らの姿をさらし、全く罪の意識が感じられない。
有罪は確実であり、逮捕当初3人は全ての罪を認めていた。

しかし裁判が始まるとイゴールは証言を撤回する。
ビクトルとアレクサンドルは罪を認めたものの、親の社会的立場を計算し重罪にはならないと踏んでいたと思われる。

この事件の詳細は未だ全てが公開されていない
そのため裁判の様子も詳しくは不明のままである。
が、非常に胸糞が悪くなるような展開になった事は想像に難くない。

・裁判は事件発生1年後の2008年6月に開始。
判明した被害者は、死亡者が21人負傷者が8人嬲り殺された動物は数知れず
(蛇足ながら、これらは判明している被害者数という意味であることを記載しておく)

この裁判でイゴールは完全無罪を主張

ビクトルは自分の弁護士に不服を持ち、自らの父親を弁護士として指名
父親もまた弁護を引き受けた。

一方血液恐怖症のアレクサンドルは殺害には参加しなかったとして、彼の弁護士は情状酌量作戦に出る。

弁護側の主張は以下。(一部)
冤罪
・警察の違法捜査により裁判は無効
・心神喪失状態のため、責任能力なし

ビクトルの弁護士(父親)は、ビクトルは恐怖によりイゴールに逆らえなかったとして洗脳状態にあったと強く主張。
検察側には多くの物的証拠があったが(血のついた衣服等)、弁護側は映像に映る人物は別人であると始終完全否定を行う。

この事件の裁判には大きな注目と関心が集まったが、3人は19歳であり未成年であることから情報はあまり公開されなかった。
が、検察と弁護士の息子が犯人という事実は根強い不信感怒りを世論に植え付ける。

・2008年末頃
何者かによって「ウクライナ21」(原題「3 Guys 1 Hammer」)の映像が動画サイトに流失
セルゲイ氏殺害の動画がほぼオリジナルのまま完全流失したという。

痛みにうめく被害者を何度も攻撃する様子からは明確な殺意が感じられ、屈託のない笑顔で血を洗い流す映像は世界中を震撼させた。

瞬く間に動画は拡散され、大きな話題と関心が集まり個人が特定される。
弁護側の主張は全て覆った。
(ウクライナ内務大臣はビデオ流失を批判しながらネット制御は事実上不可能と認めた)
normal_salute.jpg
頭部を潰した被害者の上でナチス式の敬礼をするビクトル。(トリミング加工済)
同じ場所で笑顔のイゴール
も映っており、交互に撮った事がわかる

2009年2月
ようやく判決が決定する。

イゴール・シュプルンヤク・・・殺人21件 強盗8件 動物虐待1件
ビクトル・サエンコ・・・殺人18件 強盗5件 動物虐待1件
アレクサンドル・ハンザ・・・強盗2件

前述のとおりウクライナには死刑制度がないため、イゴールとビクトルは最高刑の終身刑となる。
アレクサンドルは懲役9年。(彼は常に撮影係で実行犯ではないとの理由)

イゴールとビクトルの弁護士はこの刑を不服として上訴する。

同年11月24日
最高裁は判決を支持。上訴は棄却され、裁判は終結する。


ウクライナの死刑制度が廃止されたのは2000年。
10年も経たずに起きたこの事件に、当時のドニプロペトロウシク市民の世論は真っ二つに分かれた。
少なくとも半数近くがこの量刑に不服を感じると回答している。
判決2年後の2011年には、ウクライナ国内の世論は死刑適用の必要性を求める声が過半数を超えたという。

流失した動画を閲覧することは現在でも可能ではある。
しかしロシア国内では模倣犯も登場し、さらなる猟奇事件をも引き起こす。
映像流失の意図が何であったにせよ、この動画は世界的規模で大きな影響力を示した。
本物かフェイクかは不明ながら、グロ・過激・衝撃映像は増加し続けている。
積極的に勧めはしないが、何を観るのか、どう行動するかは個人の自由だ。

ただ、人間の尊厳性を失ってはいけない。切にそう願う。

【閲覧注意】【動物好き胸糞注意】

「検索してはいけない言葉」で知られる「ウクライナ21」だが、この映像に映っている少年3人らは実際に起きた連続猟奇殺人事件の犯人であることをご存じだろうか。

この動画は、少年3人らが男性を拷問し殺害する内容であるが、少年らは他にも女性や子供等を襲い、その様子をも映像として残していた。
実際はどうであれ、スナッフフィルムとして金を稼ぐつもりだったらしい。

画像動画の1シーン

しかし、ここに不可解な事実が存在する。
無計画で杜撰な殺人を繰り返した3人が逮捕されたのは、殺害を初めてからわずか1ヶ月。
その間の犠牲者は21人にものぼる。
(「ウクライナ21」の由来はここから来ている)
彼らの逮捕が2007年
映像の動画サイト流失は2008年
犯人らは収監・拘束されており、当然第三者の関与が考えられる。
そのため公式には本物映像かどうかは不明だという。

だが、映像の3人は間違いなく殺人犯であり、映像内で殺害された男性の遺体もまた発見されている事実を記載しておく。

*2010年チリのテレビ局が現地に赴き、被害者遺族や事件の生存者、少年親族らの聞き取りドキュメンタリー番組を制作した。結局真相は解明されなかったものの、この映像における世界的影響の大きさがうかがわれる。


【事件の概要】
この殺人人事件の国際的総称は「ドニプロペトロウシク・マニアックス」(Dnepropetrovsk maniacs)。
ウクライナのドニプロペトロウシク地方で起きた事件であるとともに、少年らもドニプロペトロウシクに在住していため。
直訳すれば「マニアックな人々」だが、ニュアンス的には社会病理的な意味合いを持つ症候群(シンドローム)に近い。地理的にも民族的にも複雑な歴史を持つウクライナは政治的にも当時様々な問題を抱えていた。

*チェルノブイリ原発事故が起きたのもウクライナ国内。20を超える州と1つの自治国家2つの都市からなる複合国家。様々な民族・社会形態が混在する。ユダヤ人も多い上、極端な例としては古来から朝鮮系民族も居住。

犯人の名はビクトル・サエンコ、アレクサンドル・ハンザ、及びイゴール・シュプルンヤク。
ともに同級生で19歳。
3人はそれぞれ弁護士や検察といった権力側の裕福な家庭に育ち、殺害のターゲットになったのは経済的にも社会的にも弱い立場の者達ばかりだった。(狙われた子供達は全て年下)

Dnepropetrovsk_Maniacs
左からイゴール、アレクサンドル、ビクトル

後述するが、ビクトルの父親は弁護士で息子の弁護を務め、冤罪や無罪を強く求めていた。
警察側は詳細を公表していなかったものの、怒った地元民との軋轢等で裁判は泥仕合的な展開とつながってゆく。
(映像のネット流失は裁判の最中)

第1の殺人
2007年6月25日夜。
地元に住む33歳の女性キャティヤ・イリチェンコが友人宅から帰宅途中に襲われ殺害される。
帰宅しない彼女を心配した母親が、明け方に頭部が潰された彼女の遺体を発見した。
実行犯はビクトルとイゴール。
2人で彼女の頭部を四方からハンマー(金槌)で滅多打ちにしていた。

第2の殺人
・被害者はやはり地元にすむ男性ロマン・タダレヴィッチ。
キャティヤ殺害直後に襲われたと思われる。
彼女の殺害現場から近い場所のベンチで遺体となって発見された。
寝ているところを襲撃されたらしく、彼の頭部もまた原型をとどめていなかった。

実は詳細が判明(公表)されているのはこの2件のみ。
あまりにも凄惨かつ遺体損壊が酷い事件のため警察は詳細公表を控えたらしい。
だが、地元を中心に噂は急速に広まってゆく。

・7月1日
ユージン・グリシェンコの遺体が路上で発見される。
同日、ニコラス・サチェクの遺体もまた近くで発見された。
(この時盗まれた被害者の携帯電話の転売が、後に大きな役割を果たす)

・7月6日
イゴール・ネクヴォロダ、エレナ・シュラム、バレンティーナ・ハンザの遺体が発見される。バレンティーナは3児の母だった。

犯人らの手口はほぼ同じで被害者を鈍器で殴り倒し、動けなくなったところを執拗にナイフや鈍器で執拗に攻撃。主に顔や頭部を破壊し、内蔵や体の一部を切断している。
この頃からマスコミが騒ぎ始め、「ドニプロペトロウシクの狂人たち」に地元住民は震え上がった。

・7月7日
農村にすむ14歳の少年2人が襲撃を受ける。
アンドレイ・シダックとヴァデム・リャホフは、自転車で青い車の側を通り過ぎようとして、いきなり殴り倒された。シダックはそのまま意識を失ったが、リャホフは何とか自転車に跨がり逃げ出す事に成功。車は執拗にリャホフを追ったが、彼は何とか逃げ切った。

その後、友人を心配した彼が安全を確認しつつ現場に戻り、大量の血だまりの中に倒れているシダックを発見。かろうじて息のあることを確認したリャホフは必死に助けを求め、ようやく通りがかった車でシダックを病院に運んだが、結局友人は助からなかった。

一時的にではあるが、リャホフには友人殺害の嫌疑がかけられたらしい。だがすぐに疑いは晴れ一連の連続殺人の関与が判明する。
余程無念だったのだろう、リャホフは警察に全面的に協力し犯人らのスケッチを描いて提出する。
やがてこのスケッチが、犯人逮捕への大きな進展を生むことになった。

・7月12日
セルゲイ・ヤツェンコ48歳が失踪、殺害される。
4日後に発見された遺体には壮絶な暴行跡が残っていた。
この時撮影された動画が流失した映像となる。セルゲイの殺害動画は後に裁判で証拠として公開され、人々に大きなショックを与えた)

・7月14日
スクーターに乗っていたナタリア・ママルチェク45歳が2人の男に殴り倒され、ハンマーで撲殺された。現場は雑木林を抜ける道路であり地元住民が犯人を目撃、追跡したが犯人2人は逃亡。
また、近くにはわずか数メートルの距離でテントが張られており、複数の子供達が息を潜めて事件を目撃していた。彼らの証言はリャホフと一致し、警察はスケッチの配布に踏み切ることになる。

数人の被害者の所持品が盗まれていた事から、警察は地元の質屋に盗難リストとリャホフのスケッチを配布。すると意外な程あっさりと犯人の少年らの身元は判明する。
彼らは堂々と盗品を売りさばいていた。

・7月23日
ビクトル、アレクサンドル、イゴールが逮捕され、一連の異常連続殺人事件は収束する。

各被害者に接点は全くなく、ほとんどの犠牲者は酒に酔った者(女性含む)や子供、高齢のホームレスや見た目が弱そうな男性のみ。

多くの者が生きたまま手足を切断され、中には刃物で目玉をえぐり出された者もいる。
被害者の妊婦は、子宮を引き裂いて胎児が引きずり出されていた

性的被害を受けた被害者はおらず、陰湿な殺害方法残虐な破壊行為を繰り返す殺人犯に地元はパニックに陥ったと思われる。捜査は大々的に行われたが人々は疑心暗鬼に陥り、容疑者にあげられた人物は数千人に及ぶともいう。


【犯人たち】
・前述の通り少年らは全員が裕福な家庭で育った。
ビクトルとイゴールの父親は弁護士、アレクサンドルの父親は検察官である。
3人とも相当に甘やかされた環境で育った事は間違いなく、最も暴力傾向の強いイゴールの親は息子を溺愛し息子のためなら努力を惜しまなかった。

ビクトルの父親は息子の弁護を務めたことで地元でも話題となる。
ビクトルとアレクサンドルは幼なじみだった。

3人にはコンプレックスがあり、イゴールとビクトルは高所恐怖症虐めの暴力におびえていたという。
一方アレクサンドルは、血や火傷のような生々しい傷に恐怖を感じていたらしい。
このコンプレックスを克服すべく、イゴールは動物を使って殺戮や暴力、血の恐怖を乗り越えようと提案。弱い動物を虐待し、暴力と死の恐怖を乗り越えようと考えた、らしい。
しかし、映像に残る彼らの記録の被害動物や被害者らの傷は生々しく、ひどく血生臭い

動物虐待はエスカレートの一途をたどる。
生きたまま皮を剥ぎ内臓を引きずりだし笑顔で記念写真(勝利写真)を撮った。
ネット上には写真も流失しており、やはり頭部を破壊した写真が多い。

犠牲になるのはいつも犬や猫(子猫や子犬含む)・ウサギなどの小動物であり、首を吊って木に吊すなど、やはり抵抗できない状態にしてから拷問のような殺害を開始
中には生後間もないと思われる目の開いていない動物もおり、そういった血塗れの動物の横で得意気または満面の笑みでポーズを取る姿は、正直、理解に苦しむ。
彼らが何ら罪の意識なく虐待殺戮を楽しんでいたのは間違いない。


ビクトルとイゴール モザイクは惨殺された小動物
木に吊し、頭部の皮を剥いだ


棒状のものには赤いシミが付着


笑顔でハンマーを手にポーズをとる


らが17歳の時、イゴールが年下の子供を殴って自転車を強奪。
ビクトルはそれを知りつつその自転車を買い取ったことで2人は逮捕された。
しかし未成年のため刑務所には収監されていない。

学校卒業後、定職に就いたのはビクトルのみ。
アレクサンドルは職を転々とし、イゴールは無職だが陰でこっそり無免許タクシーを運行していた。
その車は両親が彼に買って与えたものである。

やがてイゴールはビクトルとアレクサンドルの協力を得て、タクシー強盗に手を染めるようになっていった。

重複する部分も多いが、事件の経緯を映像流失の側から時系列に記載する。

9月7日:尖閣諸島中国漁船衝突事件が発生
9月24日:中国人船長の釈放が決定。
9月25日:未明に船長が中国に帰国。中国は事件に対する謝罪を要求。
9月30日:「フジタ」社員4名の解放。しかし中国側の強硬姿勢はエスカレートする。
      衆議院予算委員会はビデオの公開を政府に要求。
11月1日:衆議院予算委員会において2時間のビデオを6分50秒に編集済みの映像が、限定公開。
      自民党は全て公開することを要求。民主党「いろんな配慮からよくない」として否定的。
11月4日:21時頃、YouTube上に「sengoku38」というアカウント名から6分割された計44分の映像が流失
11月5日:未明には海上保安庁が調査を開始。取材に対し、映像が本物であることを認めた。
      オリジナル動画は午前7時40分ごろに投稿者がアカウントごと削除、視聴不可能となる。
      しかし、利用者がダウンロードしたとみられる動画が各種動画共有サービスへ大量に転載
      内容を記録したDVDが埼玉県の川口駅前に大量に放置される騒動が発生。
11月8日:海上保安庁は被疑者を特定しないまま国家公務員法守秘義務違反・不正アクセス禁止法違反
      窃盗・横領の疑いで警視庁と東京地方検察庁に告発。
      小泉進次郎は「国民は40分見ていて、国会議員は6分しか見られない」と発言。

11月9日:投稿は神戸市内のネットカフェから行われたことが判明。
11月10日:海上保安官の三等海上保安正(階級)である一色 正春氏が上司に名乗り出、出頭。
      16日まで神戸市の庁舎で国家公務員法違反の任意聴取に応じた。
11月11日:問題の映像は「海保の職員なら誰でも見られる状態だった」事が判明。
      他の複数の関係者からもアクセス制限が設けられていなかった状態であったと証言あり。
11月12日:教材として広島県呉市の海上保安大学校に保管されていたことが判明。
11月15日:捜査当局は保安官の逮捕見送りを決定。捜査・任意の事情聴取をは続行。
11月16日:保安官が庁舎宿泊を終了。
11月19日:参議院予算委員会が国会法第104条に基づいて投稿された44分版のビデオ提出を要求。
11月20日:保安官への聴取を再開。
11月21日:保安官は陸上で勤務する予備員に配置換え。
       政府は西岡武夫参議院議長に要求されたビデオを提出。
11月24日:参院予算委員会が、政府が提出した映像を複製し、与野党の各会派に配布。
11月25日:事前に映像が入ったSDメモリーカードをCNN東京支局へ郵送していた事が判明。
       反応がなかったためにYouTube投稿となった。
12月17日:保安官は辞職届を提出。
12月18日:保安官が海上保安庁に退職願を提出したことが判明。
       海上保安庁は「退職願を受理せず懲戒免職または懲戒停職にする」と発表。
12月22日:警視庁は保安官を国家公務員法守秘義務違反容疑で東京地検へ書類送検。
       海上保安庁は停職12か月の懲戒処分とし、同時に辞職届を受理。同日辞職となる。
       保安官は動画投稿について、「政治的主張や私利私欲に基づくものではない」と発言。
       後悔していないことを強調。
2011年
1月21日:国家公務員法違反について元保安官の一色氏に起訴猶予処分が下される。
      衝突事件を起こした中国人船長もまた、同じ起訴猶予処分となる。
      事態は収束はしないものの、表面は沈静化。

また、11月13日には保安官が第5管区海上保安本部を通じて談話を発表。
「世間をお騒がせしたこと、多くの人々に多大なるご迷惑をおかけしたことを心からおわび申し上げます」
「(庁舎宿泊は)私の意志」「建物を出たならば、さらに、多大なる迷惑をかけてしまう」
「過熱した報道を少しは控えてください」 
と、謝罪と冷静な判断を呼びかけている。







前述の通り、YouTube流失前に、衝突ビデオ映像は、10月下旬から11月の初めにかけCNNの東京支局にSDカードに納められて郵送されている。
しかし、CNN では、出所不明の怪文書の類とみなしSDカードを直ちに処分、廃棄。
(差出人の名もなく、説明文もなかったため、ウイルスの危険性を考慮したとされる)

CNNの動きが無かったため、YouTubeによる流失、拡散となった。
一色はCNNが報道していれば、YouTubeにはアップロードしなかったと後に語っている。
同様に、「東京では報道陣などに配布するDVDも用意していた」らしい。


動機は「一人でも多くの人に遠く離れた日本の海で起こっている出来事を見てもらい、一人ひとりが考え判断し、そして行動して欲しかった」ということである。
(2010年11月13日海保を通じた本人の談話)


【日本国内の反応・対応】

・それまでの政府による情報公開が、消極的・限定的であったため賞賛の声があがった一方で、公務員が非公開の機密情報を漏洩したことに対しての批判や危機管理を懸念する批判も同時にあがる。

しかし、映像の公開を渋っていた政府方針の妥当性、そもそも本当に機密情報に該当するのかといった論議も多くなされた。
だが、映像公開以降、急速に事態が収束方向へ向いたことを考えれば、映像公開の公益性は疑いようもない。特に、表面上だけでも中国の国内暴動化に歯止めが掛かったことは大きい。

改めて、情報公開こそが国際社会の平和的協調に必要であると確認された事件といえる。


映像流失により、日本国内の世論の目は中国の暴動被害ではなく、国内の矛盾に大きく向けられる。
記事3で示した通り、日本国内にてデモが続発。
海外の報道メディアは大きく取り上げた。

「尖閣 デモ」の画像検索結果

暴動化もせず、仕事帰りにビジネスマンも参加できる程の平和的デモであるにも関わらずその参加人数の多さ、バラバラの年代層でありながら粛々と日本国旗を手に一致団結・行進する姿は他国からは驚きだったらしい。結局は政府の嘘に踊らされて暴走した中国デモの報道の後ということもあり、その違いは増々強調される結果となった。

「尖閣 デモ」の画像検索結果

「尖閣 デモ」の画像検索結果

「尖閣 デモ」の画像検索結果

海外メディアのデモ参加者へのインタビューなども行われ、国内メディアも徐々に報道を開始。
自然の流れとして、政府与党の見解、マスコミの在り方など不信感を持つ人々の増加を生んだ。










以下、政府主な対応と反応について

「内閣総理大臣」
・菅直人内閣総理大臣(当時)は流出翌日、11月5日午前、馬淵澄夫国土交通大臣に「情報管理の徹底と、事実関係の確認をするように」、流出の経緯など原因究明を図るよう指示。
同日夜には首相官邸で「冷静に(日中)両国が対処することが重要だ」「国の情報管理がしっかりとした形になっていないことに危機感を強く覚えた」と発言。

この映像流失によって日本に非がない事が証明され、これは国益なのではないかとの質問にはそれはその通りとしながら、始終機密の漏洩責任を強調

初期の段階で映像を見て中国の悪質さを知りながら隠匿していたのではないかと問いにも、「他の人の報告を受けて悪質だと思っていた」との返答に留めた。

「内閣官房」
・仙谷由人内閣官房長官は11月5日、
「流出だとすれば相当大きなメスを入れる改革があらゆるところで必要だ」
「調査から捜査に切り替える判断を数日内にしないといけない」
「(映像の全面公開については、政府のスタンスは)従来と態度は変わっていない」
「公務員が故意に流出したとすれば明らかに罰則付きの国家公務員法違反になる」
加えて中国政府からの憂慮が伝えられたことに関して
「事実関係が調査できればしかるべく説明を申し上げることになる」と発言。

9日午前、衆院予算委員会で、菅総理大臣に映像の一般公開する可否の検討資料を示している。
その内容を読売新聞の写真部員が望遠レンズで撮影。9日付の読売新聞夕刊に掲載された。
「厳秘」とされるその資料の中には
公開の利点として「中国による日本非難の主張を退けることができる」とし、
不利な点として「流出犯人が検挙・起訴された場合、『政府が一般公開に応じたのだから、非公開の必要性は低かった』と主張し、量刑が下がるおそれがある」
「(流出映像の公開は)犯罪者を追認するに等しく、悪しき前例となる」
と映像流出者を擁護する風潮を警戒するような記載があった。

この件について柿沢未途が仙谷官房長官に質問すると「どうも望遠、拡大レンズで盗撮されたようだ」と仙谷は回答。しかし、写真部員の撮影行為はルールに則ったものでありこの発言は「不適切」と指摘される。
野党からは「またしても政府の危機管理の甘さが露呈した」と揶揄意見がとぶ。

映像流失についても、海上保安庁長官に責任があると強調、世論に手保安官への擁護熱が高まっている事態には、今回の流失は明らかな犯罪であるとし「ましてや国会議員の方々で、それを称揚、称賛するという方々のほうが多数であるなどというふうには思いたくもありません」と返答。
あくまで保安官を厳しく批判。

「与党」
民主党からは、そもそもの情報公開の在り方に関する意見も多少はあったものの、ほとんどは機密事項の漏洩に関する「犯罪」を強調、流失させた保安官についても大きな世論となりつつあった擁護論には同調できないとして厳しい言葉が並んだ。

「野党」
5日午後、野党7党(自民・公明・みんな・共産・社民・たちあがれ日本・新党改革)は国会対策委員長会談を開く。
11月15日、自民党が単独で仙谷官房長官および馬淵国交大臣に対する不信任決議案を衆議院に提出
しかし民主党・国民新党と社民党が反対し否決となる。
自由民主党内部からは疑問点が山のようにあげられた。
早期に政府が映像公開していれば、このような事態は起こらなかったとの見方が多く、民主党政権の自滅的外交敗北においてやむにやまれず流失に踏み切ったとの考えで、概ね保安官擁護の姿勢であった。
小池百合子氏は「国家の危機管理がもはや効かない状況だ」、「(関係閣僚は)問責に値するし、問責以上なのではないか、いつの間にか責任がうやむやになるのは許し難い」と発言。

また、映像は機密情報とは全く言えないのではないかとの論議が続く。
安倍晋三氏はメールマガジンで、映像は国家機密として隠すべきものではなく、国民と世界に示すものであったとしたうえで、流出をさせた保安官に対して「このままでは日本が悪役にされかねない、事実を国民に知ってもらわねば、やむにやまれぬ大和魂、との気持ちだったのでしょう」と理解を示す。また、「流出による国益の損失は全くありません」としたうえで、「責任が問われるのは海上保安庁ではなく、まったく馬鹿げた判断をした菅総理、あなたですと断じている。

キリがないので以上で割愛するが、雑誌AERAでは、尖閣諸島周辺の取り締まりでは重大事案に発展しない限り日本側は勾留しないという密約が日中間にあり、その項目の一つに逃げたものは追わないとする暗黙の了解が存在するという政府関係者の話を紹介している、この映像で漁船は逃げているため、府与党は暗黙の了解を破ったと追及されるのを恐れたのではないかとしている。
当時、自衛隊、海上保安隊、をはじめとする防衛団体は相当煮え湯をのまされていたらしい。
真偽のほどはさだかではないが、菅首相は自衛隊関連の式には一度も出席しなかったという。


石原慎太郎東京都知事の発言
11月5日
・「なんで政府は発表しないのかね、結局内部告発でしょう」
・「国民の目に実態を見てもらいたいということであれが流出した、結構なことじゃないですか、私は国民の意識というのははっきりしていると思います」
11月11日
・「なんで愛国者を逮捕する必要があるの、隠すのが間違ってるんじゃないか。隠す政府が売国的だよ、出す人間が愛国的だよ。そんなこと全部日本人は判ってるよ
・「大事な情報なんだから、なんで日本人が知らずに済むの、あきれ果てる、この内閣」
11月12日
・「やった人間は僕は愛国的だと思うよ、その人間を売国内閣が罰する資格があるのかね、それは世間が決める事だけどね、やってることが本当に無能というか、見てられないな、ほんとにもう」


翌年2月14日には一色氏の記者会見が行われているが、石原は質問者として立つ。
「あなたの愛国的な行動に国民を代表して、心からの敬意と感謝を申し上げます。
売国奴の集まりのような内閣が愛国者を告訴したり、起訴したり、告発したりすることができるわけがない。
私は国民の声なき声が、政府を暗に動かしたと思うのですが、あなたが退職するという残念な結果になったことは、きわめて遺憾です」と伝えた。


世論調査
・事件後には海上保安庁広報室に様々な問い合わせや意見が殺到していた。
最も早い通報は5日の0時30分。
内容は「海保の関係者であっても処分はしないでほしい」「犯人捜しはしないで欲しい」などといった意見が83件、情報管理の甘さを指摘するものが14件で、「なぜ今まで映像を公開しなかったのか?」という意見もあった
その後も同様の激励の意見が相次ぐ。

11月8日。仙谷官房長官はこのような事態に不快感を示した。


世論調査
共同通信社実施
実施日:2010年11月12日 - 13日 方法:電話意識調査


1.政府が衝突の映像を公開すべきか?

公開すべき   88.4% 

公開すべきでない   7.8% 

わからない・無回答   3.8% 


2.この映像は政府の機密情報に当たるのか?

機密に当たらない   81.1% 

機密に当たる   13.2% 


産経新聞社実施
実施日:2010年11月12日 - 16日 方法:電子調査

1.映像を流出させたとされる海保職員の行動を支持するか

YES   95% 

NO   5% 


2.映像公開を避けてきた政府の対応を評価するか

YES   2% 

NO   98% 


2.政府は今からでも映像を国民に公開すべきか

YES   98% 

NO   2% 



【ブームと英雄化】

・人々の間で「sengoku38」は、大きな関心と高い人気を呼んだ。

アイドルグループの「AKB48」をもじった「SGK38」の他にも、替え歌「見せたかった」(AKB48の「会いたかった」の替え歌)やTシャツ、マグカップなどが登場。
「内部告発無罪」「よくやった! sengoku38」と一緒にプリントされたものもある。
2010年のネット流行語の銀賞ともなり、一大ブームを巻き起こす。

映像流失後の抗議活動は記事3を参照。

11月14日。
海上保安官が取り調べを受け、連日宿泊を続けている神戸海上保安部と第5管区海上保安本部が入る神戸第2地方合同庁舎前において数百人規模のデモが行われた。
参加者は日の丸を手に「政府はビデオのすべてを公開しろ」「sengoku38を守り抜くぞ」などとシュプレヒコールを繰り返す。

また、11月5日午前8時30分頃には、埼玉県川口市の川口駅東口デッキにて、通行人が段ボール箱を発見し警察に通報しているが、箱の中にはYouTubeの衝突映像と同じ映像が収録されているものと見られるDVD282枚が入っており、箱には「ご自由にお取りください」などと書かれていた。
さらに、民主党政権を批判する内容のビラも30枚ほど発見された。


【中国の反応】

・映像流失後も、中国の一般市民の意識はあまり変化はなかったようだ。
オリジナルに近い映像はともかく、加工した映像も配信されていたらしい。
一方、非を認めつつ魚釣島は中国の領土と主張する者も多い。

そもそも、中国国内においては、中国領海内に日本の巡視船が侵入、漁船に追突したと報道
信じ込んだ人々が暴走する中、冷静に嘘を見抜いていた知識層も多い
デモが比較的貧しい内陸部に多かった理由であ。
だが、この事件を受けて2012年に尖閣諸島が正式に日本の国有化された際には、再びさらに大規模な暴動デモが起きる。
(後述)

中国政府は外交ルートを通じて日本に「関心の表明と憂慮の意」を表す。
崔天凱外務次官は、「日本側に誠意があるなら困難を克服し、(中日関係の修復を)妨害しないよう努力すべきだ」と発言。
さらに外務省にあたる外交部の洪磊副報道局長は「(映像によって)真相を変えることはできず、日本側の行為の違法性は隠せない」、「日本が中国の釣魚島(尖閣諸島の中国名)海域で中国漁船の進行を妨害・追跡・取り囲んだことが衝突を引き起こした」などとする談話を発表、それまでの「中国漁船が日本の巡視船に衝突された」との事件認識を若干修正したものの、自国の非は認めず。

田母神俊雄氏の指摘通り、これは大がかりな情報戦争が仕掛けられているにすぎない。
中国の情報戦略として、
1:問題のない事象に言いがかりをつける
2:国をあげて騒ぎたてる
3:懐柔策として問題の棚上げを提案
4:結果的に問題自体を既成事実化
があげられ、2010年10月30日現在は第2段階であると指摘。

中国に対し、さらなる厳重注意が必要だと国民レベルで思い知らされた事件でもあった。

が、不思議なワンダーランドの国・日本では、相変わらず報道メディアと人々の意識と現実が乖離したままである。
このような矛盾を抱えつつ崩壊すらしない社会とは、他国にとっても大きなオカルトだろうと思う。




関連記事






2010年9月7日、尖閣諸島付近で中国漁船と、日本の海上保安庁との間で一連の事件が発生した。
この事件そのものは「尖閣漁船事件」「中国漁船衝突事件」とも言うらしい。

後に詳しく紹介する予定だが、当時、中国は「釣魚島(尖閣諸島)は中国固有の領土」と主張し、諸島周辺に多くの船が出没していた。(現在もあまり変わらないかもしれないが・・・・)
日本の海上保安庁は違法操業と認定、領海内に侵入していると指摘し、いたちごっこが連日続いていた

9月7日当日、巡視船「みずき」が、中国籍の不審船を発見し、日本領海からの退去命令を発する。
しかし、中国漁船は命令を無視、違法行為を続行した。
さらに、逃走時には巡視船「よなくに」と「みずき」に衝突し2隻を破損させている。
海上保安庁は、同漁船の船長を公務執行妨害として逮捕に踏み切った。

これらの報道は各地で論争を巻き起こし、中国側は日本政府に強く抗議を勧告した。
この頃、実は尖閣諸島はまだ国有地ではなく、あくまで日本人個人の私有地扱いであった。

そのためか、日本国内でも中国に取られてもいいのではないか・不都合はないのではないか等といったトンチンカンな報道がなされ、そのように思う日本人も少なくなかったようだ。
実際には、国際的な問題や領海問題、政治的手法など問題が山積みではあったが、ある意味、政治的問題に疎くなりがちな日本人の隙をついた国際的犯罪(侵略)に近い

当時の都知事石原慎太郎氏は強く反発したものの、菅直人首相と前原誠司外務大臣(当時)は中国政府の「制裁措置」等を受け、比較的中国側に有利な状況に陥りつつあった
中国政府は、自国による諸島周辺の定期的なパトロールを宣言、逮捕された船長も不起訴(処分保留)で釈放される。

日本国内でも日の丸の国旗を捧げた市民デモが湧きあがった

保安庁の巡視船には記録のためのビデオが設置されており、その映像内容も編集して短くしたものではあったが管首相ほか数人のみの視聴であり、一般には公開されなかった。
野党自民党(当時)及び世論でも映像公開を強く要望したが、政府と与党はこれを拒否した。


衝突の様子を記録した映像がYouTubeにupされたのは、同年11月4日、。
これは、国家が管理すべき映像が勝手に流失されたものであり、通常ならば許されざる情報漏洩である。

しかし、この映像は瞬く間に国内に広まり、中国漁船のあまりにも悪質な嫌がらせ・露骨な衝突行為は人々を仰天させた。報道とは全く異なる状況に、初めて危機感を持った者も多かったと思われる。




実際の映像は7分ほど。

この映像により、日本国内の世論は全く逆方向に進みだす。
現在のスプラトリー諸島の状況を考えれば、相当際どい状況であったことがうかがわれる
「平和ボケ」という言葉もこの頃から多く認識されるようになった。

海外の報道機関も大きく動きだし、あまりの事にマスコミも連日報道し始めた。
他国であれば、即戦争勃発しかねないトラブルであり、国際的に注目を集めるのは必須であった。

後に、流失させた本人は自ら出頭。
映像が流失した原因は、このような重大な映像であるにも関わらず、海保大学にて職員が自由に閲覧・持ち出せる環境であったからである。

この映像は中国でも配信されたが、現在は規制により削除されているという。


関連記事






2月28日。9日間にもわたって展開し日本国中をゆるがした大事件は、ようやく幕切れとなる。


⁂記事1と同じ映像

【山荘の崩壊】
・2月28日
09:00
警察による投降勧告の開始。

⁂実はこの時、あさま山荘に隣接する山荘で数名の機動隊員が控えていたのを吉野が発見し、散弾銃を構えたものの、結局は発砲しなかった。

09:55
警察による最後の投降通告。犯人グループは反応せず。

10:00
機動隊による突入開始
同時に建設機械のクレーン車に下げられた重さ1トンの鉄球が山荘に激突、玄関脇の階段の壁に穴が空く
放水、ガス弾の援護を受けつつ各機動隊が1階、2階、3階部分に突入。1階と2階は無人だった。

「あさま山荘事件」の画像検索結果

10:07
3階に突入したした第二機動隊に向け発砲があり、機動隊員の盾に命中。
弾丸は盾を貫通し、機動隊員らは2枚の盾を重ねて使用
犯人らは散弾銃、ライフル、拳銃で応戦し、銃撃戦が開始された。

11:27
放水指揮を執っていた警視庁特科車両隊中隊長の警部が被弾し、1時間後に死亡
撃ったのは吉野か坂東か、特定できていない。

11:47
坂東の狙撃により、第二機動隊伝令の巡査が左目に被弾。(後に失明

11:54
やはり坂東の狙撃で第二機動隊隊長の警視が被弾同日午後4時1分に死亡する。


11:56
山荘内に突入し、3階の厨房で指揮を執っていた第二機動隊4中隊長の警部が、吉野と加藤倫教の2人に狙撃され頭に被弾。

あまりの惨状に人質女性は被害者を増やさないために自分を楯にして外に出れば良いと、逆に坂口に訴えるほどだった。

12:30
一旦警察の攻撃が止む
この隙に犯人らは全員がベッドルームに集合し、慌ただしい食事をとっている。
また、この間に空いた穴などの応急処置を行っているが、簡単で単純な方法で塞ぐことしかできなかった。

12:45
坂口が山荘にカメラを向けていた報道陣に向けて銃を発砲信越放送の記者が被弾し、負傷する。

「あさま山荘事件...」の画像検索結果
望遠カメラで逮捕の瞬間を待つ報道陣

14:40
山荘はすでに丸裸に近く、機動隊員が入り込んでいた。
厨房に機動隊が集まっているのを吉野が発見し、坂口が鉄パイプ爆弾を投げ込む。

爆発により第二機動隊4中隊の分隊長が右腕を砕かれる重傷を負い、他4名が全治数日の聴覚障害を負う


「あさま山荘事件」の画像検索結果

15:30
極寒のなか、再び放水開始。
ガス弾が撃ち込まれ、催涙ガスが山荘内に充満した。呼吸ができなくなった坂口が窓を叩き割る。(映像の場面

15:58
第二機動隊の2名の第2小隊巡査が銃撃され、顔面に被弾し負傷する。
坂口・坂東・吉野のいずれかに撃たれたとみられるが、確定できず。


17:00
ようやく機動隊が犯人らの立てこもるベッドルームの接近に成功、少しずつバリケードを取り除いてゆく。

17:20
坂口と坂東の銃撃により、第九機動隊巡査が被弾、負傷。

17:55
坂口・坂東・吉野が乱射し、第九機動隊巡査部長の顔面に被弾、負傷。

18:10
ベッドルームの壁に穴が開き、第九機動隊長・大久保伊勢男警視の命令で28人の機動隊員が突入した。
第九機動隊巡査が至近距離から坂東の銃撃を受け、右目に被弾、失明する。

その直後、機動隊により犯人全員が逮捕人質は無事解放となった。

8時間に及ぶ突入・逮捕劇はあますことろなくメディアに報道され、犯人グループが連行される様子もまた中継されている。山越え坂口に中に靴が破れた植垣に靴を貸したため、坂口は雪の中を裸足のまま連行された。

「あさま山荘事件」の画像検索結果

「あさま山荘事件」の画像検索結果

さらに逮捕時犯人フループは、もっと多くの銃200発以上の弾丸3個の爆弾(濡れて使用不可)、銀行強盗などで収奪した75万円の現金が見つかっている。


一方、坂東の実家では朝からテレビで実況中継で事件を見守っていたが、その日のうちに父親が首を吊って死亡しているのが発見されている。遺書には人質となった女性へのお詫びと、残された家族へのメッセージが記されていた。


【制圧作戦】
・もう少しわかりやすくするために警察側の作戦内容を追う。
前述したように山岳ベースによるリンチ事件は表面化しておらず、圧倒的に警察側の情報が不足していた。

⁂自発的に「連合赤軍」に合流・参加する者もいれば、離脱(脱走)または逃亡する者もおり、全体像の把握は困難だった。

そのため人質の安否が最優先でありながら、「連合赤軍」メンバーを生け捕りにして全容を明らかにするチャンスでもあり、一方的に銃を乱射されながらも警察側からの発砲は硬く禁じられていた。

1970年の交番襲撃事件で過激派男性が初めて射殺され、活動家たちの間で英雄・神格化し、さらに犯行がエスカレートした背景も大きな一因となる。
ギリギリまで犯人らを心理的に追い詰め疲労したところを一気にたたみ込む作戦が取られ、事実、警察側には死者が出たものの犯人ら5人の命に別状はなかった。。

送電の停止、騒音(擬音)による不眠、氷点下における放水の他に、メンバーの肉親による説得工作、特型警備車の強硬偵察による心理作戦などが行われ、国際情勢の変化も伝えられた。
特に犯人らの親は説得に必死であり、あまりの真摯さに涙ぐむ機動隊員もいたほど。
だが、説得は成功したとは言えず、逆に警察が親の情を利用したと犯人を逆上させる結果となった。

やがて作戦は具体的な制圧作戦に移る。
長時間の検討を経て、クレーン車による鉄球で山荘の壁と屋根を破壊し、2方向からの突入・制圧が決定。

山荘は3階建てであり、犯人グループは3階、人質は2階に隔離されていると警察は考えており、そのため重点的に階段付近を破壊した。
(階段を使用不可にすることで人質と犯人を引き離すため)


⁂一見荒っぽく見える鉄球破壊だが、山荘は崖の途中に建っており、下手に建物を攻撃すれば山荘自体が崖から転落する可能性があった。実は緻密に計算された攻撃方法であり、屋根を破壊した後には鉄球を鉄爪に替え屋根全体を引き剥がす予定だった。

「あさま山荘事件...」の画像検索結果

しかし人質は犯人らとともに3階におり、鉄球も作動不可能となり、作戦は急遽変更される。
また、数人の被弾者を経てようやく警察側は拳銃使用の許可に踏みきったが、相次ぐ負傷者に現場は混乱し、完全に命令が伝達されることはなかった。
数人が発砲したものの、威嚇発砲のため犯人らは無傷のまま。
狙撃手も配備はされていたが、結局発砲はせず。

最も多くの被害者を出した第二機動隊は山荘の3階の突入部隊であり、第九機動隊は屋根から侵入する予定だった。
爆弾が使用されるに至り、指揮系統が変更され第二機動隊は1階2階部分に後退。
改めて第九機動隊の3階部分に突入する。
が、大量の放水のため、夜になれば人質が凍死する可能性が懸念され、当日中の解決を急ぐ。

午後5時半以降は放水(水圧)によって犯人が立てこもる部屋の壁が破壊されつつあり、負傷者を出しながらも6時過ぎには部屋の突入に成功無事鎮圧した。


⁂当初、警察側のヘルメットには指揮官表示が明記されていたが、犯人らは次々と指揮官を狙って狙撃
そのため途中からへルメットから表示を外している。


【事件後】
・この事件を最後に連合赤軍幹部は、全員が逮捕されたことになり事実上壊滅した。
未逮捕の幹部が2人いたが、いずれも山岳ベースで殺害されていたことが判明
また取り調べが進むにつれ山岳ベース事件が発覚、死体が発見されるに従い、逃走していた連合赤軍メンバーも次々と出頭する。

裁判時には、切り離す事ができないとして山岳ベース事件も含めた連合赤軍事件として起訴され統一公判となる予定だったが、後に様々な祖語が生じ、別公判となる。

最終判決(1993年)
坂口弘・・・・・死刑
吉野雅邦・・・・・無期懲役
加藤倫教・・・・・懲役13年
加藤元久・・・・・中等少年院送致

しかし1975年、中東に脱出した日本赤軍がテロ事件「クアラルンプール事件」において、人質と坂東國男と坂口らの釈放を要求坂東は超法規的措置として釈放され、日本赤軍に合流現在も国際指名手配されている。
坂口は自ら法廷闘争を望み、釈放には応じなかった。

「クアラルンプー...」の画像検索結果

⁂クアラルンプール事件・・・1975年日本赤軍がマレーシアのアメリカ・スウェーデン大使館を武力占拠。収監中のテロリスト7人の釈放を要求した。
 
まだ学生だった若者達が起こしたこの事件は、一体何だったのだろうか。多くの人が今も解決できすにいる。
坂東が逮捕されないかぎり、事件の真相は不明のままと考える警察関係者も多い。


関連記事
【事件・テロ】あさま山荘事件 1
【事件・テロ】あさま山荘事件 2
【事件・テロ】あさま山荘事件 3

事件発生時、既に逮捕されていた連合赤軍リーダーの1人・森恒夫は、責任を取って彼らを説得して投降させ、全員の命を救って見せると主張。
現地に連れて行くよう警察に要求した。
しかし、その前に供述するように指示されると一転して供述を拒否
後に自らこの時の行動を「敗北主義」と自己批判している。

⁂この時点では山岳ベース事件(12人のリンチ殺人)は発覚していない。

「あさま山荘事件」の画像検索結果
ベランダにバリケードを作る犯人達

【事件の経過】

・2月20日 
山荘に立てこもった翌日、坂口・坂東・吉野の3人で協議が行われた。
10代の加藤兄弟には決定権はなかったらしい。
吉野は強行突破を主張したが、坂口と坂東は却下する。
あくまで坂口は人質を利用するつもりだったが、仲間の前で「人質でない」と言ってしまったため、露骨な態度を取ることはできなかった。

吉野は籠城して抗戦すれば死ぬだろうと考えており、坂口も死んだ仲間への償いのためにも最後まで国家権力と戦うしかないと主張し、説得する。
その結果、戦って死ぬ「徹底抗戦」が決定され、1日でも長く戦うことが死んだ仲間への償いになると結論づけられた。

⁂吉野の妻と加藤兄弟の長兄(加藤は3兄弟)はリンチ殺人で死亡。

だが、やはり吉野は一貫して無関係の人質を拘束することに反対だった。そもそも死を覚悟した徹底抗戦なら、人質は必要ない。
妻の解放を提案したが、坂口は身元が発覚する恐れがあるとして許さなかった。
(実際には籠城をできるだけ長期化させるため。人質がいれば簡単には攻撃されないと踏んだ)

山荘には食糧が備蓄されており、さらに宿泊客のための食材もあったため、犯人らは1ヵ月は籠城可能と考えていた。(実際には9日間で陥落)
坂口から決定事項の連絡を受けた加藤倫教は、結局は「(警察に)捕まるか、殺されるかしかない」と知り、落胆したという。

5人の中で最も立場が強かったのは坂口である。
この日、ようやく人質は坂口によって縄を解かれたとされるが、同じように縛られたまま死んでいった仲間の姿と重なったためだという。無論、誰も意義を唱える者はいなかった。

⁂後に一緒にご飯を食べた等、犯人グループと人質女性との心の交流もあったというデマ報道が流れ、女性へのバッシングも湧き上がった。
しかし実際には女性は一日一食しか与えられず、26日以降は1日にコーラ1本で凌いでいた。
(後に坂口が出版した本の内容にも、あたたかい食事と心の交流があったとの記述あり。しかし妻本人は強くこれを否定している)

「あさま山荘事件」の画像検索結果

・2月21日
彼らが所持していた武器は、散弾銃ライフル拳銃パイプ爆弾など。
この日には犯人グループは盗聴などから身元が割れることを警戒し、コードネームで呼び会うようになる。
しかし実際には前に立てこもった別荘から吉野の指紋が検出されており、吉野と坂口の存在を警察側は把握していた。

警官隊への発砲はあるものの要求の類いは全くないまま、午後2時頃、心配した人質の夫が妻へと手紙や果物を指し入れしたいと申し出る。
人質の安否も不明のなか、指し入れの旨を伝え第九機動隊隊長の大久保伊勢男警視が丸腰で山荘に近づき、玄関前に果物カゴを置いて離れたが、やはり何の反応もなく、カゴはそのまま放置された。

17:00頃、
吉野と坂口の母親が現場に到着。
坂口の母親は拡声器で必死に息子に呼びかけ、人質の交換を申し入れるがやはり山荘からの反応はなかった。

19:00
アメリカ合衆国のニクソン大統領(当時)が中国を訪れたニュースが報道され、山荘内のテレビでそれを知った「連合赤軍」戦士たちは驚愕した。

加藤倫教「連合赤軍少年A」より
私や多くの仲間が武装闘争に参加しようと思ったのは・・・(中略)・・・・(日本とベトナムと中国とアメリカによる)世界大戦になりかねないという流れを何が何でも食い止めなければならない、と思ったからだった。
(中略)その大前提が、ニクソン訪中によって変わりつつあった。
――ここで懸命に闘うことに、何の意味があるのか。
もはや、この戦いは未来には繋がっていかない……。
そう思うと気持ちが萎え、自分がやってしまったことに対しての悔いが芽生え始めた。


ここに不思議な矛盾がある。
本来の武装過激派赤軍派が目指していたものは敵国アメリカと「世界革命」たる環太平洋革命戦争を起こすことだった。戦争を起こさないために戦うという考えは基本のイデオロギーとは正反対である。
これは彼らの精神的幼さや勘違いといったレベルの問題を超えている。

この日以降彼らの行動は徐々に「壊れて」ゆく。

「あさま山荘事件」の画像検索結果

・2月22日
午前
依然として警官隊への発砲が続くなか、吉野の母親が説得を呼びかける。
「母親が撃ますか」との問いに、吉野本人が銃撃で応え、銃弾は母親の乗る装甲車に命中した。
坂口が「君の母親はインテリだから」(インテリ=ブルジョワ的なので総括(リンチ)の対象になる)と声をかけると、吉野は泣いていたという。

昼頃
新潟市内に住む民間人が、警察の包囲網をすり抜けて突然山荘の玄関前に現れる珍事が起きる。
(山荘は崖の途中にあるため、男性は反対側から単身入り込んだ)
「文化人」と名乗った男性は、立てこもりグループに「人質の身代わりになる」と言って近づいてゆく。
坂口は私服警官ではないかと疑い、吉野は男性に向けて威嚇発砲を続けた。
しかし男性は全く動じず、警官隊にウインクまでしてみせる余裕を見せる。
現在では考えられないかもしれないが、当時は連合赤軍に共感する者も少なからずいたらしい。この男性もまた同じように感じていた可能性も否定できない

「あさま山荘」の画像検索結果

「あさま山荘」の画像検索結果

警察は「この人は警察官ではなく民間人だから撃たないように」と呼びかけ続けたが、ついに耐えきれず坂口が拳銃で狙撃する。男性は一旦は倒れたが自力で脱出し、そのまま機動隊員に保護された。

男性はすぐに病院に搬送されたが、脳内に拳銃の銃弾が残されたままであり、3月1日に死亡する。
この男性が、直接の攻撃を受けた最初の犠牲者となる。
また、これにより犯人グループがライフル・散弾銃や爆弾の他にも拳銃を所持していることが判明した。

だが、これがきっかけとなり膠着状態がやや動き出す。

14:40~
長野県警の者が機動隊の特型車の影に隠れて山荘に接近を試みたが、車の速度と歩調の乱れ、凍った道路に足を取られるなど車体の影から体が露出してしまった。
すかさず、吉野と坂東が狙撃
1人が右足膝を散弾銃で撃たれて倒れ、助けようとしたもう1人は首筋をライフルで撃たれて重傷を負う。

これは現場判断で行われたものであったため失態扱いとなり、山荘周辺の警備実施は以後は警視庁機動隊が指揮をとることになる。

20:10
山荘の送電が途絶える。その後も送電はなかったが、人命尊重を考えガスと水道はそのまま補給され続けた。
(現場は氷点下であり、警察官らのための弁当も凍るほどだった)

⁂それまであえて送電していたのはテレビで米中首脳会談を見せるため。

23:16
警察の投光器の照明塔が山荘から狙撃される。(狙撃者は不明)

この日も警察側が政治的主張を訴えるよう要請していたが、やはり山荘からの反応はなかった。
(メガホンを届けた日)

だが実際には内部では連日論議がなされていたらしい。
吉野は主張すべきと訴え、坂口は「黙って抵抗していくことが我々の主張」と拒否し続けていた。

・2月24日
01:00頃(実質23日深夜)
犯人の不眠のための擬音作戦が開始。
これは彼らの疲労を狙ったものであり、地味ではあるが非常に効果的な結果をもたらすこととなる。

但し、作戦開始の合図のはずの照明弾が不発だったために、別の照明弾を発射したところ、1発目も作動してしまい2発の照明弾が打ち上げられてしまった。
これは「犯人らによる強硬突撃」の合図でもあったため、緊急配備が行われるなどの混乱も生じた。

⁂擬音作戦・・・銃撃音などを録音・再生して攻撃されているかのような錯覚を起こさせる作戦
25日以降は音に加えて投石による衝撃も加えられ、実際に犯人達は不眠に悩まされ、疲れ果ててゆく。


05:00~06:00
人質の親族による呼びかけが行われ、坂東の母親も同席した。
坂東の指紋も検出され身元が割れた)
人質である女性は親族を安心させたいと思い、せめてバルコニーに出してくれと頼むが、坂口がこれを拒否。

09:30
坂東の母親による説得の呼びかけが行われる。が、山荘からの反応はなし。

⁂親族らの呼びかけの声は山荘の内部にも届いていたおり、彼らは黙って聞いていた。


12:00~

警察による山荘への放水開始
犯人らは散弾銃で応戦したが、水圧で玄関のドアやバリケードは破壊された。

「あさま山荘事件...」の画像検索結果

・2月26日
25日夜から現場は濃い霧が発生しており、吉野が霧を利用した脱走を提案する。
排水管・浄化槽などを調べ逃亡できそうなところを探したが見つからず、あきらめたという。

09:30
再び人質の親族による呼びかけ。
人質の女性はもう縛られてはおらず、顔だけでも出させてくれと頼むも、坂口はやはり拒否。

既に仲間を連続殺害していた坂口は何を考えていたのだろうか、人質女性に何故命を粗末にするのかと聞かれ、笑って何も答えなかったという。
女性は、(人質ではないのなら)自分を盾にしない事、もし裁判になっても証人として呼ばないで欲しいと坂口に頼み、坂口もこれを了承。
女性のバッグから善光寺のお守りを取りだし、彼女に渡すと、女性は自分でお守りを首にかけ、そのまま横になった。(ベッドの上が、彼女の定位置だった)

⁂坂口はこの約束を守り、後の裁判時に弁護人が彼女を要請するのを拒否している。

坂東は玄関近くにいる警官隊に爆弾を投げつけ、逃げ遅れた警官を人質に取ることを思いつく。
(警察官で=敵であるため。実際に他の事件でも警官や機動隊員が殺害されている)
坂口も縛り上げてベランダに吊るそう等と同意したが、爆弾を投げるための穴を開けることすらできず、これも簡単にあきらめている。

18:40~
連合赤軍メンバーの寺岡恒一の両親が現場に到着、呼びかけ説得を開始する。
寺岡は既にリンチ殺害されていたが、事件は表面化しておらず、警察も両親も一緒に山荘内に立てこもっていると考えていた。

⁂後に坂口は本の中で、誰かが「この世にいない者の親を呼ぶんだからなぁ」と言うのを聞き、「言いようのない胸の圧迫感」を感じたと記述している。

この夜、山荘内でちょっとした争いが起きる。
坂東がつまみ食いをしたことに吉野は激怒。坂東・坂口両名に強い不満をぶつけ、坂東の総括(リンチ)を要求した。吉野の妻は総括で殺されており、場を宥めるために坂口は坂東に自己批判を求めた。

⁂自己批判・・・・自分の問題点や欠点を並べ立て、いかに自分が駄目な人間かを周囲の人々に説明する。
これは自己崩壊につながり、繰り返されるとマインドコントロールに近い状態となる。


この時、犯人グループは、人質である女性に対し警察側でも犯人側でもない「中立」の立場に立つことを要求
促されるまま女性は「中立を守る」と答え、犯人達は「殺されるまで闘い抜く」、「最後まで闘い抜いて死ぬことは意義あること」と発言していた。

・2月27日
吉野の両親、寺岡の父による呼びかけが行われる。
が、午後には事件関係の報道が突然ピタリと止まった。

これは「取材・報道協定」によるものであったが、ラジオでニュースを聞いていた犯人達は不信がり、全員で事態を協議・相談したが、結論はでなかった。


関連記事
【事件・テロ】あさま山荘事件 1
【事件・テロ】あさま山荘事件 2
【事件・テロ】あさま山荘事件 3

1972年2月。軽井沢にて日本国中を揺るがすテロ事件が起きた。

舞台となったのは、浅間山の山荘(あさま山荘)。
事件当時、過激派グループ「連合赤軍」は都市部を離れて山岳地帯に潜伏、離脱者及び逮捕者が続出していた。
追い詰められた最後の連合赤軍メンバーらが、偶然入り込んだ山荘の管理人の妻を人質に立てこもり銃撃事件を起こす。これが「あさま山荘事件」である。
当時の山荘には宿泊客もいたが、管理人夫とともに外出中だった。

立てこもりが続いたのは19~28日の10日間。
警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が厳重に包囲していたにも関わらず、事件が長期化したのは、人質の無地救出を最優先にし、犯人らの射殺を禁じた部分が大きい。

また、武装グループは発砲を繰り返したが、一切の主張も要求もなく、警察側の要求・説得にも応じず、情報が圧倒的に足りなかった。
メンバー全員の身元も不明、人数も不明。(本来29名のうち、この時点で8名が逮捕済み。しかし別班グループの存在の可能性もあり、対応は慎重を極めた)

カーテンの閉め切られた山荘内部の様子は全くわからず、人質の安否どころか、状態すら不明。
不定期に警官隊に発砲を繰りかえす以外は全く無反応の犯人グループは、ひたすら不気味であり、警察側がわざわざメガホンを届けてアジ演説を促すほどだった。

崖に建てられた山荘は眺めの良い立地ではあったが、その地形もまた犯人グループに有利に働いた。
警察の発砲も突入まで硬く禁じられており、一方的な被害の増える要因となる。

「あさま山荘事件」の画像検索結果

しかし最終的には人質女性の監禁時間が200時間を超え、28日には機動隊らが人質救出作戦を決行
人質は無事救出したものの、3名の死者(民間人1人)と、27名の重軽傷者(機動隊員26名・報道関係者1人)を出す惨事となる。
一方、蓋をあけてみれば犯人達はたった5人であり、皮肉にも全員無事で逮捕された。

また現場には報道陣も殺到しており、その強行突破劇も全てライブ中継されている。
酷寒の2月における警察と犯人グループの攻防、クレーンで吊るされた鉄球での山荘破壊の様子、放水、血塗れで搬出される機動隊員など、衝撃的な様子がそのまま中継放送された。
NHKは10時間以上にわたる特別報道番組で視聴率50%以上を記録。
民放テレビ局の総世帯視聴率は9割に近い。



しかしその後、多数の総括(リンチ)死体が次々と発見され、人々は2重のショックを受けることになる。
山岳ベース事件


【連合赤軍】
・もともとは激化した共産党運動団体の日本新左翼組織連合赤軍派に属す。

⁂新左翼組織連合赤軍派は、本来の共産主義思想とは全く異なる。
ややこしいのだが、共産思想には第一期と第二期があり、第二期(第2ブント)の赤軍派は関西地方の「関西派」他が中心となって結成された。
赤軍派の目指すものは暴力による政治革命であり、実際に交番襲撃事件など複数の凶悪事件を起こしている。(派内では戦争と呼んでいた)


だが、1969年に赤軍派による大菩薩峠事件首相官邸襲撃未遂事件)が発覚し53名が逮捕され、組織は壊滅状態に陥る。
翌年1970年には「よど号ハイジャック事件」が発生し、9人の赤軍メンバーが北朝鮮へ亡命
さらに1971年には他のメンバーも中東に脱出し、パレスチナ解放人民戦線と合流(テロ組織)。
結果として日本に残されたグループが合流し、連合赤軍となった。
彼らはただのテロリストでしかなかったが、自分達では思想主義者だと思い込んでいた節がある。

赤軍派中東脱出組=日本赤軍は、その後も凶悪な国際テロを繰り返し、国際指名手配となる。
数人は現在も逃亡中。



【崩壊する組織】
・連合赤軍の前身組織(日本共産党神奈川県委員会・共産主義者同盟赤軍派)は、以前から銀行連続強盗、鉄砲店襲撃事件などの凶悪事件をくりかえしつつ逃走しており、警察は徹底して捜査。
追い詰められたメンバー達は群馬県の山岳地帯に拠点として「山岳ベース」基地を設立。連合赤軍を旗揚げした。この時のメンバーは29名

だが、彼らの組織は内部崩壊してゆく。
グループ内で「共産主義化された革命戦士になるため」総括と称して凄まじい虐待・リンチ事件が横行し、事件前には既に12名が仲間によって密かに惨殺されていた事が後に判明した。

警察による逮捕者は8名。
離脱者(脱走者)が4名。
死者が12名。
この時点では不明だったが、残っていたメンバーはまさに5人のみ。
坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久である。

「坂口弘」の画像検索結果
銃を構える坂口弘(25歳・当時)と吉野雅邦(23歳)

「坂東國男」の画像検索結果
連行される坂東國男(25歳)

「加藤倫教」の画像検索結果
加藤倫教(19歳)
弟の元久は16歳だった。

・1972年2月16日
ラジオの放送で坂口らは、群馬県警の山狩り捜査でベース(基地)跡地が発見された事を知る。
そこは直前まで彼らが使用していた場所であり、慌てたグループは急遽山越えして長野県に逃走を決定。
連合赤軍の最高幹部は2人の男女だったが、資金調達のために都内に出ており不在だった。
そのため拠点移動は、組織の実質No3の権力を持つ坂口を中心に実行された。

別行動の仲間と合流点を見つけるべく、先発隊として坂口含む4人が車で移動の際、途中で指名手配中の坂口ともう1人(植垣康博・後に逮捕 )が警察の職務質問に引っかかる。
しかし2人は仲間を残して逃亡
残された2人は車内に籠城するも、9時間後には逮捕された。

一方、逃げた坂口らは他の3人と合流し、山中を通って長野県佐久市方面に向かうつもりだったらしい。
だが道に迷い、偶然軽井沢へと出てしまった。
当時は軽井沢はまだまだ新しい別荘地であり、彼らは自分達がどこにいるのかさえ知らずに潜伏を決定。

⁂連合赤軍グループ最高幹部の2人(森恒夫・永田洋子)がニュースを知ったのは15日であり、仲間と合流するべくベースに戻ってきたところを17日に逮捕されている。2人とも逮捕時には抵抗したものの、結局のところベー
スに戻る方法で意見が食い違い、そのため警官に先回りされてしまったというお粗末な結果を招く。

「あさま山荘事件」の画像検索結果

・2月19日
午前中に4名のメンバーが食料の買い出しに出、軽井沢駅で4名全員が逮捕。(植垣含む)
通報のきっかけは、長期間入浴しなかったことによる悪臭だった。


【事件の発生】
・2月19日 
5人は無人の別荘に侵入。
食料を得て休憩していたところ、長野県警機動隊の捜索に気づきパトカーに向かって発砲
機動隊との応戦が始まった。

・同日 15:20
銃を乱射しながら5人は包囲網を突破。逃走手段(自動車)のある家を探し、あさま山荘を発見する。
夫と宿泊客は外出中で、31歳(当時)の妻のみが在宅していた。
坂口は「騒いだり逃げたりしなければ危害を加えない」と告げ、妻を人質に立てこもりを決定。
妻は縛られ、口には布が詰め込まれた。

しかし、ここで意見は大きく対立する。
坂口と坂東は人質と交換条件として、永田の釈放とメンバーの逃走を計画
しかし吉野は人質を取ることを良しとせず車を奪って逃走することを提案
が、妻は車のキーは夫が持っていると答え、5人は逃走を素直に断念した。
だが実際には車のキーは玄関にあった。(余談だが全員が無免許)

「連合赤軍」そのものが10~20代の若者で構成された組織であり、彼らは学生で社会人ですらない。
耳触りの良い理想論や思想に影響を受け行動してはみたものの、想定外の結果に戸惑い思考停止する精神的未熟さは、後のカルト・オウム真理教にのめり込むの信者の姿を思い出させる。

権力の弾圧と戦い、(表向きだけでも)理想を追求するための闘争を行っている連合赤軍が、犯罪行為を行うことは明らかに大きな矛盾となる。
しかし、自分らはあくまで理想のための戦士でなければ自己矛盾に押しつぶされてしまう。

坂口は、人質はあくまで「人質ではなく助けを求めた山荘の管理人」であると宣言
警察の突入に備え畳や家具で即席のバリケードを作った5人の意思は既にバラバラになっており、どうすれば良いのかさえ分からなかった可能性も高い。

後に坂口や加藤らが告白本を出版しているが、その中で、立てこもり中に何度も総括で殺した仲間を思い出す記述がある。とはいえ、彼らが起こした惨劇はあまりに多くの犠牲者を出し過ぎた。


関連記事
【事件・テロ】あさま山荘事件 1
【事件・テロ】あさま山荘事件 2
【事件・テロ】あさま山荘事件 3

↑このページのトップヘ