サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

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死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?67

704 :なげーよ:04/03/01 22:49
高校二年の頃、俺は荒れていた。
楽勝と思われた県立高校の受験に失敗し、低レベルな私立校に通うはめになったからだ。
地方の小都市でのその種の挫折は、都会では想像がつかないほどの敗北感をもたらすものだった。
立ち直れないまま入学したDQN高には、やはり各種DQNが集い、俺も朱に交わって立派なDQNになっていった。

夏休み、俺はDQN仲間3人と真夜中のドライブに出かけた。
勿論、免許を取れる年齢ではなかったが、
一応運転はできたので、親が田舎に行った留守を狙って、家の車を持ち出したのだった。
顔見知りに見られたらまずいので、
用心して人のいない方へいない方へと車を走らせていくと、
やがて町はずれの寂しい場所に出た。

街灯もろくになく、暗く細い道を適当に流しているうちに、古びた神社の跡を発見した。
ライトで照らすと、鳥居も小さな本殿もボロボロで、石段には苔が生え、見るからに薄気味悪かった。
しかし、そこはDQNの見栄で、「心霊スポットかも。おもしろそーじゃん」と、わざとはしゃいで探索し、境内を走り回ったり、建物の隙間をバキバキ広げたりした。


705 :なげーよ:04/03/01 22:50
やがて田中(仮名)が、裏手の木立で一本の剣を見つけた。
幹に刺さっていたという。
剣と言っても、柄は腐ったのか一部しか残っておらず、一枚の刃といった方が正しいような代物だった。
しかし、手に持つとずしっとくる質感に、
阿呆の田中は「お宝鑑定団に出したら、案外値打ち物かも」とか言い出し、
その剣を自分のリュックにしまい込んだ。
俺はいくらDQNに成り果てたとは言え、信心深いおばあちゃんに育てられたので、
「こういう場所から、物を持ち出すのはやばくねえか?」と一応言ってみたが、
「おまえ、なにびびってんの?」と半笑いで言い返され、それ以上は言えなかった。

そのうちに探索にも飽き、俺達は神社跡を出た。
ところが、10分ほど車を走らせた頃、突然車がガタガタ揺れ始めた。
まるでオフロードを走るような激しい揺れ。
いくら田舎でも道は舗装されていたので、もしや故障かと車を停めた。
すると後部座席のヤツらが「わぁーーー!!」とわめき始めた。
ガタガタ震えながら横の窓を指さしているので、
見るとそこには、真っ白な無表情な顔をした人間が数人立っていた。


706 :なげーよ:04/03/01 22:52
いや・・・人間というより、亡者といった方がふさわしいのだろう。
全員白装束で、その目つきはとてもこの世のものとは思えない。
やつらはガラスに掌をぺたっとくっつけて、車を揺すっていた。
俺達が固まっているうちに、亡者はどんどん増えていく。
やがて車は亡者たちに囲まれてしまった。
車の揺れはますます激しくなっていく。

「なんだよーこれー」
助手席の田中が泣き出した。他のヤツらもべそをかいている。勿論俺も。
真っ暗闇の中、白く浮かぶ無数の亡者たちがそんな俺達を見つめている。
そして信じられないことに、車の揺れに合わせて4つのドアのロックがずり上がり始めた。
このままだとドアを開けられてしまう。
いや、亡者ならば次の瞬間、ドアをすり抜けて入ってくるかもしれない。
物凄い恐怖に心臓が止まりそうだった。
その時、地の底からのような低い声が聞こえた。
「かえせーかえせー・・・」
返せ?何を?決まってる。田中が持ち出したあの剣だろう。
「田中!さっきの剣、返してやれっ」
俺は叫んだ。
田中はガクブルしながらもリュックから件の剣を取出した。


707 :なげーよ:04/03/01 22:54
その途端、それまで無表情だった亡者たちは一斉にニヤっと笑った。
そして、田中のそばのドアがバンッと物凄い勢いで開き、
剣をつかんだ田中の手を亡者たちがぐいぐい引っ張り始めた。
「あーーーー」
田中が悲鳴を上げた。
もう『助けて』という言葉さえうまく発音できないようで、首を俺の方に巡らし必死なまなざしを向けてくる。
助けなければ・・・とは思っても、田中に触れたら俺も一緒に引っ張られてしまうと思うと、どうしても身体が動かなかった。
そして田中は闇の中に飲み込まれていった。
バンッとドアが開いた時と同じく勢いよく閉まった。
俺達はしばらく動けなかった。何も言えなかった。

「・・・・田中は?どこに行った?」
その声に我に返って、あわてて窓の外を見たが、亡者も田中もかき消すように消えていた。
外は相変わらずの暗闇。何もなかったかのような静寂。
「どうするよー」
俺は残る2人に問いかけたが、
あの神社に戻ってみようとか、田中を捜しにいこうとか、そんなまともなことは言えなかった。
怖くて怖くて、一刻も早く、生きた人間たちのいる町に帰りたかった。

そして俺達は逃げたのだ。その場所から。


708 :なげーよ:04/03/01 22:55
その後、田中の行方はわからない。
田中が家に戻らないということで、担任から電話があっていろいろ聞かれたが、
俺達は口裏を合わせて、「夏休みに入ってから会っていない」とシラを切り通した。
すべて話しても信じてもらえる自信はなかったし、無免許運転がばれ処分を受けるおそれもあった。
もう何も思い出したくないという怯えもあった。

俺達はそれ以上は追及されなかった。
もともと田中は継母との折り合いが悪く、リア厨の頃から家出まがいのことを繰り返していたので、また家出だろうという結論になったらしい。
何より、継母も担任も熱心に捜す気がなかったのだろう。形ばかりの捜索願が出されただけに終わった。

それ以降、残った俺達はつるむことをやめた。
共通の秘密と罪悪感は、かえって俺達の間に距離を生んだ。
目を合わすことさえ避けるようになっていった。
俺はそれから必死で勉強した。
その町から離れたかったのだ。
念願かない、東京の大学に合格した俺は、その後一度も帰っていない。

しかし、忘れてはいない。忘れようとしても忘れられない。
あの日、田中が引きずり込まれていった暗闇。
そして、その暗闇よりもっと暗い人の心・・・。
田中を見殺しにした俺と、心配するふりはしても結局は田中を見捨てた継母や担任の心の闇・・・。



怖い話@生活板
 
495 :おさかなくわえた名無しさん:2007/04/12(木) 21:24:23 ID:oKBbm2Vf
消防の頃、親父が友人に騙されて破産し、夜逃げした。

荷物は着替えが少しと背負っていたランドセルだけ。
学校から帰ると、靴脱ぐ間も無く車に乗せられ、そのまま関西から関東に。
それが住んでいた家を見た最後だった。

それから色々あったが、今は借金も始末が付き、俺は普通に社会人やっている。
ただ最近になって、趣味で昔のゲーム(スーファミ&PS初期)を買っている。
子供の頃は結構沢山ソフトを持っていたんだが、夜逃げで全部無くしてしまった。
やりかけの物も多かったんで、まあ懐かしさ半分というかそんな感じで。

で、やっと本題だが、この間出張で大阪に行ったんだわ。
そこで空いた時間にスーファミのソフト四本買ってきた。
どれもやりかけで置いて行ったんで、続きが気になっていたやつ。

・・・それ全部俺の持っていたソフトだった。
家帰ってセーブデータ見てびっくりした。
消防の頃の俺は、いつもヒーローに自分の名前(割と珍しい名前。古臭い)、ヒロインに好きな子の名前を付けていた。後は友達とか家族とか。
記憶にある通りの名前で、セーブした所も覚えている限りそのままで。

どんな風にして流れてきたのかは知らんが、四本が四本とも全部俺ので、データも残ったままってのは嬉しいっつーか・・・怖い。


496 :おさかなくわえた名無しさん:2007/04/12(木) 21:27:21 ID:He6BzHCP
>>495
「金ができて再び買い戻した」みたいなものと思えば…。
泣けました(つω;`)  


498 :おさかなくわえた名無しさん:2007/04/12(木) 22:57:49 ID:MGCBFt65
>>495
誰もデータを上書きしてなかったということは、あんたんちから出たソフトがまとめてどこかの倉庫かなんかに仕舞いこまれてて、最近になってそこに流れたということなんだろうなぁ…
縁を感じるいい話だなあ。


500 :495:2007/04/13(金) 00:00:50 ID:oKBbm2Vf
ありがとう。驚きすぎて気味が悪くなったんだが、これは嬉しい事なんだよな。
何かすごくスッキリした。
よし!子供の頃に戻って遊び直してくるぜ!



死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?230

57 :1/11:2009/10/14(水) 00:13:34 ID:RQVGJyVv0
あたり一面山だらけ。
どこを見渡しても山ばかりという地方の出身です。

小さい頃からお世話になっていたお寺に『鐘』がありました。
『鐘』と書いたのには理由がありまして、それは布と縄でぐるぐる巻きにされていたからです。
鐘を撞く丸太もついていません。

なので、ある程度の年頃になってアニメの一休さんなどを見るようになり、
寺の隅の屋根つきの一角にあるべきものは鐘なんだな、ということがわかるようになりますと、
そのぐるぐる巻きの中身は鐘なんだろう、と感じるようになるというくらいで、
誰も中身を見たことはありませんでした。


58 :2/11:2009/10/14(水) 00:14:56 ID:RQVGJyVv0
小学生くらいの時には両親に、「なんでぐるぐる巻きなのー」と聞いた記憶はあるのですが、
両親も由来など詳しいことを知らず、自分たちが両親が子供のころからぐるぐる巻きであり、
『ぐるぐる巻きの鐘』と呼んでいたとのことです。
当然中身も見たことがないということです。

すっかり時が経ち、私は大学進学のため実家を離れます。
夏休みに帰省をすると、田舎と言えど自分の家の周りにも、多少は開発の手が伸びていました。
昔自分の部屋であった場所、今は物置となりつつあるのですが、
窓際から景色を見てみると昔とは眺めが変わっており、自分の部屋から『鐘』のお寺を見ることができました。

お寺は山の上のほうにあるのですが、
自分の部屋からは裏の里山が邪魔をしていて、昔は見えなかったことを思い出しました。
そうか、虫を取ったりアケビを食べたりしたあの山も無くなってしまったか、と寂しがりつつ、
窓から寺を見ていました。


59 :3/11:2009/10/14(水) 00:16:34 ID:RQVGJyVv0
寺は遠いので、自分の家からだと親指の爪程度の大きさに見えます。
夕飯時に、「裏山がなくなって寺が見えるようになったんだね」という話をしました。
すると両親からは、自分が大学に入った直後くらいに無人化してしまい、
法事と祭りの時だけ、別の大きなお寺から僧侶を呼んでいる、と教えられました。

ある夜のことです。
一人暮らしに慣れてしまったせいか、
自分の部屋だというのに枕が合わないような気がして、なかなか寝付けない日がありました。
そのとき「ぐうん」と、低い低い音が聞こえました。

鐘の音?と思い窓の外に目をやります。
満月に近い月の出ている夜でしたが、遠く離れた寺の鐘の様子など肉眼では見えません。
10秒ほど見つめていると、ほんの一瞬だけ人工的な光がチラッと目に入りました。
気になって、小学校のときから使っていた勉強机の引き出しを開けます。
母親が捨てていなければ、とそこにあるはずの双眼鏡を探します。


60 :4/11:2009/10/14(水) 00:17:58 ID:RQVGJyVv0
双眼鏡は昔のまま、そこにありました。
ほこりがついたレンズを覗き込むと、
倍率は低いのですが、暗がりの中にぼんやりと動く人のようなものが見えました。
3名ほどの人間が、鐘撞き小屋のところで何かしているようです。

懐中電灯を持っているようですが、
覆いをしているのか、時折周囲を照らすだけで、様子がはっきりとは見えません。
見たところ、3人がかりで地面に鐘を降ろしたようです。
先ほどの音は、地面に落とした時の音でしょうか。
どうやら、鐘撞き小屋から鐘を出せないでいるようです。

この鐘撞き小屋には、屋根と屋根を支える四方の柱があり、壁はありません。
しかし壁の代わりに、その四方の柱同士が水平の柱でつながれています。
水平の柱は四方のすべての方向につけられていますので、
それが邪魔をして鐘撞き小屋から鐘を出せないようでした。


61 :5/11:2009/10/14(水) 00:19:26 ID:RQVGJyVv0
当時は金属の盗難が流行する前でしたので、何をしているかわからず、
私はただその光景を見ていました。
パジャマで双眼鏡のレンズを拭き、暗闇にも目が慣れてきました。

連中は鐘に巻きつけられた縄に木の棒を通し、2人で棒の前後を持って持ち上げるようです。
鐘撞き小屋から出たか、というところで鐘が落ちました。2人が耳を押さえます。
私がその光景を見た3秒後くらいに、「ごうん」という音が聞こえてきました。

鳥が飛び立つ音、犬が吠える声も聞こえます。
窓から見える家のいくつかに灯りがつきました。
それを見てまた双眼鏡に目を戻すと、連中の姿は消えていました。


62 :6/11:2009/10/14(水) 00:20:23 ID:RQVGJyVv0
次の日の朝、といっても私は昼近くまで寝ていたのですが、母親から「昨日の音、聞いた?」と聞かれました。
洗いざらいを説明するのが面倒だったので適当に答え、また部屋に戻ると双眼鏡を覗きます。
鐘撞き小屋のところに何人かの人が集まっている様子だったので、
何かおもしろいことはないかと、スーパーカブに乗って現場に向かいました。

境内には白い『わ』ナンバーのバンが乗り付けられていました。
そして、鐘撞き小屋の一段高くなったところの下に鐘が落ちていました。
警察の検証は終わったようで、犯人は車を捨てていなくなったとのことです。
盗られたものもなく、近隣の警察と寺、自治体に連絡しておく、とのことでした。
その一方で、僧侶の代わりに日ごろの運営をしている村の消防団の人たちが、鐘をどうするか、という話をしていました。


63 :7/11:2009/10/14(水) 00:23:22 ID:RQVGJyVv0
「もう1回かけるか」
「もうこのままにしておいたらどうか」
その話し合いを遠巻きに見ている人々の中に、A君のおばあさんがいました。

A君は、小学生の頃に一家で村から引越していったのですが、おばあさんだけが残っていました。
自分は既にA君と音信不通でしたが、おばあさんは孫と同い年の自分に良くしてくれるので、
この年になるまで、ときどき家に遊びにいくという関係が続いています。

俺「お久しぶりです」
婆「俺ちゃんか。泥棒じゃないかって。嫌な世の中だね」
俺「鐘なんて売れるんですかね」
婆「戦後は鉄くず屋が来て、自転車でも買っていったもんだけど」
俺「なんでも鑑定団なんかに出そうとしたのかな」
婆「ごぜさんの鐘だなんて、お金もらっても欲しくないわ」
俺「ごぜさんの鐘?」


64 :8/11:2009/10/14(水) 00:24:17 ID:RQVGJyVv0
おばあさんから教えてもらったことによると、

このあたり一帯では昔、盲目の子供が生まれると、男も女もごぜさんにもらわれていったとか。
男はまた別のグループに引き渡され、女はごぜさんとして一生を送ったそうです。
この鐘は、遠い昔には普通の鐘として使われていたものが、
いつしかごぜさんを呼ぶ合図の鐘として用いられるようになった、ということでした。

その日の夕食、両親との会話の中で、ごぜさんの鐘の話になりました。
父親は役場勤務のため、嫌でも耳に入ったようです。
私が「ごぜさんの鐘」というと、両親とも「え」という顔になりました。

父「ごぜさんの鐘?」
俺「そう。ごぜさんの」
母「誰から聞いたの?」
俺「A婆から」
父「嘘だ~。本当にあったんだ。あれが?ぐるぐる巻きの」
母「ねぇ。小さい頃は聞かされたもんだけど」


65 :9/11:2009/10/14(水) 00:25:29 ID:RQVGJyVv0
両親の話によると、ごぜさんの鐘とは、確かにごぜさんを呼ぶもの。
ただし鐘が鳴るのは、盲目の子供が生まれた場合に限らない。

寒村では子供を育てるのに厳しい年もあり、口減らしをしなくてはならないこともあったとか。
育てられない子供が出てしまった家では、両親が子供の目を潰し鐘を撞いたそうだ。
ごぜさんの旅は辛くとも、娯楽の少ない時代、行く先々では大切にされたそうだ。

そのうち、子供の目を潰すことができなかった両親が、
鐘撞き小屋に子供を置き、ごぜさんの鐘をついて、連れて行ってもらうのを待つようになった。

当然ながら、ほとんどの子供は凍死する。
住職は、数え切れないほど多くの子供が冷たくなっているのを見つけ、
その服を鐘撞き小屋の柱に巻いて弔ってやった。


68 :10/11:2009/10/14(水) 00:29:29 ID:RQVGJyVv0
そのうち、ごぜさんの鐘の周りで子供の霊を見たとか、
遭難したごぜさんの列が歩いているのが見える、とかいう噂が広まり、
風の強い日には、両手で耳を塞いでもごぜさんの鐘の音が聞こえる、と言って発狂するものまで出た。
これではということで、鐘撞き小屋に残されていた子供の服と荒縄で鐘をぐるぐる巻きにして、
二度と鐘の音が鳴らないようにしたんだそうだ。

両親とも子供の頃から、
ごぜさんに連れていってもらうよ!という意味の脅し(悪いことをした子供への警鐘)として、
「ごぜさんの鐘鳴らすよ!」という言葉と、上のような背景は聞いていたものの、
まさかあの鐘が本当にそうだとは思っていなかったそうだ。


69 :11/11:2009/10/14(水) 00:30:31 ID:RQVGJyVv0
この一軒があってからもずいぶん経ちますが、改めて思うことがあります。

日本から昔のままのごぜさんが廃れて久しい。
歌や風習を伝える人はいても、本物のごぜさんはもういない。
日本のどこを探しても、ごぜさんが歩く列は見られない。

しかしあの夜、ごぜさんの鐘を盗もうとした連中は鐘を鳴らしてしまった。
果たしてごぜさんは来たのだろうか。
どこから?
来たとしたら、連中はどこかへ連れて行かれたのだろうか。
警察の追跡を恐れて逃げ出しただけなのか。それとも。



死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?309

926 :本当にあった怖い名無し:2013/02/26(火) 02:46:50.98 ID:YfRtmw+c0
親友が祖母から聞いたという話。

友祖母は若い頃、長野の方の田舎で病気がちな母親と住んでいたんだけど、
その家の庭には大きくて立派な柿の木があったらしい。

で、ある秋の夕暮れに、縁側でお茶を飲んでぼーっとしていた時、ふと柿の木に目がいった。
別になんてことも無く、熟れ始めた柿の実が幾つかなっているだけだったのだが、
妙な事に、その枝を見ていたら急に何だかその木で首を吊って死んでみたくなったのだと言う。


927 :本当にあった怖い名無し:2013/02/26(火) 02:49:21.77 ID:YfRtmw+c0
悲しい事も嫌な事も全く無いのに、ふとラーメンが無性に食べたくなる様に、自殺したくなったんだと。
そう思ったらいてもたっても居られなくなって、
すぐに物置から縄を持ってきて結び、枝に括りつけた。
肺炎患ったの母がいるというのに、その事すら忘れて一心不乱に自殺しようとしていたと語ってたらしい。

だが、そしていよいよやろうと言う時に、ふと柿の実が目に入った。
これを取ってからの方が邪魔じゃなくて良いな。
そう思って再び物置へ高枝バサミを取りに行き、5分位探してようやく見つけた。
庭に戻って来て、「さあ死ぬぞ!」と思い柿の木を見た。


929 :本当にあった怖い名無し:2013/02/26(火) 03:08:43.86 ID:YfRtmw+c0
自分の母が首を吊っていた。

訳が分からず一瞬呆然としてからハッと正気に戻り、
「何やってるの!」と持ってた高枝バサミで慌てて縄を切った。

太い縄なので切るのに時間がかかったが、母親は微かに息があった。
その後医者に連れて行って診てもらい、大事に至らずにすんだという。

後で、何であんな事をしたか問い詰めると、
水が飲みたくて縁側のそばを通った時、あの柿を見て無性に死にたくなったのだと言ったらしい。


930 :本当にあった怖い名無し:2013/02/26(火) 03:11:10.26 ID:YfRtmw+c0
結局その後、母親は肺炎の病気で死に、友祖母も一昨年肺ガンで亡くなった様なのだが、
あの体験は忘れられないと、生前、親友に良く語っていたそうな。

因みに、その柿の木は友祖母が上京してから何年かして枯れてしまったらしい。
発作的に死にたくなるなんて所が何か妙に怖かった。
親友は普通に語ってたけど。
後、上の方で母親肺炎患ってるって言ってた癖に、何で勝手に水飲みに出歩いていたのかは知らん。
親友におかしくね?と言ったのだが、
確かに祖母はそう言ってたらしいので、勘違いか本当だったのかもしれん。

一応言っておくけど俺の作り話ではない。
親友からだから奴が作ったかもしれないけどね。



死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?309

895 :本当にあった怖い名無し:2013/02/25(月) 04:22:01.25 ID:4FCuDJbc0
友人が夜道を歩いていた時、お面が落ちていたそうな。
縁日とかあったっけ、と思いながら脇に避けて歩き続けた。
だいぶお面に近付いた頃合いで、友人は変な事に気付いた。
プラスチックとかで出来たパーティー用のお面じゃなくて、妙に生々しい人の顔のお面だった。
気味悪いなぁと思いながら、足早に横を通り抜けようとした所、
「おこんばんわぁ」
そう声を掛けられた。


898 :本当にあった怖い名無し:2013/02/25(月) 04:27:52.37 ID:4FCuDJbc0
横に振り向いた友人の前にはお面、女性のお面が浮いていた。
ただ、そのお面はまるでラバーマスクを強引に縦へ引き延ばしたような、
ムンクっぽいでかい顔になっていたそうで。
夜道でンなものを見せつけられた友人は、悲鳴もあげれずそのまま全力で逃げた。
「おこんばんわぁ」「おこんばんわぁ」「おこんばんわぁ」「おこんばんわぁ」


899 :本当にあった怖い名無し:2013/02/25(月) 04:31:07.50 ID:4FCuDJbc0
後ろから何度も声が聞こえて来たけど必死で無視したという。
漸くコンビニの灯りが見えた辺りで、しつこく聞こえてきた気味の悪い声も聞こえなくなったそうだ。

よく、妖怪や幽霊に声をかけられても決して応えてはならず無視しろって言われるけど、
この時友人はお面に対して返事してたらどうなってただろうね?




ムカサリ絵馬とは、いわゆる冥婚の一種である。

現在は山形県の村山地方で行われている儀式で、ムサカリという呼び名は誤記らしい。
もとは「迎えられ」からくる結婚の方言で、嫁に迎えて「去る」ことからこのような名称になったと思われる。
事故や事件、病気などで子供を失った親が絵や写真で架空の人物との婚儀の様子を描き、寺に奉納することで、故人の成仏や死後の幸せを祈る慣習である。


寺に奉納される絵馬自体は、正装の故人と架空の花嫁の婚礼の様子を描く。
場合によっては父母やお酌取りの女性が描かれることもあり、時代によって差があるようだ。

比較的古いものでは仲人、両親、雄蝶、雌蝶などが含まれた正式な婚礼の場面が描かれた。
しかし新しいものだと、新郎新婦のみの記念写真風のものが目立つようになった。

『綜合日本民俗語彙』によると、嫁入りを意味するムカーサルは長野県から静岡県の伊豆、駿河地方、飛んで宮崎県の南部で使われている。
このように方言そのものの分布は認められるが、絵馬の奉納習俗は山形県の村山地方と青森県津軽地方の一部に限定。ムカサリ絵馬は奉納者が書くこともあるが、多くは地元の絵師に依頼された。

【歴史背景】
ムカサリ絵馬の歴史は江戸時代まで遡る。
最古の作品は明治31年のものが確認。
本来であれば、絵馬は本来遺族が描くものだが、他者に依頼する場合も多い。

明治、大正期にはあまり一般的ではなかったが、1945年以降()戦争後、絵馬の数は急激に増加した。
さらに1970年代後半から、テレビ取材番組の影響や、遠方からの交通手段の充実などもあり、村山地方以外からも依頼が来るようになったという。

この際奉納習俗に変化が生じ、結婚適齢期や適齢期前の死者が対象だったものが、水子や享年四十代以降の霊、弔いあげを既に終えた霊、先祖代々霊までと対象が広がりつつある。
一方で山形県山形市大字黒澤のほとんどの絵馬は1970年代以降のものであることから、比較的新しい宗教風俗といえよう。

【意味合い】
風習の面では婚姻としての意義と死者儀礼としての意義が指摘されている。
これは未婚の死者を結婚という通過儀礼を通すことで、祖霊としての地位を確立させる為と思われる。
その際シャーマンである「オナカマ」に依頼して死者を呼び出してもらい、故人の様子を聞き出す。その際必要であればムカサリ絵馬を奉納する。これにより、宗教の包括を目指した。

【起因】
山形市大字黒澤の場合においてだが、、以下の原因が指摘されている。
・明治時代の長男氏相続制度の確立
跡取りの死没による家の混乱と、こうなるべきである、という意味での正統な生涯からの逸脱を、ムカサリ絵馬で修正したと思われる。。
・戦没者慰霊
・シャーマニズムの介在
絵馬を奉納する動機の大部分として、オナカマによる口寄せが挙げられている。


しかし、現在これらの目的は社会が家中心の社会から家族中心の社会になったことに伴り、異なる目的を以て行われる。すなわち、多様な死者を幸せの象徴とされる結婚の状態にして供養する仕組みである。


【迷信】
故人の冥福を祈る一方で、絵馬に実在の人物を書くと、書かれた人物が死後の世界に連れて行かれるという伝承もある。
そのため、絵馬を実在の人物に似せて描いたり、実在の人物の名を記すことは禁忌。



似たような習慣として、岩手県遠野市に「供養額縁」がある。
これらの因習は、人間が亡くなったらそれで終了、ではなくて場所を変えてまだ存在しているかのようにふるまう民間信仰によるものであろう。
東日本大震災以降は、宮城県内で犠牲となった生徒の卒業式が行われた事もあり、民間信仰と慰霊の関係性は大きい。


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【心理的瑕疵】いわくつき物件の怖い話【霊障】 2

460 :本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 01:05:48.76 ID:wHEb0Gnd0
俺の実家の前に数件の借家があるんだけどその中の1件がやばいので書いてみる。
築60年以上の古い借家。

おれの住んでた町は福祉に積極的ではなかったから
公営住宅が少なく、民間の住宅に独居老人が多くいた。
俺の実家は当時、畑で少し小高いところにあったから借家がすべて見回せた。
その件の借家には60過ぎの婆さんがひとり暮らしていた。
その周りの借家も似たような感じで構成していた。

ある日件の婆さんは亡くなった。
新聞が何日も溜まった状態だったらしいが、
相当苦しんだらしく、爪がすべてはがれるくらい這いずり回っていたらしく、
部屋中、血だらけだったらしい。
当然、その家は半年以上、空家になっていた。

ある日、その家に中年男性が引っ越してきた。
畑の手入れに週一できていたのでこの男性とは会話したりした。 
一月ぐらい経ったころから男性はやたら前の住人を聞いてきた。

つづく



461 :本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 01:25:34.99 ID:jlBCIq8oO
筑60年てほとんど戦後じゃん
そのお婆さんが最初から住んでたとしたら相当な念が残ってそう



462 :本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 01:40:11.26 ID:wHEb0Gnd0
つづき

当時は死んだ状態は俺はしらなかったので婆さんがいたことだけを伝えた。

一応、理由を聞いてみた。
「夜中に風呂水を張る音がするが出てなかった。」
「夜中に勝手口の開け閉めする音がする」
この少し後にかれは仕事中に急死。

この後に6人住んだが同じセリフを聞いてきて急死か自殺。

ここの大家はそのてのことは気にしない人だったのでお払いとかはやらなかった。

6人死亡は大体、2ヶ月間隔で起きたので近所では有名だった。 
 
頑固な大家で値下げしないから5年ぐらい空家だったが、
とうとうお払いをして入居者が決まった。
でも、どうやら出たらしくすぐ出てってしまった。
すぐさまお払いをしたという。

お袋いわく「2度、お払いするって尋常ではないぞ」
俺も賃貸に住んでるけどここまで強烈な物件は聞いたことはない。
生前の婆さんを知ってるが物腰の優しい人だったんだけどね。



463 :本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 01:58:15.42 ID:wHEb0Gnd0
>>461
昭和23年ぐらいらしいよ。
たぶん、初めから住んでたんじゃないかな。
屋根がトタン吹きでね、
冬の朝なんかはすんでいないと白く霜がついてる。

俺が一番最初に一人暮らしした借家も同じぐらい古かったけど、こんなこと、なかったよ。
音だけはあったね。



464 :本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 03:41:43.18 ID:K1anOF/B0
7人が急死・自殺ってすごいね。温和なお婆さんの仕業とは思えない。
ひょっとしたら、お婆さんは「最初の犠牲者」だったのかも…?



465 :本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 03:55:48.59 ID:wHEb0Gnd0
ついでに。 
 
実家の近くに賃貸マンションがある。
狭い三角地に造られたから世帯数は25ぐらい。
三角地は縁起が悪くて商業には向かない。
必ず潰れる。

だからか、建てられるまえは墓石屋さんの無人展示場になってて
隅には無縁さんの墓石が積んであった。
俺のオヤジは石工だったから、墓石の扱いについて少し知識がある。
今でも墓石は特定廃棄の対象だ。 
 
無縁さんにしろ墓の立替にしろ手順がある。
まず、お坊さんが墓から魂抜きのお経を唱え、墓石を撤去する。
そして名前(戒名)をノミで削る。
廃棄された墓石は通常ならばまっぷたつにされ
一般の目に触れないようにするが、たまに土地に置かれる事がある。
墓石は仏さんが入ったものは不浄の扱いなので置く土地は不浄の土地となる。

その賃貸マンションはなにか起こるぞと噂がされてて、やっぱり殺人が起きた。 
 
三角地で繁盛するのは葬儀屋。

俺の経験上、紹介された物件で気が乗らないもの、いやな感じのするものはやめといたほうがいい。

空き物件はそれなりの理由があって空いてるわけだから。
あと、不動産屋の営業さんは以外と内情は知らないよ。
大家に短刀直入で聞いて反応で判断がいいかも。



466 :本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 04:20:30.99 ID:wHEb0Gnd0
>>464
おれも婆さんが最初の犠牲者と思ったんだけど、
おかんのほう入居した人と会話しててかなり凄い内容を知ってた。
どの人かはわすれたが「毎晩、女に首を絞められるんだ。」って。

入居した人の年齢が30-50台で病気持ちでなかったし、共通な変なこと聞いてくしね。
これ、廃墟だったらとんでもないスポットだよ。
でもこれ、大島さんのサイトに出てないんだよ。



467 :本当にあった怖い名無し:2012/06/19(火) 14:54:05.67 ID:qpJ4/g2N0
物腰のやさしいおばあさんが首絞めてくるの?
ばあちゃん、何があったんだ・・・ 



 

お前らの学校であった怖い話

754 :本当にあった怖い名無し:2010/12/17(金) 18:08:04 ID:alNvpz+P0
うちの高校は校内の裏手に小川っぽく水が引いてあるんだが、
そのある特定の位置のレンガの上に、いつも仏花1本とジョージアが置かれていた。

さてはそこで誰か死んだりしたのか

と思いきや、
その花とジョージアを毎週木曜日の朝に置いているのは野球部で、
その費用は野球部のOB会から寄付されており、
そのOBたち自身も事情はよくわからないらしく、
ただ昔からの伝統で置いているようだった。

俺は校内新聞部だったので、
みんなで我が校最大のミステリー『ジョージアの謎』について
OBを当たって調べたんだが、 40代50代の古参OBが知らない一方で、
1980年代半ばにはもう習慣があったらしい。


755 :本当にあった怖い名無し:2010/12/17(金) 18:08:53 ID:alNvpz+P0
ただ、その頃は仏花を添える習慣はなく、
木曜日だけではなく毎日で、
飲み物はレンガの上ではなく水中に沈めており、
品目もジョージアではなくポカリスエットであり、
そして1本ではなく
野球部の人数分が用意されていたという。

……そう、どうやら最初は
『美味しく飲めるように清流で冷やしておく』
ってだけだったようなのだ。

それが途中、小川が汚くなって来たために人気が無くなって
需要が数本だけになり、 飲みたい人だけが自前で買ってきて冷やし、
いつかのタイミングで勝手に飲むようになった。

結果、縁の薄い一般部員からは『あの缶は誰かに捧げている物』という誤解が加わってしまった。

そして1994年度、おそらく最後まで飲んでいたであろう人物が卒業したことにより
缶が設置されなくなったわけだが、 それに気付いた新部長が危機感を抱いて、
部費から缶代を落として設置するようにした。


756 :本当にあった怖い名無し:2010/12/17(金) 18:09:38 ID:alNvpz+P0
いつしか、缶の横には仏花が追加され、
OB負担や木曜設置といった慣習もできあがり、
あのミステリアスな『ジョージアの謎』が完成されたのだった。

ちなみに、発端の94年度部長によれば、
「それまでいつも缶コーヒーが置かれていたのでその通りにした」ということで、
『ポカリの謎』ではなく『ジョージアの謎』になった原因は、
93年度卒業生の嗜好だったようだ。

こうして『献花』という誤解が晴れたこの習慣だが、
その結果途絶えることになってしまったかというとそうではなく、
野球部の長い歴史に対する敬意とユーモア、
そして願掛け的な意味が加わり、
花の種類をもう少し楽しげなものに変えてその後も続いている。


何でもいいから怖い話を集めてみない?

828 :本当にあった怖い名無し:2013/01/05(土) 16:12:32.17 ID:WccFY/r20
10年くらい前の話だけど、母の職場に荷物届けに行った時のことを。

職場の前に駐車場があるんだが、そこに止まっていた1台の車にふと目がいった。
よくよく見てみると、
後部座席にロングヘアの女性と金髪の若い男性が座っている。
その二人を何となく眺めてたんだが、
1分したところであれ?と思った。
というのも、その日は8月だというのにエンジンの切れた車内で窓も開けずにいたことと、
二人とも前かがみの姿勢のまま微動だにせず固まっていたから。

それに気づいた瞬間、『あ、これ生きてる人じゃない』と直感。
ぞ~っとして、すぐに母の職場に逃げ込んだ。


829 :本当にあった怖い名無し:2013/01/05(土) 16:24:17.59 ID:WccFY/r20
後日、母から聞いたんだが、その車は母の同僚の車。
私がその二人を目撃してから数日後、同僚がお守りを神社に貰いに行った。

その際その車を運転していったらしいんだが、
神主さん車を見るなり「あー…。人、乗ってますね」と言われたんだって。
私が見た2人に加え、助手席にも1人おじさんが乗ってたらしい。
(私は気づかなかった)
同僚、震え上がってその場で車のお祓いをしてもらったそうです。


830 :本当にあった怖い名無し:2013/01/05(土) 16:26:32.69 ID:WccFY/r20
何で同僚が母に言ってきたかというと、
母と同僚が外回りに行く際に同僚の車に決して乗ろうとしなかったから。
母にも見えていたそうです。
(母はなぜかロングヘアの女性しか見えなかったそうだが)
お祓いした翌日に同僚が母に
「ちょ、お前見えてただろ!!」と突っ込んできたそうでw

でも、同僚の車は中古ではなく新車だったんですよね。
乗ってた3人も、同僚には全く心当たりがないそうで。
曰くつきの中古車とかでもないのに、
何であの人たちはあの車の中にいたのかな…と不思議でした。



何でもいいから怖い話を集めてみない?

376 :本当にあった怖い名無し:2012/05/24(木) 21:47:18.76 ID:c4AVIHjyO
俺が小学生の頃の話。

俺、両親、姉、祖父母、叔母×2で住んでた。
木造2階建ての借家。
俺の部屋はねーちゃんと2人で2階。
その隣の部屋には両親。
下の階には居間と仏間、台所と部屋1つ。
その部屋と短い廊下で繋がった『離れ』があった。
部屋には叔母×2、離れには祖父母。

その家には小学校1年生の頃に引っ越した。
引っ越してすぐ驚いた。
家中お札だらけ。

この歳になって引っ越す前に家を見学してなかったのかという疑問はあるが、
その当時はそんなこと考えずにただ「気持ち悪いなぁ」と思っていた。
じーちゃんが「何かこれ。気色の悪か」って言って、
お札を全部剥がして回った。
いや、じーちゃんが前住んどった家も、
真裏墓地で
周り街灯なくて
外にボットン便所ってゆー
なかなか気色悪い家やったやんww


377 :本当にあった怖い名無し:2012/05/24(木) 21:49:20.01 ID:c4AVIHjyO
で、そのお札が関係してるのかは分からないが、色々不思議なことが起きた。

まず、その家に越してから頻繁に同じ夢を見るようになった。
家の離れの床に蓋みたいなのがあって、
それを開けると地下に続く階段がある。(実際にはそんなもんなかったが)
それを降りていくと、浮浪者みたいなおじさんが狭い部屋でニコニコしている。
「おじさん誰?」と話し掛けると、
おじさんはニコニコしたまま「アベジョウジ、アベジョウジ」と呟く。
ただそれだけの夢だったけど、気持ち悪く思ってた。
で、驚いたことに、ねーちゃんも全く同じ夢を見てたらしい。

他にあったのは、俺以外の7人は
みんな昼でも夜でも仏間で寝ると金縛りにあい、
ドアの磨り硝子越しに白い人影がスーッと動くのを見たらしい。
一番年下の俺を全員で口裏合わせてからかっていたのかもしれないが、
あの厳格なじーちゃんまでもが同じことを言ってたから信じるしかないと思う。

それから他には、居間に1人でいたとき。
ふと視線を感じて後ろを振り向く。
後ろには襖。
その奥は仏間がある。
気のせいかと思い前を向き直す。
でもやっぱり視線を感じて振り向く。

で、ふと上を見ると、襖の上の欄間(木彫りのやつ)の隙間から目が覗いてた。
でも高さが3メートルぐらいあるしありえないと思って、
恐る恐る襖を開けた。
もちろん誰もいない。
一体あれは何だったんだろう…


378 :本当にあった怖い名無し:2012/05/24(木) 21:49:52.87 ID:c4AVIHjyO
そして時は流れて俺は中学生に。
祖父母と叔母×2は家を出て、うちの家族だけで暮らしてた。
俺の部屋は変わらず、
ねーちゃんが隣の部屋に、両親が離れに移った。

俺が部屋で夜中ラジオを聴いていた。
その日は雨が降っていた。
で、雨の音が止んで、
何となく外の様子が気になったからカーテンを開けた。

その窓にしわくちゃの爺さんが張り付いてた。
慌ててカーテンを閉めたけど、あのどす黒い肌と血走った目は忘れられない。


そして俺も成長して、叔母さんに子どもが生まれた。
可愛い女の子。
ちょくちょく家に遊びにきてさ。
割と話せるようになってきたとき、
ニコニコしながら「アベジョージ、アベジョージ♪」って
急に言い出したときは、ねーちゃんと2人顔見合わせて驚いた。
両親と叔母さんは「?」ってな感じで。

今年高校生になった従妹に「アベジョウジって覚えとうや?」って聞いても、
「何それ?」って言われる。


もうあの家は離れて一人暮らししてるけど、たまにふと思い出す。
俺にとっては怖かった家の話。


382 :本当にあった怖い名無し:2012/05/25(金) 11:10:00.34 ID:Gh0wFdoq0
>>376
面白い話だね。今でもその家あるのかな?
気色悪かってお札を剥がしちゃうお爺ちゃんも凄いねw
安部譲二には吹きましたw


385 :本当にあった怖い名無し:2012/05/25(金) 14:48:12.01 ID:RUNKpE4i0
>>376
九州の方?


388 :アベジョウジ:2012/05/25(金) 20:45:51.52 ID:K/nsFHCCO
>>382
今でもあるよ。少し改築されて違う人が住んでるけどね。
アベジョウジは怖いんだってw
>>385
バリバリの博多っ子。
下手くそな標準語無理に使ってすいませんw


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