尖閣諸島における中国漁船と海上保安庁との衝突事故の映像が、ネット上に配信されたのは2010年の11月4日の夜から5日の朝。
神戸市のインターネットカフェより投稿された。
瞬く間に情報は拡がり、同5日にはマスコミの報道合戦が開始されている。
この記事では、映像漏洩につながった当時の中国船と海上保安庁の衝突事故、及び中国と日本政府の対応をざっと紹介する。
東シナ海にはガス田(油田)が発見されており、それらの資源を巡って、中国側からの干渉が露骨になりつつあった。
【巡視船と漁船の衝突】
・2010年9月7日、午前11時15分頃。
尖閣諸島付近にて巡視船「みずき」が、中国籍のトロール魚船を発見。中国語で領海からの退去を命令。
中国漁船は退去命令を無視したため、「みずき」と合わせ計3隻の巡視船が監視を続行、数時間にわたり説得を試みた。
(トロール漁・・・いわゆる底引き網漁。袋状にした網で海内の魚類を一気に捕獲する)
空撮:左から尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島 いずれも小さな無人島
本来であれば、外国船舶の領海内で違法操業が発覚すれば、漁業法に基づき停船を命令・立入検査する事が定められている。勧告を受けたにも関わらず逃走した場合は逮捕となる。
しかし、尖閣諸島の領海では中国への配慮から、例外として領海外への退去命令のみ可能であり、停船勧告は認められていなかった。
(後に、この諸島領海内で100隻程度の中国漁船が繰り返し違法漁猟-密猟-していたことが判明する)
揚網後に漁船は進路を巡視船へ向け、エンジンの出力を上げて突進、巡視船「よなくに」の左舷後部に接触しそのまま逃走した。
「みずき」が追跡を開始する。
並走して停船を命令したところ、漁船は「みずき」の右舷に船体を接触させ、再び逃走する。
当時からこの海域においては中国船による嫌がらせが何度も勃発していた。
この時の様子は巡視船「はてるま」と、衝突された2隻の巡視船によりビデオ撮影されていた。
海上保安庁は翌日8日に同漁船を発見、強行接舷し停船させ、船長を公務執行妨害で逮捕。石垣島へ連行した。船長を除く船員も同漁船にて石垣港へ回航、事情聴取を行う。
船上であったにも関わらず、船長は飲酒していたらしく「酒臭かった」との証言あり。
翌日には、船長は那覇地検石垣支部に送検され、取調べが開始される。
「みずき」と同型の巡視船
【中国側の対応】
・「釣魚島は中国固有の領土」と強く主張し、日本国内法の適用を非難。
「関係海域周辺の漁業生産秩序を維持し、漁民の生命・財産を保護する」ためにさらに船舶を2隻、現場に向かうよう指示。
逮捕前の7日に出航していた2隻は、10~17日まで尖閣諸島の接続水域に進入・徘徊を繰り返し、海上保安庁の巡視船やヘリコプター、海上自衛隊の監視と警告を受けている。
日本政府は13日に船長以外の船員を中国に帰国させ、証拠となる中国漁船も中国側に返還。
だが船長のみ国内法で起訴する方針として勾留延長を決定し引き渡しは拒否された。
・中国側はこれに強く反発。即座に日本に対して様々な報復措置を開始。
・北京の日本大使館前でのデモ行動
・日本大使館や日本人学校への抗議や嫌がらせ
・天津日本人学校への鉄球撃ち込み
・日本との閣僚級の往来停止
・航空路線増便の交渉中止
・石炭関係会議の延期
・日本への中国人観光団の規模縮小
・日本企業トヨタの中国店舗へイチャモンをつけ、罰則、罰金
・予定されていた日本人大学生の上海万博招致の中止
・日本企業(フジタ)職員4人を「許可なく軍事管理区域を撮影した」として身柄を拘束
・レアアースの日本輸出を、複数の税関で意図的に遅滞させた(事実上の禁輸)
(後に「日本経済の弱いところを突くような制裁を検討するように指示された」と証言)
・東シナ海ガス田問題交渉の延期を一方的に通告
・船を出航させ、日本海上保安庁の測量船の海洋調査活動を妨害 等
また、ニューヨークにて温家宝首相(当時)は在米華僑ら接触、日本に対して更なる報復を仄めかす。
中国政府は「今後のために」尖閣諸島海域でのパトロールを常態化させることを決定した。
政府系シンクタンクの専門家は日本に対する圧力として、円資産を買い増しして円高誘導することを主張。
国内報道においても大きく日本を非難。
政治的な報復よりも、民間における抗議行動は増加を続け暴徒化する者も現れる。
中国国内にいる日本人の安否が大きく懸念され、危険な状態となった。
【日本国内の対応】
・菅首相をはじめとして政府内では逮捕と起訴に積極的だったが、中国が抗議声明が発表したあたりから仙谷官房長官らが釈放を主張し始めていたとされる。
前述の通り、13日には日本政府は事情聴取をしていた船員14人を帰国させ、差し押さえていた中国漁船も中国側に返還する。
だが、船長に関しては勾留延長を決定、複数の違反行為により司法手続きを続ける意思を明確に示す。
・日本政府は「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と明言。
蓮舫行政刷新相(当時)が、尖閣諸島を「領土問題」と述べ、政府見解と矛盾することを指摘されたのち同日午後に発言を修正するという珍騒動も起きた。
(中国のポータルサイト鳳凰網は蓮舫の経歴と出自を紹介し、「日本の華僑議員が尖閣諸島は日本領と発言した」と報道)
仙谷由人官房長官は、中国の報復措置に対して「日本も中国も偏狭で極端なナショナリズムに刺激しないことを政府の担当者として心すべきだ」と発言。
那覇市議会は9月定例本会議で中国政府への抗議決議、日本政府への意見書の両案を全会一致で可決。
石原慎太郎東京都知事(当時)は「中国のやっていることは理不尽でやくざがやっていることと同じ」と述べ、北京市主催のイベントに招待されていたが、「あんな国、頼まれても行かない」と、訪中を取り止めている。
・同月24日、国際連合総会の出席のため菅直人内閣総理大臣、前原誠司外務大臣不在の中、那覇地方検察庁鈴木亨・次席検事は中国人船長を処分保留で釈放すると突然発表。
船長の行為(衝突事故)には計画性がなく、日中関係を考慮した判断として、翌25日未明に中国人船長を石垣空港から中国へと送還。
これは事実上の不起訴であり、無罪放免である。
・11月1日、中国への配慮から非公開となっていた漁船衝突時の動画が、那覇地検によって6分50秒に編集され、衆参予算委員会所属の一部の国会議員に対してのみ限定公開された。
事件最初期の段階で菅首相、仙谷官房長官、前原外務大臣の3閣僚はビデオを閲覧済している。
野党自民党(当時)及び世論も映像公開を強く要望するものの、政府与党はこれを拒否している。
石原都知事もビデオの公開を強く主張し、「パンダをもらって尖閣をやるのか」と政府の対応を非難した。
・また、兵庫県の神戸中華同文学校には学校爆破の脅迫電話があったという。
同学校は警察に通報、予告当日を休校したと報じられた。
同じ神奈川県横浜市の横浜山手中華学校にも脅迫の手紙が寄せられ、さらに「東京や大阪などの華人向けの学校でも類似の脅迫電話が相次いでいる」とされたが、真偽のほどは不明。
・中国人船長が処分保留で釈放された事を受け、2010年10月以降、日本国内でも中国政府の拡張主義と民主党政権の外交姿勢に抗議するデモ活動が次々と巻き起こる。
田母神俊雄氏が会長を務める団体を筆頭に複数の団体が蜂起、海外メディアが注目し国内メディアが後追いするという逆転現象も起きた。(後述)
撮影:10月2日(渋谷)
【中国人船長の釈放後の混乱】
・当の本人は帰国を勝利と捉えていたらしい。Vサインをしながらチャーター機より現れる姿が報道されている。さらに中国国内のマスコミに対し、自分の行動は合法であると強く主張、一躍英雄となり地元福建省泉州市の道徳模範(名誉市民の様なもの)に選ばれた。
仙谷官房長官は、この釈放は検察独自の判断でなされたとしつつ、これを容認する姿勢をとる。
また柳田稔法務大臣と同日会談していたことは「全く別件だ」と釈放決定との関与を否定。
「日中関係は重要な2国間関係だ。戦略的互恵関係の中身を充実させるよう両国とも努力しなければならない」と中国との関係修復を努めるよう指示。
国際連合総会でアメリカ滞在中の菅首相は、「検察当局が事件の性質などを総合的に考慮し、国内法に基づき粛々と判断した結果だと認識している」と述べ、「弱腰外交」との批判が出ている事については、「(今回の事件の対応は)歴史に耐えうるものだ」と発言。
同じくアメリカ滞在中の前原外務大臣は、「国内法にのっとって対応した検察の判断に従う」と述べている。
だが、中國新聞等の内容には異なる記載がされており、当初の予定通り起訴されるところを、24日仙谷官房長官が柳田法務大臣に釈放を指示、さらに大林宏検事総長を通じて那覇地検に釈放させたと報じている。
民主党関係者からも、国連総会出席中で不在の菅と前原に代わり仙谷が泥を被ったとの見方が出た。
中國新聞によれば、船長らを逮捕したとの報告に、管首相は慌てふためき釈放を命じたという。
・中国人船長の釈放を受けて、中国側は改めて日本に、事件についての謝罪と賠償を求める声明を発表。
日本政府は「中国側の要求は何ら根拠がなく、全く受け入れられない」とする。
中国側は「日本の行為は中国の主権と中国国民の権利を著しく侵犯したもので、中国としては当然謝罪と賠償を求める権利がある」と反論。
釈放は増々混乱の事態を招く。
フジタ社員の拘束・レアアースの禁輸・海事機関船舶の尖閣海域進出・謝罪要求等、中国側の強硬姿勢は止まらず、増々エスカレートし、中国国内の反日デモの被害も拡大の一途を辿る。
・中国政府は尖閣周辺海域に船舶を派遣、東シナ海ガス田に調査船を集結。
翌年2011年には既にガス田に掘削用ドリルパイプが持ち込まれ、中国の単独掘削が開始されていた可能性が浮上。
日中中間線における東シナ海のガス田に関する交渉は、中国側からの報復措置として一方に打ち切られている。
9月29日、細野豪志が「個人的な理由」で中国を訪問。
この訪問について、菅首相や前原外務大臣は政府は関わっていないと発言。
しかし11月8日の毎日新聞において、仙石官房長官が民間コンサルタントである篠原令に中国との橋渡しを依頼、その結果細野と篠原らが戴秉国国務委員らと会談し、「衝突事件のビデオを公開しない」事、「仲井眞弘多沖縄県知事の尖閣諸島視察を中止する」という密約を結び、これに仙谷官房長官が同意した事が報じられた。
この際、ブリュッセルのASEMでの10月4日の菅首相と温家宝首相との25分間の「交談」がセッティングされたと見られている。
・繰り返しになるが、海上保安庁は衝突時の状況をビデオで記録撮影している。
その存在は既に知れ渡っていた。
だが、民主党政権は中国への配慮から国民への映像の全面公開を一貫して拒否し続ける。
9月30日、衆議院予算委員会は映像の公開を政府に要求する事を決定。
以下の映像は2010年10月28日の国会答弁報道ニュース記録。
何故映像を短く編集する必要があったのかとの追及に、那覇地検が勝手にやったことだと官房長官は返答。
BSフジのキャスターも中国への配慮という言葉を繰り返す。
衆参予算委員会理事30人限定で編集済みの映像が公開されたのは11月1日。
世論でも映像の公開要求は高まり続け、自民党は全映像を国民へ全面公開することを政府に要求。
ここでも、政府与党はこれを拒否。
一方、与党民主党内でも説明不足として声があがる。
「菅も仙谷も、外交なんて全くの門外漢だ。恫喝され、慌てふためいて釈放しただけ。中国は、日本は脅せば譲る、とまた自信を持って無理難題を言う。他のアジアの国々もがっかりする」とは、党内幹部の発言。
・衝突事件の現場から程近い石垣島では、漁業関係者から「怒りを通り越して気絶しそうだ」「国交を断絶してでも、(船長を)起訴すべきだった」「尖閣諸島周辺はカツオの好漁場だが、漁師は怖くて行けない」などの声があがった。
・事件発生以降は中国人民解放軍空軍や海軍の航空機が、南西諸島方面の日本の防空識別圏への侵入と徘徊が連日発生。中国政府は「パトロール」として侵入を常態化させると自国内にて宣言。
10月以降は海軍の攻撃機・哨戒機・早期警戒機が日中中間線まで侵入。
航空自衛隊の機がスクランブル発進すると引き返すという行為を繰り返し行った。
中国軍機の飛行は乱暴であり、非常に危険なものであった。
空中衝突も起こりかねない事態として、海上自衛隊・航空自衛隊は連日情報収集と警戒にあたり、非常に緊張した状態が続く。
【海外の反応】
・「ウォールストリート・ジャーナル」
9月13日:「中国の領土権の主張をめぐる地域的な緊張の高まりを映し出している」
「日本は、脅されてすごすごと引っ込みはしないということを示す必要はある」
「しかし、そのために尖閣を利用するのは危険である」
9月24日:「ネット上の意見を見る限り、日本は完全な敗者」
・もと国務副長官 リチャード・アーミテージ氏の発言
9月15日:「中国は尖閣諸島で日本を試している」
・ニューヨーク・タイムズ(電子版)ニコラス・クリストフ記者のコラム記事
9月10日・20日付の2回記事:
「太平洋で不毛な岩礁をめぐり、緊張が高まっている」
私見として「中国の方に分がある」
ダイヤモンド社
「海底に国旗を立てて領有権を主張する 中国に日本はこんなに無防備でいいのか」
ワシントン・ポスト
ロサンゼルス・タイムズ
タイムズ・オブ・インディア(インド)
中国は日本に強烈な圧力を行使できることを示し、日本は圧力に屈したと報道。
香港のメディア
10月2日:中国指導部が尖閣諸島などの領土問題を「核心的国家利益」と位置付けたと報じる。
これらの状況下で、11月4日の21時過ぎより投稿ハンドルネーム「sengoku38」が、インターネット動画サイト「YouTube」に映像を投稿。
本事件の映像と思われる中国漁船が巡視船2隻に体当たりする場面が収録された合計44分の動画を六分割した上で流出させた。
この事件は、国家の情報の漏洩という大事件であるにも関わらず、流失させた者に対する世論は比較的寛大であり強く支持されると同時に、批判も湧き上がった。
内部告発せざるを得なかったという事実は十分に納得できるものであり、自ら出頭・辞職した元海上保安員の行動は人々に衝撃を与えた。
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