サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

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【閲覧注意】
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【事故後の行動】
海洋警察の警備艇が到着した時刻は、4月16日の午前9時30分頃という。
この時すでにセウォル号は左舷側に45度ほど傾いていた。

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救援の到着を知った船内の生徒達は、海洋警察の到着や、待機をもとめるアナウンスが流れている事などをメッセージで船外に送っていた。
それからたったの15分後、セウォル号は62度ほどに傾く。


「船が60度傾いて沈没している」
「上から落ちてきたキャビネットに隣のクラスの子たちが下敷きになった」
「私は膝にアザができた」
などの危機的状況を訴える学生達のメッセージがSNS等で次々に送信された。

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「『その場で待機、動くな』という放送の後に他の案内放送は流れていない」という内容のメッセージと、家族に助けを求める声も多く残されている。

この時、セウォル号の傾きは108.1度。
生存者の証言によると、船体の傾きが感じられてから脱出を促すアナウンスがあるまで、約1時間23分程だったという。

しかし10時15分頃に船内から送信されたメッセージの内容によると、脱出指示のアナウンスの時刻ははそれよりも遅い転覆間際となり、船内待機の指示に従っていた乗客にとっての脱出は絶望的であった。


一方、船長を始め機関士などの操船関係者15名は、全員脱出に成功している。
乗客を残し、自分達だけ専用通路(非常通路)などを使用し脱出したことに、国内外からの批判があがった。


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救助艇に乗る乗務員。窓の向こうに助けを求める乗客の姿が見える。


また、乗員らが救助船に乗り移る直前に、作業服からわざわざ服を着替えていたことが判明した。

一般の乗客を装う目的だった疑いが強いが、乗員らは着替えた理由の供述を拒む。

脱出直前、機関長は半袖のシャツに着替え、航海士の1人は船室まで服を取りに戻っている。イ船長は下着姿で救助船に飛び移ったが、救助線の来る前にズボンを脱ぎ捨てた。


わかっている事は、機関長をはじめとする機関室の乗務員7人は脱出しやすい場所に集まり、救出がくるまでの30分間、沈みゆく船の対策を何もせずに、ただ待っていた事である。
機関士2人は怪我をした調理師たちを目撃したが救助しなかった。

また彼らは海洋警察の船に乗り移ってからも、負傷して動けない2人の存在を知らせなかった。



【交信記録】
4月20日、セウォル号と珍島管制センターとの交信内容が公開された。
おおまかな交信内容は以下の通り。


9:07  管:セウォル号は沈没していますか?
    セ : そうです。海洋警察に早く連絡をお願いします。
9:10  セ : 今にも転覆しそうだ。
9:12   管:救命ボートへの乗船を始めましたか
          セ : 乗れていない。大きく傾いていて不可能だ。
9:17   管:浸水状態は?
          セ:船体が50度以上左舷に傾いていて、人が動くのは無理な状況だ。
               船員をブリッジに集めたが動けない。早く来てくれ。
9:23   管:警備艇の到着まであと15分です。救命道具を着用するように放送しなさい。
          セ:放送もできない状態だ。(⁂実際にはこの時点で放送は可能だった)
9:24   管:放送がだめでも、外に出て、乗客達に救命胴衣や衣装をたくさん着させて。
          セ:脱出させたら、すぐに救助できるのか。
          管:浮輪でも持たせて、浮かせて、早く。
9:25   管:こちらでは状況が分からないので、乗客を脱出させるか船長が早く決断して
9:26   セ:そうじゃなくて、脱出したら、すぐ救助できるのかと聞いてる。
          管:警備艇が10分以内に着く。
          セ:10分以内に着くって?
          管:10分くらいかかる。10分だ
9:27   管 : 1分後にヘリが到着予定です
          セ : ゆっくり言ってください。
          管 : すぐにヘリが到着します。
          セ : 乗客が多すぎて、ヘリだけではだめだと思う。
          管 : ヘリも到着するし、近くの船舶も接近中ですから耐えてください。
9:33   管:脱出した人が使えるように救命衣や救命ボートを投下しなさい。
9:37   セ:浸水状態の確認は不可能。現在、海洋警察などの船が50mに接近中。
               左舷側にいる乗客が脱出を試みている。
               船は60度左舷側に傾いている状態。
               航空機も来たようだ。

<※以降、交信が途絶える>。

※ただし、これらの交信記録は、海洋警察側が交信内容を編集または一部を削除したという疑いがある。

大きく傾いた船体の中では自力で脱出することは難しかった。
長い通路は谷底のような崖となり、墜落死する者も多かったとみられる。
これらの様子は、SNSでほとんどライブ中継のように拡散される事となった。

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結果として生存、救助されたのは乗務員らと、いち早く自己判断で海に飛び込むなどした者だけである。
船内放送に従いその場に待機していた高校生らを含むほとんどの乗客が、傾いた船内に閉じ込められ、逃げ場もなく生きたまま沈んでゆく。

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【自称民間ダイバー】
4月18日、MBNのインタビューに民間ダイバーを自称する人物が出演。
「外側から客室のなかから音がするのを聞いた。生存者がいるはず」
「大勢のダイバー達が駆けつけているが捜索の協力をさせてもらえてない」
「海洋警察に、適当に時間をつぶして帰れと言われた」
などと答えて捜索活動を混乱させた。

この人物は2011年3月、東北大震災の関連で、MBCニュースにも出演していたらしい。
このときは「愛する人も友達も日本にいる、私だけが(韓国に)1人帰ることが…」などと答えたという。

しかし、これらは全て彼女の狂言であった。


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問題のダイバー。黄色のジャケットを着ている。

【その他】
・船長の証言
搬送先の病院では、「私はただの船員、何も知らない」と嘘をついた
病院内では、濡れた20万ウォン(約2万円)の紙幣を巡って言い争う姿も目撃されている。
逃げた動機については、「船員だけは何とか生きなければいけないと考えた」という。

・女性三等航海士の証言(実際の操縦士)
教科書で学んだ通りにしただけ
海難事故が起き、たくましい男性でも耐えられない状況のなかでは、私には何もできなかった

・操舵手の証言(船長らとともに逮捕されている)
(船が急旋回した時の状況について)
「普段より舵が大きく動きました。私がミスした部分もあるが、異常に早く舵が回った

・乗船客証言
「船体が突然傾き、傾きが45度を超えた時点で事故だとわかり、脱出しようと思った」

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韓国の大型旅客船「セウォル号」が、全羅南道珍島郡の観梅島沖海上で転覆・沈没した事故。


【概要】
セウォル号の航路は仁川港を出港し、その後観梅島沖で転覆し沈没。

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2014年4月16日午前8時58分頃。
セウォル号には、修学旅行中の安山市の檀園高等学校2年生生徒325人と引率教員14人、
一般客108人、乗務員29人の計476名が乗船し、車両150台余りが積載されていたとされる。


現場周辺は水深27m-50mで目立った暗礁もなく、16日午前時点で視界は良好、
波高約1mと、航行の安全に影響するような自然条件はなかった。



【事故原因】
2014年5月時点で、主な事故原因は以下が指摘されている。
・過積載とバラスト水の操作
・運航会社の問題
・船長の離席と三等航海士の経験不足
・不適切な船体改造
・船体検査制度の不備
・船体の故障



【船員の過失】
事故時、船長は操舵室にいなかった。
乗客の避難誘導をせずに真っ先に脱出をはかり、
海洋警察の船で最初に保護されたのがセウォル号の船長である。

事故当時にセウォル号を操船していた女性三等航海士は新人であり、この航路での操船は初めて。


救助された乗客は、乗組員による避難誘導が全く行われなかったと証言。

「救命胴衣を着用して待機してください」という自動船内放送が流れ、船員も乗客へは「動かないでください」とのみ繰り返していた。


そのため、4階にいた多くの高校生たちのほとんどは船内放送に従って待機。
適切な避難誘導もなく沈んでいった。


朝鮮日報によると、船長は座礁から40分後には船外に脱出。
約50人の乗客とともに約30人いた乗組員のほとんどが最初の警察警備艇で救助されている。
船の最下層にいたはずの機関士や操舵手ら6人も真っ先に脱出。

セウォル号の乗組員達が乗客に避難誘導しなかったのは、救命ボートが使用できない状態であることを知っていたためと思われる。

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【不適切な船体改造】
セウォル号は1994年に日本で建造されたフェリーである。
18年後の2012年には廃船予定であったが、既に使用されていた日本製フェリーの部品調達用に使用する交渉が持ち上がり、韓国の清海鎮海運に数億円で売却されていた。


その後、最上階部分船体後方に客室を増設したり、船首右舷側の貨物用ランプウェイを取り外すなどの改造が施され、重心が設計より高くなり、定員数は804人から921人に、総トン数は6,825トンにそれぞれ増加。

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あくまでこの船は廃船予定の船であり、部品調達のために解体するとの名目で購入したにも関わらず、清海鎮海運は客船として運用開始。
「韓国最大のクルーズ船」と幅広く宣伝し、2013年より大型旅客船「セウォル号」として仁川-済州間週2往復の定期運行を開始した。


【運航会社の問題】
清海鎮海運は近年、故障や衝突などの事故を繰り返していた。
しかし、社員への緊急時避難教育は全く行っていない。
事故当日、船の重量オーバーを指摘する船員もいたが、会社側は取り合わなかったらしい。



【船体検査制度の不備】
各検査制度にも様々な問題があった。
後に、沈没したセウォル号は運航認可基準を満たしていなかったことが判明する。



【船体の故障】
2月に実施された特別安全点検では、5ヶ所に不具合があったと指摘されていた。
しかし対策済みという清海鎮海運側の報告のみで処理され、再点検は施行されなかった。
その1つは二重水密扉の作動不良であり、沈没後の生存を左右するエアポケットの発生条件にも影響する

また、操舵機故障の状態で運航を続けていた事も判明。
事故前から操舵機の電源接続に不良があり、清海鎮海運に対して修理申告書が提出されている。
一部報道では、船の最下層にいた機関士や操舵手ら6人清海鎮海運会社は明らかに船の異常を把握していたにもかかわらず、15日以上も無理な運航をしていたことになる。


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【韓国船舶事業の問題】
海洋安全審判員の統計によると、100隻に1隻の割合で事故が発生している。

にも拘らず、この5年間で懲戒処分となる免許取り消し例は一件もなかった。

日本の関門海峡でも、韓国船による海難事故が多発している。


平成21-25年の間、関門海峡で海難事故を起こした外国船籍の貨物船74隻中、韓国人船長が31人であり、全体の4割を占めて最多。中には韓国船籍のケミカルタンカーの座礁もあり、もし積み荷を積んだ状態であったならば、広範囲が化学物質によって汚染された危険があった。



【政治的な問題】
船長を含め乗組員のほとんどが契約社員であり、正社員は居なかった。
「海軍は救援活動がしづらい状態である(民間の救助会社が優先される為)」という政治的な問題。

長年の政官財の癒着と腐敗が、セウォル号沈没と被害拡大への遠因との指摘もある。



【韓国社会の問題】
セウォル号沈没事故の遠因には、韓国社会の体質にも原因があるとされた。

朝鮮日報では、韓国社会は「生き残りたければ他人を押しのけてでも前に出るべきだと暗に教えてきた」として、家庭・学校・職場を問わず、犠牲と分かち合いよりも競争と勝利が強調され、清き失敗よりも 汚い成功をモデルにしてきた結果としている。
「弱者を先に」「遅くなっても一緒に」という社会倫理や道徳は、教科書に出てくる退屈な話程度の扱いだという。

また韓国では基本、規則、基礎、ルールを大切に考える人間に対し、何か世間知らずの堅物のように見下す雰囲気があり、それどころか、ずる賢い手口を駆使できる人の方が、有能な人間のように扱われ
とされ、今回のセウォル号沈没事故の根底には、このような基本を無視する韓国社会の病弊があることを指摘している。



【その他】
事故発生の当初、インターネットなどでは魚雷や機雷による襲撃説が飛び交った。

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死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?


845 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:20
■発見されたミイラ船
1927年10月31日、カナダ西海岸バンクーバー島。
ワシントンのシアトル港への帰路についていた、アメリカの貨物船「マーガレット・ダラー」号は、
行方不明になっていた小型漁船「良栄丸」を発見した。

ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、激しい死臭、白骨体、足の無い死体。
船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。

船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
船尾の司厨室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、
コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。
船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。

ところが、船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。
そのノートによると、良栄丸の情報は以下の通りだ。


重量は19tで1本マスト
船主は和歌山県の藤井三四郎
船長は三鬼時蔵
機関長は細井伝次郎
乗組員は12名
神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日
約1年間漂流していた
ここで疑問が浮かぶ。
発見された死体は9体、記録には12名とある。
3名はどうなったのだろうか。





846 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:22
■不幸な漁船
1926年12月5日、
神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。
天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、
翌12月6日に銚子港に寄港した。
しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。
が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。
そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、
紀州船によく似た船が現れたので、
信号を送ったり船員が叫んだりしたのに、応答も無く通り過ぎてしまったという。

三鬼船長は漂流を決意、
記録には「4ヶ月間は食べられる」と書いてあった。

12月16日にも「東洋汽船」と書かれた船が近くを通ったが、
応答はなかったという。
なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。

記録にはこう書かれている。
「どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。ただ汽船を待つばかり。反対にアメリカへ漂着することに決定。
帆に風を七三にうけて北東に進む・・・。
しかし、漁船で米国にたどりつこうとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」



847 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:26
■恐怖の記録
ここからは説明は要らないだろう。
記録文のみで充分に迫力が伝わってくる。


「12月27日。カツオ10本つる」

「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」

「2月17日。いよいよ食料少なし」

「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。
恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた」

「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、
「ひとめ見たい・・・日本の土を一足ふみたい」とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする」

「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。
水葬に処す」

「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。
井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。
全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」

「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、
「おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、にじが見える・・・。」などと狂気を発して、
左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。いよいよ地獄の底も近い」



848 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:26
「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、
三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、吉田藤吉の頭をめった打ちにする。
その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。
のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて
歯という歯から血液したたるは、みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」

「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。
全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。
血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものはなしと心得たい。
これもみな、餓鬼畜生となせる業か」

「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」

「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。
人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」

「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。
地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。
同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」



849 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:26
「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。
ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし」

「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。
山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。
あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。
友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。
白骨のぞきて、この世の終わりとするや・・・」


日記はここで切れている。
だが三鬼船長は、杉板に鉛筆で、以下のような家族宛ての遺書を残していた。


「とうさんのいうことを、ヨクヨク聞きなされ。
もし、大きくなっても、ケッシテリョウシニナッテハナラヌ・・・。
私は、シアワセノワルイコトデス・・・ふたりの子どもたのみます。
カナラズカナラズ、リョウシニダケハサセヌヨウニ、タノミマス。
いつまで書いてもおなじこと・・・でも私の好きなのは、ソウメンとモチガシでしたが・・・
帰レナクナッテ、モウシワケナイ・・・ユルシテクダサイ・・・」



851 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:27
■奇妙な事実
しかし、記録を調べるうちに、奇怪な事実が浮かびあがった。
数十回に渡って他の船にであっていながら、救助に応答する船は一隻としてなかったことだ。
そして、吉栄丸は太平洋横断の途中、たった一つの島さえも発見できなかったのである。

しかし、アメリカの貨物船
「ウエスト・アイソン」号のリチャード・ヒーリィ船長は、次のように述べている。 

「1926年12月23日、
シアトルから約1000キロの太平洋上で波間に漂う木造船を発見したが、
救助信号を送っても返事が無いので近づきました。
しかし、吉栄丸の船窓や甲板に立ってこっちを見ていた10人ほどの船員は、誰一人として応えず、
馬鹿らしくなって引き上げたのです」

だが吉栄丸の記録にこのことは書かれていない。
一体、彼らにはなにが起こっていたというのだろうか。


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海にまつわる怖い話・不思議な話


836 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:2001/07/29(日) 06:22
昭和30年7月28日、
三重県津市の中河原海岸で、市立橋北中学の女子生徒が水泳の授業を行っていた。
ここは遠浅で波も穏やかで、生徒達は海岸から50mほどのところを泳いでいた。

ところが、静かだった海を突然大波が襲った。
生徒達は次々と海底へ引きずられてゆき、36名が死亡、生存者は9名という悲惨な事故となってしまった。
この日は天候も良く、遠浅のこの海岸では子供でも足がつくはずだった。 





837 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:2001/07/29(日) 06:32

水中カメラで海の中を見てみると、激しく砂が巻き上げられ、視界が全くきかない。
さらに強力な潮の流れが発生している。

この波を「離岸流」(リップカレント=浜辺から沖へ向かう強力な潮の流れ)という。
この離岸流は、鹿島灘に限らず、外洋に面した遠浅の海岸に波が直角に入ってくるときに発生する。
この「離岸流」の流れは秒速2mの速さだという。

「離岸流」の発生する条件は、
(1)外洋に面している
(2)遠浅の 長い海岸
(3)波が浜辺に直角に入ってくる、の3つだ。

その3つの条件を、鹿島灘は全て満たす海岸なのである。



855 :コピペ1:2001/07/29(日) 20:36
防空頭巾の集団亡霊


三重県津市の海岸には、海の守りの女神の像が立っている。
ここは、昭和三〇年七月二十八日に、
市立橋北中学一年生の女子三六人が水死した所だが、
当時の生き残りの一人だった梅川弘子さん(二一)は、週刊誌「女性自身」(昭和三八年)に、
その時の恐ろしかった手記をサイン、写真入りで寄せている。


いっしょに泳いでいた同級生が、
「弘子ちゃん、あれ見てー」としがみついてきたので、
二、三〇メートル沖を見ると、その辺で泳いでいた同級生が、つぎつぎと波間に姿を消していくところだった。

すると、そこで弘子さんは、
「水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくる」のを見た。
それは何十人もの女の姿で、ぐっしょり水を吸い込んだ防空頭巾をかぶり、もんぺをはいていた。
逃げようとする弘子さんの足をつかんだ力はものすごく、水中に引きこまれていったが、
薄れゆく意識の中でも、
足にまとわりついて離れない防空頭巾をかぶった無表情な白い顔を、はっきり見続けていたという。



856 :コピペ2:2001/07/29(日) 20:37
弘子さんは助けあげられはしたが、肺炎を併発し二十日間も入院した。
「亡霊が来る、亡霊が来る」と、よくうわごとを言ったという。

「防空頭巾にもんぺ姿の集団亡霊」というのには因縁話があって、
津市郊外の高宮の郵便局長・山本剛良氏によると、
この海岸には、集団溺死事件の起こったちょうど十年前の、
月日も同じ七月二八日に、米軍大編隊の焼打ちで市民二五〇余人が殺されており、
火葬しきれない死骸は、この海岸に穴を掘って埋めたという。

山本氏からこの話を聞かされた弘子さんは、
手記の名中で、
「ああ、やっぱり私の見たのは幻影でも夢でもなかった。
あれは空襲で死んだ人たちの悲しい姿だったんだわ」と納得している。


なお山本氏が聞いて回ったところによると、
この亡霊は、弘子さんを含めて助かった九人のうち五人までが見ているばかりが、
その時、浜辺にいた生徒たちの内にも、何人かが見たと語っているそうだと、弘子さんは伝えている。


また、その後、こうした体験をした弘子さんは、卒業してガソリンスタンドの事務員に就職したが、
自分でも積極的に調べてみると、
次つぎに怪異な事件が起こっていいることを知ったと、次のような報告を併記している。

○溺死事件の前日、大きな火の玉が
浜辺の某家の屋根に落ちたのを、釣りをしていた何人もが見たが、
その家の娘も弘子さんといっしょに遭難水死した。

○腰まで海水に浸って釣っていた人が、
突然何かに憑かれたように沖へ沖へと歩いていって、
そのまま海中に姿を消し、死体も揚がらぬ事件が、四年間も続いている。

○渡辺小三郎という人は幸い救われたが、
病院で「亡霊を見た」とうなされ続け、意識不明のまま二〇日後に死去している。

注:この海辺は現在は遊泳禁止。


 

【閲覧注意】
死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?26


918 :1/5:03/02/12 18:36
私が今から話すことは、所謂『オカルト』といった性質のものではない。
しかし、私にとっては本当に洒落にならない経験だった。
だから、かなりの長文ではあるが、ここに書き込むことにする。
霊の類の話を期待している向きには申し訳ないが、しばらくの間、我慢して欲しい。


私は昨年まで外資系の企業に勤めていた。
ある時、私に「C国へ出向しないか」という打診があった。
会社はC国に工場を所有しており、そこの技術者に
日本国内の工場で採用されているシステムを修得させるのが目的の、長期出向だった。
長期とは言っても、現地スタッフによる運用が可能となるまでの、
期間限定の出向だったし、 現地での待遇も、帰ってきてからのポストも、非常に良い条件だった。
私は少し考えた上で承諾した。


C国の工場で引継を終えた夜、私は前任者と食事を共にした。
前任者(仮にT氏としておく)は赴任してから半年後に、健康上の理由から日本への帰国を希望していた。
目の前のT氏は確かに頬がこけていて顔色が悪く、心身共に疲れ切っているような印象だった。

T氏は、現地での生活について様々なアドバイスをしてくれたのだが、
中でも「倉庫の裏にある丘には決して近づくな」というようなことを、ことさら強調した。
私がその理由を尋ねても、T氏は口を噤んだままだった。

やがてT氏は帰国し、私のC国での生活が始まった。





919 :2/5:03/02/12 18:37
C国は最近まで激しい内戦が続き、それが国民の生活に大きな影を落としていた。
工場の周辺は農村地帯だったので、
破壊行為の跡などはあまり見られなかったが、
ゲリラによる虐殺や略奪は、このあたりの集落にも及んでいるようだった。
働き手や財産を内戦で失った家庭などは、日々の生活すらも全く困窮している有様だった。
そんな家の子供は工場へと続く道端で、半ば物乞いのような事をさせられていた。

また、工場に雇われている労働者には、夫を亡くした女が優先的に採用されており、
彼女らの子供は、母親が仕事を終えるまで工場の近くで遊んでいる。
工場の周辺には、そんな訳ありの子供が大勢集まっていた。

私はいつの頃からか、そんな子供達と仲良くなり、
昼休みや仕事がヒマな時などは、彼らの遊び相手になることもしばしばだった。


ある昼休みのことだった。
いつも工場の周りで遊んでいるKという子供が、
「面白い所があるから一緒に行ってみよう」と私を誘った。
「すぐ近くだから」と言うK君の言葉を信じて、
私はK君と彼の妹のSちゃんと一緒に、工場の脇の林に向かって歩きだした。

しばらく木立の中を歩いていくと急に視界が開けて、広い空き地のような所に出た。
K君とSちゃんは、そこでサッカーのようなことをして遊び始めた。

私も混ざってみたけれど、K君のボール捌きはなかなかのもので、
本気にならなければK君のボールを奪うことは出来なかった。

そうこうするうちに昼休みも終わり、私は職場へ戻った。


何日かして、K君とSちゃんと私はやはりあの空き地へやって来た。
その日は、私は木陰でぼんやりとK君とSちゃんの遊ぶ姿を眺めていた。
ふと視線を工場の方に向けると、少し離れたところに倉庫が見えた。
そこで、以前T氏が言っていたことを思い出した。
『倉庫の裏にある丘には決して近づくな』
そういえば、ここの地形は少し盛り上がっていて、丘のような感じがする・・・



921 :3/5:03/02/12 18:38
私は近くにいたK君を呼びかけ、もう帰ろうと誘った。
Sちゃんを探すと、反対側の木立の辺りに立って、何かをジッと見つめているようだった。
見ると、黄色いオモチャのようなモノが落ちている。
それを拾おうとして、Sちゃんはしゃがみ込んだ。
私はSちゃんの方へ足を踏み出し、『帰るよ』と呼びかけようとした。
すると、K君が袖を掴んで軽く引っ張った。
私は思わずK君の方を向いた。

ドンッ!

突然、腹に響くような大きな音がして、私はSちゃんの方を振り向いた。
Sちゃんは地面に倒れていた。
私は急いで駆け寄ったがダメだった。
足や手があり得ない方向に曲がっていて、体の下から血が溢れている。
しばらく呆然と立ち竦んでいた。
が、不意に、Sちゃんの拾おうとしていた黄色いモノが、地雷であったことに気付いた。


もちろん、対人地雷のことはC国に来る前から聞いていた。
子供が興味を持つような色や形の地雷があることも、
世界各国で、それらの犠牲となり、手足を失った子供の写真も見たことがある。
しかし、私には実感がなかった。
情けない話だが、
Sちゃんの無惨な遺体を見るまでは、私の目の前で幼い子供が犠牲になるなど考えてもみなかった。

振り返ると、K君が顔をクシャクシャにして泣いていた。



922 :4/5:03/02/12 18:39
Sちゃんが死んだ丘は、法的には工場の敷地だった。
実際には、地雷の危険性があったということで、立ち入り禁止となってた。
しかし、そこを囲っていた有刺鉄線はとっくに盗まれていた、ということだった。


私はSちゃんの家族に会って謝ろうと思ったが、工場長をはじめ現地のスタッフは皆反対した。
「あれは事故だ。断じてあなたのせいではない」
皆がそう言って私を慰めてくれた。
後に工場長から、Sちゃんの家族には会社から見舞金が渡された、と聞かされた。

私はしばらくの間、自宅で休養した。

工場に戻っても、以前のように子供と遊ぶ気にはならなかった。
K君と会うことも二度となかった。



923 :5/5:03/02/12 18:40
やがて月日がたち、当初の目的を果たした私は、日本へ帰ることになった。
帰国した私は、真っ先にT氏に連絡を取り、会う約束を取り付けた。

T氏は私を見るなり何かに気付いたようで、深いため息をついて言った。
「ご愁傷様だな」

私は少し間をおいてT氏に尋ねた。
「あなたも、あそこで同じような体験をしたんですね」
「ああ、私の時は男の子だったよ。赤い地雷だった」
「・・・その後は?」
「たぶん君と同じだ。一月もすると別の子供が誘いに来た。
行ってみると、有刺鉄線などどこにもなかった」
T氏はひどく悲しそうな目をしていた。
「それからは、ひっきりなしだ。兄弟連れで、何人も何人も・・・」


Sちゃんの家族の手に渡った見舞金。
我々にとってははした金程度のものでも、C国では家族を数年養えるだけの価値がある。
おまけに養う口は一つ減るのだ。しばらくの間T氏と私は、子供達の運命を呪うように黙って俯いていた。



926 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/12 18:46
もしかして口減らしのために地雷に・・・?



929 :918:03/02/12 18:50
多分そうだと思う。
考えたくはないけれど。
地雷も持ち込んだんじゃないか、と。



932 :918:03/02/12 18:52
T氏には確信がなかったそうだ。
でも、私の話を聞いて後悔していたのを憶えてる。



939 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/12 19:55
なぜ地雷があるってはっきり言えないんだよ、Tのバカ!



943 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/12 20:08
同意。
確信が無かったって、「地雷があるよ」って言って
実際は無かったって、殺されるわけじゃなかろーに!!!!
Tのアホ、Tのバカ、Tの人殺し!!
もし一言教えてくれてれば、少なくともSちゃんは死なずに済んだかも知れない!!



946 :魔界一号:03/02/12 20:12
そう、感情的になるなよ。
例えSちゃんは死なずに済んだかもしれないが、海の水をたらいで汲み出すみたいなもんだよ。
根本的な解決にはならない。



969 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/12 22:06
大変面白く読めました。

しかし、輸入商社の私から見ると、
「日本の企業(特に工場をもつメーカー)が、そんな危険な地域に進出するだろうか?」と
つっこんで見るテスト。
商社は危険地帯でもガンガン行く事あるけどなー。

作り話なら、なおさら上手いなぁ、と思います。
でも、本当だとしたら…書き込んだ本人が地雷の犠牲者になる可能性を考えると、
Tがこの事を伝えなかったのは…ハッ!!もしや!!



976 :918:03/02/12 22:37
T氏によると、事故の後に丘を調べたところ、地雷は無かったそうです。
私の時は会社の人間で調べたのですが、地雷の捜索は素人には非常に難しい。
現地のNGOに地雷の除去を頼んだらどうか、という意見も出ましたが、結局実現しませんでした。


私見ですが、あの時会社からの見舞金がなければ、K君の家族は全滅していたかもしれません。
その場合、死ぬ順番はやっぱりSちゃんのほうが早かったでしょうね。
本当に、やり切れない思いです。

>>969
そうですか。
国内メーカーは、何と言うか腰が引けていますね。
ヨーロッパ系の会社は、そのへんがシビアというか、政治に介入してでも、
橋頭堡は確保しようとする傾向がありますね。

今思えば、「過去に地雷で事故があった」という一言ぐらいは、あってもよかったような気がします。<T氏
これを見てレスをくれるという可能性は・・・まあ無いでしょうね。

板違いの長文レス、すみませんでした。
あ、口調が変わってますね。



死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?


839:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 13:55:28 zxP0DBDF0
道東にある某ホテルでフロントをしています。
先日、予定到着時刻を大幅にオーバーしていらっしゃるお客様にお電話させていただいたところ、
「あ、すみません。道に迷ったみたいで」との事。
どうもお車を運転なさってるようでしたので、
早々に電話を切りあげ、その後、交代の時間になったので帰宅しました。


次の日の朝刊を見てみると、お客様が事故でお亡くなりになっていた事が判明。
目撃者ありの事故だった為、具体的な時刻が書いてあったのですが、
私がお電話する2時間以上前でした。
一体どこで迷っていらっしゃったのでしょう…。


更に、これは昨日の事なのですが、
私のプライベートの携帯に、くぐもった呻き声の様な音が、47秒にわたって留守碌されていました。
本日16時より、お払いに行ってくる予定です。





842:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 14:06:21 OYvok4pTO
貴方が間違い電話を掛けて、相手が適当に合わせただけじゃね?
携帯に掛かってきたのはイタ電ぽいし。



843:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 14:17:48 zxP0DBDF0
書き方が悪かったですね。
当然、ご指摘いただいた可能性を考慮して、交換台の記録はチェックしています。
それに万一、お客様が誤った番号を届けていらっしゃったのだとしても、
その番号から当方のプライベートの携帯に、連絡が入る筈は無いと思うのです。

個人的には、有給をとって、御祓いの為に京都まで出かける程怖かったので、
スレ違いになったのは御容赦下さい。



864:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 16:48:37 QCnDTsnc0
最初の電話がつながった時に、憑いちゃったとかなんでしょうかね?
お払いの話も聞きたいけど、ここじゃ無理だしな。



897:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 19:14:57 HPDSAB0F0
839です。
たった今ホテルに帰ってきました。

別のホテルに勤めている友人の伝手で、とある霊能者さんの所に行ってきたのですが、
当方が用件を切り出す前に、
「ああ、男女二人ついてきてるね。うわ~。痛ましい姿だね。自動車事故?」
と仰ったので、吃驚しました。
紹介してくれた友人にも細かい事情は告げて居ませんでしたし、
ホテルの同僚達にも、本日の有給は親戚の法事と言っておいたのですが…。


霊能者さん曰く、
私が電話をしたのは、警察署内に事故車が運び込まれた後で、
亡くなった方の携帯は、助手席の下に潜り込んでいて、そこに繋がってしまったんだそうです。

その後、御祓いをしていただいたのですが、
その最中、携帯電話が狂ったように振動し、沈黙した後は電源が入らなくなっていました。

何もかも初の体験で、興奮の為些か乱文気味ですが、取り敢えず御報告まで。



907:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 20:00:34 U7Eet0Qu0
事故直後の事故車両に残されてた携帯に着信したら、警察から事情聴取されそうだけどね。



909:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 20:27:15 QAOJzMZHO
もしかしたら相手を確かめるために、警察の人が電話にでたのかも。



911:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 20:48:48 HPDSAB0F0
アルコールを買いに出掛けてました。

>>907
先ほどホテルに電話した際に、それとなく聞いてみましたが、
変わった事は無いと言ってましたから、警察から電話が掛かってきたりはしてないみたいです。

>>909
会話の内容から判断して、どう考えても警察では無かったと思います。


正直、私は今まで霊体験と呼べるようなものは0でしたし、
怪談なんかも好きでしたが、信じては居ませんでした。
よもやこの歳になって、価値観の大幅な変更を強いられるとは…
今夜はなかなか眠れそうにないです…



916:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 21:29:27 rFiFbua5O
大丈夫でしょうか?
現在落ち着いていますか?

今夜も蒸すような暑さの様です。
不眠症な私ですが見守っていますよ。
何かありましたら、レスして下さいね。 一人じゃないですよ(´▽`)



919:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 21:36:30 QCnDTsnc0
大変でしたね、お疲れ様でした。
そんな痛ましい姿の幽霊って、見えたら怖いだろうな。
時間があれば京都観光して、気分転換なさってください。
道東の方には暑いかもしれませんが



920:本当にあった怖い名無し:2010/06/29(火) 21:46:31 HPDSAB0F0
有難う御座います。

ただ、御祓いの方は成功したと思ってます。
前述の霊能者さんが、人間的にも信頼出来そうな方だったのが大きかったですね。
長年フロントマンをしておりますので、
人を見る目はそれなりにあるつもりなのですが、凄く良いお顔をなさってました。
それに、「携帯壊しちゃったから」という事で、
挨拶代わりの粗菓以外、一切お礼も受け取っては下さいませんでした。


今ナーヴァスになっているのは、今まで何の気無しに見てた世界が、全く違って見えているからです。
ほんと、夜が怖いと思ったのは幼少時以来です…
明日はゆっくり寺社巡りでもしたいところですが、夜からシフトが入っているんですよね…

それにしても、京都の夜は本当に蒸しますね。
部屋の中は空調が効いていますが、先ほど買い物に行った際に実感しました。



956:本当にあった怖い名無し:2010/06/30(水) 07:51:06 /dnKoBgn0
>>897の人居る?
ちょっとこれ洒落怖なんだが・・・


30日午前1時ごろ、京都市東山区国道143号線の交差点で、
北海道帯広市のホテル従業員田中秀明さん(48)が倒れているのを通りかかった人が見つけ、
119番通報した。
消防署員が駆けつけたところ、田中さんは全身を強く打っており既に死亡していた。
東山署は死亡引き逃げ事件とみて捜査している。
田中さんは法事の為、帰省中だった。



959:本当にあった怖い名無し:2010/06/30(水) 08:32:06 HrTbhAMUO
ちょ;…………
改めて前のレス確認してきたが、寝れないと言ってたし、もし夜散歩してたとしたら…
朝から鳥肌たったよ。
書いた人がレスくれたら安心するんだけどなぁ。



961:本当にあった怖い名無し:2010/06/30(水) 09:07:31 dyvIK0bp0
北海道のホテルマン。
現在地京都。
(表向きは)法事で帰省中。
オイオイ・・・全部当てはまってるぞ。早く無事報告のレスくれ・・・!!
たまたま電話かけたのがこの人だっただけで呪われるとか洒落ならん・・・



ほんのりと怖い話スレ その18


469 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :04/07/02 01:08 ID:o+J2VUm9
その日は仕事で遅くなり、終電に乗って家へ帰るはめになった。
駅に着き、改札を出て家へ向かって歩き始めると、駅前広場の片隅に何人か集まっていた。
良く見てみると集まっている中心には、『易』と書かれた紙の下がっている
小学校で使うような机と椅子に、おばあさんが腰掛けている。

こんな地方の寂れた駅に占いかあ、はじめて見たよ。
それにしても客が来てるなんて、もしかして良く当たるのかな?
ちょっと興味がでてきて寄ってみることにした。

集まっているのは、サラリーマン風の人と学生っぽい人の二人だ。
机の上にろうそくが一本立っていて、占われているのは40歳位の綺麗な女の人だった。
とりあえず、まわりの人たちに話し掛けてみた。

私「ここって良く当たるんですか?
私はこの駅毎日使ってるのですが、占いなんてはじめて見ましたよ」
サラリーマン「・・・」
学生「・・・」

誰も返事をしない。
学生の方は、私も知っている地元のS高校の学生服を着ていた。
なんだよ!感じ悪いな!!
ちょっとムッとしたが、おとなしく待つ事にした。





470 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :04/07/02 01:08 ID:o+J2VUm9
20分程待っただろうか。まだ最初の女の人も終わらない。
長いなあ。なに話してるんだ?
別に遮るものも無いので、傍に行って聞き耳を立ててみた。

女の人「それは避けられないのでしょうか」
占い師「そう。運命だからね」
女の人「それは避けられないのでしょうか」
占い師「そう。運命だからね」
低く小さな声で同じ言葉を繰り返していた。

なにか変だぞ。

気味が悪くなって、もういいから帰ろうと振り返ると、
今の今まで一緒に待っていたサラリーマンも学生も誰もいない。
えっと思う間もなく駅の明かりが消えて暗くなり、辺りは街灯の明かりのみとなってしまった。
「うそっ」と占い師の方を見ると、おばあさんも女の人も消えていて、机も椅子もなにも無い。
私は少しでも早くその場を離れようと、必死に走って帰った。


それからしばらくして、
駅の近くの踏み切りに軽自動車が突っ込み、夫婦と子供の3人が亡くなったと新聞の地方版に載った。
小さな記事で名前と大まかな住所ぐらいしか掲載されてなかったが、
子供の学校はS高校だった。



日常以上オカルト未満


247 :名無しさん@おーぷん :2014/05/09(金)12:01:12 ID:EfEL3kkWm ×
おもっくそ大雑把に

・真っ昼間に集団で拉致られる
・気がつけば仮面ラ〇ダーのまな板の上の本〇猛状態
・次に気がつけば開放されてて介抱されてた
・騒ぎになるもニュースにはならず以降タブーなかったことに
・なかったこととはいえ騒ぎが騒ぎだけに別の事故として処理される
・外部に漏らしたり訴えたりした当事者関係者はいなくなっちゃう


なにがこわいかって、結局は政治絡みなんだよね、
人が町がまるごと社会から国から見放されるのってさwww

 


249 :名無しさん@おーぷん :2014/05/09(金)23:05:49 ID:EfEL3kkWm ×
日本よ?思いっきりジャパン



関連記事
事件性もなく、自殺と断定しました

日常以上オカルト未満


151 :名無しさん :2014/04/09(水)19:13:13 ID:8Iag1fEqb ×
オカルトかどうかは分からんけど、鉄鋼関係の仕事に携わった事があるよ。
たまーに高炉に人が落ちるんだよね。


でも高炉はすぐに止められないから
絶対助けられないし、一人の命で賄いきれないくらいお金がかかってるんだ。
だから、結果ちょっと燐成分の多いH鋼とかが出荷されるんだよ。

新築のマンションなんだけどちょっと気になるようだったら
そういう鉄なのかも知れないね。



死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?197


608 :本当にあった怖い名無し:2008/09/25(木) 17:08:27 ID:CEzk0ISA0
小学生の頃放課後、
友人Tと校庭での遊びを終え教室に戻ると、
オカルト好きなB子と数人の女子が、コックリさんをやっていた。

当時『学校の怪談』と言う本が馬鹿売れしていて、ちょっとしたブームだった。
中でもB子は自称霊感少女であるらしく、
「コックリさんをやる時は、私がいれば大丈夫。何か取り憑いても、私が御祓いしてあげる」 と言って、
みんなから慕われていた。
Tは「アホくさ」と軽蔑したような顔で女子を睨み、
「コックリさんなんているわけねーじゃん」と喧嘩を売り始めた。


するとB子は、「そういう事言わない方がいいよ。呪われちゃうよ」と応戦。
「はっ?馬鹿じゃねえ?俺んち寺やってるから周り墓地だけど、人魂の一つも見た事ねえよ!」
とTが吠えます。
すると女子の中の一人Cちゃんが、
「でも、これ勝手に動くんだよ・・・嘘じゃないって」と怖がりながら、コックリさん体験を話す。
そうよそうよと女子たちが調子に乗り出し、
「だったらK君(僕です)とTも一緒にやろうよ」と言い出した。
Tは「上等だよ」とやる気まんまん。

僕は恐がりだったので遠慮すると、「じゃあKは先に帰ってろよ」とT。
帰っても良かったんだけど、僕はCちゃんの事が好きだったので、残って見ている事にしました。





609 :本当にあった怖い名無し:2008/09/25(木) 17:08:58 ID:CEzk0ISA0
いざコックリさんが始まりましたが、
僕はCちゃんの事ばかり気にしていて、あまり経過を見ていませんでした。
憶えている事と言えば、10円玉が動いた際、
Tの「誰だよ動かしてんの。わかってんだぜ」と言う声がしきりに聞こえていました。


時間も経ち、例の「コックリさんお帰り下さい」のくだりへきました。
すると、怖い話で良く見かける『NO』を繰り返し、帰ってくれないとい事態になりました。
見守る女子が動揺し始めると、
B子は「大丈夫。私の霊感で何とかするわ」と、インチキ臭い事を言い出す。
Tはその状況を馬鹿にしたような笑みで見つめ、
「はいはい。終り終わり」と、
コックリさんの紙をぐしゃぐしゃに丸め投げたのです。

「ちょっとあんた!何やってんの!」と怒るB子。
「これで俺呪われたんだろ?へっへっへ。どうせ何も起きないけどな」とフラグを立てるT。
どうして良いのかわからず混乱する女子たち。
ちょっと涙ぐんでいるCちゃん。
Cちゃんに「大丈夫だよ」と言ってやりたい僕。
そんなこんなで、混乱しつつもお開きになり、帰宅する事になった。



610 :本当にあった怖い名無し:2008/09/25(木) 17:09:49 ID:CEzk0ISA0
その日の夜、Tの家に泥棒が入った。
学校では「呪いのせいじゃない?」と噂されていたけど、
「何で呪いが盗みするんだよ。あほか」とTは余裕だった。
何でも、大した被害はなかったらしい。
僕も、これはさすがに偶然だろ、と思っていた。


数日後、Tが車に撥ねられた。
Tの自転車はタイヤに潰されたが、Tにはかすり傷すらなかった。
これは呪いのせいだろと思ったけど・・・
Tは「いや、完全に俺の不注意。曲がり角かっ飛ばしてったからな」と笑っていた。
何でも、その曲がり角では、前々から何度もぶつかりそうになっていたとか。
「あれだな。ああいう時って、スローモーションに感じるって本当だな!ノロイのせいか」
などと冗談ぶっこいていた。


更に数日後、男友達数人で鬼ごっこをして遊んでいた時、Tが階段を踏み外し下まで転げ落ちた。
みんなその場で凍って、「あわわ」になってしまった。
もしかして何者かに突き落とされたんじゃ・・・と思った。
が、Tはピョンと立ち上がり、
「危ねえ!階段の途中に犬の糞があった!踏まないようにしようとしたら落っこちたぜ!」と爆笑。
僕たちも安堵と面白さに爆笑。 Tは擦りむいただけで済んだ。


更に数日後、図工の時間、Tは彫刻刀で指を怪我した。
「呪いだ!!」とみんなが騒いだ。
B子が「T君の手を掴んでいる白い手が見えた」と言って怯えたが、
Tは怪我した指を見せびらかせながらプゲラっと笑った。
勝手に手が動いたとかそんなんではなく、
指を広げて置き、指の間をトントン彫刻刀を行き来させる、度胸試しに失敗したからだった。
(エイリアン2で、ヒューマノイドがやってたやつです)
ただ、普段面白い人気のあった先生にこっぴどく怒られ、凹んではいた。



611 :本当にあった怖い名無し:2008/09/25(木) 17:11:34 ID:CEzk0ISA0
その他にも、Tの身に色々な事故怪我はあったけど、呪いなのかと言われれば
どれも微妙だった。
学校では「Tは呪われているが、それ以上に強い守護霊に守られている」と噂された。
ただB子だけは、「呪われている」と言い続けた。


ある日、遠足にて川辺の飯盒炊飯をやっていた。
「川には入るなよ」と先生は言っていたが、
そう言われて守る者もいなく、食後にはみんな川に入ってばしゃばしゃ遊んだ。
比較的穏やかな流れだったし、そんなに深い場所もなかったので、先生も笑って見ていた。


しかし、事故が起きた。
B子が溺れたのだ。
川の底にあったガラスの破片を踏んでしまい、パニクったそうだ。 助けたのはTだった。

「呪われているのは私かもしれない・・・」と泣きじゃくっていたが、
Tが、「心配すんな。呪いなんかないって。それに呪われるんなら俺だろ?お前は平気だよ」と励まし、
安堵したようだった。

それ以来、B子はオカルト的な事を言わなくなったし、Tの事も悪く言わなくなった。
というか、絶対好きになってた。


ある日、Tと二人で帰っている時に、
「ねえ、T君は怖くないの?やっぱ呪いって嘘かな?」と僕は聞いてみた。
Tはちょっとだけ真面目な顔になって、「誰にも言うなよ」と前置きをすると、
「実はあのコックリさんやった日によ、夢の中に狐が出てきた。
んでビビってさ、父ちゃんにお経唱えてもらって、近くのお稲荷さんに油揚げ持っていった。
だけど、その後でも俺、怪我とかしてんだろ。ってことは、
呪いのせいなんかじゃなくて、ただ単に俺が不注意だってことじゃん」
と言って、Tは恥ずかしそうに笑った。
良く解らなかったが、何となく納得した。


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