サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

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404 :本当にあった怖い名無し:2018/12/22(土) 19:49:04.62
石じじいの話です。

北海道の話をしましょう。
じじいの北海道の知り合いが話してくれたそうです。
ニシン漁が盛んだった頃、北海道の沿岸各地には
雇われて東北や道南からたくさんの労働者がやって来ました。

「やんしゅう」という言葉は有名ですが、
余市の漁場などでは彼等を指してヤン衆とは呼ばず、「若い衆」や「雇い」と呼んでいたそうです。
経営者側が残す記録や文書に見られる労働者の名称は
「雇用漁夫」、出身地域を指して「秋田漁夫」「南部漁夫」などとしていたとか。
内地の人間は、彼らをヤン衆と呼ぶがニシン場内ではむしろ禁句であったそうです。

昔、地元漁村の女性が、そのようなヤン衆の男と「いい仲」になりました。
彼女は、その男と結婚することはなく地元の公務員と結婚しました。

彼女が60歳を超えた時に、その男性が再び村にやってきたそうです。ヤン衆として。
昔のままの若い姿だったそうです。
まったく変わっていない。
驚いて、本人かと思って話しかけても話は通じず当然別人でした。
その人物を知っている人たち全員が
「その人物が昔の男と別人とは思えない!まったく同じだ!」と証言したそうです。

50年近くたって、まったく同じ顔をした若いもんが来た、ということです。
そのヤン衆と昔の男とは、出身地も名前も違っていましたが瓜二つだったと。
親子かも親族のものかもしれない、と思ったそうですが、そうではなかったようです。

「その二人は、ちんぽも同じやったんかいのうぅ、ぐへへ」



280: 本当にあった怖い名無し: 2016/10/04(火) 22:36:51.04
もうかれこれ二十数年前の学生時代の話し。
夏休みに友達が集まって肝試しとかしたり、怖い話をしたりした。
Aは話し上手でみんなを引き込む怖い話でトイレにすら行けなくなるほどだった。
また今度みんなで集まろうってお開きになり、
Aは次回は死ぬほど怖い話を知ってるから期待しててって別れた。

そして、またみんなが集まった。
Aがまだ来ない。Aの家に電話したら、もうそっちに向かったという。
遅れてそのうち来るからみんなで先に始めていた。

結局Aは来なかった。
翌日、友達から電話があり、Aは死んだということだった。
後日、葬儀に伺い死因を聞いたらびっくりした。電車に飛び込んだらしい。
自殺?そんな!?なんか悩みでもあったのか、友達も心当たりがない。
遺書も自殺に繋がるようなメモもなかったそうだ。


【閲覧注意】
383:本当にあった怖い名無し:2018/12/13(木) 19:26:23.10 
石じじいの話です。

食べるといえば、道草を食ったことがありますか?
学校の帰りに食う草といえばイタドリです。
じじいの村(=私の故郷)ではイタンポと読んでいました。
竹のような構造をしている草で茎を折り取って薄い皮をむいて食べます。
塩をつけて食べると一層味が増すとして、
塩を学校に持ってきていて帰りにそれをつけてイタンポを食べていたグルメな友達もいました。

子どもの頃大きなイタドリの茎の中にはヘビがいると言われていました。
もちろんそんなことはありません。
竹の節のような茎の内部に蛇は入ることができないw
しかし、「本当にヘビが入っていた!」と言いはる人(友達も)が何人もいて
子供の頃にびくびくだったものです。
子供心にも、幽霊やUFOが実際には存在しない、納得していても、
心の隅にほんの少し信じる部分がありました。

昔は人間がヘビを産んだ、とか、ヘビが肛門から出てきた、とかという
「生理的に不快な」話もありました


384:本当にあった怖い名無し:2018/12/13(木) 19:36:42.50 
イタドリは食べたことあります。
やはり塩をつけて食べました酸っぱいですねー
あとヘビイチゴは毒があると言われていましたが食べれますよね
美味しくは無いですがw




385:本当にあった怖い名無し:2018/12/14(金) 08:35:57.59 
(・ω・)イナゴの佃煮や蜂の幼虫も食ったことあるぞよ、
ヘボ飯いって岐阜の田舎にはわりとあるんや。
好きな人も居るが特に美味いとも思わんかった。
昔は岩魚や山女は川のウジ虫いうてウジャウジャ沸いとったそうやが
飢饉の時はそれも食い尽くしたんやろか。


386:本当にあった怖い名無し:2018/12/14(金) 21:06:17.16 
岐阜のほうは長野あたりと共通する食文化なのでしょうか?
長野は有名ですね。昆虫食。
四国あたりでは昆虫食はあまり盛んではない印象です。
しかし、蜂の子は、いって食べていましたね。
数種類のハチのこどもを食べたことがあります。
蚕の蛹は釣り餌のみでした。海釣りに使っていたと思います。
こどものころにセミを焼いて食べてみたことがあります。
食べるところが異様に少なく(羽の付け根あたりしかない)物足りませんでした。
数をとる労力が半端ではありません。奴らはすぐに飛びますから。
エビ味ですね。

特定の病気を治癒させるために「人肉を食する」ということは昔からあります。
「何々の食べ物がなんとかに効く」と言うのはフードファディズムですね。

以前、朝鮮で子供の死体を食べた事件があった、という話を書いたと思います。
じじいの田舎の近くに有名な泥棒がいました。
明治時代末期に活躍(?)した池田亀五郎という強盗犯です。
別名「強盗亀」。
彼は野山を宿にして警察の捜査をかわしました。
後に彼はハンセン病を患い、その治療のために子供の生肝を食べると良いということを聞き
子供を殺害したという話があります。
信憑性が極めて乏しい疑わしい話ですが。
明治40年3月4日に死刑判決、明治41年8月24日に執行されています。

さて、食べると言えば、自分の孫を食べてしまった人もいたそうです。
お孫さんと一緒に山に遊びに行った(山菜でもとりにいったのか?)おばあさんが
家に一人で帰ってきました。
彼女の顔は血塗られていて真っ赤で両手も血に染まっていました。
家人がどうしたのか?と尋ねると、おばあさんは
「〇〇(お孫さんの名前)を食うてしもうた。こらえてや、こらえてや。」というばかり。
意味がわからず、おばあさんに孫の所在を尋ねても要領を得ない。

見当をつけて山に探しに行くと
バラバラにされて体の一部が食べられた子供(孫)の死体が転がっていたそうです。
脇にナタが落ちていました。
「食うてしもうてこらえてや、こらえてや・・・」

おばあさんは脳病院送りになりました。



377 :本当にあった怖い名無し:2018/12/12(水) 12:31:35.17
石じじいの話です。

これは、一部の人々の口に伝わっているもので町史などには触れられていない話です。
「飢饉」ということをご存知でしょう。
大規模な自然災害です。

江戸時代の四大飢饉などは有名で、多くの餓死者、難民をだしたました。
じじいが住んでいた一帯でも例外ではありませんでした。
特に、亨保十七年の「亨保の大飢饉」(1732)は、大きな被害をもたらしました。
西日本を襲った大規模な飢饉です。
当然、江戸で暴動が起きました。
前兆は、すでに四年前の亨保十三年からありました。
大雨が降り続き農耕地に甚大な被害がでます。
この天候不順は、十四年、十五年、十六年と続きます。
そして、十七年がやってきます。

暴風雨に加えて大量のイナゴが襲来します。
これは中国地方で発生したものが移動してきたものと考えられています。
イナゴの群によって空は暗くなり、地上には青いものは皆無になったと。

この被害で、藩の収入の91%が失われ、その後の一年は、まったくの無収入となりました。
しかも、幕府から多額の援助金を借りることになったのです。
その藩からは餓死者が一人も出なかったことになっているのですが、疑わしい。


378 :本当にあった怖い名無し:2018/12/12(水) 12:31:57.88 
ここから怖い話です。

生活に窮した人の中には、寺にあった「即身仏」を食べた人があったそうです。
空腹に耐えきれず、仏様も許してくれるだろう、と考えました。
仏前でお経を唱えて、その許しを乞い、即身仏を取り出して解体しました。
それを煮て食ったそうです。
そのような処理された?ミイラを食べることができたのか?(栄養があったのか?)
は甚だ疑問ですが。
即身仏があった寺の住職は、どうしたのか?これも疑問です。
これを承諾したのか?
その後、関係者に仏罰が下るということもなかったようです。

しかし、その寺は、後に裏山が崩れて崩壊し、
その残骸の上に新しい寺を建てることになったそうです。
大雨でがけ崩れ(地すべり)が起きることを、その地方では、「つえがぬけた」と言います。
まあ、即身仏食事件とは関係ないのでしょうけど。
そのため、古い寺の資料は大半が失われており
残った文書にも当然そのような記録はありません。

ただ、近年、寺の畑を開墾した時に地中から瓶が出てきて
その中から「極秘文書」が見つかりました。
そこにおそらく当時の住職が書きつけたであろう、食事件の顛末が残されていたそうです。

その文書には、即身仏を食して死を免れた人々は年老いてから「XX」した
と書かれていたそうです。
実際に「XX」と書かれていて、それが何を意味するのかは不明だったと。
その後どうなったか?は伝わっていないようです。


379 :本当にあった怖い名無し:2018/12/12(水) 18:54:15.69 
四国の即身仏なら生きたままお経を唱えて餓死したものだろうから
干物と一緒で食べても問題ないだろうな
栄養もそれなりにあるだろう。
蝗を食べるという発想はなかったのかな?


382 :本当にあった怖い名無し:2018/12/13(木) 19:10:32.05 
イナゴは食べなかったのか?
これは尋ねたことがあります。

即身仏を食ったのは、イナゴを食べつくしたあとだったそうです。
イナゴは一度に大量にやって来ますが、継続的には来ない。
また、大量なイナゴの死体を保存する手段がないので、
ほんの一時的な食料にしかならないのだとか。
調味料などもありませんし、脱水加工している余裕もない。
江戸時代の話ですね。

田舎では、いろいろなものを食べます。
都会では「珍味」と言われるようなものでも、田舎では普通の食材です。


154: 本当にあった怖い名無し:2009/07/29(水) 17:07:18 
二年ぐらい前にばあちゃんの弟が癌で亡くなった。
明るくて酒好きなおもしろいおじさんだったから亡くなったときはすごく悲しかった。
床屋やってて小さい時はよく髪切ってもらったし。

みんなそのおじさんのことを「ひでおじさん」って呼んでて
ばーちゃんも他の親戚も「ひでお」って呼んでたから
普通にひでおって名前って思ってた。

そしたら葬式で全然違う名前の看板出てんのw
「憲行」みたいな、漢字で漢字二文字読み四文字の名前。
何で?と思ってばーちゃんに聞いたら
「ひでおは本当は憲行(仮)っていう名前なんだよ」
「丑年の次男だから」って。

全然意味が分かんなくて後でかーちゃんに聞いたら
うちの田舎では丑年生まれの次男は家を潰すから
一回近くの川の橋の下に捨てて
拾った人に名前を付け直してもらうんだって。
ひでおじさんのひでおは拾った人の付けた名前なんだってさ。

ちなみにひでおじさんを拾った人はリアル捨て子だと思って
ひいじいちゃんとひいばあちゃんが
「丑年の次男なんで返してください」って取りに行ったら
「うちは子供が欲しかったから返したくない。男の子が駄目なら女の子をくれ」
って言われて、ばーちゃんの妹が養子に行ったw

つーか丑年の次男が家を潰すってなに?
誰か知ってる人いる?




337: 本当にあった怖い名無し :2009/07/31(金) 16:58:40
柳田国男の遠野物語拾遺に似たような話がある
年回りの悪い子は一度捨て子にして他人に拾ってもらい、改めて貰い子にする

それと同様に東北地方で取子という風習があった
寺社の門前に子を捨てて坊さんに拾ってもらい、それを貰い子にする
こちらは年回りではなく、子が健康に育つようにという話だった記憶があるので参考までに
ただ、どちらもうろ覚えなので間違ってるかも



350: 本当にあった怖い名無し :2009/07/31(金) 22:55:05 
今もその手のあるぞ。
とつきとおば(十月十歯)って言って、
赤ちゃんが生後十ヶ月で初めて歯が生えると
とおば=卒塔婆を連想させるから縁起が悪いってんで近くの「辻」に捨て子する。
近所の人にあらかじめ頼んでおいて、捨てた(というか置いた)瞬間に
その人に拾ってもらう。

ちなみに自分がそれをやられたらしい。
生まれも育ちも埼玉県、現在35歳。



690 : 本当にあった怖い名無し:2014/10/12(日) 00:03:58.23 
同居している旧軍人の幽霊さんと
ご本人の出身地、郷里表敬訪問+お墓参りに行ってきました。

ある戦いで功をなされた方なのに、地元ではあまり知られてないから
「○○中将の出身地」の立て看板でも創るべしですよねーと同意を求めたけど
「やめてくれ、恥ずかしい」とのお答え。

戦前の方は、自分の手柄を吹聴するどころか
あまり大ぴらに触れて回る=恥ずかしいという感性があったんだなぁ…と
現代人との違いに、驚かされた旅の一幕でした。


http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1357915612/

320 : わらび餅:2015/08/30(日) 05:22:32.06
私はあまり大きくない病院に事務として勤務しています。
ベッド数は100床程度ですが療養型もあるため入院している患者さんの8割は高齢者です。
また介護付き有料老人ホームやグループホームとも提携しているので
外来に来る患者さんも6割が後期高齢者です。
ほぼ毎日、入院患者の1人か2人は亡くなっています。
また、提携施設より急患として搬送されますが実際は医師が死亡確認のみ行う場合もあります。

あれは、私が遅番担当の日でした。
遅番は他の事務の者が定時で上がった後1時間ほど残って
夜間の事務当直に引き継ぎを行わななければなりません。

その日は他の職員は残業せず皆が早々に定時上がっており
事務室内にいるのは私だけでした。
それまで特に電話や来院者もおらず外来廊下や事務室内はとても静かでした。
あと30分程で事務当直が来るので
それまで自分の仕事をしようとPCの前に座っていると急に電話が鳴りました。

電話に出てみると近くの救急隊からの収容依頼でした。
患者は提携施設に入居している男性の高齢者で
呼吸も弱くサチュレーションもかなり低下しているとのことでした。

時間外の対応マニュアル通り
この時間帯だと技師が不在のためレントゲンやMRIは取れないこと
特別な検査等も出来ないことを救急隊に伝え
それでも来院希望なのか確認しました。

救急隊は、とにかく医師に診察してもらいたいとの希望でしたので
当直の医師にその旨を伝え当院にて収容となりました。
あと10分程度で到着するとのことだったので
急いでカルテを探し遅番担当の看護師に連絡して救急処置室の鍵を開けに行きました。
救急処置室は外来診察室の裏手になり
入院患者も通院患者も殆ど通らない場所にあります。

しばらくすると救急車のサイレンが玄関前で止まり救急隊が到着したのがわかりました。
救急隊から患者搬送票を受けとり救急治療室に案内しました。
救急隊員の1人は患者に心臓マッサージを行っており
患者の顔色的にもう駄目っぽいことがわかりました。

しかし来院していることはしているので医師が診察しなければなりません。
救急処置室にいた看護師と医師に引き継ぎ自分は事務処理の為事務室へと戻りました。


321 : わらび餅:2015/08/30(日) 05:24:28.47 
戻る途中、救急隊員に付き添いはいないのか確認しました。
施設に入居している人が搬送された場合
その施設のスタッフが付き添いで来ることが殆どです。

しかし、救急隊員が言うには、
施設のスタッフは後から別の車で来ること
患者に身寄りはなく近くに知り合い等もいないとのことでした。
よろしくお願いします、の言葉とストレッチャーと共に救急隊員は帰っていきました。

蘇生するにしてもしないにしても、会計は発生します。
遅番の自分はその処理をしなければなりません。

事務室に戻り十数分が過ぎたころ内線が鳴りました。
出てみると、処置室の医師からでした。
駄目だったので死亡診断書を作成する、用紙を持ってきて欲しいとのことです。

ブランクの診断書を用意して、処置室に向かいます。
外来廊下に自分の足音が響きます。
処置室の扉を開けると部屋の奥にストレッチャー、その上に患者さんだった方がいます。
更に、その横たわった体の頭のすぐそばに、1人のお婆さんがいました。
こちらに背を向け腰を曲げ
患者さんだった方の顔と触れあわんばかりに自分の顔を寄せていました。
白髪の髪をお団子に結っており、それが乱れて後れ毛が飛び出ていました。
黄色い地に大きな花柄のワンピースとその白髪頭が不似合いで
思わずじっと見てしまいました。

肝心の医師も看護師も処置室にはおらず
早々に書類処理がしたい自分としては少しイラッとしてしまいました。
そのまま処置室のドアを閉め医師のPHSにコールしてみました。
医師は外来診察室の一室にいるとのこと、私は足早にその診察室に向かいました。

医師に用紙を渡して医師が処置内容を記載したカルテを受けとり、事務室に戻りました。
PC にて会計処理をしながら、先ほど処置室で見かけたことを思いだしました。
外来廊下は救急隊員と自分しか通ってないはずだし
救急車に同乗していた付き添いもいなかったはずです。
入院患者さんは大抵お仕着せの寝間着を着ているはずだし…

この世のものではなかったのか?
もしも生きている人にだったとしても、なぜそんなに顔を寄せる必要があるのか?
疑問に思いながらも、患者さんだった方が生保だったことを確認し、ホッとしました。
生保なら、診療費を取りっぱぐれることはありませんから。




514:名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/03/23(火) 16:16:48.48 
俺がまだ小学生のころの話だ。
俺んちは両親が共働きで
「鍵っこ」というか、夕方までは俺一人だった。
その日もいつもと同じように、居間でコタツに入って寝てたんだよ。
母の帰りを待ちながらね。

玄関の鍵が開いた。
ああ母親が帰ってきたんだな。そう思った俺は「お帰りなさあい」と言おうした。
声が出ない。
よく考えたら身動きが取れない。金縛りにあってるんだね。
玄関からぺたぺたとスリッパの音。
うちでスリッパ履くのは母親だけだから、母親には違いないんだろうけどなんか微妙に違う。

居間のドアが開いた。
お母さん?と思ったが、この角度だと首が回らず顔が見えない。
でも音はするんだ。スリッパを脱いだらしい絨毯をすり足で歩いている。
ずりっ、ずりっ。
「ダイチャン。」
「ダイチャン。デカケルワヨ。」
話す声の主は母親なんだが抑揚がない。

ずりっ、ずりっ。
声の主はさらに近づいてきた。
もうちょっと、あと2、3歩でその正体が見えるかな、という
その時、玄関が開く音がもう一度して「ただいまー」って母の声が聞こえたんだ。

その瞬間、金縛りは解けた。
もーワケ分かんなくって、ガクブルいいながら母親んとこに駆け寄ったよ俺は。
「なんかおかあさんだけどおかあさんじゃない人が来たー」ってさ。
そしたら母親の顔色が変わってさ。

晩飯食いながら聞いたんだけど
どうやら母親は双子だったそうなんだ。
貧しいからと母親の母方(俺のおばあちゃん)の実家に生まれてすぐ
片方だけ預けられ、のこった双子の姉は、栄養失調でなくなったそうだ。

で、さらに聞くと俺は生まれてすぐ原因不明の高熱で死ぬところだったらしいんだ。
医者も見離し(2、3箇所まわったって言ってた)
どうしようもなく寺だか神社(スマンここ失念)に相談に行ったら、
「あなたの片割れの姉が、連れて行きたがっています」と。

俺は二人目の子供だから
私にも半分よこしなさいよってことなんだろうけどさ。



154: 名無しさん@おーぷん:19/07/17(水)13:18:58
カプグラ症候群ってあるじゃん?
知った人がそっくりの他人に入れ替わってると思い込む病気だけど
アレね、時々本当に入れ替わってる事があるんだよ
例えば、アパートの隣に住んでる人で
ゴミ出しの時にちょっと見かけるだけの人の顔、正確に思い出せる?
ホクロとか体格とか大雑把なところは思い出せるかもしれないがそんなものだ
で、大雑把に似てる人が自分は隣に住んでる某だと言ってきた時に絶対違うと確信が持てるか?
持てはしない
家族や恋人や親友がいれば見抜けるが
10年前の友達にあってもちょっと印象変わったねくらいも気づけば御の字だ
だから孤独な者はきをつけるがいい、特に無職のヒキコモリw
ある日、貴方は消えて別の誰かが貴方として生きる
本物が連れ去られる先は決して愉快な場所じゃない


155: 名無しさん@おーぷん:19/07/22(月)19:01:31
ああそれ俺もその話どっかで聞いた事あるわ。
某国には細胞と呼ばれる工作員が沢山潜伏してるんだっけ?
整形で顔はソックリに化けてるんだけど
性格が微妙に変わってる人が某国には沢山いるんだよな。
DV対策とか国が問題視して真剣にやり始めた理由も
元々は悪人や怠け者を殺して入れ替わっても
家族や増してや隣人は誰も文句を言わない事を利用した
背乗りが横行してたからというやつね。

想像してみて欲しい。
毎日パチンコ入り浸りで酒飲んで大暴れしてる奴が
ある日突然真面目になって働き出して家族を愛する様になる。
夜中に数時間ラジオから聞こえる変な呪文をメモしているがそんな事はどうだっていい。
兎に角真面目になって子供とも毎週遊んでくれる様になってくれた事が嬉しいので気にしない。
万一バレても喜んで共犯になるという。



https://toro.https://toro.open2ch.net/test/read.cgi/occult/1416986147/101-200

869 :本当にあった怖い名無し:2010/11/07(日) 19:04:55
現実的な説明はつける事ができる話で、ほんのりと怖い話なのではないかと思います。

今から5年前の11月、私が大学4年生の時の事です。
祖母が病気で入院しており、助からないかもしれないという時期でした。
卒業に必要な単位の取得、就職活動も終えた私は実家に戻り、
祖母の入院中の身の回りの事や、訪ねてくる親戚の方の対応をしていました。
手伝い始めてから3週間ほどで、祖母は亡くなりました。

その亡くなる1週間前の話です。
祖母がかすれた声で私に言いました。
「夜寝ると夢に死んだあやが出てきて、はやくこっち来い来いって追いかけてくる」
(祖母は祖父の事を『あや』と呼んでいました。方言的な夫の呼び名だと思います)
「それが恐ろしい顔で、捕まりたくないと思って必死に逃げる」
「なんであんな姿なのか、あやは地獄に落ちたのか」
「私も地獄に落ちるのか」
祖父は祖母が入院する半年前に亡くなっておりました。
衰弱を感じてナーバスになり、気持ちが沈んでいるからそんな夢を見るんだ。
私はそう思いました。

それにしても、私の祖父祖母は近所でも有名な中の良い夫婦で、ケンカもしたことも無く
どこに出かけるにも必ず一緒でした。
祖父が事業を起こし、うまくいかず生活が苦しい時も、良く助け合ったと聞いています。
それなのに恐怖の対象として置き換えてしまった。
少し悲しく思いました。




870 :本当にあった怖い名無し:2010/11/07(日) 19:06:08 
その話を聞いた2日後
「目が覚めてる時でも、あやが出てくるようになった」
「看護婦さんがドア開けて部屋に入る時、廊下のずーっと奥の方に立ってるのが見える」
と私に言いました。
誰かと見間違えるにしても、弱った視力で廊下の奥が見えるハズはない。
そこまで想像してしまうほど、祖母は元気を無くしているんだ。
そう思った私は
その日に家族に事情を話し一度集まってお見舞いに来てもらう事にしました。

確か亡くなる3日前の事だと思います。
父、母、兄と兄の奥さん、妹が祖母のもとにお見舞いに集まってくれました。
兄とは久しぶりに会った事もあり、祖母はとても喜んでいました。
ですが、祖母の一声で明るい雰囲気は一変しました。

「あやがこの病室に来ている」
「部屋の角に立ってこっちを見てる」
祖母は顔を手で覆いながら、嗚咽混じりに言いました。
「ずーっと仲良くやってきただろう?」
「なのに何故こんな真似するんだ?」
恐怖は感じませんでした。
その時はただただ、しくしく泣く祖母が可哀そうでした。

その数日後、祖母は亡くなりました。



ほんのりと怖い話スレ その68

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