サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

タグ:冤罪

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635 :本当にあった怖い名無し:2014/10/31(金) 06:45:28.50 ID:u5hRJBmG0.net
昨日テレビでやってた実話。

戦後間もない1950年頃、ある村で一人の女性が殺された。
警察の捜査が始まると、その村に住む男性Aさんがやたら熱心に警察の捜査に協力してくる。
警察が一応念のためにAさんにアリバイを問うと、Aさんはアリバイを偽証した。
これは怪しい、ということで警察は徹底的にAさんの調査を行うことに。

警察はAさんを容疑者として逮捕し、
Aさんの自宅を家宅捜査して『謎の汚れ』が付着した服を発見。
服の謎の汚れを分析した結果、『被害者女性の血液』と判明。
Aさんは始めは無実を主張していたが
やがて犯行を認め、有罪判決で懲役20年を言い渡された。

でもAさんは本当は無実。
Aさんは偉人の子孫で誇りが高く、元日本軍所属で愛国心が強く、
敗戦後の日本の役に立ちたいと願っていたから、公務員である警察の捜査に熱心に協力していた。
思いもよらず容疑を向けられ逮捕されたAさんは、必死に無実を主張し続けた。
Aさんの家族は裁判で争う資金のために、先祖代々続く家宝まで売りに出した。

しかし弟の訃報がAさんの心を折った。
裁判で家計が苦しい間、働いて家計を支えていた18歳の弟が心臓発作を起こして亡くなられた。
Aさんは「これ以上家族を苦しめられない」と考え、嘘の自白をして刑に服した。

警察の捜査も色々とずさんで突っ込みどころが多く、
Aさんの服に付着した『謎の汚れ』に関しては、鑑識に出したら『成分不明』という結果が出たにも拘らず、
それを握り潰して別の鑑識に出す、ということを何度も繰り返していたらしい。

20数年後に真犯人の自供によりAさんの無実は証明されて、
国から『ほんのわずか』な賠償金は出たらしい。
Aさんは当時の刑事を訴えたが、
『刑事が意図的に証拠を捏造した、という証拠は無い』という理由から全面敗訴した。




636 :当にあった怖い名無し:2014/10/31(金) 06:47:55.28 ID:u5hRJBmG0.net
アリバイを偽証って部分削り忘れてたから、補足。
Aさんがアリバイ偽証した理由は、ただ単に疑われてテンパって記憶違いしただけ。


639 :本当にあった怖い名無し:2014/10/31(金) 13:22:27.24 ID:q/SRhm7d0.net
これ、真犯人の犯行動機がくっそしょぼくて、それがまた後味悪さを引き立たせてた。

真犯人はミシンの修理技師で、訪問修理を行っていた。
あるお金持ちの家に修理で通ううちに、そこの娘さんに惚れ込んだ。
被害者はある金持ち宅の離れに間借りしていた一家の妻で、娘さんとは別人。

犯行の夜、真犯人は金持ちの娘さん夜這いをしようと忍び込んだものの、部屋がわからず諦めた。
帰り際に離れで眠っていた被害者を見つけ、ちょっと触るつもりで離れ忍び込んだ。
が、布団をめくってごそごそやってるうちに被害者が目を覚ましてしまった。
(あたりまえだ)
犯人は焦ってしまい、慌てて護身用のナイフを首にぐさりとやっちゃった。

推理小説ばりの陰謀渦巻く大事件なんかじゃなくて、
こんな計画性も何もないくそしょぼい事件だったんだ。


松本サリン事件とは、1994年(平成6年)6月27日に日本の長野県松本市で発生したテロ事件。
正式名称は「松本市内における毒物使用多数殺人事件」。



オウム真理教教徒らにより、初めて戦争状態にない国において、神経ガスのサリンが散布され、被害者は死者8人重軽傷者660人に及んだ。

サリンのような化学兵器クラスの毒物が一般市民に対して、無差別に使用された世界初の事例であり、同じくオウム真理教による地下鉄サリン事件を除けばその後も類が無い。

また、無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件・報道被害事件でもあった。
その背景にはずさんな捜査を実施した警察とマスコミのなれ合いが大きい。

坂本堤弁護士一家殺害事件・地下鉄サリン事件と並んで「オウム3大事件」と称される
が、実際にはオウム云々より、警察の不手際によるただの冤罪事件であることを忘れてはならない。


【事件の経緯】

・1994年6月27日から翌日6月28日の早朝にかけ、長野県松本市北深志の住宅街で神経ガスのサリンが散布され7人が死亡、660人が負傷した。
(事件から14年後の2008年8月5日、本事件による負傷の加療中であった第一通報者の妻が痛ましくも死亡したためこの事件による死者は8人となる


【冤罪の発生】
・6月28日、長野県警は第一被害者であり、通報者でもあった河野義行宅を被疑者不詳のまま家宅捜索を行い、薬品類など20数点を押収する。
さらに河その後も河野氏を重要参考人として連日にわたり取り調べを行った

この際、当時松本簡易裁判所所属であった判事松丸伸一郎が捜査令状を発行するが、何故か手違いにより殺人未遂として発行していたという。

また、被疑者不詳であるのに関わらず、河野氏を容疑者扱いするマスコミによる報道が何故か過熱の一途を辿った。
さらに、実は河野宅から押収した農薬からはサリン合成が不可能であることが判明
であるにも関わらず、一部の農薬を家族が隠匿したとして執拗に捜査を続けてゆく
(河野氏の家族も被害を受けており、病院と警察を行ったり来たりの毎日であったなか、気丈にも河野氏は無実を訴え続けていた)

他にも長野県警に対する不信な点が多く指摘されており箇条書きにしてみる。
・事件発生直後「不審なトラック」の目撃情報があったにも関わらず、黙認した
・現場のすぐ近くには裁判官舎が存在する。捜査員が裁判官舎への襲撃の可能性を示唆したが却下
・河野氏が救急隊員に「除草剤をつくろうとして調合に失敗して煙を出した」と話したとマスコミへ警察からリーク

を流す
(実際は、事件発生当日の1994年6月27日に河野が薬品を調合した事実はなく、出鱈目であることが判明)

等。

7月3日にはガスクロマトグラフィー/質量分析計(GC/MS)分析により、散布された物質がサリンであると判明している。


専門家らによる分析では、押収された薬品からのサリン作製は不可能と何度も指摘される。
だが、マスコミは連日河野氏を犯人として報道、著名人の中には必ずしも不可能ではない可能性があると断言する者もいた。


【犯人・教団の動き】

・当時、オウム真理教は長野県松本市に松本支部及び食品工場を建設する予定であった。
(その頃教団はマーハポーシャ等、いくつもの会社を経営、個人の資産や布施の他にも資金源を得て、海外進出も目論んでいた)

しかし、地元の反対運動や、「名義や目的を隠蔽しながらの賃貸契約は無効」とする民事裁判の結果、賃貸契約は取り消されている。
そのため地元と教団は明確なトラブル関係にあった。
オウム真理教の教祖・麻原(本名・松本智津夫)は幹部村井秀夫・新実智光・遠藤誠一・中川智正を集め、松本の裁判所にサリンを撒いて効果の実験をしろと指示

26日には水を使ってサリン噴霧機の試験を実施ししており、新実の指示により端本は松本市に下見に向かっている。遠藤と中川は松本ナンバーのレンタカー(ワゴン車)を借りている。


27日早朝、実行メンバーらは「マンジュシュリー正大師(=村井)のワークを邪魔するものはボコボコにして構わない」「じゃ、これから松本にガス撒きに行きまーす!」などと作戦を伝えている。

端本は計画が露見することを恐れ、もし見つかったら戦闘になるかもしれない、そうなれば相手を殺さなければならなくなるのではないかと心配すると新実は「いいんじゃないですかあ。主に闘うのは警官になると思います。闘っている間に我々は逃げますから、あとはよろしく」と答えたという。
(当時、教祖松本の発言は絶対のものであり、障害になるものは全て殺してもかまわないとされた)

しかし、いざ出発してみると、12リットルのサリンの注入に手間取ったこともあり到着時間が遅れ、長野地方裁判所松本支部は閉門していた。

塩尻市内のドライブインにて新実と村井が相談し、長野地方裁判所松本支部の裏にある裁判官官舎への攻撃に作戦を変更、電話で麻原の合意を得た。

その語、事件は起こされる。


【犯人発覚後・河野氏への謝罪】
・後なってから、当時の国家公安委員長野中広務は、あくまで個人としてのみ、河野氏に直接謝罪。
長野県警は、「遺憾」の意を表明したのみで「謝罪というものではない」と謝罪を拒否。

しかし、後の2002年に長野県公安委員に河野氏が就任すると長野県警本部長はかつての捜査について謝罪せざるを得なくなり、初めて謝罪を行った。

マスコミ各社は、誌面上での訂正記事や読者に対する謝罪文を相次いで掲載した。
だが、『週刊新潮』の謝罪は今もってない。

なお、報道各社の社員個々人による謝罪の手紙については河野のもとに多数届いたという。

オウム真理教は、教団「アレフ」へ再編され、その後の2000年に河野氏に直接謝罪。

その後、河野義氏は当時の長野県知事田中康夫によって、捜査機関において事件の教訓を生かすために長野県警を監督する長野県公安委員に任命された。
だがたった一期務めたのみで、生坂ダム殺人事件の長野県警の捜査ミス糾弾において知事の意にそぐわなかったとの理由でため事実上の更迭となった。

この事件は、オウム関連ではあるが、本質においてはただの冤罪未遂事件・報道被害事件でしかない。
謝罪はあったにしろ、苦しみの中で亡くなっていったであろう河野夫人や、河野氏の思いを考えれば、あまりにも悪質な冤罪事件であったと思わざるを得ない。
警察内部にも、多くの信者が潜り込んでいたとの説もある。
そのような噂をされても仕方のないほど、あまりにも情けなく、酷い冤罪事件である。


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【胸糞注意】


四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件は、2004年2月17日に三重県四日市市で発生した誤認逮捕および誤認逮捕された男性が死亡した事件を指す。
公訴時効が成立済み。


【事件の概要】

・四日市市のジャスコ四日市尾平店(現:イオン四日市尾平店)のATMコーナーで、
子ども連れの若い女に泥棒扱いされた無実の68歳の男性が、店員や買い物客ら3人に取り押さえられ
居合わせた四日市南警察署の警察官の拘束後に死亡した。

男性の死因は「高度のストレスによる高血圧性心不全と不整脈」、
逮捕・制圧の際の精神的・肉体的苦痛によるものと推測される。

店員や買い物客が男性を制圧している隙に女は逃走。


・三重県警察は虚偽告訴罪の被疑者として捜査を続けたが、
2011年2月17日午前0時に窃盗未遂事件としては公訴時効となった。


・三重県警察は翌18日、被疑者死亡のまま男性を書類送検。


・三重県警察は2005年2月17日に現場の監視カメラに映っている画像を公開。


・容疑事実を特定できないままに画像を公開することはグリコ・森永事件以来の異例の措置である。


※以下、防犯カメラに写った女の画像


【事件当時】
・男性の両手は買い物袋を持ってふさがっていた。
・男性がATMを操作していると、女がATMコーナーに入る。
・女は突然、男性の肩にぶつかっていき、体を触るような仕草をし、男性の胸ぐらをつかんでもみ合いとなる。
・女の「泥棒」と叫ぶ声の後、客3名がATMコーナーに入る。
・この間、監視カメラの映像から男性は一切窃盗行為をしていないことがわかる。
・男性が取り押さえられる5分ほど前から、
女がATMコーナーから3〜4m離れた店内から、何度かATMの方をうかがう様子が映っていた。


店員や買い物客が取り押さえ、女が立ち去った後、
別件の万引き事件の処理で居合わせた警察官2名も現場に到着し、
男性を後ろ手に手錠をかけ20分間うつ伏せで押さえつけた。
この20分の間に、男性は意識を失い、嘔吐もしていたが、警察官は拘束を続けた。

通報を受け応援の警察官が事件現場に到着した時は男性は意識を失い、嘔吐した形跡があったため、
男性の拘束を解き、救急車で病院に搬送する。


しかし、病院に運ばれた段階で、既に男性の脳は回復不能な損傷を受けており、
翌日男性は死亡した。

男性が最期まで護るように握り締めていたキャッシュカードは、3つに折れ曲がり、
眼鏡も片方のレンズが壊れていたという。

男性の妻は、病院で亡き夫の姿を見て「何で!」と号泣した。
(男性はペットの餌を購入するため来店していた)


警察官のこの逮捕拘束について、四日市南警察署は、「一般的な制圧行動だった」と発表。
拘束を続けた警察官は、当時29歳の警察官だった。

四日市南警察署は、後に誤認逮捕を認めている。

事件を知った有志によって、公文書開示請求を三重県警察に行われたが、棄却されている。

男性と女が奪い合いになっていた財布は、
死亡した男性の所有物だったことが2011年3月に判明。


つまり、窃盗罪自体が女の狂言であり、
男性の財布を奪おうとしたところを揉み合いになり、被害者のフリをして逃走したことになる。

現在、この女は捕まっていない。


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