サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

タグ:戦争

694:愛のVIP戦士:2007/03/11(日) 12:24:39.24 
怖いというか、不気味な話
俺の遠い親戚が、戦争で死んだおじいちゃんの形見の整理をしてたら
中から、ひょっとこのお面が出てきた

そのお面があまりにもおかしかったから、それをかぶって4時間くらい踊ってたら、
その親戚が急に倒れて
「・・・お面を・・・・・はずしてくれ・・・」って死にそうな声で言う。

最初は冗談だと思ってたが、なかなか立ち上がらないから
お面をはずしたら、顔面は土色で唇は紫。
これはヤバイと思い、医者を呼ぶと30分後くらいに医者が来て一言

「なんでもっと早く呼んでくれなかったんですか!?4時間前には死んでますよ」




799: 本当にあった怖い名無し:2011/07/29(金) 00:13:09.72
昔、おばあちゃんから聞いた話
おばあちゃんの住んでいた地域は何度も空襲にあったという。
ある夜、警報が鳴り近所の皆で防空壕に避難する途中、
防空壕の付近に爆撃を受け、皆は覚悟した。

すると、いつのまに混じっていたのか、
見たことのない子供が先頭に立っており、空を見上げていた。
小さな町内だから知らない子供などいるはずがないのだが、見覚えのない男の子だった。
すると、空を見上げていた男の子がそのままの姿勢で、
ぬーっと体がのびあがり、皆を包むような姿勢で空を塞いだ。

敵機の焼夷弾は男の子の背中に落ち、燃えていたような感じだったとか。
皆唖然となったが、それよりも燃え盛る炎が
いつ自分達に降りかかってくるかと恐れ、小さく固まって頭を抱えていた。

男の子はそのままおばあちゃんたちを包み込み、長く続いた空襲から守ってくれた。
爆撃が終わるともとの身長に戻り、ペコッと頭を下げると走ってどこかへいってしまった。
幸いなことに、そのときその場にいた皆に怪我人はでなかった。

終戦後、おばあちゃんのお母さんや近所の人があの時の子供のお化けににお礼をと、
方々に聞いて回ったが、子供の情報は得られなかった。

おばあちゃんは、なんだったのかわかんないけど、お化けが守ってくれたんだねえ。
日本のお化けはやっぱり日本人の味方なんだねえ。
と言っていた。

また、地元に伝わる伝承に似たような話がある。
数百年前、この辺りは小さな農村だったらしいが、
大飢饉の際、1人の童がぐっと背伸びをすると、その体は遠くの山を越えてしまい、
大きく伸ばした腕いっぱいに魚や木の実や米俵を抱えて戻り、
荒れ果てた田んぼにドサッと落としてくれた。
童は何度か食糧を運んでくれて、そのおかげで村人は生き延びることができたとか。

が一方で、帰宅中に後ろをついてきた男の首と肩がどこまでも伸びて追いかけてきて、
ほうほうのていで家まで逃げ帰ったが、数日もたず狂死してしまった。
なんていう怪談も伝わっている。

これらはおばあちゃんや町の史料館、観光案内等から抜粋したものだが、
何か得体の知れないものがこの地域にずっと




800:  本当にあった怖い名無し:2011/07/29(金) 00:20:54.44 I
戦争とお化け(妖怪)っていうと、日露戦役に狸が出征したって言う話を思い出すな。


821:  本当にあった怖い名無し:2011/07/29(金) 10:06:43.53 

文章が途中で終わってるのが一番こわい…




575 :本当にあった怖い名無し:2010/12/14(火) 23:33:37
先日、曾祖父の七回忌があった時に、祖父から聞いた話です。
もしかしたら、よくある戦時中の話かもしれません。

第二次世界大戦が終戦する1年ほど前の話です。
代々うちの家は神主の家系で、免許みたいなのが出来るずっと前から神主を営んでたそうです。
平安時代の神祇官(?)ぐらいまでさかのぼるんだとか。
(流石にこれは信じてませんけど)
そう言うわけですから、地元ではいわゆる名士の部類に入る家でした。

それを目に付けたのか、単に手近な神主だったからかは知りませんけど、
曾祖父は軍の従軍神主として招致されたそうです。
そんなこんなで数日経ったとき
曾祖父は作戦の成功祈願を行うために軍の飛行場へと呼ばれました。
何の成功祈願かは言うまでもなく特攻だったようです。
曾祖父は皇室を尊敬して陛下に忠誠を誓っていた右翼の様な人でした。
そんな曾祖父でも特攻には反対だったようで、
一応全身全霊を込めて祈願をしたそうですが、特攻に向かう若い兵に、
「怖かったら帰ってきてもいいんだよ」と小声で言ったそうです。

当時曾祖父は30代半ばぐらいでしょうか、
自分より若い前途ある青年を、死地に追いやるのが忍びなかったのでしょう。
その時特攻に赴いたのは三人だったらしく、全員に優しく諭すように言ったそうです。
ですが、結局翌日になっても、翌々日になっても、三人が帰ってくる事はありませんでした。




576 :本当にあった怖い名無し:2010/12/14(火) 23:34:36
それから一カ月ほど経ったときの事、突然曾祖父が歩兵の中隊を率いる事になりました。
階級は低かったですが、(元々軍人じゃないから当然)
温厚な性格と、日ごろから兵たちに優しく接していたせいで慕われていたせいか、
急に任命されたと聞きます。

それで出立の前日。
いろいろ準備している最中に、ボロボロの服を着た兵士が歩いてきました。
見おぼえがある顔だと思って暫く眺めていると、
一か月前に特攻した若い兵の一人だと気付いたそうです。
「よく帰って来た」と曾祖父が言うと
「先生のおかげで帰ってこれました」と若い兵は言ったそうです。
(曾祖父は当時軍中で兵たちに先生と呼ばれていたそうです)
曾祖父はその後に九州へと派遣され、無事帰還する事が出来ました。

それから日本が戦争に負けて数年経った頃の話です。
相変わらず曾祖父は神主を続けていたそうですが、
ある日ふと若い特攻兵の事を思い出し、会って話をしようと考えたそうです。
いろんなところにかけあった結果、住所を知る事が出来ました。

翌日に、曾祖父はその若い特攻兵の実家へと向かったそうです。
そこで田植えをしている特攻兵の母親に曾祖父は会いました。
名前を告げると、母親は「貴方が息子の言っていた神主の先生ですか」と言って
家の中に招き入れてくれました。


577 :本当にあった怖い名無し:2010/12/14(火) 23:35:20 
そのまま母親が案内したのは、仏壇の前。
其処には、あの若い特攻兵の写真が飾られていました。
曾祖父は驚いて、母親に尋ねました。
「急な病気で亡くなったのですか」
母親は泣きそうな顔で、ですが笑って言ったそうです。
「息子は、貴方の祈願して下さった特攻で亡くなっております」

曰く、曾祖父が特攻兵と話した翌日に、田植えをしている母親の前に
ふと、息子が現れたそうです。
息子の帰還を喜ぶ母親に息子は、
「自分は親不孝者で、先日の特攻で死んでしまったが神主の先生のおかげで最後に帰ってこれた」
と告げて、ふっと消えてしまったそうです。

その後、曾祖父の前に姿を現す事はなかったのですが、
彼の墓に参った時に、「ありがとうございました」という声が聞こえたと言います。




335 :本当にあった怖い名無し:2018/12/02(日) 19:27:10.08 
石じじいの話です。

戦後もずいぶんたってから、朝鮮より帰ってきたじじいを友人が訪ねてきたそうです。
同じ村に住み、子供の頃に同じ学校に通った女性で、彼女は地元に残っていたのです。
その女性とは別に恋愛関係はなかったそうですが、戦争中の経験を話し合って
楽しい時を過ごしました。
べつに戦争体験は楽しいことではありませんでしたが、
お互いの話が、自分たちが経験したことがない話だったからです(日本と朝鮮)。

彼女は、地元で行われた、竹槍訓練;バケツリレー訓練;アルマイトの弁当箱の供出;
松根油の開発;食糧不足;灯火管制などについて話しました。
女学校に通ったが毎日動員で授業がほとんどなかったと。
都市爆撃に飛んでいくB29爆撃機の編隊、市街地で機銃掃射してくる艦載機を見て、
この戦争は勝てないと彼女は思ったそうです。
いつ戦争が終わるのか?とばかり考えていたと。

楽しい歓談は夜も遅くまでつづきました。
また明日、と彼女が出ていったあと、じじいは手を合わせて彼女の冥福を祈ったそうです。




340 :本当にあった怖い名無し:2018/12/03(月) 14:28:16.88
石じじいにその気は無くても、女性は愛していたので亡くなっていても訪ねて来たのかもな


342 :本当にあった怖い名無し:2018/12/03(月) 19:34:33.28 I
やって来た時に、死んだ人間だってわかってたんだな
ちょっと泣いた


344 :本当にあった怖い名無し:2018/12/06(木) 22:10:18.95 
石じじいの話ですが、その女性が、その後、
じじいのもとを再訪したかはメモにはありません。
話を聞いた私の記憶にもありません。
ただ、その女性は、戦争中に空襲で亡くなっていた、ということでした。

供出されたアルマイト弁当箱や金属類は、終戦後になって予科練の庭に山積みにされていた
(利用されなかった)そうです。軍隊でもお役所仕事だったのでしょうか?

機銃掃射してくる戦闘機から逃げるには、
向かってくる方向の直角方向にぎりぎり逃げるのだ。
横には弾丸は来ない。
あわてて、進行方向に逃げると撃たれる。
私の母が話してくれた豆知識です。
操縦士の顔がはっきりと見えるほど近距離を飛んだそうです。



https://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1535920044/-100

743: 本当にあった怖い名無し :2018/08/29(水) 00:34:46.02 
祖母からきいた戦時中の話。
とはいっても、何もない田舎に爆撃機がくるはずもなく、
ちょっと疎開してきた人たちといざこざがあったくらいで基本的には平和だったらしい。

けど、とある兵隊さんの帰還により、すこしだけ村はざわつくことになった。
たまに村のお地蔵さんのまえに鯉の頭だけがあったり、鶏の首が置かれたりしはじめた。
とうとうある日。
猫の頭部がお地蔵さんのまえで発見された。
どう考えても、あそこの家の息子が怪しいという話になった。

彼は今でいうインテリで大学から学徒出陣した人だった。
だが軍学で精神をおかしくして帰ってきたと裏でささやかれる人物でもあった。

一度きちんと話をしなければならない。そう村の人たちは話をしたが、
村長がいうにもうその必要はないという。
彼には再度、赤紙が来ていた。
数日後、彼は村から追い出されるように汽車にのり、二度と村へは帰ってこなかった。

終戦を迎えた数年後、彼の母の死によりこの家に人はいなくなった。
そして親戚の者が、彼の部屋から数枚の絵を見つけた。
自分の顔をもつ鯉、鶏、猫。
それらが笑って兵隊を食べている絵だったという。



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1531051499/

https://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1535920044/-100

322 :本当にあった怖い名無し:2018/11/25(日) 12:27:33.95
石じじいの話です。

レプリカントなどの
「人間に奉仕するべく人工的に作られたヒトモドキ」は、人類の夢なのでしょうか?
死ぬまで思うままに働かせることができるという。

じじいは、朝鮮に住んでいたときに何度か満州に赴きました。
満州には、いろいろな民族が住み、なかにはロシア人もいたそうです。
いわゆる白系ロシア人という人々でしょう。
農業、貿易、商業(食堂、食料品店、パン屋)などを生業にしていようです。
革命動乱から逃げてきた人々ばかりではなく、長らくそこに住んでいた人も多かったとか。
かならずしも反共ではなく、ソ連側と通じているものもいたそうです。
なかには、ユダヤ人もいたそうで、ユダヤ寺(シナゴーグ?)も建てられていました。

帝政ロシアでは、帝国科学アカデミーの学者によって
「不死兵士」の研究がおこなわれていたそうです。

そのような兵士は、手足を切り落とされても、上半身だけになっても生きているのだと。
特別な餌を大量に与えると傷の回復が早いということでした。
手を失っても噛み付くことで戦えるのだと。
その兵士は、選別して子供の頃から育てて「医学的処置」を施すことによって
作り上げられるのだそうです。
「パクロビーチェリ」(とメモにはあります)と呼ばれていたそうです。
研究は実用に近い段階だったそうですが、
ボリシェヴィキ政権になってから、その研究所がどうなったかはわからない、ということでした。

この話をじじいにしてくれたロシア人は、アメリカに移住すると言っていたそうです。



https://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1535920044/-100

300 :本当にあった怖い名無し:2018/11/21(水) 23:33:54.76 
石じじいの話です。 

以前、じじいが山中の廃寺で奇妙な仏像を見かけた、という話をしましたが、その話に関連すると思われるメモがありましたので、ここに書きます。 

「奇妙な木造の仏像」によく似たものを、
もう一つ、大分県の寺(お堂?)でも見かけてたそうです。 
それについて地元の人間に由来を訪ねたところ、
ある人が言うに: 
この仏像は、博多の寺から譲り受けたというもので、
もともとは、元寇の際、沈没した元の船が積み込んでいたものだということでした。 
そのような「仏像」が元寇の時、
元の船の沈没後に大量に海岸に打ち上げられたので、
人々が拾い地元の寺に収めたのだそうです。 

それが、蒙古人のものだったのか?いっしょにやってきた高麗人(朝鮮)のものだったのかは
わからないということでした。 

しかし、あれは「仏」の像だったのでしょうか?



関連記事

http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1443066502/-100

69 :本当にあった怖い名無し:2015/09/28(月) 01:02:27.19 
もう20年以上前だけど、小学校で戦争体験を発表する授業があった。 
じいちゃんばあちゃんとか、身近なお年寄りに聞いた話をクラスの皆に披露するヤツ。 
その時にある男の子がした話が、いまだに頭にこびりついて離れない。 

その子のおじいさんはコックだったそうで、 
(いつどこでどんな状況だったのかは、残念ながら私の記憶に残っていないが) 
戦時中のある時、異国の地で外国人をもてなす料理を作らなければならなくなった。 
しかし食材がない。
肉も魚も食べ尽くしてしまっていた。 

困っていると、餓死や戦死した人間の肉をこっそり使うよう指示された。 
ある程度コース仕立てにしなければならないので、いろんな部位を使った。 

目玉をどう調理しようか悩んだ末に、バターソテーにした。 
目玉ソテーは外人に好評で、コックだったおじいさんは上司に褒められたそうだ。 
もちろん、食事が人肉だったことを食べた人達は知らない。 
コックも(多分軍人だと思われる)依頼者も、味見はさすがに出来なかったらしい。 

目玉のソテーは、子供だった私の心に強烈に残った。 
ソテーにすれば、それは人間の目玉だとは気付かれないモノになるのだろうか? 
食感は硬いのか軟らかいのか? 
魚の目玉のような芯はないのか? 
そもそも死人の目玉の鮮度は? 
いや、死肉だってどこで調達・保管してたのか? 

話の細部を覚えていないし、男の子の話がそんなに詳細だった記憶もない。 
でも、フライパンで料理をしていると、時々この話を思い出してしまう。 
蓋を開けると、そこにたくさんの目玉が湯気を立てているようで怖い。 
どんな味がするのか、ちょっと食べてみたいと思う自分にも。




70 :本当にあった怖い名無し:2015/09/28(月) 01:40:05.41 
ペニスの試食会なら確か開いた奴いたよな


71 :本当にあった怖い名無し:2015/09/28(月) 02:31:53.32 
自分のだっけ確か


72 :本当にあった怖い名無し:2015/09/28(月) 03:24:56.68 
それ何処のレクター博士?


74 :本当にあった怖い名無し:2015/09/28(月) 05:54:02.71
サヨク教師によるよくある反日教育の一環やろ。


75 :本当にあった怖い名無し:2015/09/28(月) 20:08:33.34 
人肉食殺人事件の佐川なんたらが、おっぱい旨かったとか尻肉まずかったとか書いてたな 
脳さえ食わなきゃ、人肉食っても大丈夫なんだろうか…


http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1438102711/

427 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/24(月) 04:47:40.06 ID:AaOhELSD0.net 
この間ニュースでアメリカ版終戦記念日的な日を報道してて
それが後味悪かった

当時日本と戦ったアメリカ兵のじいさんがインタビューを受けていて
今の若者達への不平を漏らしていたんだけど
「今の若者は戦争を知らない、実に嘆かわしいしけしからん」と

ここまで聞いて
このじいさんはきっと戦争の悲壮さや愚かさを
今の若い人に説いて理解して欲しいんだろうなとなんて思っていたら

「今の若者は俺達へのリスペクトがない
俺達は戦争で敵を倒した英雄で俺たちのお陰で今の若者は平和に暮らせてる。
もっと讃えろ」だと

日本とアメリカの戦争に対する考え方の違いに後味が悪くなった
そりゃあの国が戦争大好きだの揶揄されるわけだわと



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1436905422/

123 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/09(日) 10:33:21.73 ID:LtDi+le50.net 
故郷は長崎市。

8月になるとテレビはどこも戦争と原爆だらけ。
ふと、母がチャンネルを変えた。
「お母さん、これ、生で見たけん、もうよか」

誰の戦争体験よりも重い一言だった。



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