刑事裁判では無罪でありながら、民事裁判では殺人罪となったこの被疑者の名はO・J・シンプソン。
元プロフットボール選手であり、ハリウッドスターとしても有名なこの黒人男性をめぐる裁判は、アメリカ国内だけでなく世界中が注目する事件となる。
被害者はシンプソンの離婚した元妻のニコール・ブラウンとその恋人男性(ともに白人)
O・J・シンプソン。元フットボール選手。特徴ある蟹股は、子供時代の栄養失調による身体の変形。
奇蹟的ともいえる数々の名プレーを残し、殿堂入りを果たす。
引退後は俳優として多くの映画に出演。その多才ぶりを発揮する。
余談ながら、無抵抗の黒人タクシー運転手が10人以上の白人警官に囲まれて暴行を加えられる映像が流失した「ロサンゼルス暴動」の発生は1992年。その2年後の事件となる。
映像の1場面。中央の白い服を着た黒人のまわりを警官が取り囲む。
(撮影は近隣住民)
【事件の概要】
・1994年6月13日 午前0:10頃。
ニコール・ブラウンとその友人ロナルド・ゴールドマンの遺体が、ニコールの自宅玄関前で発見された。
2人とも大量に出血しており、特にゴールドマンは格闘技を習得した180㎝の大柄な男性である。
ニコールの自宅(殺害現場)はカリフォルニア州ロサンゼルス。
元夫であるシンプソンはイノリイ州シカゴで警察からの連絡を受け、急遽ロサンゼルスに帰省する。
(離婚後も2人は同じ町に住んでいた)
飛行機から降り立ったシンプソンは、待ち構えていた警察に突然後ろ手に手錠をかけられた。
彼の顧問弁護士を務めるハワード・ワイズマンが異を唱え、手錠はすぐに外されたが、初めから犯人=シンプソンという図式が警察側にあった事を明確に示す。
2人の殺害の容疑をかけられたシンプソンはそのまま収監されたが、終始冷静に対処し続け、一度は釈放されている。
しかし、16日に殺人罪で逮捕状が発行された際には、彼は友人の車で逃走。
パトカーとの追跡劇(カーチェイス)は、全米のテレビで生中継される事態となる。
(結局パトカーはシンプソンの乗った車を見失い、追跡劇は失敗した)
映像は後にCNNがニュースとしてまとめたもの。実際の追跡劇は1時間にも及ぶ。
⁂事件と直接の関係はないものの、当時テレビを見て同じようにシンプソンの車を追う一般人が続出するという不思議な現象が起きた。テレビを見ながらシンプソンの逃走を応援していた者も多かったという。
やがてシンプソンは自宅に戻り、主任弁護人となるロバート・シャピーロもシンプソン宅に到着。
逃走から2時間後にシャピーロの立ち合いのもとで逮捕された。
【世紀の裁判】
・この事件の裁判は別名「世紀の裁判」。
黒人スーパースターのスキャンダルという話題性に加え、逃走劇のライブ中継、被害者の通報記録によるDV被害の発表に人々は熱狂し、現場に残されたDNAの一致という検察側の証拠は、限りなくシンプソンが犯人であるという印象を植え付けた。
しかし、シャピーロ率いる弁護団は当時「ドリーム・チーム(有りえないチーム)」とまで称された実力派弁護士の集団であり、この事件の背後に潜む人種差別が警察及び検察側に刷り込まれていたこと、法を守るはずのロサンゼルス警察内にも露骨な差別が依然として存在し続けていた事実を容赦なく暴き出す。
⁂シンプソンの弁護費用は日本円にして5億円。
シャピーロは当時全米一と称された手腕を持つ。他には、ジョニー・コクラン弁護士(マイケル・ジャクソン裁判)、ヘンリー・リー法医学者(ジョンベネ殺害事件、ケネディ大統領暗殺事件)、フランシス・リー・ベイリー弁護士(ボストンの絞殺魔裁判)、マイケル・バーデン(キング牧師の遺体解剖を行った元NY市警検死官)など、錚々たるメンバーが並ぶ。他にもマイク・タイソンの強姦事件容疑に携わったハーバード大学の学者やDNA鑑定のスペシャリスト等総勢9人。
海外ドラマ好きの方はご存知かもしれないが、アメリカでは被疑者の起訴判断も検察ではなく、一般人の陪審員が決定権を持つ。(大陪審)
白人の妻を娶った黒人男性の妻への殺害容疑である。
さらに被害者ニコールは、元夫・シンプソンが自宅に勝手に侵入したと通報しており、その怯えた様子の記録テープをロス市警が起訴判決決定の直前に公開、連日マスコミが報道する騒ぎとなった。
(実際には通報時に自宅にはニコールしかおらず、通報内容は彼女の留守時に何者かが侵入した形跡があるというもの。シンプソンの犯行とする証拠は彼女の証言のみ)
この事態に、弁護団は公平な判断が妨げられたとして大陪審の解散を要求。
判事は要求を受け入れ、大陪審は解散され、予備審問へと切り替わった。
⁂予備審問・・・本当に起訴に充分な証拠があるか否かを判断する。
被害者が白人であり、被疑者が黒人(アフリカ系アメリカ人)の場合、人種問題は避けて通れない。
そのためこの事件の判事は日系アメリカ人のランス・イトウが務めた。
この裁判は、全米のメディアで連日報道が続く。
真実よりもスキャンダル性が強く打ち出されたこのマスコミの影響を防ぐため、新しく選出された陪審員らはホテルに隔離され一切の情報を遮断された。
その結果、検察側の主張は全て覆され、逆転に次ぐ逆転でついに無罪を勝ち取るといった、マスコミにとっては一大イベントショーと化す。
【刑事裁判】
・検察側は初めから人種問題を大きく重視しており、仮釈放なしの終身刑を求刑していた。
(死刑求刑すれば黒人差別、有期懲役であれば「有名人だから尻込みした」と白人からの非難が集中する事を恐れた――つまり、法の厳守よりも世論の影響を重視、利己的な自己防衛が働いていた事になる)
この事態を弁護団も真向から受け止め、陪審員を黒人の多い地区から選出するよう要求。判事は案を採用する。
結果として、陪審員は白人富裕層から選出されることは避けられた。
陪審員12人中、白人は3人、9人が黒人となる。
(片親が黒人である場合も黒人扱いになるため、当時の人口比率は白人の方が少なかった)
・検察側の主な主張は以下の通り。
①DV夫であったシンプソンは、離婚後もニコールにつきまとい脅迫していた。
②被害者2人の血痕のついた手袋の存在
(片方が殺害現場に落ちており、もう片方はシンプソンの自宅で発見)
③殺害現場に残る血の付いた靴跡が、シンプソンのサイズと一致。
④殺害の40日前に凶器であるナイフを購入。
⑤シンプソンの手のひらには、ナイフの負傷跡がある。
⑥被疑者の自家用車に、シンプソンとニコール両名の血液が付着。
⑦殺害現場に残されたDNAがシンプソンと一致。
全てがシンプソン=犯人かと思われたが、弁護団の反撃は凄まじく、シンプソンの無罪だけでなく、ロス警察の失態と、担当刑事の悪意ある捏造と組織ぐるみの隠蔽をも曝け出す。
・弁護団の反論。
①当時既にシンプソンには新しい恋人がいた。
②殺害推定時刻と、自宅への帰宅時間が合わない(アリバイの立証)。
③凶器はナイフと断定されたが、肝心の凶器は発見されていない。
④彼の手のひらの傷はホテルでコップを割ったため。
(シンプソンの証言通り、血のついた割れたコップがホテルにて発見されている)
⑤現場に残っていたという靴跡は特徴のあるブランドのものであり、その靴はシンプソン宅から発見されず、購入証拠もなし。
⑥発見された手袋は縮んでおり、シンプソンの手が入らない。
⑦被疑者のDNAを採取した後の管理が不自然であり、DNA鑑定の捏造の可能性がある。
単独で手袋を発見したというファーマン刑事は優秀な敏腕刑事として有名だったが、同時に人種差別主義者でもあることを弁護団は突き止め、会話テープを入手。
録音テープの中で人種侮蔑用語の発言を繰り返していたファーマンだったが、裁判記録の中でさえ日系であるイトウ判事の親族を揶揄するような言葉を残している。
これは、人種差別が重大な人権侵害であることの彼の認識の低さの証明となった。
血痕のついた手袋の片方をシンプソン自宅から発見したのも、ファーマン刑事。
血痕が残っていたというが、シンプソンは裁判時に実際にその手袋を装着しようとしたが、小さくて入らなかった。(同じメーカーの新品の手袋ならぴったりとあてはまる)
また、ロス市警がDNA鑑定のために採取したのは、シンプソンの血液8cc。
採取後も何故かすぐに保管せず、わざわざ殺害現場に立ち寄るなど数時間にわたり担当者が持ち歩く。
サンプルは黒のビニール袋で保管(熱を通しやすく変異を防ぐため通常は使用しない)。
DNA検査では不思議な事に血液凝固剤の成分が検出されている。
さらに不可解な事は、DNA検査に使用された血液の量は6ccであり、残りの2ccの行方は不明。
DNA解析の専門家が召還され証言を行ったが、そもそも「現場の血痕」が発見される前にシンプソンの採血が行われている捜査方法を批判。
また、解析技術の低さを指摘し、個人を特定するにはほぼ不可能とした。
(後に本人著書の中で、「車のナンバー2桁が同じだから犯行車両だと断言するようなもの」と表現)
シンプソン自身は普段は温厚だが激昂しやすい性格であり、離婚原因も彼の暴力にあった。
そのため彼には元妻への未練が全く無かったわけではないが、新しい恋人を見つけて人生の先に進もうとしていたのは間違いない。
しかし、偶然にも新恋人が彼に別れを切りだしたのがニコール殺害当日の朝。
シンプソンが警察からの連絡を受けたのは翌日のシカゴだったが、被害者の死亡時刻には飛行機はまだロサンゼルスを離陸していなかった。(多忙なシンプソンは、外出先から一旦自宅に戻り、その後深夜のフライトに向かっている。その間に犯行を行ったとすれば、移動距離を考えれば時間的には少々無理が生じる)
弁護団は被告であるシンプソン本人には一切発言させず、事実のみを次々と証明。
検察側も当時ではかなりの先鋭が揃っていたが、
・サイズの合わない手袋
・発見したというファーマン刑事の人種的正義感への疑問
・ロス市警の証拠管理の不自然なほどの杜撰な管理
これらの点が大きく影響し、1995年、陪審員は全員一致で「無罪」(起訴の理由なし)と判断。
O・J・シンプソンと弁護団「ドリームチーム」の勝利が確定した。
⁂日本とは異なりアメリカの司法では、無罪判決となった場合の検察側からの上訴は認められない。
刑事裁判では完全無罪となったシンプソンだったが、その後はもう1人の被害者ロナルド・ゴールドマンの父親による民事裁判が続く。
刑事責任なしと判断されたにも関わらず、民事ではシンプソンは有罪となり、賠償金の支払いが命じられている。次の記事で詳細を追う。