サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

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「グリコ・森永事件」とは、1984~1985年に阪神を舞台とした、食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件である。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ぶ。

2000年2月13日に愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、全ての事件の公訴時効が成立し、警察庁広域重要指定事件では、初の未解決事件となった。

長期にわたる大規模な事件であったにも関わらず、謎も多いため箇条書きで抜き出してみる。

①江崎グリコ社長誘拐事件
② 江崎グリコ脅迫事件
③江崎グリコ本社放火事件
④ 兵庫青酸菓子ばら撒き事件
⑤寝屋川アベック襲撃事件
⑥丸大食品脅迫事件
⑦森永製菓脅迫事件
⑧二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件
⑨ハウス食品脅迫事件
⑩不二家脅迫事件
⑪東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件
⑫駿河屋脅迫事件
⑬事件の終息

1984年3月江崎グリコ社長を誘拐・身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火事件が次々と起こった。
その後、丸大食品・森永製菓・ハウス食品・不二家・駿河屋など食品企業も続いて脅迫されている。
現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、何故か犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れていない
犯人と思しき人物が何度か目撃されたものの逃亡、結局正体は分からないままである。


1984~1985年に小売店で青酸入り菓子が発見される等、日本全国を不安に陥れた。
子供のための菓子に毒物を入れるという考えられない手口は各地でパニックを呼び、被害を拡大させた)


江崎グリコ社長誘拐事件
1984年3月、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長・江崎勝久の実母宅に2人の男が押し入り母親を縛り上げて社長宅の合鍵を奪った。(他にもう1人、運転役を入れて3人の犯行である)
犯人はそのまま社長宅に侵入、夫人と長女を縛ってトイレに閉じ込める。その後、長男・次女と入浴中だった社長を銃で脅し全裸のまま誘拐した。
夫人はこの後、自力でテープをほどいて110番通報している。

翌日、大阪府高槻市江崎グリコ取締役宅に犯人の男から電話があり、取締役が指定場所に向かうと社長の身代金として現金10億円と金塊100kgを要求する脅迫状があった。
その後も身代金要求の電話は続いたが、結局犯人は現れていない。

不審な点は他にもいくつかある。

・そもそも犯人グループが要求した現金10億円は高さ9.5メートル・重量は130kg。
金塊100kgでは運搬すら困難である。
・社長の母や社長夫人が犯人に対して「お金なら出します」と言ったにもかかわらず「金はいらん」と犯人が答えたこと。
・身代金誘拐が目的なら抵抗される可能性が少ない7歳の社長長女を誘拐するほうがリスクが少ないのにわざわざ成人男性である江崎を誘拐している

その為金目的ではなく怨恨が犯行の原因という説が浮上した。

その後、誘拐事件は急展開する。
事件の3日後、被害者は大阪府摂津市の東海道新幹線車両基地近くを流れる安威川沿いにある治水組合の水防倉庫から自力で脱出・大阪貨物ターミナル駅構内で保護された。


「グリコ・森永事...」の画像検索結果
当時のサンケイ新聞より


② 江崎グリコ脅迫事件

1984年4月、江崎宅に差出人不明の脅迫状が届いた。
内容は4月8日に指定場所へ現金6000万円を持ってくるよう要求 。脅迫状には塩酸入りの目薬の容器が同封されていた。
4月8日に現金受け渡し指定場所に警察が張りこむも、犯人は現れず。

同日犯人グループから大阪の毎日新聞とサンケイ新聞へ手紙が届く。
マスコミ宛に世間一般への公開を前提とした初めての挑戦状だった。

4月8日に指定場所へ現金6000万円を持ってくるよう要求。
現金受渡し指定日にはレストランから高速サービスエリア、電話ボックスと現金を受け渡す運転手をたらい回しにしつつも、やはり犯人は現れなかった。

同日にはマスコミ宛の2回目の挑戦状が送付され、以後犯人グループは「かい人21面相」を自称するようになる。江戸川乱歩の小説『少年探偵団』シリーズに登場する怪人二十面相に由来するものであろう。


5月31日、江崎グリコに3億円を要求する脅迫状が届く。
6月2日に摂津市内のレストランの駐車場に3億円を積んだ車を置くことを指示。
大阪府警察本部は後部トランクに忍ばせた捜査員がスイッチを押すことにより、エンジンをストップできる細工をした車を駐車場に置き30人体制で周囲を確保。

午後8時45分頃、駐車場に不審な男が現れそのまま車に乗りこむ。
後部トランクの捜査員は無線機のトラブルにより予定よりも早くエンジンをストップさせた。
特殊事件係の捜査車両数台に包囲され男は取り押さえられたが、男は犯人から脅されて駐車場の車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示されただけで事件とは無関係と判明(後述の寝屋川アベック襲撃事件を参照)。
特殊事件係の刑事数人は男が行く予定だった指定場所に捜査車両を急行させると、不審車両1台が走り去ろうとしたため追跡するも見失う。

6月26日、犯人グループからマスコミに「江崎グリコゆるしたる」と江崎グリコへの脅迫収束宣言をする。
犯人グループは「ヨーロッパへ行く。来年1月に帰ってくる」と国外逃亡を示唆していたが、後日別の挑戦状で「警察がうるさくていけなかった。もうすぐ一仕事してから行くつもりだ」と述べ、国外逃亡を事実上断念したらしい。
この後も事件は続く。

③江崎グリコ本社放火事件

1984年4月10日、大阪府大阪市西淀川区の江崎グリコ本社で放火が発生。火元は工務部試作室、火は棟続きの作業員更衣室にも燃え移り試作室約150m²は全焼した。

30分後、本社から約3km離れたグリコ栄養食品でも車庫に止めてあったライトバンが放火される。
こちらはすぐに消し止められたものの、犯人はガソリンの入った容器に布を詰めたものに火をつけていた。

出火の直後には、帽子を被った不審な男がバッグを抱えて逃げるのが目撃されている。
(犯人グループがかい人21面相を名乗り出すのはこの後である)


④ 兵庫青酸菓子ばら撒き事件

1984年5月10日に毎日新聞・読売新聞・サンケイ新聞・朝日新聞の4社に「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」と怪文書が届く。

さらに挑戦状には全国にばら撒くとの予告があり、挑戦状の終わりには「グリコを たべて はかばへ行こう」とまで書かれていた。
その事態を受けて大手スーパーはグリコ製品の撤去を開始。
江崎グリコは度重なる嫌がらせのような事件により大打撃を受けた。

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⑤寝屋川アベック襲撃事件
グリコ脅迫事件において身代金指定された同日の事件である。
指定されたレストランの駐車場より約2.8km離れた寝屋川市で、商事会社に勤める男性と同僚で恋人の女性が車でデートしていた。しかし、停車中に男3人組に襲われる。

一人は別の車に女性を連れ去り残る2人組が車に乗りこむと、男性にグリコ脅迫事件において指定されたレストランの近くまで運転しないと女性の命を保証しないと脅迫した。
男性は犯人の言われるままに行動、レストランの近くまで運転させられ、駐車場の車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示される。
その後、この男性は大阪府警刑事部捜査一課特殊事件係に犯人と誤認されたが逮捕されることはなく、すぐに放免された。

一方、女性は別の車に乗せられはしたもののタクシー代として2000円を渡されて開放されていた。



⑥丸大食品脅迫事件
1984年6月22日、大阪府高槻市の丸大食品に脅迫状が届く。内容は「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ」というものだった。

大阪府警に通報した丸大は要求を呑むことにした。


1984年6月28日犯人からの電話があり、女性による録音で指定場所に来るよう指示。

大阪府警の刑事7人が丸大社員になりすまして指定場所に行くと、国鉄高槻駅で指定する時間の京都駅行き電車に乗って左側の窓に白い旗が見え次第車窓から金を詰めたボストンバッグを投げ落とせと指示するタイプ文字の指示書があった。

刑事はボストンバッグを投げ落とさず高槻駅から終点の京都駅まで乗車しつづける。


刑事の1人はキツネ目の不審男を発見。
キツネ目の男はは丸大社員役の刑事を見張っていた。
さらに刑事達が乗った帰りの電車にキツネ目の男が乗り込み、刑事達はキツネ目の男でほぼ確信していたようである。


しかし捜査本部は刑事に逮捕権限を与えず、命令があるまで接触しないよう行動を制限していたためそれ以上のことはできなかった。

結局、キツネ目の男は駅を下りると改札口を出た後の雑踏に紛れ刑事はキツネ目の男の姿を見失う。


7月にも丸大食品取締役宅に現金を要求する脅迫状が届く。
7月6日午後8時7分、子供の声の録音で指定場所に来るよう指示。
指示場所は4回にも及び、最後の指定場所に現金を詰めたバッグを置くよう指示があったが結局犯人は現れなかった。

⑦森永製菓脅迫事件

1984年9月12日、大阪府大阪市の森永製菓関西販売本部に数千万円を要求する脅迫状が届く。
脅迫状には「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」「要求に応じなければ、製品に青酸ソーダを入れて 店頭に置く」と書かれており、青酸入りの菓子が同封されていた。


18日に犯人から関西支社に電話があり、子供の声で受渡し場所を指定した録音を同じ内容で5回繰り返した。その後指定場所に行くと別の指定場所で現金を置くよう指示、現金を置くもやはり犯人は姿を現さなかった
この電話は10月11日に一般公開されている。

⑧二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件

1984年10月7日から10月13日にかけて、大阪府・兵庫県・京都府・愛知県のスーパーから不審な森永製品が相次いで発見された。

「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書かれた森永製品が置かれており、菓子の中に青酸ソーダが混入されていた。青酸入り菓子は13個発見された。

この間の10月8日には阪急百貨店などにも森永製品を置かないよう要求する脅迫状が届いている。
文面は「わしらに さからいおったから 森永つぶしたる」
10月15日にはNHK大阪放送局に青酸ソーダの錠剤が届く。
新聞各社宛にはこの青酸ソーダで何人殺せるかというクイズとともに「賞品」は青酸入り森永製品「宛先」は「刑死ちょう そうむ部きかく課長」(原文まま)と記されていた。

⑨ハウス食品脅迫事件
一連の事件の中では、最も犯人に近づいた事件でもあり詳細を記す。

1984年11月7日、ハウス食品工業総務部長宅に脅迫状が届く。
現金1億円を要求する内容で受渡し日は11月14日、場所は京都市伏見区のレストランが指定されており、別の包みには青酸ソーダ混入のハウスシチューが同封されていた。


11月14日、指定された駐車場には1億円を積んだ車を待機させ、車内にはハウス社員に変装した大阪府警刑事が、周囲には京都府警察本部刑事部の刑事が多数配置された。

同日、脅迫状の予告どおり犯人からの総務部長宅に電話連絡がかかる。
女の子の声の録音で受渡し場所を指定。
これを機に合同捜査本部は大阪・京都に刑事を多数配置。

指定場所へ行くと別の場所を指定するメモが残されており、場所変更は4回繰り返された。
この間、名神高速道路京都南インターチェンジ付近で、警戒中の京都府警の刑事がキツネ目の男を発見し、合同捜査本部に報告。
この日、キツネ目の男は3回にわたって刑事に目撃される。
幾度かの場所変更指示によって、現金を乗せた車が大津サービスエリアに向かった。

滋賀県警察本部は捜査共助を要請されていたが、「名神高速道路エリア内は大阪府警特殊事件係を配置するので、滋賀県警は名神高速道路に入らないようにと要請されていた。
しかし、滋賀県警刑事部捜査一課は突発事案に対応すべく刑事2人を大津サービスエリアに配置する。

そして大津サービスエリアに配置された刑事はキツネ目の男を発見する。
キツネ目の男は尾行点検をしたり、ベンチに何かを張り付けるなどの特異動向があったものの、職務質問などは禁じられていたため、刑事はそのまま撤収せざるを得なかった。

滋賀県警の刑事が撤収した後、大津サービスエリアに到着した大阪府警の刑事は現金輸送車の様子を伺う不審者を目撃する。
不審者の人相は、丸大脅迫事件に目撃されたキツネ目の男と一致。
しかし刑事に尾行や職務質問する権限を与えられていなかったため、キツネ目の男はそのまま一般道路の方へ去って行った。

現金輸送車は指示通り草津パーキングエリアへ向かう。
そこで「名古屋方面に向かい、白い布が見えたら、白い布の下の缶に入れた指示書を見ろ」という指示書を受ける。
現金輸送車が到着するよりも先に白い布が草津パーキングエリアから東へ5kmの地点の道路脇の防護フェンスに取り付けられているのが発見されたが、白い布がつけられた防護フェンスの付近には無線通信が不能の場所でもあった。

合同捜査本部はこの県道と名神の交差部分を封鎖したが、問題の空き缶は発見できず。
犯人らしい男も姿を見せなかった。

一方、近くで事件捜査を知らない滋賀県警の別の職員が無灯火の不審な白いライトバンを発見。
職務質問するためにライトバンに近づき懐中電灯を照らすと運転席に男がいた。
しかし、白のライトバンは急に発進。
白のライトバンはパトカーと激しいカーチェイスを繰り広げパトカーを振り切った。
後に白いライトバンが発見されたが盗難車であった。
取り逃がした外勤課員は責任を取って後に辞職している。

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11月19日ハウス食品工業課長に脅迫状が届き、11月14日の現金輸送車の監視状況が書かれていた。
今は森永相手にしており、暇になったら連絡するとも書かれており事実上の脅迫休止宣言となる。

12月11日、パトカーの乗員3人の証言を元に作成された不審車両の運転手の似顔絵が公開された。

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⑩不二家脅迫事件

1984年12月7日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。
テープと青酸ソーダが同封されていた。

12月15日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。
12月24日に大阪梅田の百貨店屋上から2000万円ばらまくことを要求するも不二家は従わなかった。

12月26日、東京のスーパー社長宅に脅迫状が届く。
1月5日に不二家に池袋のビル屋上から2000万円ばらまくことを要求したが不二家は従わなかった。

1985年1月11日に不二家脅迫事件が初めて報道され、かい人21面相が不二家を脅迫していたことが明らかとなる。

なお事件発生直前の12月4日にアマチュア無線の7MHz帯オフバンドにて
「21面相、こちら玉三郎」
「クスリは用意できたか」
「ひと、ふた、ひと、ろく(12月16日と推定される)、航空券が往復確実に取れてR6(現沖縄通信事務所の地域番号と推測)へ行く場合は日帰りで必ずアシがつかないように戻ってくるように」
「不二家はやっぱり金払わんちゅうとんのけ」
「不二家あきらめたほうがええわなこりゃ」

などいう「21面相」と「玉三郎」を名乗る2人の通信が北海道岩内郡のアマチュア無線家によって偶然にも傍受録音されていた(北海道テープ)。
捜査本部は犯人グループの可能性が高いと判断して、捜査が行われ、一部はマスコミ向けに公開された。

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⑪東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件
バレンタインデー直前の1985年2月13日に報道機関にバレンタインデー粉砕を主張する挑戦状が届く。
これと前後して東京都と愛知県で「どくいり きけん」と書かれたラベルが貼られた青酸入りチョコレートが相次いで発見される。
青酸の入ってないものには「どくなし あんしん」と書かれていた。
この事件では、脅迫の対象となったことのあるグリコ・森永・不二家のものに加えて、明治製菓のチョコレートもばらまかれていた。


⑫駿河屋脅迫事件
1985年2月24日、マスコミに森永製菓への脅迫を終結させる休戦状が届く。

その直後の3月6日、今度は和歌山県の老舗和菓子会社の駿河屋に5000万円を要求する脅迫状が届いた。

しかし、3月8日に犯人から現金受渡しを延期する旨の通告が届く。その後、犯人から駿河屋への連絡はない。


⑬事件の終息
1985年8月7日、ハウス食品事件で不審車両を取り逃がした滋賀県警本部長が自身の退職の日に本部長公舎の庭で焼身自殺をした。
遺書は残されていないが、一般に失態の責任を取ったとされるも真相は不明である。

8月12日、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終息宣言が送りつけられた。
理由は、その5日前に自殺した滋賀県警本部長への香典代わりだという。


脅迫状の届いた会社の一つであったハウス食品工業社長の浦上郁夫はこの事件の終息を同社の創業者・前社長であり父親にあたる浦上靖介の墓前に報告するために8月12日に日本航空123便に搭乗し、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ死去。

この終息宣言の後完全に犯人の動きが不明となる。


ところで【53年テープ】と称される事件が70年代に江崎グリコに起きている。
・詳細

1978年にグリコに金を要求するテープがグリコ常務に送られた事件。
1時間弱のテープの内容は部落解放同盟幹部を名乗る初老の男性の声で、送り主の男は過激派の学生が江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばら撒きなどを犯行と引き換えにグリコに対して3億円を要求する計画を立てていると記載。
これらの犯行を抑えられないまでも3億円の要求額を1億7500万円に減額できるとして金を要求、応じるなら指定した手法の新聞広告を出せというものだった。(グリコは応じず。)。
江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばら撒き、連絡に新聞広告を使うなど、後のグリコへの犯行を予告するような内容であった。

実は、このテープが届く2年前から江崎グリコ常務宅に黄巾族と名乗る人物が手紙や電話で脅迫を続けていた。

1993年末にな兵庫県警が53年テープを1分ほどに編集して公開している。



これら一連の事件は単なる誘拐事件と最初は思われていたが、大手食品会社が次々と脅迫され、実際にシアン化ナトリウム入りの食品がばら撒かれるなど、当時の社会に与えた影響は計り知れないものがある。


企業への脅迫状とは別に、挑戦状を新聞社や週刊誌に送りつけその内容は「けいさつの あほども え」など、警察を挑発したりあざ笑うような内容が多く、自分達の遺留品の細かい出所まで書いたり焼身自殺した滋賀県警本部長にまで言及した。

また、犯行の際の遺留品の多さにもかかわらず、犯人の特定には至らなかったのは世田谷一家殺人事件を思わせる。

一連の犯行の目的が何であったかは不明のままである

犯人側はグリコは6億円を支払ったとほのめかしているが、グリコをはじめとする被害にあったメーカーは犯人側への金の支払いを否定している。

一説には、脅迫を受けた企業の株価が乱高下しており、それにより利益を得た、あるいは株価の操作そのものが目的だったとする説もある。

脅迫事件においては、子供に身代金要求の電話をかけさせたり、無関係な市民を拘禁・脅迫し利用するといった従来の常識からは想定外の手口を使い、これも捜査を困難なものにした要因のひとつとなった。



http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9405/1209619007/-100

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師匠と八番目の弟子 ◆JuhF/R5.eU:2010/03/10(水) 20:59:01 ID:S/Cz1WQEO


これは大学一年の時。
これも師匠と会う前。当時私は友達と呑んだり、部活ばっかりしていた。

その当時、市内に台風が来ていて、何もすることないから、友人が呑みに来ていた。
その当時から怪奇現象は起こっていたし、一人でアパートにいるのは嫌だったからだ。
そんな時に友人がドライブ行こうとか言い出した。
台風直撃中だ…
まあ現地の人だから、台風なんか慣れっこだったんだろう。
暇だし、アパートには居たくないし、ドライブに行った。

着いたのは公園の駐車場。で、酒呑みながら喋ってた。
だが、友人がある異変に気が付いた。
ちょっと遠くに止めてある車から、おっさんがこっち見ているのだ。
しかも心なしかおっさんの顔がオレンジ色に見える…

気味悪いね、と友人に話したら、友人はいきなり車を発進させた。
いくら気味悪いからって、そんな慌てなくても…というと、
友人が一言。
『なんで人間の顔があんなにはっきりとオレンジ色に発光してるの!
しかも運転手寝てたよ!サラリーマンの男の人!
なんであんな車に男性が二人乗ってんだよ!あのオッサンは生きてる人じゃない!』

確かに車内のテレビが着いていた位で人の顔がオレンジ色に発光する訳がない。
しかもそういえば運動席は倒されていた…
突然、肩が痛くなり、耳鳴りと頭痛がする。
『ごめん、車に何体か乗ってきやがった』
友人も頭が痛むらしい。
とりあえず有名な神社(前に述べた神社)前に車を止める。

友人は霊感があるうえ、ちょっとしたことなら祓える人だった。
神社で何人か祓えたようだが、どうしてもあのオッサンだけは祓えない。
『仕方ない、あんたの自宅に戻るよ!』
うちの部屋で祓うのか…
もうまな板の上の鯉だ。言う事を聞くしかない。

自宅につくと、身体中に塩をすりこみ、冷水を浴びるよう指示された。
ガタガタ震えながら出、服に着替えて部屋に戻ると、
友人が背中をばんばん叩きながら読経している。

身体が軽くなる。
が、友人はきつそうだ。
友人曰く、『このオッサンは家に持って帰って祓うよ』


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師匠と八番目の弟子 ◆JuhF/R5.eU:2010/03/10(水) 20:59:38 ID:S/Cz1WQEO


その後、友人は帰路に着いた。

その後、翌日の朝刊で私は戦慄した。
その駐車場から、白骨体が発見されたのだ。
その後、友人とは連絡はとってない。というか、つかなくなった。
友人は無事かは、今も分からない。


【明倫中事件、遺族が時効中断へ提訴 元生徒、賠償金支払わず】

新庄市明倫中で1993年1月、1年児玉有平さん=当時(13)=が体育館の用具室で死亡した事件に絡み、関わった元生徒3人が確定した損害賠償命令に応じず、強制執行の手続きも取れないとして、遺族が3人に対し、時効(10年)により請求権の消滅を防ぐ訴訟を起こしたことが8日、関係者への取材で分かった。
児玉さんの父昭平さん(67)は「何年もかかって続けた裁判の結果が水泡に帰すことは、有平のためにも避けたかった」と話している。
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遺族が元生徒7人に損害賠償を求めた民事訴訟は、2005年9月6日に仙台高裁の判決が確定。
全員が死亡に関与したと判断し、7人に約5760万円の支払いを命じた。

原告側の代理人弁護士によると、これまで任意の支払いに応じた元生徒はいないという。
このため4人には債権の差し押さえなどの措置を取ったが、提訴された3人については勤務先の会社が分からないなどの理由で手続きを進められなかった。

時効は昨年9月だった。
差し押さえの手続きを取った4人の時効は中断されたが、3人に対しては何らかの法的手段を取らなければ時効が成立する見通しだった。
そのため原告側は、当初の時効期限を延長させる手続きを取った後、今回の訴訟を起こした。
提訴により、原告が持つ3人への損害賠償請求権の時効は中断される。
訴訟では仙台高裁で確定した約5760万円の損害賠償を求めている。

元生徒側の代理人を務める予定の弁護士は、山形新聞の取材に対し、3人のうち1人については差し押さえの手続きがされているとした上で、「事件は冤罪(えんざい)であり、3人とも損害賠償に応じる意思はない」と話している。

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【k事件から23年―責任を自覚してほしい】
児玉有平さんの父昭平さんは8日、山形新聞の取材に応じ、提訴に対する心境を語った。
以下は要旨。

元男子生徒7人は全員が30代後半になり、結婚して子どもを持った人もいるだろう。
その年代になれば子を持つ親の気持ちが分かると思い、アプローチを待っていたが、謝罪を含め、何の音沙汰もなかった。

長い裁判の末に出た結果が水泡に帰すことは有平のためにも避けたかった。
取り返しのつかないことをしたという責任を自覚してほしい。
事件から23年たつ。子どもを失った悲しみは癒えない。
仏壇に線香を供える度に無念さが募る。
有平が生きていれば仕事を手伝ってもらえたのに。
有平を思い出し、夜に涙することもある。
喪失感は時間がたっても変わらない。

元男子生徒らは矯正を終え、社会復帰しているが、本当に更生したのか疑問だ。
矯正教育がもっと徹底していたら、このように(賠償金未払い)はならなかったと思う。


◇明倫中事件 
1993年1月13日に新庄市の明倫中で発生。
体育館用具室内で同日夜、1年生の児玉有平さんが巻かれたマットの中に頭から入った状態で死亡しているのが見つかった。

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日常的にいじめがあったとされ、県警は1、2年生の少年7人を傷害と監禁致死の容疑で逮捕、補導。
少年審判で逮捕の3人は「無罪」に当たる不処分決定、補導の4人のうち3人は「有罪」に相当する保護処分となった。
保護処分の3人は仙台高裁に抗告し、同高裁は棄却した上で7人全員の関与を指摘。
3人の再抗告は最高裁で棄却された。

その後、児玉さんの遺族が少年らに損害賠償を求めた民事裁判で山形地裁は7人全員のアリバイを認定、事実上「無罪」とされた。

だが、仙台高裁は一転して全員が関与したと判断。最高裁は元少年らの上告を棄却し、「全員有罪」との結論で終局している。


山形新聞社
転載元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160209-00000186-yamagata-l06


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北関東連続幼女誘拐殺人事件とは1979年以降、栃木県と群馬県で発生している誘拐および殺人事件。
(冤罪が証明された足利事件も含む)

1979年以降、4件の女児誘拐殺人事件と1件の女児失踪事件が栃木県と群馬県の県境半径20キロ以内で発生している。
これら5事件まとめて「北関東連続幼女誘拐殺人事件」とされる。
(足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は「足利連続幼女誘拐殺人事件」とも)


【事件の共通点】
・被害者は4歳から8歳までの児童。
    パチンコ店より誘拐(3件)
    河川敷に遺体放置(3件)
    金曜、土曜、日曜および祝日に犯行(4件)


これら5事件全てにおいて、犯人特定・犯人逮捕がされていない。


唯一、足利事件においてのみ容疑者が特定されたが、あまりにも不審な点が多く、冤罪であったことが確認されている。

2010年、足利事件の再検証を行った最高検察庁は、冤罪にしてもあまりにずさんな、ほぼこじつけのような捜査逮捕であったことを指摘。
さらに、足利事件を含む北関東で起きた事件が同一犯における連続事件の可能性を認めた。
真犯人が逮捕されない今も、再犯の可能性が大きく危惧されている。


【1979年の殺人事件】
・被害者は栃木県足利市の福島万弥ちゃん(5歳)。
自宅近くの神社境内で遊んでいるうちに行方不明となる。
6日後、渡良瀬川近くでリュックサックに詰められ、全裸のまま遺棄されている遺体が発見された。
リュックサックは市内の業者の特殊仕様によるもので数十個しか売られていなかったものである。

【1984年の殺人事件】
・被害者は栃木県足利市の長谷部有美ちゃん(5歳)。
パチンコ店から行方不明となる。
2年後、1986年に自宅から1.7km離れた場所で白骨死体として発見された。

【1987年の殺人事件(群馬小2女児殺害事件) 】
・被害者は群馬県新田郡尾島町(現:太田市)に住む大沢朋子ちゃん(8歳)。
子猫を抱いて自宅近くの尾島公園へ遊びに出かけたまま行方不明になった。
翌年利根川河川敷で白骨死体の一部が発見されている。

【1990年の殺人事件(足利事件)】
・被害者は栃木県足利市の松田真美ちゃん(4歳)。
パチンコ店から行方不明となる。
翌日渡良瀬川河川敷で全裸で遺棄された遺体が発見された。
(1991年、DNA型鑑定結果をもとに同市内に住む当時幼稚園バス運転手だった男性が逮捕。
2000年に無期懲役の判決が確定する。
しかし当時のDNA型鑑定の精度はまだ低く、男性と同じようにDNAが一致するとされる人間が複数いたことが指摘されていたにも関わらず、警察は男性を犯人と断定、起訴。
男性らの訴えにより、2009年に再度鑑定した結果、DNAは一致しなかった。
だが、男性の無実が正式に確定されたのは翌年の2010年になってからである。)

【1996年の失踪事件(太田市パチンコ店女児連れ去り事件)】
(群馬県警による呼称は太田市高林東町地内パチンコ店における幼女略取誘拐容疑事件)
・被害者は群馬県太田市の横山ゆかりちゃん(4歳)。
パチンコ店から行方不明となる。
一連の女児誘拐殺人事件と連れ去りの手口が類似していること、パチンコ店の防犯カメラ映像に映っていた男が、足利事件発生時に目撃された男と似ている点などから関連性が強く疑われている。
尚、当事件には被害者の発見または被疑者の検挙につながる情報に600万円の懸賞金が用意されている。

以下、カメラに撮影されていた映像。



パチンコ店内で遊ぶ女児のあとをついて行くようにウロウロする小柄な男。
シートに座り再三外を指さした後、男は店を出て行ったらしい。その後をついて行くように移動する女児の映像は当時のニュースにも多く使用されたので、覚えていらっしゃる方も多いかと思う。


また、上記の5事件以外にも栃木県と群馬県では1980年代に女児に関する事件が少なくとも2件、男児に関する事件が1件と合計3件の未解決事件が発生している。

【1983年の殺人事件】
・1983年10月19日群馬県桐生市で遺体を発見。(身元不明)

【1985年の失踪事件】
・1985年10月、栃木県日光市で母親の実家に帰省中の3歳女児が長男と長女と釣りで遊んでいる最中に行方不明となった事件。
川は深さ40㎝ほどであり、仮に溺れたにしても人間が流れるほどの水の勢いもないため、容易に発見されると当初は考えられていた。
事故・誘拐双方の線から捜索が行われたが、現在も何の手がかりも発見できていない。

【1987年の誘拐殺人事件】
・1987年9月14日に群馬県高崎市で発生。
被害者は荻原功明君(5歳)。
戦後唯一未解決となった身代金目的の誘拐殺人事件。本件のみ被害者は男の子。
だが身代金2000万円の要求はあったものの、犯人は翌日は敬老の日で金融機関が休みであることを知らなかったらしい。その後の電話で、要求金額が半額の1000万円になったことからも、本当に身代金目的の誘拐だったのかは疑わしい。


【恐怖】春がきても怖い話【心霊】9

973 :可愛い奥様:2006/06/01(木) 18:34:37 ID:ivT+ax5s
ここで書こうかどうか迷ったけど、書く。
知り合いの旦那が失踪して居なくなった。
原因はよくわからない…。

聞いた話、その奥さんが言うには、
旦那失踪当日に届いた血まみれの手紙。
その日の朝に新聞を取りに行ったら、ポストに入ってたらしい。
宛名が旦那宛て、
直ぐに旦那を叩き起こして見せたら、
中身を見る前に真っ青に青ざめて、何を聞いても答えてくれなかったそうです。
警察にも失踪届を出してるけど、まだ見付からない…。
何が怖いかって言ったら、
警察の方にもこの事を言ったけど、取り合って貰えなかったと…。

旦那が失踪して10日位たったある日の朝、
旦那の両親の位牌(旦那の両親は他界してる)が、縦にまっ二つに折れていた事。
その次の日には、奥さん宛てに例の手紙。
手紙は、直ぐに警察呼んで見て貰おうと思ったら、突然燃え…。
警察も、突然燃えた手紙に驚いていたみたいだが、
悪質な悪戯で手紙に燃える様に仕掛けがあったと、無理矢理つじつまを合わせたみたい。
結局、旦那は見付からない。
奥さんは精神的におかしくなり、奥さんの実家のある街の病院に入院だそうです。

その奥さんの友人から聞いた話です。
最近、その友人が激痩せし、
連絡つけても体調が悪いからって直ぐに電話を切られるし、
正直自分も不安になって来た…orz

後から、友人の旦那さんから電話を貰って、
激痩せの原因は、肝臓が悪くて激痩せしたと連絡貰ったけど…。
友人の旦那さんも、例の失踪事件の事を凄く気にかけてました。


【閲覧注意】

「キングズベリー・ランの屠殺者」または「クリーブランド胴体殺人者」とは、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドで、1930年代に犯行を重ねた正体不明の連続殺人犯の呼称。
未解決であり、犯人は捕まっていない。
(キングズベリー・ランとは最初の犠牲者が発見された地名からきている)

1935~1938年の間にクリーブランド周辺で12人もの人間が惨殺された。
身元が判明している犠牲者は第2被害者・第3被害者・第8被害者のみ。
ほとんどの犠牲者の身元は現在も不明のままである。

「クリーブランド...」の画像検索結果

【時代背景】
当時、世界恐慌はいまだ治まっておらず、クリーブランドでも「クリーブランド・フラッツ」と呼ばれたスラムが発生、生まれも育ちも定かでない下層民が群れをなして流れ込んでいた。
移民国である合衆国は戸籍制度がなく、また社会的ネットワークからも切り捨てられた彼らは、何の庇護も持たない、社会的にとり残されたも同然の人々であった。
そのため、残虐極まりない連続殺人鬼に対してもほぼ無力の状態だったと思われる。



【被害者達】
「クリーブランド胴体殺人者」による犠牲者は全て斬首、つまり完全に首と胴体が離れていた。
かつ、その上で四肢が切りとられている者や胴が半分に切断されている者もあった。
その切断面は滑らかで、犯人が肉体の切断について技術と経験を持っていたことを伺わせる。
(犠牲者の多くの死因は斬首によるもの)

男性の犠牲者の大半は去勢され、中には化学的処置が行われた痕跡がある者もいた。
犠牲者の多くは、死後かなりの時間が経ってからの発見であり、さらには頭部が発見できない遺体もあったためこの点からも身元の特定は困難を極めた。



【事件の捜査】
当時、クリーブランド地方政府の警察署と、消防署等付属機関を統括する公共治安本部長はエリオット・ネスであった。(余談だが、エリオット・ネスはアル・カポネを摘発した人物である)


ネスはこの事件の解決に尽力し、最後の犠牲者が発見されてから2日後の1938年8月には住民を収監した上でスラム街を破壊、犯人が被害者を物色する場をなくそうとした。
これ以降公式に認定された犠牲者はいない。

しかしながら、最終的には犯人逮捕に失敗した(取り逃がした)ネスは、アル・カポネの検挙という経歴にも関わらず、4年後の1942年に刑事人生を終えることとなる。



【さらなる被害者達】
この連続殺人の公式の犠牲者は12名とされているが、近年の調査によれば、この殺人犯による犠牲者数はもさらに増える可能性がある。

・1934年9月、エリー湖畔でに発見された身元不明の女性の遺体がある。
(俗にいう「the Lady of the Lake(湖の女性)」)
この女性の発見場所では後に第7の犠牲者も発見されており、研究者の中には、"Lady of the Lake" を第1の犠牲者、あるいは「零番目の犠牲者」と 呼ぶ者もいる。


・ペンシルベニア州では、1936年7月に頭部のない身元不明の男性遺体が有蓋車の中から発見されている。この街では1921~1934年までと、1939~1942年までの間に切断された複数の遺体が発見されていた。
更に1940年5月には同州で有蓋車から頭部のない3名の遺体が発見される。これらの遺体の損壊状態はすべて「キングズベリー・ランの屠殺者」によるものとよく似ている。


・他にも1950年7月に殺害後6~8週間後に遺体となって発見された男性についても、この殺人者との関連が指摘されている。
(公式発表では)最後の犠牲者の発見から、すでに10年以上が経過していたが、これまで上げた犠牲者と同じく、頭部が切断されていたからである。

これら多数の被害者のうち、どこまでがこの事件の被害者なのかは専門家の中でも意見は分かれており、中には40人以上が殺害されたとする者もいる。



【事件の容疑者】
容疑を強く疑われた人物としてフランシス・スウィーニー博士がいる。
博士は第一次世界大戦中に医療部隊に所属し、戦場での外科手術について豊富な経験を持っていた。

退役軍人でもある博士は、後年エリオット・ネスの尋問を受けている。
博士はポリグラフを使用した2回の嘘発見テストで、「シロとならなかった」と伝えられている。
(博士はネスの政敵である下院議員の従兄弟であり、議員はネスの殺人犯逮捕失敗を批判している)

ネスの尋問を受けた後博士は病院に入院し、以降、病院から病院へと入退院をくり返す。

博士の入院後は、警察は博士を容疑者と見做すための手がかりや証拠、関連性をそれ以上見つけることが出来なかったが、一連の殺人も止んでいる。
博士はオハイオ州デイトンの退役軍人病院で1964年に死去。

1950年代まで、ネスとその家族の元には嘲りや嫌がらせ、脅迫の葉書が届いていたが、差出人は未だ不明のままとされている。

「Cleveland Torso Murderer」の社会に与えた影響は大きく、様々なドラマや映画等の殺人鬼のパターンをつくりあげた。


1945年8月30日夜、名古屋市北区の路上において、少年3人が脅迫され金銭を奪い取られた上、匕首で切り付けられ、1人が死亡、1人が負傷させられる強盗殺人事件が発生した。

在日朝鮮人による強盗殺人事件であり、犯人は一旦逮捕されたものの、名古屋拘置所から逃亡。
その後、事件発生後56年にして免訴の判決が出ている。



【事件の概要】
愛知県警察部では、犯人として朝鮮人1人を逮捕。
殺人罪等で予審請求(起訴)され、名古屋拘置所に拘置されるはずであったが、脱獄逃亡し消息不明となる。


名古屋地方裁判所では、公訴時効の成立を阻止するために数年おきに公判期日の指定を繰り返してはいたが、(旧刑事訴訟法の規定)2001年に免訴の判決を言い渡し、裁判を打ち切られた。

その理由は以下。
・事件発生から50年以上が経過している。
・犯人は数年前に韓国に逃亡済み。
・日本に入国する可能性が低いと思われる。


2010年4月20日に富山県富山市で放火殺人事件が発生した。

容疑者は逮捕されておらず、現在も未解決とされている。



【事件の発生】
・2010年4月20日12時20分ごろ、富山県富山市大泉にある3階建ての2階部分から出火。
焼け跡の寝室から79歳男性と74歳女性の夫婦の遺体が発見された。

被害者夫婦は数年前にビルを買い取り、2人で暮らしていたという。
また、被害者男性は不動産業など複数の事業を手掛けていた。


【被害者の死因】

・被害者女性の遺体には首を絞められた跡があった。
被害者男性も首を圧迫されたことによる窒息死。

被害者ともに殺害後に、放火されたとみられる。


【週刊文春への投書】
・事件発生2ヵ月の2010年6月、週刊文春宛にCD-Rと一枚の手書き現場見取り図が送付されている。

富山県警は任意提出を求めたが、取材源の秘匿を理由に文春側は拒否。
そのため、2年後の2012年8月、県警は差し押さえを強行しCD-Rを押収した。

・CD-Rの内容は、犯人の動機や困窮した現状が書き連ねてあり「格差社会のゆがみにはまり、憎悪を増幅させてしまったいきさつについて手記として書き記したい」「私の生活は困窮している。私のやり遂げなければならないことにもお金がかかる」などと金銭を要求するものだった。
しかも、見取り図は犯人または警察および消防の一部しか知りえない情報であった。



【容疑者】
・CD-Rを解析する過程で、CD-R作成者として被害者の知の富山県警警察官の名前が浮かび上がった。
同年10月に捜査情報漏洩の疑いで富山県警警察官(当時54歳)は逮捕。
さらにその後、11月に別の捜査情報の漏洩について地方公務員法違反で再逮捕。
同年12月22日の放火殺人事件では殺人及び現住建造物等放火、死体損壊の疑いで三度逮捕。
余罪として2008年7月に富山市の親族宅に侵入して財布を盗み、別の親族宅でも金庫を壊し数十万円相当の金塊と現金十数万円を盗んだ容疑が浮上。
親族が告訴しなかったため、窃盗罪については不起訴処分となった。

・容疑者は当初は容疑を認めていたが、2013年1月に精神鑑定、同年5月に処分保留、同年7月に富山地検は「複数の疑問点がある」として嫌疑不十分で不起訴処分とする。

・2013年5月の処分保留以降「自分がやったのか分からない」と容疑者の供述が曖昧になる。

別件において容疑者は知人に捜査情報を漏洩し、2012年12月に起訴、2013年3月に懲戒免職となった。

・現在、容疑者とされた男性は富山拘置所から釈放されている。


・あくまで、上記の男性は情報漏洩のみで疑われただけである。


「富山市会社役員夫婦放火殺人事件」は、未解決のまま、2013年10月、警察庁捜査特別報奨金事件に指定された。
遺族による謝礼金と合わせ、犯人逮捕に繋がる情報には上限額1000万円の懸賞金が支払われる。



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http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1422783432/46-


80 :名無しさん@おーぷん :2015/02/02(月)03:29:31 ID:cnf ×
【王将社長射殺事件】
王将社長射殺事件とは、2013年12月19日に
王将フードサービスの当時の社長である大東隆行が射殺された事件。
容疑者は2014年6月現在でも逮捕されておらず、未解決事件となっている。

2013年12月19日早朝、京都市山科区の王将本社前にて
大東が自身で運転していた自動車付近に倒れているところを通報されて病院へ搬送されたが、
死亡が確認された。
死因は拳銃による銃殺だと見られている。
大東は午前5時半頃に自宅を出て車で10分の距離に存在する本社に通勤していたことから、
警察は5時45分頃に現場付近で何者かに銃撃されたと見ている。

犯行に使われたのは小型の25口径の自動式拳銃であり、至近距離から撃たれたと考えられている。
4発の銃弾が撃たれ、全てが急所に命中していた。
犯人は逃走にバイクを使用したとみられており、
捜査本部などへの情報提供は300件を超えているが、未だ有力な情報は得られていない。



http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1422783432/46-


75 :名無しさん@おーぷん :2015/02/02(月)02:42:44 ID:o7L ×
熊取町7人連続怪死事件

-経緯-
平成4年4月25日、大阪府泉南郡熊取町の板金工Aさん(当時17歳)が池に転落して死亡した。
この事故死を発端に僅か4万5000人弱の町でしかも半径600m以内で
6人(1人は町内)の若者が連続して死亡した。
(警察の発表では、シンナー吸引後に死亡した2人は事故死。5人は自殺と断定)
  



76 :名無しさん@おーぷん :2015/02/02(月)02:44:02 ID:o7L ×
事故死したAさんとBさんは、自殺と断定されたCさん、Dさん、Eさん達と同じ暴走族の仲間だった。
事故死の2人を除いて、Cさんらに共通しているのは、自殺するほどの動機が無く、
尚且つ遺書が無いことだった
(Cさんは、借金を返してほしいと書いたメモを残している)。
特に、Dさんは結婚間近で婚約者が妊娠しており出産を楽しみにしていた。

不審な点は、Dさんは生前に親や仲間に、「白い車に追われている」と言っていた。

FさんとG子さんは互いに面識は無い。
勿論、Cさんらの暴走族仲間とも面識が無い。
そして、この2人にも自殺する動機は無かった。

Fさんは、岸和田市のゴミ清掃員で勤務態度は真面目。
陸上サークルに所属して健康的な青年だっった。

G子さんは、同町にある女子体育大学の1年生で、部活は陸上部に所属。
亡くなる前日、部活が終わると、ドラマを録画してほしいと親に電話連絡をしている。
そんなごくありふれた日の翌日午前8時、グラウンドの裏でナイフを刺して死亡していた。

G子さんは、生前「黒いクラウンにつけられた」と友人に話していたという。
また、死亡する直前に「違う、違う・・・」とうわ言のように言ったようだが、
一体なにが違うと言いたかったのだろうか?
 

77 :名無しさん@おーぷん :2015/02/02(月)02:45:14 ID:o7L ×
-水曜か木曜日-
この狭い町で、7人が事故死あるいは自殺が起きた。
それも、水曜日か木曜日。
全てではないが、初七日かもしくはその前後に亡くなっている。
警察では、仲間が死んだことによる孤独感が一種の虚脱につながり
連鎖自殺したのではないかと指摘しているが、それにしても不審な点が多い事件である。


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