「グリコ・森永事件」とは、1984~1985年に阪神を舞台とした、食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件である。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ぶ。
2000年2月13日に愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、全ての事件の公訴時効が成立し、警察庁広域重要指定事件では、初の未解決事件となった。
長期にわたる大規模な事件であったにも関わらず、謎も多いため箇条書きで抜き出してみる。
①江崎グリコ社長誘拐事件
② 江崎グリコ脅迫事件
③江崎グリコ本社放火事件
④ 兵庫青酸菓子ばら撒き事件
⑤寝屋川アベック襲撃事件
⑥丸大食品脅迫事件
⑦森永製菓脅迫事件
⑧二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件
⑨ハウス食品脅迫事件
⑩不二家脅迫事件
⑪東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件
⑫駿河屋脅迫事件
⑬事件の終息
1984年3月江崎グリコ社長を誘拐・身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火事件が次々と起こった。
その後、丸大食品・森永製菓・ハウス食品・不二家・駿河屋など食品企業も続いて脅迫されている。
現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、何故か犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れていない。
犯人と思しき人物が何度か目撃されたものの逃亡、結局正体は分からないままである。
1984~1985年に小売店で青酸入り菓子が発見される等、日本全国を不安に陥れた。
(子供のための菓子に毒物を入れるという考えられない手口は各地でパニックを呼び、被害を拡大させた)
①江崎グリコ社長誘拐事件
1984年3月、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長・江崎勝久の実母宅に2人の男が押し入り母親を縛り上げて社長宅の合鍵を奪った。(他にもう1人、運転役を入れて3人の犯行である)
犯人はそのまま社長宅に侵入、夫人と長女を縛ってトイレに閉じ込める。その後、長男・次女と入浴中だった社長を銃で脅し全裸のまま誘拐した。
夫人はこの後、自力でテープをほどいて110番通報している。
翌日、大阪府高槻市江崎グリコ取締役宅に犯人の男から電話があり、取締役が指定場所に向かうと社長の身代金として現金10億円と金塊100kgを要求する脅迫状があった。
その後も身代金要求の電話は続いたが、結局犯人は現れていない。
不審な点は他にもいくつかある。
・そもそも犯人グループが要求した現金10億円は高さ9.5メートル・重量は130kg。
金塊100kgでは運搬すら困難である。
・社長の母や社長夫人が犯人に対して「お金なら出します」と言ったにもかかわらず「金はいらん」と犯人が答えたこと。
・身代金誘拐が目的なら抵抗される可能性が少ない7歳の社長長女を誘拐するほうがリスクが少ないのにわざわざ成人男性である江崎を誘拐している
その為金目的ではなく怨恨が犯行の原因という説が浮上した。
その後、誘拐事件は急展開する。
事件の3日後、被害者は大阪府摂津市の東海道新幹線車両基地近くを流れる安威川沿いにある治水組合の水防倉庫から自力で脱出・大阪貨物ターミナル駅構内で保護された。
当時のサンケイ新聞より
② 江崎グリコ脅迫事件
1984年4月、江崎宅に差出人不明の脅迫状が届いた。
内容は4月8日に指定場所へ現金6000万円を持ってくるよう要求 。脅迫状には塩酸入りの目薬の容器が同封されていた。
4月8日に現金受け渡し指定場所に警察が張りこむも、犯人は現れず。
同日犯人グループから大阪の毎日新聞とサンケイ新聞へ手紙が届く。
マスコミ宛に世間一般への公開を前提とした初めての挑戦状だった。
4月8日に指定場所へ現金6000万円を持ってくるよう要求。
現金受渡し指定日にはレストランから高速サービスエリア、電話ボックスと現金を受け渡す運転手をたらい回しにしつつも、やはり犯人は現れなかった。
同日にはマスコミ宛の2回目の挑戦状が送付され、以後犯人グループは「かい人21面相」を自称するようになる。江戸川乱歩の小説『少年探偵団』シリーズに登場する怪人二十面相に由来するものであろう。
5月31日、江崎グリコに3億円を要求する脅迫状が届く。
6月2日に摂津市内のレストランの駐車場に3億円を積んだ車を置くことを指示。
大阪府警察本部は後部トランクに忍ばせた捜査員がスイッチを押すことにより、エンジンをストップできる細工をした車を駐車場に置き30人体制で周囲を確保。
午後8時45分頃、駐車場に不審な男が現れそのまま車に乗りこむ。
後部トランクの捜査員は無線機のトラブルにより予定よりも早くエンジンをストップさせた。
特殊事件係の捜査車両数台に包囲され男は取り押さえられたが、男は犯人から脅されて駐車場の車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示されただけで事件とは無関係と判明(後述の寝屋川アベック襲撃事件を参照)。
特殊事件係の刑事数人は男が行く予定だった指定場所に捜査車両を急行させると、不審車両1台が走り去ろうとしたため追跡するも見失う。
6月26日、犯人グループからマスコミに「江崎グリコゆるしたる」と江崎グリコへの脅迫収束宣言をする。
犯人グループは「ヨーロッパへ行く。来年1月に帰ってくる」と国外逃亡を示唆していたが、後日別の挑戦状で「警察がうるさくていけなかった。もうすぐ一仕事してから行くつもりだ」と述べ、国外逃亡を事実上断念したらしい。
この後も事件は続く。
③江崎グリコ本社放火事件
1984年4月10日、大阪府大阪市西淀川区の江崎グリコ本社で放火が発生。火元は工務部試作室、火は棟続きの作業員更衣室にも燃え移り試作室約150m²は全焼した。
30分後、本社から約3km離れたグリコ栄養食品でも車庫に止めてあったライトバンが放火される。
こちらはすぐに消し止められたものの、犯人はガソリンの入った容器に布を詰めたものに火をつけていた。
出火の直後には、帽子を被った不審な男がバッグを抱えて逃げるのが目撃されている。
(犯人グループがかい人21面相を名乗り出すのはこの後である)
④ 兵庫青酸菓子ばら撒き事件
1984年5月10日に毎日新聞・読売新聞・サンケイ新聞・朝日新聞の4社に「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」と怪文書が届く。
さらに挑戦状には全国にばら撒くとの予告があり、挑戦状の終わりには「グリコを たべて はかばへ行こう」とまで書かれていた。
その事態を受けて大手スーパーはグリコ製品の撤去を開始。
江崎グリコは度重なる嫌がらせのような事件により大打撃を受けた。
⑤寝屋川アベック襲撃事件
グリコ脅迫事件において身代金指定された同日の事件である。
指定されたレストランの駐車場より約2.8km離れた寝屋川市で、商事会社に勤める男性と同僚で恋人の女性が車でデートしていた。しかし、停車中に男3人組に襲われる。
一人は別の車に女性を連れ去り残る2人組が車に乗りこむと、男性にグリコ脅迫事件において指定されたレストランの近くまで運転しないと女性の命を保証しないと脅迫した。
男性は犯人の言われるままに行動、レストランの近くまで運転させられ、駐車場の車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示される。
その後、この男性は大阪府警刑事部捜査一課特殊事件係に犯人と誤認されたが逮捕されることはなく、すぐに放免された。
一方、女性は別の車に乗せられはしたもののタクシー代として2000円を渡されて開放されていた。
⑥丸大食品脅迫事件
1984年6月22日、大阪府高槻市の丸大食品に脅迫状が届く。内容は「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ」というものだった。
大阪府警に通報した丸大は要求を呑むことにした。
1984年6月28日犯人からの電話があり、女性による録音で指定場所に来るよう指示。
大阪府警の刑事7人が丸大社員になりすまして指定場所に行くと、国鉄高槻駅で指定する時間の京都駅行き電車に乗って左側の窓に白い旗が見え次第車窓から金を詰めたボストンバッグを投げ落とせと指示するタイプ文字の指示書があった。
刑事はボストンバッグを投げ落とさず高槻駅から終点の京都駅まで乗車しつづける。
刑事の1人はキツネ目の不審男を発見。
キツネ目の男はは丸大社員役の刑事を見張っていた。
さらに刑事達が乗った帰りの電車にキツネ目の男が乗り込み、刑事達はキツネ目の男でほぼ確信していたようである。
しかし捜査本部は刑事に逮捕権限を与えず、命令があるまで接触しないよう行動を制限していたためそれ以上のことはできなかった。
結局、キツネ目の男は駅を下りると改札口を出た後の雑踏に紛れ刑事はキツネ目の男の姿を見失う。
7月にも丸大食品取締役宅に現金を要求する脅迫状が届く。
7月6日午後8時7分、子供の声の録音で指定場所に来るよう指示。
指示場所は4回にも及び、最後の指定場所に現金を詰めたバッグを置くよう指示があったが結局犯人は現れなかった。
⑦森永製菓脅迫事件
1984年9月12日、大阪府大阪市の森永製菓関西販売本部に数千万円を要求する脅迫状が届く。
脅迫状には「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」「要求に応じなければ、製品に青酸ソーダを入れて 店頭に置く」と書かれており、青酸入りの菓子が同封されていた。
18日に犯人から関西支社に電話があり、子供の声で受渡し場所を指定した録音を同じ内容で5回繰り返した。その後指定場所に行くと別の指定場所で現金を置くよう指示、現金を置くもやはり犯人は姿を現さなかった。
この電話は10月11日に一般公開されている。
⑧二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件
1984年10月7日から10月13日にかけて、大阪府・兵庫県・京都府・愛知県のスーパーから不審な森永製品が相次いで発見された。
「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書かれた森永製品が置かれており、菓子の中に青酸ソーダが混入されていた。青酸入り菓子は13個発見された。
この間の10月8日には阪急百貨店などにも森永製品を置かないよう要求する脅迫状が届いている。
文面は「わしらに さからいおったから 森永つぶしたる」
10月15日にはNHK大阪放送局に青酸ソーダの錠剤が届く。
新聞各社宛にはこの青酸ソーダで何人殺せるかというクイズとともに「賞品」は青酸入り森永製品「宛先」は「刑死ちょう そうむ部きかく課長」(原文まま)と記されていた。
⑨ハウス食品脅迫事件
一連の事件の中では、最も犯人に近づいた事件でもあり詳細を記す。
1984年11月7日、ハウス食品工業総務部長宅に脅迫状が届く。
現金1億円を要求する内容で受渡し日は11月14日、場所は京都市伏見区のレストランが指定されており、別の包みには青酸ソーダ混入のハウスシチューが同封されていた。
11月14日、指定された駐車場には1億円を積んだ車を待機させ、車内にはハウス社員に変装した大阪府警刑事が、周囲には京都府警察本部刑事部の刑事が多数配置された。
同日、脅迫状の予告どおり犯人からの総務部長宅に電話連絡がかかる。
女の子の声の録音で受渡し場所を指定。
これを機に合同捜査本部は大阪・京都に刑事を多数配置。
指定場所へ行くと別の場所を指定するメモが残されており、場所変更は4回繰り返された。
この間、名神高速道路京都南インターチェンジ付近で、警戒中の京都府警の刑事がキツネ目の男を発見し、合同捜査本部に報告。
この日、キツネ目の男は3回にわたって刑事に目撃される。
幾度かの場所変更指示によって、現金を乗せた車が大津サービスエリアに向かった。
滋賀県警察本部は捜査共助を要請されていたが、「名神高速道路エリア内は大阪府警特殊事件係を配置するので、滋賀県警は名神高速道路に入らないように」と要請されていた。
しかし、滋賀県警刑事部捜査一課は突発事案に対応すべく刑事2人を大津サービスエリアに配置する。
そして大津サービスエリアに配置された刑事はキツネ目の男を発見する。
キツネ目の男は尾行点検をしたり、ベンチに何かを張り付けるなどの特異動向があったものの、職務質問などは禁じられていたため、刑事はそのまま撤収せざるを得なかった。
滋賀県警の刑事が撤収した後、大津サービスエリアに到着した大阪府警の刑事は現金輸送車の様子を伺う不審者を目撃する。
不審者の人相は、丸大脅迫事件に目撃されたキツネ目の男と一致。
しかし刑事に尾行や職務質問する権限を与えられていなかったため、キツネ目の男はそのまま一般道路の方へ去って行った。
現金輸送車は指示通り草津パーキングエリアへ向かう。
そこで「名古屋方面に向かい、白い布が見えたら、白い布の下の缶に入れた指示書を見ろ」という指示書を受ける。
現金輸送車が到着するよりも先に白い布が草津パーキングエリアから東へ5kmの地点の道路脇の防護フェンスに取り付けられているのが発見されたが、白い布がつけられた防護フェンスの付近には無線通信が不能の場所でもあった。
合同捜査本部はこの県道と名神の交差部分を封鎖したが、問題の空き缶は発見できず。
犯人らしい男も姿を見せなかった。
一方、近くで事件捜査を知らない滋賀県警の別の職員が無灯火の不審な白いライトバンを発見。
職務質問するためにライトバンに近づき懐中電灯を照らすと運転席に男がいた。
しかし、白のライトバンは急に発進。
白のライトバンはパトカーと激しいカーチェイスを繰り広げパトカーを振り切った。
後に白いライトバンが発見されたが盗難車であった。
取り逃がした外勤課員は責任を取って後に辞職している。
11月19日ハウス食品工業課長に脅迫状が届き、11月14日の現金輸送車の監視状況が書かれていた。
今は森永相手にしており、暇になったら連絡するとも書かれており事実上の脅迫休止宣言となる。
12月11日、パトカーの乗員3人の証言を元に作成された不審車両の運転手の似顔絵が公開された。
⑩不二家脅迫事件
1984年12月7日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。
テープと青酸ソーダが同封されていた。
12月15日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。
12月24日に大阪梅田の百貨店屋上から2000万円ばらまくことを要求するも不二家は従わなかった。
12月26日、東京のスーパー社長宅に脅迫状が届く。
1月5日に不二家に池袋のビル屋上から2000万円ばらまくことを要求したが不二家は従わなかった。
1985年1月11日に不二家脅迫事件が初めて報道され、かい人21面相が不二家を脅迫していたことが明らかとなる。
なお事件発生直前の12月4日にアマチュア無線の7MHz帯オフバンドにて
「21面相、こちら玉三郎」
「クスリは用意できたか」
「ひと、ふた、ひと、ろく(12月16日と推定される)、航空券が往復確実に取れてR6(現沖縄通信事務所の地域番号と推測)へ行く場合は日帰りで必ずアシがつかないように戻ってくるように」
「不二家はやっぱり金払わんちゅうとんのけ」
「不二家あきらめたほうがええわなこりゃ」
などいう「21面相」と「玉三郎」を名乗る2人の通信が北海道岩内郡のアマチュア無線家によって偶然にも傍受録音されていた(北海道テープ)。
捜査本部は犯人グループの可能性が高いと判断して、捜査が行われ、一部はマスコミ向けに公開された。
⑪東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件
バレンタインデー直前の1985年2月13日に報道機関にバレンタインデー粉砕を主張する挑戦状が届く。
これと前後して東京都と愛知県で「どくいり きけん」と書かれたラベルが貼られた青酸入りチョコレートが相次いで発見される。
青酸の入ってないものには「どくなし あんしん」と書かれていた。
この事件では、脅迫の対象となったことのあるグリコ・森永・不二家のものに加えて、明治製菓のチョコレートもばらまかれていた。
⑫駿河屋脅迫事件
1985年2月24日、マスコミに森永製菓への脅迫を終結させる休戦状が届く。
その直後の3月6日、今度は和歌山県の老舗和菓子会社の駿河屋に5000万円を要求する脅迫状が届いた。
しかし、3月8日に犯人から現金受渡しを延期する旨の通告が届く。その後、犯人から駿河屋への連絡はない。
⑬事件の終息
1985年8月7日、ハウス食品事件で不審車両を取り逃がした滋賀県警本部長が自身の退職の日に本部長公舎の庭で焼身自殺をした。
遺書は残されていないが、一般に失態の責任を取ったとされるも真相は不明である。
8月12日、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終息宣言が送りつけられた。
理由は、その5日前に自殺した滋賀県警本部長への香典代わりだという。
脅迫状の届いた会社の一つであったハウス食品工業社長の浦上郁夫はこの事件の終息を同社の創業者・前社長であり父親にあたる浦上靖介の墓前に報告するために8月12日に日本航空123便に搭乗し、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ死去。
この終息宣言の後完全に犯人の動きが不明となる。
ところで【53年テープ】と称される事件が70年代に江崎グリコに起きている。
・詳細
1978年にグリコに金を要求するテープがグリコ常務に送られた事件。
1時間弱のテープの内容は部落解放同盟幹部を名乗る初老の男性の声で、送り主の男は過激派の学生が江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばら撒きなどを犯行と引き換えにグリコに対して3億円を要求する計画を立てていると記載。
これらの犯行を抑えられないまでも3億円の要求額を1億7500万円に減額できるとして金を要求、応じるなら指定した手法の新聞広告を出せというものだった。(グリコは応じず。)。
江崎の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばら撒き、連絡に新聞広告を使うなど、後のグリコへの犯行を予告するような内容であった。
実は、このテープが届く2年前から江崎グリコ常務宅に黄巾族と名乗る人物が手紙や電話で脅迫を続けていた。
1993年末にな兵庫県警が53年テープを1分ほどに編集して公開している。
これら一連の事件は単なる誘拐事件と最初は思われていたが、大手食品会社が次々と脅迫され、実際にシアン化ナトリウム入りの食品がばら撒かれるなど、当時の社会に与えた影響は計り知れないものがある。
企業への脅迫状とは別に、挑戦状を新聞社や週刊誌に送りつけその内容は「けいさつの あほども え」など、警察を挑発したりあざ笑うような内容が多く、自分達の遺留品の細かい出所まで書いたり焼身自殺した滋賀県警本部長にまで言及した。
また、犯行の際の遺留品の多さにもかかわらず、犯人の特定には至らなかったのは世田谷一家殺人事件を思わせる。
一連の犯行の目的が何であったかは不明のままである。
犯人側はグリコは6億円を支払ったとほのめかしているが、グリコをはじめとする被害にあったメーカーは犯人側への金の支払いを否定している。
一説には、脅迫を受けた企業の株価が乱高下しており、それにより利益を得た、あるいは株価の操作そのものが目的だったとする説もある。
脅迫事件においては、子供に身代金要求の電話をかけさせたり、無関係な市民を拘禁・脅迫し利用するといった従来の常識からは想定外の手口を使い、これも捜査を困難なものにした要因のひとつとなった。