355 :本当にあった怖い名無し:2018/05/16(水) 09:24:23.62 ID:cCy2YKXe0.net
戸叶和男『日本奇習紀行』
美容整形業界による地道な喧伝(?)のせいか
多くの諸兄が未だに悩むテーマのひとつであるという“包茎問題”。
医学的に見て、性交上支障のある重度の包茎以外、実際にはさしたる問題がなく
むしろ世界的に見れば
これほどまでに男性器の包皮にこだわる民族も珍しいというぐらいに
誠にもって特異な状態となっている我が国の包茎事情であるが
そうしたデリケートな問題に思い悩む諸兄に
ある意味“朗報”とも言うべき習慣が存在していることを今回はご紹介したいと思う。
「まあ、世の中じゃ、いろいろとそういうことはあるとは思うんだけれども
このあたりじゃ真逆でね。むしろ、皮が余ってなければ、お話にならないんだよ」
356 :本当にあった怖い名無し:2018/05/16(水) 09:24:45.73 ID:cCy2YKXe0.net
自身が生まれ育ち、今なお暮らす
東海地方のとある集落に定着しているという独特な“包皮観”について
そう語りはじめたのは
今を遡ること約3年前に長年連れ添った愛妻に先立たれ
今では自宅から約3kmほど離れた道の駅に家庭菜園で採った野菜を収め
その利益で駅前にあるパチンコ店に通うことだけが楽しみだという
正木親男さん(仮名・82)。
正木さんの話によると
長らく美容整形業者によって喧伝され続けてきた“露茎信仰”とも言うべき内容とは違い
いわゆる“仮性包茎至上主義”とも言うべき価値観が
当地には古くから根ざしていたのだという。
357 :本当にあった怖い名無し:2018/05/16(水) 09:25:02.48 ID:cCy2YKXe0.net
「あのね、若い人らなんかはね、
ナニの皮がね、余っていると恥ずかしく思うんでしょう?
けれどもね、ここいらじゃね、皮が余ってないと、成人できないの。
そりゃあそうでしょう?皮がないとね、儀式ができないんだもの(苦笑)」
正木さんの言う「儀式」とは、当地に古くから伝わるという成人の儀式のこと。
「成人」とは言っても実際には当世で言うところの「成人」とは違い
満15歳になった少年が行うことになっているというが
いずれにしかり、この儀式において重要とされるのは何を隠そう男性器の「包皮」。
この「包皮」を使った、実に“チン妙”な儀式が行われているのだという。
358 :本当にあった怖い名無し:2018/05/16(水) 09:25:17.15 ID:cCy2YKXe0.net
「あのね、その年に資格が得られた男はね、
大晦日の夜にね、神社の境内へと集められてね、
いきなりズボンを脱がされて、“ナニ”を披露させられるの。そう、村人全員の前で。
そうだよ、同級生の女の子だの、親兄弟だのが見守る中で、だ。
そりゃあね、恥ずかしいよ。なにせね、みんなが見てるんだもの。
しかも、それこそ暮れの寒い時期だ。
あなたも男ならばわかるだろうけれども、あれだけ寒い中でだ、
いきなりむき出しにされたらね、いきり立つどころか、逆に縮こまっちゃう(笑)。
けれどもね、出すわけ、男は。
するとね、今度は斜めに立てかけられた台の上に仰向けにさせられてね、
さらに丸見えの状態にされるわけなんだけれどもさ、
そしたらね、夏の初め頃にとっておいたハスの花のね、枯れたやつを立てるの。
そう、皮の先っちょで包むようにしてね、活ける感じ。
それでもって、見事、花が倒れずに立ったら、成人と。そういう儀式よ」
正直なところ、あまりに“チン妙”すぎて
門外漢である我々にとっては想像もつかない内容ではあるものの
いずれにしかり、余った「包皮」を使って
ハスの花を「生け花」のように生けるという儀式であることだけは事実である様子。
たしかにその内容だけを聞く分には
美容整形業界によって「無用の長物」とされてきた
男性器の「包皮」が重要なものであるように思われてくる。
「あのね、この儀式が無事に終わらないと、
男たちの世界じゃ、いつまでも子ども扱いだからね。
だからみんな必死なの。
なにせね、生まれてきた赤ん坊がだよ、
男の子だってわかると、みんなで毎日、ちっちゃいナニの皮をひっぱるぐらいだからね」
359 :本当にあった怖い名無し:2018/05/16(水) 09:25:56.33 ID:cCy2YKXe0.net
正木さんの話によると
その成長とともに露茎状態となってしまった当地の男児は
夜な夜な家族総出で包皮を引っ張るという
いわば“皮伸ばし”とも言うべき行為に明け暮れることとなるという。
そもそもなぜ
このような“チン妙”な儀式が当地に生まれ
現代もなおひっそりと受け継がれているかは謎であるが
少なくとも自身の“包皮問題”に思い悩む世の男性諸兄にとっては
自身のアイデンティティを保つ上で少なからず勇気付けられる話であると言えそうだ。
終わり