サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

タグ:殺人

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809 : 本当にあった怖い名無し:2014/11/14(金) 09:02:31.98 ID:Vo+pbcYSO.net
鈴ヶ森は、よく自転車で通るがちゃんと供養されてるのか何も感じないが
夜間プールやっているところを探してて
そばの水族館のある公園内に入ろうとしたら何か怖くなった。
見えないけど圧を感じるというか痴漢、強姦とか出そうな空気
プール見に行ったら定休日でテニススクールはやってたから
その辺りは明るかったけど小走りで自転車のとこまで行って逃げるように帰ってきた。
夜は二度と行かない。
昔、逆さ磔で潮の満ち引き利用して処刑してた場所って この辺だったのかな?


812 : 本当にあった怖い名無し:2014/11/14(金) 16:53:52.97 ID:Vo+pbcYSO.net 
逆さ磔は別物か
水磔っていうのが正解か




832 : 本当にあった怖い名無し:2014/11/24(月) 20:53:07.97 ID:fss8haXP0.net 
霊能者の言によると鈴ヶ森刑場跡は隣のお寺が今でも供養しているので清浄だとか
昔、夜遅くに小塚原回向院の辺り通ったらなんかすごく重かった
歴史詳しい人が
「あそこは幕末に政治犯がたくさん処刑されてるからねえ」とか
言われて腑に落ちたな



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1428242367/

607 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/25(火) 15:57:18.58 ID:ePfsQs0Q0.net 
千葉県松戸市に伝わる「牛の首」という話

昔、松戸市の六○台という部落で牛が盗まれ、その牛が首無し死体で見つかる事件があった
同じころ、祝言を控えた近くの村の美しい女性が行方不明になる事件があった

近くの村は六○台のエ○タどもが村の女性をさらったのではないかと疑い
大いにいきりたったが六高台の部落民たちも
牛の件は村人達の自分たちに対する差別的嫌がらせではないかと思っていた

しかし二つの事件の犯人は同一人物
おおもとは一つであった
部落の長、××家のウスラ馬鹿息子に亮太という男がおった
この男が村の女性をさらって強姦して飽きたら殺し、死体に牛から切り取った首をかぶせて
これは牛じゃあぁと言いながら牛の首をかぶせた女性の腹を食らっていたそうな

それを見た村人は部落の長に怒鳴りこみに行ったが殺されて
首無し死体を牛の首を添えて晒された
一つは牛泥棒の罪を着せて処刑
もう一つは事件について余計な事を言ったら殺してやるとの見せしめとして…

部落民側にも偶然目撃した者はいたが
あまりのおぞましさに長年口を噤み、真実はひっそりと闇に葬られた
興味本位から近年その家に近づいた者が付近住民に恫喝された件は人々の記憶に新しい




http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1421347203/

10 : 本当にあった怖い名無し:2015/01/25(日) 16:39:48.14 ID:LBKeNGzu0.net
若いカップルが深夜に人気のない山道でドライブをしていると、
カーステレオのラジオから凶悪で危険な囚人が
今走っている場所のすぐ近くにある刑務所から脱獄したと臨時ニュースが流れる。

怯えながらもドライブを続けていると、
車のエンジンの調子がおかしくなり車が動かなくなる
男の方が「助けを呼んでくる」と一人で山道を行こうとするが
脱獄囚に怯えた女はそれを止める。
最終的に「きちんとロックして車の中に居れば安全だ」と男が言い
それに納得した女は車の中で男の帰りを待つことになった。

女が車の中で男の帰りを待っていると
「ズリッ…」と時折、何かをこするような奇妙な音が聞こえる。
女は恐怖に駆られたが男の言葉を思い出し、車の中で鳴り続ける奇妙な音を聞きながら
男の帰りを待つことにする。
やがて、日が昇ると一台のパトカーが女のいる車の近くにやってくる。

女が安堵するとパトカーから二人の警官が降りてきて
「まっすぐこっちに歩いてきてください。ただし、決して振り返って後ろを見てはいけません」
と奇妙なことを女に向かって言う。

女は警官の指示通り、車を降りて警官のいる方向へ歩いて行くが
やがて好奇心に負けて後ろを向いてしまう。
そこには男の死体が道の脇にある木の枝に首に縄を掛けられ、吊るされていた。
一晩中聞こえていた音の正体は、殺された男の死体が風に揺れて
車の屋根を死体の足が擦っていたものだったのだ。

この「カップルがドライブ中にトラブルにあう。
車外に出たほうが殺され、車内に留まったほうが助かる」という類型の都市伝説は
1988年のドイツなど古くから採集されている。



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401 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/14(金) 21:32:56.60 ID:+hHt/Wdm0.net 
じゃあ俺の祖父さんの話書くわ。
若い頃の祖父さん、赤紙が来る前に旧海軍に志願したんよ。
入隊した時は今で言う自衛官候補生みたいな扱いだったらしくて、
鮨詰め状態の狭い部屋で同期達と生活してたらしい。
最初は他の同期達と上手くやってたらしいんだけど、祖父さんにはちょっと変な趣味があった。





515 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/15(土) 15:19:35.43 ID:gUZM8GLx0.net
>>401の本当の続き書くわ。

最初は他の同期達も祖父さんと同じ志願兵で、歳が近い事もあって仲は良かったらしい。
ただ訓練生活を続けるうちに、要領の良し悪しで同期のあいだに序列が出来たんだわ。
出来ない奴はとにかく制裁された。
上官の機嫌次第で連帯制裁もあった。
なかでも一番出来ない(上官が嫌いだった)奴は、大怪我するまで制裁された。
祖父さんの話だと関西人が大嫌いな上官だったらしい。

同期達もそれを知ってて最初は助けてたんだけど、
元々要領が良くない上に制裁に耐え切れず精神失調を患って、
そいつは同期達にとって微笑みデブ以下のガイジ扱いになった。
そいつのせいで連帯制裁された出来る同期達は、時間も場所も関係なしでリンチした。
酷い時は上官の前でリンチして、誰も止めようとしなかったらしい。

最期の消灯後、部屋の真ん中で暴れだしたガイジを、唸り声が消えるまで
同期全員でリンチして床に転がした。
いつの間に誰がハンモックに戻したのかはわからない。

起床ラッパで起きなかったそいつを、上官がハンモックから叩き落として異常に気付いた。

結局病死扱いの即日火葬で処理された。
医官の検死結果だと、消灯前には確実に死んでたらしい。

遺骨は整列した同期達の目の前で、しめやかに遺族に引き渡された。



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588 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/16(日) 22:58:50.97 ID:dRcfxrh60.net 
もう10年以上前だし、時効(?)だと思うので投下

当時俺は高校生で、地元の海沿いの高校に通ってた。
そんなに綺麗なとこじゃないし臭い町だったけど、シーズンになると仲間と一緒に海で遊んでた。
当時はいわゆるDQNグループみたいな感じで仲間とつるんでて、
学校サボって煙草吸ったりしてたヤンチャ盛りだった。

浜辺の横に岬みたいになってるとこがあって、そこの上に誰も住んでない家があったんだけど、
そこの2階に灰皿とかパイプ椅子とか持ってきてグループのたまり場みたいになってた。
立地が図書室で読んだブラックジャックの家そっくりで、
みんな「ブラックジャックの家」とか「ブラックジャック」って呼んでた。

高2の8月に夏祭りがあって、まぁ毎年あるんだけど、その年はいつもと違った。
俺は同じクラスの女子Aと付き合い始めで、まぁ、初めてのデートだったんだ。
浴衣姿にめっちゃ興奮したの覚えてる。
仲間には「今日は絶対ブラックジャック来んなよ!」って言っといた。
「今日は絶対ヤる!」って思ってたんだ。
まぁ、健全な男子だから、普通だよな。
仲間も最初は茶化してたけど、約束してくれた。

駐車場でやるようなチンケな祭りだったんだけど、結構楽しかった。
確かフランクとタコ焼き食ったのは覚えてる。
まぁでも、頭ん中はもう「ヤる!」でいっぱいでw そればっか考えてた気がする。
Aもまんざらでもない感じだったし。

そんで、イチャイチャしながら、ブラックジャック連れてきたんだよ。
月が綺麗だけど曇ってて、雲に隠れたときはほとんど明かりがないから
ケータイ(ガラケー)で足元照らしてた。




589 :本当にあった怖い名無し:2015/08/16(日) 22:59:20.99 ID:dRcfxrh60.net
2階に上がって、汚いパイプ椅子払って窓際に置いて、座らせてさ。
オレも対面に椅子置いて、座らせて。(灰皿はあらかじめ隠しといた)
窓が「右手に海、左手に町」てな方向向いてて、祭りの明かりと、海が見えて絶景でさ。
Aも窓の外を見ながら黙って座ってて、
すげぇいい感じだな、連れてきてよかったなって思ってさ。
でも、緊張してて、なんかどう切り出したらいいかわかんなくて、
お互い固まっちゃったんだよねそこで。
俺もそのときまだ童貞で、どうかしたいんだけど、どうしていいかわかんなくて。
黙って外を見ながら座ってた。

そうしてたら、なんか視界の端を黒い影がサッと動いたような気がして、
それが窓の外だったんでちょっと気になって体を乗り出したんよ。
チラッと影が、ブラックジャックの入り口の方に向かってくのが見えたんだよ。
建物の入り口が、今いる2階の窓の真下で、
その影が建物の入り口に向かって動いたのが、チラッと見えた。
なんだろうと思ったんだけど、窓の真下で真っ暗だから何も見えなくなって、
なんだったんだろうって思ったけど首引っ込めたんだ。

Aが「どうしたの?」って聞いてきて、そしたら
ガタガタガタガタッ
って入り口の引き戸を滅茶苦茶に開けようとする音が聞こえてきて。

そこの入り口は普通の引き戸だったけど、縦に上下するタイプの鍵がついてたから、
入ったときに閉めてたんだ、ヤってる最中に邪魔が来たらヤだなと思って。
Aと目が合って、部屋の暗がりに目が少し慣れてたんだけど、
Aの目はめっちゃ怯えてた。
俺はなんとなく、「仲間の誰かが冷やかしに来たのかな」って思って、
シーッて指を立てて、黙ってた。

これで下の音がしなくなったら、「ビビった~」とか言いながら、
緊張ほぐれていい感じになれるかも、みたいな
変な安心感というか、状況が動いて嬉しい気持ちが半分あった。


590 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/16(日) 22:59:54.11 ID:dRcfxrh60.net 
しばらくしたら、引き戸の音が止んだ。
Aは緊張したまま、向かいあって椅子に座って、膝に置いた指が浴衣に食い込んでた。
ヒタヒタヒタと窓の下から足音が遠ざかっていく音が聞こえて、もう帰ったのか?と思った。

頃合いを見て声を出そうと思ったら、 ガチャ って扉が開く音が下から聞こえた。
「え?」って声が出そうになった。
その家は普通の民家だったんだけど、1階は風呂とトイレと居間と個室と、台所があった。
2階に登るのが面倒な時は、1階の台所で煙草だけ吸って帰る事もあったんだけど、
台所には、勝手口があった。そこを開けたんだ、と、気づいた。

階下の足音がドスドスドスドスッと動いているのが聞こえて、
急激に「なんかヤバい」って気持ちが湧いてきた。
「コイツは仲間の誰かではない」って。
2階は狭い階段を上がったら廊下もなくすぐ左手にドアがあって、そこが今いる部屋になっている。
2階の部屋はこの部屋だけ。
足音が階段をドスドス駆け上がってくるのがわかって、体が咄嗟に動いて、扉の前に飛びついた。
背を向けて扉にもたれかかったら、
ドスンッ と扉にぶつかる衝撃があって、体がちょっと浮いた。
慌てて腰を落として、空気椅子みたいな体勢になって、扉を抑えた。

その後、2度、3度と衝撃が続く。
鍵のない扉で、ドアノブが外側からひねられていた。自分がどいたら、扉が開いてしまう。
Aは椅子のあった所に立ってて、暗くてよく見えなかったけど、
浴衣の袖で目元を拭いてたので多分泣いてたんだと思う。

ドスンッドスンッと衝撃は何度も続いて、扉一枚はさんで
すぐそこに何かがいる気配がするのに、声は全く聞こえなかった。
正直生きた心地がしなかった。
「どうしようどうしよう」と思っていたら、
開け放たれたままの窓に気づいてAの顔を見ながら顎で窓を差した。
んで、何度もうなづいて見せた。
今思えば、なんでこんな事したのか俺にもよくわからん。

Aは最初少し躊躇していたけど、扉はガンガン叩かれるし、
俺もヘドバンみたいに首を縦に振りまくっていたら、Aは浴衣の裾を上げて、
窓枠に足をかけて外側に身を乗り出した。
そのまま窓枠に手をかけて、パッと離したの見えた後、
どすんという音が窓の下から聞こえて、
少ししてからサンダルでぺたぺた走ってく音が聞こえた。


591 :本当にあった怖い名無し:2015/08/16(日) 23:00:44.78 ID:dRcfxrh60.net 
「よかった」と思ったと同時に、扉の衝撃が来なくなっている事に気づいた。
顔の横にあるドアノブを見ても、もうひねられてなかった。
部屋は漫画みたいにシーンと静まり返ってて、
窓の外から波の音が少し聞こえるだけで、静寂だった。
俺は中腰で扉に寄り掛かったままだったけど、外の奴の気配はもうなくなっていた。

ただ、そこで俺は気づいてしまった。
扉のすぐそばで息を殺して待ってて、今ここをどいたらそいつが入ってくるんじゃないか?
いや逆に、そいつが階段を降りて、目の前にある窓から這い上がってきたら、
俺はどっちに逃げればいい?
そう思ったら、背筋がゾワゾワして、脇汗がブワーッて湧き出てきた。
動くに動けなくなって、俺はドアに寄り掛かったまま、じっとしていた。

気がついたら、窓の外が明るかった。
俺は体育座りみたいな姿勢になって、扉の前で眠ってしまっていた。
ケータイを開いたらもう6時くらいになってた。
拍子抜けして、ちょっとの間ぼーっとしてた。
なんとなく、扉を開くのが嫌で、窓から降りる事にした。
窓枠に手をかけて身を乗り出して、手を離して下に降りたんだけど、
どちゃっと泥っぽい音がした。
見ると、入り口の周りの地面が濡れていて、雨の後みたいに水浸しになってた。
雨なんて降ってないのに。
濡れた跡が家の裏手の勝手口にまで続いているのを見て、急に怖くなって、走って帰った。


592 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/16(日) 23:01:46.84 ID:dRcfxrh60.net 
帰ったら、Aが帰ってこないって騒ぎになってた。
帰ってきた俺は当然怪しまれたわけで、
夜中Aと二人でブラックジャックに行ってた事とか言ったんだよ。

教師がブラックジャックを見に行ったり、灰皿や吸い殻を見つけたり、
呼び出し食らって親父に殴られたり、色々あって、俺は停学になった。
警察の事情聴取とかもあったけど、
例の奴の事はなんとなく言わなかった。信じてもらえない気がして。
俺は、
「Aといい感じになったから手を出そうとしたら逃げられたんで、
あの家で夜更かししてました」とだけ言った。

Aは、一週間後に水死体が上がったって聞かされた。
葬式とかには行かせてもらえなかった。まぁ、行けないわなぁ、と思った。
泣きたかったけど、涙は出なかった。
好きだったけど、なんかそこまでAの事を知らなかったっていうか、
なんか、涙が出ない事で自分がすごい薄情な奴みたいに思って、それですごい自己嫌悪があった。

その翌日くらいに、まだ停学中で家にいたら仲間のBとCが来た。
つるんでた奴らのうち、特に仲が良かった2人。
2人は俺を慰めてくれて、持ってきたお菓子とか食ってどうでもいい事をダベってた。
さすがに煙草は吸わなかったけど。

2人は、敢えてAの話題を避けて話をしてた。
なんだかそれが逆に悪いような気がして、あの夜ブラックジャックであった事を、2人に話した。
例の奴の事も、Aを逃がした事も、全部。
今思えば、このとき2人にこの話をするべきじゃなかった。後悔してもしきれない。
2人は最初は俺の「ヤろうと思ってた」とかの言葉に笑って聞いてたけど、
話の最後には真顔になってた。
まぁ、そりゃそうだわな。

話終えたらちょっと沈黙があって、Bが「そいつが犯人じゃん!」と叫んだ。
俺も、なんとなくそんな気はしてた。
BもCも、憤っていた。
Aとはみんなクラスメートだし、俺の彼女だったわけで、当然の反応だったと思う。
「そいつ捕まえて警察に突き出そうぜ!」とも言っていた。


593 :本当にあった怖い名無し:2015/08/16(日) 23:02:19.45 ID:dRcfxrh60.net 
その翌々日、BとCが行方不明になっている事を、親から聞かされた。
二人揃って、同日夜に出かけたきり帰ってこなくなったらしい。
それを聞かされた時、不思議と
「あぁ、やっちまった」「やっぱり」みたいな気持ちしか湧かなかった。

結局BもCも見つからなかった。水死体も上がらなかった。
停学明けに学校に行って、BとCが犯人で夜逃げしたんだ、みたいな噂になってる事を知った。
俺は肯定も否定もしなかった。

その件以後、仲間とも疎遠になった。
ブラックジャックにも、あれ以来近づかなくなった。
理由はわからんけど、怖くて海に近づく事が出来なくなった。
その後は卒業後、都内の大学に進学して、
普通のリーマンになって、取引先の子と仲良くなって結婚した。

3年前に実家に帰ったとき、ブラックジャックのあった岬の先には家はなく、
代わりに何かの石碑が立っているのが見えた。
近くまで見に行かなかったので、石碑に何が書かれてあったのかは確認していない。
両親に聞いてみたけど、犯人が捕まったというような話もないらしい。

この事を思い返すたびに、どうしてあの時
Aを窓から逃がしちゃったんだろうと、後悔が湧いてくる。
一緒にいたら、あるいは二人で降りていたら、
二人とも生き延びる事も出来たんじゃないか、って。
だから、この件は、今ではあまり思い出したくない。

ただ、この歳になって思い返してみると、色々と釈然としない事があった事に気づけた。
どうして俺だけ助かったんだろう。
BとCは、どこに行って、どうなったんだろう。
明らかに怪しかった俺を、警察は何で易々家に帰したんだろう。
何か知ってたんじゃなかろうか。

話はこれで終わり。
聞いてくれてありがとう。



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1438447220/

396 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/14(金) 20:39:30.98 ID:KJ5DScyi0.net 
釣りが趣味の俺が体験した話。
内陸部に住んでて海になかなか行けないから、
俺はよく仕事終わりに近くの山にある湖に釣りに行くんだ。
その日はちょっと仕事が忙しくて会社出たのが大体20時くらいだったかな。
釣りに行くつもりで道具一式車に積んじゃってたし、
ストレスも溜まってたから、夜飯は適当にコンビニで買ってそのまま山に行くことにした。




397 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/14(金) 20:39:58.99 ID:KJ5DScyi0.net 
山に着くと当然辺りは真っ暗。
でも何回か夜遅くに釣りに来たことはあったし、
誰もいない暗い湖で釣るのも結構好きだったから怖いとかは微塵も思ってなかった。

20秒くらい細く舗装された道を上るとハイキング客用の小さい駐車場がある。
途中一台のボックスカーとすれ違って、着いた駐車場は案の定俺の車だけ。

そこから舗装も何もされてない獣道みたいな山道を2分くらい歩くと湖に着く。
ハイキングコースになってないから、地元の人もあまり行かないような場所だ。
俺はいつものようにタバコをふかしながら釣りを始めた。


398 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/14(金) 20:42:25.59 ID:KJ5DScyi0.net
15分後くらいかな。
ふいに斜め後ろのほうからガサガサという音が聞こえてきた。
一気に冷や汗が出る。この辺りには熊が出ると聞いたことがあった。

じっと音の鳴る草の方に目を凝らした。
今すぐに全力で逃げようか、いや熊ならそれは逆効果だ…。
完全にテンパった俺は遂にその正体を目にすることになった。
出てきたのは予想外のモノだった。

顔面血だらけでボコボコに腫れ上がっている女。服がビリビリに破けている。
「ァ…アァァァ…ヒッ!ギィィィ…」
そいつは奇声をあげて貞子みたいにこっちに這ってきた。
暗くてよく見えなかったが、その顔は確実に俺を捉えている。


399 :本当にあった怖い名無し:2015/08/14(金) 20:44:59.84 ID:KJ5DScyi0.net
人間じゃない。本能でそう感じた。
俺は逃げた。全速力で。でないと奴に追いつかれるような気がした。
背後で声が聞こえたような気がしたが、それどころじゃなかった。
なんとか駐車場まで駆け戻り車に飛び乗って、全速力でその場を後にした。
バックミラー越しに見えた駐車場には、白いボックスカーが停まっていた。


400 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/14(金) 20:48:15.80 ID:KJ5DScyi0.net 
2週間後、朝出社しようとアパートを出ると、
同じ階に住むおばさんたちが何やら集まって話していた。
「おはようございます」
「あら、ねぇちょっと、聞いた?◯◯山の話!」
「へ…何がですか?」
「昨日、山の湖の近くで、女の子の死体が発見されたんですって!
土に埋められて…可哀想にねぇ。まだ若いのに…。
強姦だそうよ。あぁ怖い!私たちも気をつけないとねぇ」

俺はすぐに車を売り払った。


427 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/15(土) 03:16:55.98 ID:zP9sI2Cb0.net 
警察行けよ。
オマエが容疑者になりかねないぞ。
アリバイも完璧(悪い意味で)、証拠隠滅もはかってる。土地勘もある。目撃もされてる。
その女にも恨まれてるだろうから、
償いのつもりで捜査に協力しないと呪われるかもよ。




【閲覧注意】

【被害者たち】
・襲撃を受けた部隊は臨時特別機動隊であり、専門訓練を受けた機動隊ではなく支援部隊であった。
そのため武装も比較的軽装であり、ある意味非常に貧弱な装備しか持ち合わせておらず襲撃も150名ほどの想定しかしていなかった。

殉死した3人は下着のみの姿で発見され、半分が焼けただれた体で顔だけが異常に膨れ上がっていた。
遺体に加えられた残虐な損壊も甚だしく、ベテランの検視官すら「これが人間のすることか」と絶句したという。
死因は3人とも脳内出血と脳挫傷だったが、凄惨な暴行痕が残されていた。

小隊長の福島誠一警視(享年47歳)
・頭蓋骨亀裂骨折・脳内出血・肋骨17本の骨折(折れた骨は肺に突き刺さっていた)・顔、頭、胸部に28カ所の打撲傷。
柏村信治警部(享年35歳)
・火傷・頭蓋骨亀裂骨折・肋骨2本の骨折・頭部に複数の打撲傷・腕、背中にも打撲傷。
森井信行警部補(享年23歳)
・頭蓋底骨折・頭部に複数の打撲傷・顔、顎、胸、肩に火傷・左肩に打撲傷・左右の足に打撲傷。

これほど重大な事件であるにも関わらず、機動隊のフォローなしには現場検証すら難しく、捜査は難航する。警察官惨殺という殺人事件を起こした後でさえ、反対派及び中核派(極左暴力団)の抵抗・反撃・襲撃といった捜査妨害が続いていた。

とはいえ500人以上もの集団が秘密裏に集結・逃亡するためには、地元の地理に詳しい者の関与が必須であり、最終的には、空港反対同盟青年行動隊員らを中心に地元住民ら153人が連行逮捕55名が起訴となる。
逮捕者の連行に反対同盟は家族会を結成し、逮捕者に対する支援を開始。

しかし、以前の公務執行妨害やデモ集会時とは全く異なる事態に警察側の態度は硬化する。
それまでの逮捕者は、警察内でも同情的な意見もあり厳罰に処される事はなかったが、もはや殺人暴徒集団と同等に成り下がってしまった反対同盟(地元住民)らの責任は逃れようがなかった。


【変わる世論】
・当時は共産主義活動が活発であり学生運動に共感する者も多く、マスコミは反対派に同情的だった。
学生だけでなく反対派の子供までも「行動隊」と称して国家権力と戦うといった構図は、世論的にもわかりやすく、応援者も多かったと思われる。

しかし、この3人の警察官殺害を機にマスコミの態度は一変。
大っぴらに犯人捜しが行われ、世論も学生運動に冷ややかな眼差しを向けるようになった。

こんなエピソードがある。
都内の駅ターミナル内で、活動学生らが反対運動支援のカンパを呼びかけていた。
「学生側も危篤者二人。当局は巧みに報道管制をしいている」とのビラを撒くも「罪のない警官をなぜ殺した」と詰られ、殺人も許されると開き直る学生らとの諍いが、あちこちで勃発したという。

このような中、全共闘運動は急速に支持・勢力を失ってゆく。


【崩壊する反対派組織】
・警察官死亡のニュースは、反対派住民らの上にも大きな影を落とした。

反対同盟事務局長の北原鉱治は新聞記者の取材に対し「機動隊が前面に出てこのような代執行をしたことが、一切の事態の原因です」と断言。
「問答無用で死人が出るような状況を作っているのは権力側」であるとし、「警官三人が死んだ責任はあげて国側にある」と主張

しかし事の重大さがのしかかり、反対住民らは重苦しい雰囲気に包まれていた。
10月には青年行動隊の1人・三ノ宮文男が精神的苦痛を理由に自殺
他にも警察の捜査による逮捕者の続出や、法廷闘争の疲弊、加えて保釈金や裁判費用捻出など、代償はあまりにも大きすぎた。
生活すらままならなくなった住民達は、実力闘争離れから急速に離脱してゆく。

三ノ宮文男・・・事件時には「もうやめろ!」暴行を受ける警官の上に覆い被さってかばっていた。

しかし、この崩壊は新たな住民達の悲劇を生む。
闘争の実行役は地元反対同盟から新左翼活動家へと基軸が移り、巧みに闘争内容がすり替わってゆく。
闘争のため疲弊した農家を支援するとの名目で活動家らが地域に入り込み、活動家女性を嫁がせて親戚関係を作り上げるなど、いびつな力関係を強要し出す。
囲い込まれて活動家運動に巻き込まれた農家も少なくない

反対派から移行した農家には「脱落者」の烙印が押され、反省文を書かせられたり、暴力を振るわれる等の被害が相次いだ。


同年、同じような事件として朝霞自衛官殺害事件沖縄ゼネスト警察官殺害事件渋谷暴動事件といった警察や自衛官を狙った凶悪襲撃事件が相次いで起きる。

朝霞自衛官殺害事件
・陸上自衛隊朝霞駐屯地で警衛勤務中の自衛官が、新左翼党派によって殺害された事件。
犯人グループが「赤衛軍」を自称したことから「赤衛軍事件」とも。

沖縄ゼネスト警察官殺害事件
・沖縄返還協定に反対するデモ行進中、警備の警察官が殺害された公安・政治事件。
群衆内に過激派が紛れ込んでおり、山川松三警部(享年48歳)が殉死
棍棒等による殴打を受け、倒れたところを火炎瓶で攻撃され火だるまとなったが、 直後にデモ隊のなかから消火しようとする者が現れ、組合旗まで使って火を消し止めている
さらに警部はデモ隊の宣伝車で病院に搬送されたが、脳挫傷、クモ膜下出血で死亡した。

渋谷暴動事件
・渋谷で起きた暴動事件。27人の機動隊に対し、中核派150人が火炎瓶で襲撃
火だるまとなった隊員らは転げ回り、同僚が消化器で消し止めている。
逃げ遅れた21歳の巡査が囲まれて鉄パイプで殴打され失神
「殺せ!」と叫ぶ学生らは巡査にガソリンをかけ、次々と投げつけられた火炎瓶の火柱の高さは5メートルに達した。焼死者1名、重傷者3名

事件後も、活動学生の主張は「弾圧に対する労働者、農民側からの階級的復讐」であり、「アメリカはベトナム人民を殺し続けているが、佐藤(首相)はこれに協力している。だから、われわれ人民にも佐藤を殺す権利がある」(当時はベトナム戦争時下)、「権力のイヌは殺されても当然だ」と嘯き続けた。

一方、機動隊・警官隊側もやはり人間であり、復讐や怒りに身を任せて過激な弾圧に出る者も決して少なくはなかった。
そもそも活動学生は労働者でも農民でもない。社会経験すらないただの学生の鬱屈を思想にすり替えた「甘え」に近く、都合良く矛盾から目をそらし犯罪(殺人)を声高に叫ぶ集団に怒りを感じたとしても非難することはできないだろう。


暴力は暴力を生む。
そのループはどこかで断ち切らない以上、延々と続く。

1993年、日本社会党の伊藤茂運輸大臣が殉職警官の顕彰碑に献花した際、「社会党が反対運動に火を付けたから警察官が死ぬ事件が起きた」と、反対派住民らから冷ややかな声が囁かれた。

2007年、かつて逮捕された元青年行動隊員が殉職した3警官の顕彰碑に献花。
「婚約者がいた警察官や子持ちの人もいた。当時は相手の立場まで想像できなかったが、今なら残された家族の気持ちにまで思いが及ぶ」と語っている。

【閲覧注意】

【事件前夜】
・この事件が発生したのは、第二次行政代執行時。
当然、その前には第一次行政代執行が行われている。

1971年1月、空港公団は土地の買収にあたり損失補償金の支払いを開始したものの、地権者は受け取りを拒否。受け取り期限を過ぎたため、当時の県知事は法律に基づき再期限を設け、応じない場合は2~3月に代執行(第一次行政執行)を行うと通達。

第一次行政執行では、反対同盟はバリケードを組み、地面に掘った穴に立てこもることで代執行を阻止。
この時、反対運動に加わらなかった周辺地域住民らにも対し、反対同盟はビラや宣伝カーなどで抗議活動をアピール。結果として多くの野次馬や親戚・友人らが集まったため、機動隊の投入は行われず事態は膠着する。

2月24日。反対同盟の少年行動隊が代執行実施班に体当たりし、ガードマンが応戦した際に警棒を用いたため負傷したとして入院する騒ぎが起きる。野次馬の中には活動支援学生らが紛れ込んでおり、人々を扇動したため投石などの暴行傷害が発生
知事は代執行を停止する。

再開後も同じような妨害工作が為されたが、3度目の代執行時には機動隊による検問を設けたため事態は逆転する。

しかし、度重なる妨害工作に苛立ったのだろうか。日当で雇われた公団臨時職員らは、体を括り付けた農民ごと木を引き抜き、次々と非情な態度でバリケード等を破壊
「壊し屋」と称された公団臨時職員らは、木の上の農民を振り落とす際には網を張ってはいたが、あまりの混乱に直接地面に落下、骨折するなどの負傷者が続出、逆に機動隊員が制止する場面もあった。

暴動は13日間続き、述べ動員数は反対派が約2万人。
機動隊は約3万人で、機動隊・空港関係者・県職員・作業員らの負傷者は1071人
(火炎瓶などの攻撃で重傷を負った者含む)
一方反対派の負傷者は606人にすぎず、逮捕者は461名に留まった。
 


【事件の発生】
・第二次行政代執行の開始は9月。
千葉県警察機動隊・警視庁機動隊、関東管区機動隊など、総勢5300人の警備部隊が動員された。
一坪共有地には日本社会党議員等の一坪地主が座り込み、敷地内には再び立てこもり小屋が設置されていたほか、事件前日の15日には中核派などの過激派2000人が現地入りしており、「権力の手先である機動隊を殲滅、北総地帯を解放区とする」と強く宣言していた。
また、過激派の間では「警察は権力の手先であり、すきあらば殺せ」が合言葉となっていた。

16日。代執行開始直後から「ゲリラ部隊」が警備部隊を次々と襲撃
空港予定地北西側で爆発物や襲撃暴行が発生したため、東峰方面の警備がやや手薄になる。これが惨劇の元となった。

当時、東峰十字路を警備していたのは神奈川警察の堀田大隊261人
3つの中隊に分かれ、各自の担当の警備に向う。
反対派の地元青年行動隊及び学生からなるゲリラ集団は火炎瓶・竹槍などで武装し東峰地区へ。
東峰十字路に機動隊が入り込んだとの情報に、ゲリラ集団は2隊に分かれて攻撃を開始する。

やがて、東峰十字路付近にて両者が激突。
第3中隊の第2小隊の小型輸送車が火炎瓶攻撃により炎上、部隊は分断されたまま700名を超すゲリラ集団に襲撃を受けた。
連絡を受け救援部隊が向かったが、それらもまた各自襲撃を受け、指揮系統は大混乱となり部隊は総崩れとなった。

パトカー・輸送車等の車両は炎上し、この部隊だけで80名の負傷者が続出。全身火傷失明骨折全ての歯を折られた者100針以上縫う大怪我を負った者もいる。

東峰十字路北部に展開していた第1中隊第1小隊(福島小隊)は、完全に孤立し、200名を超すゲリラ部隊に包囲されたまま、火炎瓶・角材・丸太・投石で執拗な攻撃を受け、重傷者20名、殉死者3名を出す最も悲惨な結果となった。


直接火炎瓶を投げつけられ火だるまになりのたうちまわる隊員らを、襲撃集団は数人がかりで竹槍や釘を打ち込んだ角材で殴打。動けなくなった隊員は衣服を剥ぎ取られ、装備を奪われた状態で滅多打ちにされた。
「殺せ」「ヤッちまえ」との叫ぶ声の証言もあり、ずたずたにされた隊員らは裸にされて土下座させられている。
付近の住宅には居住者がいたが関わり合いを恐れており、機動隊員らもあえて無関係の第三者に助けを求めることはなかった

死亡した福島警視は、火炎瓶を受けて火だるまになり、転げ回っていたところを集団で襲われ、手錠をかけられて鉄パイプ等で滅多打ちにされている。
他の2人も倒されたところを同様に滅多打ちにされて虐殺された。

生存者の証言には、襲撃された警察官は後で「証言できないように」顎や顔を集中攻撃され、倒れた隊員には濃硫酸をかけてわざわざ火炎瓶で放火していたとの目撃談がある。
また、成田赤十字病院の院長は、防弾チョッキの上からでも骨折するよう、かなり強固な武器で殴られていたと証言。

ようやく救援部隊が到着した時には、血塗れでうめく隊員達を残しゲリラ集団は逃亡していた。
(衣服を剥ぎ取るなど)武装解除された者が36名、他に30名がゲリラ集団に拉致されていたが、同日中に全員が機動隊によって救助されている。

現場検証の場も凄まじかった。
たたき割られたヘルメットや、引きちぎられた血塗れの衣服、血痕のついた竹槍が多数見つかり、付近の道や草叢までもがベットリと血がついていたという。
通常火炎瓶はコーラやビール瓶が使用されるが、この場では数百もの一升瓶の破裂跡があった。
火力の威力は、数十メートルの火柱に相当
また火炎瓶には農薬が使用されており、盾で防いでもガソリンが飛び散り、必ず引火するように改良されていた。

あまりに凄惨なこの襲撃には仲間である反対派からも非難の声があがり、後日マスコミを通じて地元住民や目撃者達もやりすぎだったと証言

ショッキングすぎる証言や映像に人々は驚愕し、思想や対立とは関係なしに残虐な犯罪集団が暴走し始めている事にようやく気づきはじめた。


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【閲覧注意】

東峰十字路事件とは、新東京国際空港(現・成田空港)建設予定における空港反対派によるゲリラ襲撃で警察特別機動隊3名が旬死したテロ事件。

当時、空港建設予定地内には反対派の所有する土地があり、そのため千葉県は行政執行に踏み切った。
事件が起きたのは、第二次行政代執行初日の1971年(昭和46年)9月16日。
この襲撃は非常に残忍・陰湿かつ強い悪意を感じさせ、国家権力VS学生運動といった思想対立が暴走しつつあった当時の様子を伺わせる。

反対派集団が武器として使用したのは、火炎瓶・竹槍・角材や丸太等であり、機動隊側の負傷者は80名を超す
当時はテロによる犯罪ではなく傷害致死事件とされたが、現地には現在も慰霊碑が残されている。

たわいのない(素心宮司)の思い...
極左暴力集団=過激派の当時の呼称


【事件の背景・成田闘争】
・この事件の背景には「成田闘争」(三里塚闘争とも)が根深く横たわる。
この闘争は、もともとは空港内外の民有地取得の問題や、騒音問題に反対する地元住民らが革新政党指導の下で結成した組織による反対運動から端を発する。

千葉県北部は「続日本書紀」時代から続く軍馬の飼育生産地帯であり、源平合戦では源氏に軍馬を提供するなど、非常に歴史的価値が高い
また、明治時代には政府は殖産産業として近代牧畜に力を入れ、宮内庁御料牧場が設置されるなど、急速に発展した歴史を持つ。
さらには、第二次世界大戦終戦直後には農地解放が行われ、帰省先のない引き揚げ者や帰還兵らを入植者として受け入れた。

一方古来から続く古村の人々の反骨精神も強く、軋轢や極貧の生活に耐えかね脱落する者も後を絶たなかったが、それ故に土着意識が強く築き上げられていったと思われる。

しかし60年代に入ると、世界的な大量輸送時代(ジェット機の登場)と高度経済成長により、日本の航空需要は急激に増大する。
当時から現・羽田空港はあったものの、限界点が既に見え始めていた。

そのため当時の池田内閣では新空港の計画に着手。
在日米軍の管制空域などの兼ね合いもあり場所の選定は簡単ではなく、最終的にこの地が候補地として決定した。
が、反対運動は根強く、座り込み・デモ等が相次ぐ。


しかし1966年、現・羽田空港内で3件の航空事故が発生
少なくともうち2件は空港の管理能力不足が原因だった。

全日空羽田沖墜落事故
・2月 全日空ボーイング機の東京湾墜落133名全員死亡
カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故
・3月 当機が空港着陸直前に墜落。搭乗者72名。うち死者64名、生存者8名。 
英国海外航空機空中分解事故
・事件が起きたのは、カナダ太平洋航空402便墜落事故の翌日。
現英国航空機が富士山の乱気流に巻き込まれ空中分解、墜落124名全員死亡

国際的な情勢もあり日本政府は空港の開港を急ぎ、反対派の暴動も過激化する。
やがて空港反対派は当時活発に活動していた新左翼党派と結託するようになり、警察・機動隊と地元住民及び新左翼党派グループによる血生臭い暴動へと変化した。

新左翼党派・・・当時世界的に勢力を伸ばしつつあった共産主義派の1つ。主に学生らが中心となって活動する多分派だが、国家権力に対抗という姿勢はやがて犯罪集団へと過激化する。

当時から「ボタンの掛け違い」と揶揄されていたこの論争は、過激な襲撃事件を引き起こしただけではなく、開港の遅れとともに双方に死者を出す惨事を引き起こした。
この闘争に関わった死者は13名。負傷者は100名を超す。

以下、主な事件のみ。
東峰十字路事件 死者3名 負傷者80名
芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件 死者1名 負傷者5名
派出所が襲撃され放火された事件。署員6名に対し襲撃集団50名
東鉄工業作業員宿舎放火殺人事件 死者1名 負傷者2名
新左翼党派の1派・中核派による放火事件。)
千葉県収用委員会会長襲撃事件
中核派による個人襲撃。待ち伏せしてハンマーや鉄パイプで襲撃襲撃者の人数は不明
その後も脅迫行為が続き、委員会の機能停止を招く。被害者はその後自殺

日本飛行機専務宅放火殺人事件 死者1名 負傷者1名
中核派による個人住宅放火事件。専務の妻が焼死。当時関係者の住宅放火が連続して発生
東山事件 死者1名 負傷者多数(機動隊員及び住民反対派含む)
投石・鉄パイプ・火炎瓶によるゲリラ襲撃事件。反対派支援者が機動隊の催涙ガス弾を頭部に受け、2日後死亡。先に負傷したのは機動隊員であったが、後に問題化。
成田空港管制塔占拠事件 死者1名 自殺1名 負傷者多数
文字通り管制塔占拠事件。反対派同盟を支持する極左暴力集団22名が突入し、機材を破壊。
火炎瓶を投げていた活動家が引火し火だるまになり、逮捕後治療を受けたが死亡
同じく逮捕された活動家も拘留中に自殺した

さらに、反対派の住民も1名自殺している。

「浦和市車両放火内ゲバ殺人事件」
放火され炎上した車両

この闘争は未だ解決しておらず大きな禍根を残しているが、最も後味が悪いのは同じ住民同士の対立と同調圧力による無言のプレッシャー、過激派の介入により泥沼化した住民トラブルだろう。

当時から当然賛成派も存在していたが、後の調査では、反対運動から抜けられなくなった、または賛成と口に出せなかった者が半数以上を占めていたことが判明している。
賛成派であることが知られたら殺されると思っていたとの証言もあるほど。

この闘争は実は国外でも大きな注目を浴びていた。
国際線での人的被害(多数の死亡者)が実際に起きており、米軍基地もまた過激派のターゲットだった。

ダイナマイト闘争・・・過激派の1派が、米軍基地に対し火炎瓶・ダイナマイト等で武装し襲撃した事件。当時は時限爆弾・火炎瓶・ダイナマイト等の爆発事件が頻発していた

日本政府の対応が強く迫られた時代でもあり、やや強引な政策となった事は否定できない。

が、果たして当事者の反対派住民らが多数の死者・負傷者を出してまで、どこまで本当に空港開設反対を主張していたのだろうか。
思想的第三者が入り込んだことで、反対派住民らもある意味被害者となった可能性も高い。

こちらの記事は、全くの蛇足になる。
そのため、興味のない方はスルーしていただいてかまわない。

これほど重大かつ凶悪な事件でありながら被害者と加害者がめまぐるしく入れ替わり、誰もが被害者になりかねなかった状況は、閉鎖された空間における例えばオウム真理教北九州連続監禁殺人事件などをいやでも思い起こさせる。

学生であり机上の空論に振り回された10~20代の若者達であったとしても、彼らの心中で何が起きていたのか。「殺らなければ、殺られていた」とは23歳の寺林真喜江の証言である。

これはテロリズムなどでは全くなくただの大量殺人事件であり、渦中の者達は全員が被害者であると同時に全員が加害者であった。


【主犯・森恒夫の自己批判書における総括要求論理】
(一部)
・短期間に個々人の内在的総括をなし切らねばならない
暴力による指導、暴力による同志的援助が必要である
・総括し切れない者には、命がけの状況ロープで柱に縛りつけ、食事も与えないを強要して総括させ、決して甘やかしてはいけない
・縛られた者は、たとえ片腕を失くしても革命戦士になろうとする気概をもって総括すべきである
・縛られた者が総括し切るという事は0から100への一挙的な飛躍である

ベース活動内で、このような論理が次々と作られていったと証言。

坂口の手記によれば、森はベース内の演説において「銃による武装」が殲滅戦による勝利には必要不可欠であるとし、銃主体の革命戦士化はイコール共産主義化となる。武装による壊滅戦は団結を強化させてゆき、やがてプロレタリアート独裁政権が樹立する、と語っていたらしい。

⁂プロレタリアート(Proletariat)・・・資本主義社会における賃金労働者階級

しかし、この批判書が書かれたのは逮捕後であり、実際にベース活動を行っていた頃にはこのような規定を書き記したようなものはなかった。
(永田は何度も森に総括要求におけるレジュメ作成を依頼)

また、坂東宛の遺書の中では「(略)ぼくはあとからそれを理論化」していると告白。
森本人以外、永田や総括対象者でさえ、何が問題で総括されているか不明の場合も多かった。


【他メンバーによる回想録】
「死者に口なし」の諺通り、全ての責任を自殺した森に背負わせるのは酷かもしれない。
が、同時にリーダーとしての資質を疑問視していた声も密かに当時からあったらしい。
公判前に自殺という「敵前逃亡」もまた、森は「卑怯者だ」との印象を強めた。

例え逮捕されても黙秘を続ける事が「闘争」であり、「革命戦士」の義務だと主張したのが森。
総括被害者の1人は、逮捕されて刑事と言葉を交わしたというのが総括の理由だった。

坂口弘
坂口の批評は辛辣だ。
森君の共産主義化の観念は固定しておらず、総括の進行に伴い、さらに過激化」し、「共産主義化とはそもそも何なのか。実は、こんな初歩的問題ですら」不明であったと分析。

彼(森)は敵対勢力に行使するべき暴力を仲間に向けた事を十分に理解しており、彼の際だった特徴の1つは行為と認識が常に一致せず客観的事実を認めず常に自己の認識に現実を当てはめようとしていた。都合の悪い指摘は総括の趣旨を歪めると摘発、総括要求のターゲットとされた。

上記は坂口の手記の一部の要約であるが(実際にはもっと長文)、「極論すれば山岳ベース事件は、森恒夫の観念世界の中で起きた出来事」(抜粋)だったと述べている。

加藤倫教
「物言えばやられるのだが、物を言わないわけにはいかない。それもどのように言えば森や永田に認めてもらえるのか、誰にも分からなかった。何が基準なのか分からない「総括」要求と暴力に、森と永田以外の者は怯えていた。」

前沢虎義
「本人は闘えると思っているからやって来たんだから、『やります』とか答えるんだけど、そんなじゃ総括になってないと言われ続ける。具体的な問題を問うんではなくて、『あのときこう考えただろう』と訊かれて、実際はそうではないのに、何度も問われるうちに、『思ったかもしれない』とポロッと答えたら、『それがおまえの問題だ』と追及される。最終的にやってもないことを問題にされる
(組織内で森への反論はなかったのかと尋ねられ)
「言えたのは、赤軍の幹部だった山田孝ぐらいだろうけど、彼は山に入る前のところで、一度組織を離れている。だから、それを森から突かれるんだよね。
坂口も『おかしい』と態度では示しているんだけど、どこがおかしいのか言葉にはできない
山田は言えるんだけど、日和っていた弱みを持っている。
もともとは、森と山田だと、山田のほうが赤軍の組織のなかでは上にいたんだけど、組織が大変なときに長期休暇をとっていたもんだから、立場が弱くなっていた。
吉野は、行動力があって頑張るんだけど、論理は足りないというか。
坂東は、森の用心棒みたいなやつだったし」

他の手記や取材などからも、メンバーの殆どが異常を感じて動揺しつつ、互いに動揺を気取られないよう虚勢を張り続けていた事がうかがわれる。
「指導者は優れていなければならない」という論理が常にあり、そのため森を弾劾しようとする動きすら起きなかった。


【永田洋子の嫉妬】
・現在、多くの当事者達が社会復帰を果たしている。
彼らの殆どは語り部として事実を残そうとしているか、または沈黙を守っているかに二分される。
例え一枚岩でなかったとしても、犯罪組織に身を置き、共産化運動に同調したことで彼らに全く非がないとは言い切れないのも事実だが、この事件における彼ら「連合赤軍メンバー」は、主犯の2人以外は間違いなく被害者といえよう。

これら一連の不条理な総括の発端は、実は森ではなく永田洋子にある。
2人が主犯たる所以だが、その大きな転換点は遠山美枝子の総括・殺害にあった。

前記事の通り、永田が遠山批判を始めたのは彼女が指輪をしていたことによる。
他の女性メンバーらも入山時に化粧を批判されており、永田に追従する形で遠山批判に加わった。

他のメンバー(主に男性陣)には何が問題かよくわかっていなかった。

また、元赤軍の遠山を攻撃したことは、前日の森の元革命左派の水筒問題追及への報復だったと感じたメンバーも少なくない。

中村愛子の証言(要約)
・「美人だとか、頭がいいとかいうことはブルジョワ性に傾きやすく、反革命につながる。私は美人も頭がいいのも嫌いなのよ」とは永田の言葉。
遠山と大槻節子は美人で頭も良く、「美人だと思っているでしょう。モテると思っているでしょう」と批判されていた。
仲間が死んでゆくうち、永田に嫌われないことが生き残るために必要だと思った。

永田本人は、後に男性中心の非合法活動を続けているうちに「女性としての生き方」を批判的に考えるようになり、その考えが「女性らしさ」を維持し続けようとしていた遠山達を批判することに繋がったと自己分析している。

【統一者の不在】
逮捕後、森の供述はころころと変わった。
事件の一切の責任は自分と永田にある
革命左派の考え方が事件の原因
革命左派の誤りを自分が純化させてしまったのが事件の原因(遺書)

一方、永田・坂口・坂東ともに事件の主導者は森であると断言
吉野はリーダーとして革命左派を統制しきれなくなった永田が、「森の指導力」に依存していった事を指摘しつつも、その不安を責めることはできないとした。

脱走したメンバーの中には、理由を聞かれ、総括・粛正をしたくなかったと証言した者もいる。
また脱走を考えながらも、警察の山岳調査が本格的に開始されたことを知り殺人が止まる事を期待した者や、死んだ仲間のことを考えてベースに留まった者もいた。

加藤倫教の証言
・「あのとき、誰かが声をあげさえすれば、あれほど多くのメンバーが死ぬことはなかった


日本では思想の自由が認められ、誰でも自分の考えや価値観を表現することが認められている。
だがこの事件は、共産化運動を隠れ蓑にしたただの連続猟奇殺人でしかない。

1987年、「連合赤軍事件の全体像を残す会」が結成され、事件の記録、犠牲者の追悼、事件の「総括=けじめ」を目的に、当事者らの証言などを集めている。


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