サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

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海にまつわる怖い話・不思議な話 3


264 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[:03/07/26 15:44
怖くはないけど、海の不思議体験。 
小6のころ、伊豆の海でシュノーケリングを楽しんでいた。
深さは5メートルくらいのところで、めちゃめちゃはしゃいで泳いでいた。 

目立つ石を投げて、海底からそれを拾ってくる競争を友達と夢中でやっていた。 
何回かやっているうちに、だんだん疲れてきて、
石を拾って海面に上がるまでに息が続かなくなっている自分に気づいた。 
しかしまだ海面までは3メートルくらいあり、
「やばい!溺れる!」と思ったが時すでにおそく、海水を思いっきり飲んでしまった。 

しかし、ふしぎなことに、海水を思いっきり飲んだ直後に体が元気になり、普通に海面にあがってこれた。 
皆誰も俺が溺れかかっていたなどと思わないくらい、俺は普通に元気だった。  
人間はもしかしたら海水から酸素を得ることが出来るのでは?
と大発見に胸躍らせた小6の頃の俺。  
でもそれ以来試してません。




507 : あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/12/16 16:12
それと全く同じ体験を漏れの妹がした。
 
何かの原因で波が高くて、それでも遊泳禁止じゃないので泳いでいたら波にのまれたそうだ。
結構深くまで押し込まれて
「ヤバい息が…」となって苦しくなって水中で息をしてしまった。
しかし水は肺に入らずに何故か飲み込んでしまい、「あれ?」と思いながら
そのままゴクンゴクンと2~3回飲み込みながら水をかいたら水面に出られたそうだ。
妹が22~23歳の頃の話だと思う。
ネタじゃなくて実話。



513 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] 投稿日:03/12/21 07:27
子どもの頃、調子に乗って沖まで泳いで
ふと、我に返ったとき、なぜだかおぼれました。

で、もがいたのですが、海水浴シーズンで周りにはたくさんの大人がいたはずですが
誰も気が付いてくれず・・・・

気が付くと海底を歩いてました。
 
不思議と苦しくなかったんです。

ちなみに、両親ともにおぼれた事に気が付いて無く
おぼれて帰ってきた私に
「なにしてたの?」なーんて涼しい顔で聞く始末。


おぼれたことより
両親の対応が怖かったw




海にまつわる怖い話・不思議な話


539 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/31 05:24
これは私が高校生の頃の話です。
 
日本海沖地震が起きた翌年、
私は友人達と男鹿半島まで釣りに行きました。
男鹿の磯場に行き「何が釣れるかな~?」などと友人達と話しながら釣り糸を垂らし始めました。

10分~15分程たった頃、私の釣り竿にかなり大物な感じの当たりがきました。
 「うぉっ!すごい当たりだや!!」
そう声を上げながら釣られてくるであろう大きな魚に期待しつつ15分間釣竿と挌闘していました。
しかしヘンなんです。
釣竿の引きが全然弱ってくる気配が無いのです。
だいたい磯場での釣りで釣り上げるのに15分以上かかるような大物なんてそうそう釣れる事はありません。
 
「何かヘンだな~。」と思いつつも釣り上げようとしていると
急に引きが無くなってしまいました。
 
針を上げてみると餌が付いたままで魚が噛み付いた後もありません。
「おかしいな~、なんか魚かかった感じじゃないよ、これ。」
そういう私に友人は
「きっと何かヘンな物ひっかけたんじゃないの?」と言いましたが、
引きが漂流物のものではありませんでした。





540 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/31 05:25
釈然としないまま、再び釣り糸を垂れましたが、
5分もしないうちにまた同様の事が私や友人達にも起こりました。
 
何度釣り糸を垂らしても同じ事が起こり
気持ち悪くなってきましたが、交通費をかけて折角来たのに
1匹も釣らないで帰るのも癪だったのでせめて1匹釣るまでは頑張る事にしました。

何度めかのキャストの時、今までの倍くらいの強さの当たりがきました。
「おっしゃ~!これは絶対に釣り上げるぞ~!」
と叫んで釣りはじめる私。

 30分以上の駆け引きの末、
なんとか水面近くまで上がってきた感じだったので
引きが弱くなったところを半ば強引に釣り上げようとしました。
 
一瞬、釣り糸を引いていた物がみえましたが、
見えた瞬間釣竿が折れてしまい海の中へと沈んで行ってしまいました。
 
私達はすぐに釣りを止めて帰路につきました。
「もうここには絶対に釣りにこない。」と思いながら・・・。

私達が見た釣り糸を引いていた物というのは無数の子供の腕でしたから。
 
考えてみると私達が釣りをしていた場所は
日本海沖地震の時に磯辺で遊んでいた遠足で男鹿に来た小学生32人が津波にのまれて全員溺死した
場所のすぐ近くでしたので、もしかしたらその小学生が出てきたのかもしれませんね。



海にまつわる怖い話・不思議な話 3


440 : 1/2:03/10/25 11:06
怪奇現象とかそういうんではないですが、子どもの頃に見て怖かった話です。 
私がまだ小学校の低学年だった頃の話なので、
ちょっとウロで申し訳ないですが、もしこれを読んで、場所とか謂れとかが分かる方いたら教えてください。


ある日、家族で海へ遊びに行き、船に乗せてもらってクルージングをしました。
と言っても、ちいさなモーターボートに乗せてもらって、
ちょこっと沖へ出る程度の安い観光です。
30分か1時間足らずのもので、場所は、神奈川県内の江ノ島(か、小田原あたりと記憶違いしてるかも)で、
海もどんより、景色も関東ではお馴染みの黒いガツガツの岩場くらいしか見る物のない、
子どもには退屈な観光だったのですが、
途中で変な物を見つけて、私は船のおじさんにそれが何であるかと訊ねたのです。

 
陸を離れて沖へ出たあたりで、海の中から唐突に岩が出ていて、
その上に 150センチくらい(?)の大きさのお地蔵さんが立ってるのです。


441 : 2/2:03/10/25 11:07
岩の大きさは5,6メートルくらいしかなく、人が乗れなくもない広さですが、
わざわざそこに乗る用事もなさそうな、殺風景な岩です。
 
船のおじさんの話しでは、むかし、6人(?)の兄弟が船でこの岩にやって来て
ここでケンカをしたか何かで、ひとりがこの岩に置き去りにされたそうです。
そしてそのまま、石になって、ここに立っているのだと言いました。


その石像が、道ばたでみかけるお地蔵さんに比べてずっと大きく、
ちょうど12,3歳の華奢な少年くらいに見えて、ぞっとしたのを覚えています。
もう30年近く前の記憶なんですが、今でもあるのでしょうか。
 
何ぶん海の上のスポットですから、
サーファーかダイバーか、釣り人でもなければ知らないのかとも思います。

あの賑やかな神奈川の海岸から沖へ出たところで、
ぽつねんと立つ哀れなお地蔵さんを思い出すと、ちょっと怖いです。



海にまつわる怖い話・不思議な話 3

45 : ◆ozOtJW9BFA :03/06/08 01:28
こないだ会社で新入社員の歓迎会がありました。
海沿いの旅館の宴会場を借 り切って宴会やって車で来てて飲んだ奴は泊まる。という、
まぁ普通の宴会でした。

で、旅館の近くにカラオケがありました。
僕の会社は大体この旅館で宴会して次にそのカラオケに行くというのがパターン化していました。
で  はじめテクテクみんなの歩いていたんですが、
飲んでない奴は車で移動していました。
それである後輩が僕のお気に入りの女の子を自分の車に乗せてそのカラオケに向かっていました。

僕はほろ酔い加減だったんですが酔っ払らったフリして(結構妬いててムカついてたんで)
酔いを醒ますからと1人海の方へ歩いて行きました。
それでポートから降りるとすぐ岩場になっている のでそこに腰掛けました。
しばらくボーっと海を眺めていると突然携帯がなりました。
この時なんとなくお線香の香りがしたような気がしましたがやはり酔っていたのでしょう。
あまり気にしてませんでした。
(茨城に戻ってきてから6年間心霊体験が無かったので油断してました)




46 : ◆ozOtJW9BFA :03/06/08 01:29
携帯に出ると会社の先輩が怒った感じで
『今、どこだ!?一人で海の方歩って行ったからみんな心配してるぞ!!』との内容でした。
その先輩は僕がその子の事好きなのを知っている先輩だったので事情を話そうと思い
『ちょっとこの辺にいるんで来て下さい』と今いる付近を説明しました。

するとすぐ先輩がやってきて僕を見つけて声をかけました。
振り返るときなんか手にあたった気がしましたが特に気になりませんでした。
先輩を見るまでは。

先輩がなぜかどもりながら上ずった声で『お・・・前?何して・・・んだ?』と聞いてきます。
僕は『え、?別に岩場に座って海を見て・・・!!』
戦慄が走りました。
凍りつきま した。
『何してんだ!?オレ!?』
信じられませんでした。
周りは一面花が添えてあり缶ジュースやら缶ビールやらが回りにいっぱいあります。
さっき手にあたったのはおそらく缶ジュースかなんかだったのでしょう。


47 : ◆ozOtJW9BFA :03/06/08 01:31
しかも座ってる場所はそのど真ん中のスーツケースの上!!(おそらく遺品)
夏は有名な海水浴場がすぐ近くにあって観光客がいっぱいいるんだけど
自殺者も多いんですよ。この海。よく遺体があがってるし。
知ってるだけでこの6年間で9回上がってるし。多分その数倍はあると思う。
(友達、近くに住んでいてその場に居合わせて遺体あげるの手伝わされてたし・・・)
おそらくここもあがった場所の1つだろうとは想像に難くない。
あがったとこってこんな感じだし・・・。
さっきの線香の香りはこれだったのか!?と恐ろしくなりました。

その後カラオケで先輩に僕がどこにいたかみんなにばらされて
『罰当り野郎』とか『いくら酔っ払っても普通そんなとこ座らねーよ』とか散々呆れられました。

しかしこれって僕は酔ってた!?呼ばれた!?
でも座った時は気付かなかったんだよなー・・・?あん時携帯鳴らなかったらどうなってたのかなー?
姿は見えなかったけど香りはしたし・・・。
まじで怖かったっす



海にまつわる怖い話・不思議な話 3


121 :112:投稿日:03/06/20 13:21
俺が以前、漁船に乗ってた時の事だが、M県I市出身の子が仲間の船に乗船した。

コイツ、中卒だったんだが、ツッパらかってたらしく、ハッタリ立派なものだったよ....
しかし、そんなのが通用するわけでもなく、しかもポン中で、
漁場に着く途中で海に落ちた。 
 
他の乗組み員にとっちゃイイ迷惑だよ。これから魚を獲りに行くってのにさー
落とされたわけじゃないんだが、
フェリーにしかり、漁船にしかり、他の乗員・乗客は迷惑なもんだよ

今でもフェリーなんか自殺者を乗せて航ってるらしく、
保安部の航行警報じゃ「苫小牧~大洗間にて....」とかってやってる。
 
落ちたらまず、助かる見込みはないし、浮いてても曇天で夜なら気がオカシクなる。
南方ならサメが寄って来るし......


ハワイ沖で操業してた時、気仙沼の船の冷凍長が転落した。
6時間後に運良く見つかって、救助されたわけだが、
救助に参加した他の漁船に礼も言わずにホノルルに向けて行った事があった。
「なんだ!? あの船わー!」とかって船頭連中は怒ってんのよ      
けど、後から聞こえてきたんだけど、
救助されてから常人では無かったらしい.....
落ちる前におかしかったのか、落ちてからおかしくなったのかは分からないけどね


122 :112 :投稿日:03/06/20 13:39
俺の先輩がケープタウン沖であった話を紹介します。

その人は某大手水産会社のカニ篭船に乗ってたんだ。
ケープ沖だから暴風圏に入ってるんで、海は大時化。
で、一人の乗組員が海に転落したんだと!
こんな時には漁師の連中ってのは機転が利くもんで、
マニュアル通りじゃなく、自分の経験で各々の仕事につけるらしい
 
ライトに走り、探す者。カギやモリを持つ者。ホースを持つ者。
救命浮環を集める者......ってな感じでね
 
カギやモリってのは冗談じゃ無く、ホントの話です。
時化の中だと飛び込むわけにはいかないし、行けば二重遭難になる。 
生きていようが死んでいようがとにかく船に引きずり上げる.....だそうだ(´Д`;)
死体の無い葬式はよくないらしいからね.....

ホースは海水のホース。
これが掴み易く滑らないからイイ( ・∀・)イイ!

で、船をグルっと回頭させて向けるわけだが、これが時間が掛かる。
船がでかくなればでかくなるほど回頭半径は大きくなるし、エンジンのレスポンスも悪くなるからね。
ライトに入って「居たぞ~!!」 
ってな具合なんだが、船を寄せてく内に沈んでいったそうだ......

船からの転落で助かるのはよっぽど運が良くないと助からないよ



http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1299993563/


356 :本当にあった怖い名無し:2011/04/04(月) 03:19:50.36 ID:0aVnjgfgP
小3の頃、小児喘息を発症して、市が運営する海岸沿い療養施設に入寮してた。
朝は5:45起床、6:00グラウンド集合、ラジオ体操・5kmジョギング・乾布摩擦、
7時に朝食、7:45から部屋の掃除、8:15に集団登校…
と、まあ、軍隊みたいな施設だった。

 
小児喘息やった奴ならわかると思うんだけど、霊感強い人多いんだよな。
発作起きてる時って、生死の狭間みたいな苦しみがあるんだけど、
何度か発作やっているうち、平常時でもナニカが見えるようになる…


入寮するとすぐに古株に呼び出され、
朝に集合する浜から見える岬を指さされて「あれ、見える?」と聞かれる。
すると、だいたい5人に3人ぐらいが「ああ、いるね」と。
 
岬の突端に、白い着物を着た背の高い爺さんがいるんだよ。
爺さんは、岬の突端に立って、じーっと沖を眺めているだけ。

「見える子」は、寮室グループとは別のグループにも入ることになる。

で、「町のどこそこにはヤバいのがいるから近付くな」とか
「なんとか神社は光のシャワーがあるから、週に一度は行った方がいい」とか情報交換をしていた。
 
小児喘息がおさまり退寮して、中学生ぐらいになるとなんにも見えなくなる。

ふと思い出したもんで書いてみた。





361 :本当にあった怖い名無し:2011/04/04(月) 05:35:13.94 ID:0aVnjgfgP
喘息発作って本当に苦しいんだよね… チアノーゼ出たり、意識を失うこともあって
心が弱っていると「死んだ方がまし」と思うぐらい。
だから、意識が「あの世」と近くなるんじゃないかなあ。

 
俺も寮に入ったばかりの頃は、色んなものが見えてたし、
寮にいるのは、そういう経験のある子ばっかりだから、
俺たちがひそひそ話していると、先生たちの方が怖がってたw

 
寮から3km圏内に大きいのやら小さいのやら4つ神社があったんだけど、
その中の一つが、光のシャワーが出てた。
だから、新入りが来ると、古株はその神社に連れて行ってあげる。
 
小さい神社だけど、海岸線が見通せて、気持ちよかったな。



362 :本当にあった怖い名無し:2011/04/04(月) 05:48:22.03 ID:0aVnjgfgP
あの爺さんは、そんな禍々しいものじゃないな(って話w)。

小児喘息がおさまっても霊感抜けなかった奴が大学生になり、
免許取ってクルマで寮に遊びに行ったら
まだ、いるんだってさ、爺さんw

そいつが改めてまじまじと見て思ったのは、
「多分、あの爺さんは、大昔は人間だったけど、海難事故で自分が死んだか、家族が死んだかして
死んだ後もあの岬にずっと思いを残し続けて、今は神様みたいな存在になっているんだと思う」
って話だった。


みんなで、爺さんのいる場所の近くまで行ったことあるんだけど、こっちが「オーイ」と声をかけても、
爺さんはぴくりとも動かない。
でも、たまに低空飛行のカモメが通り抜けていったりするんだw




海にまつわる怖い話・不思議な話


335 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/23 01:56
うちのオヤジは昔、貨物船の操舵手をしてました。

オヤジが乗っていた時、オヤジのボンク(寝室らしい)の上の人が
身体中カミソリで斬りつけて自殺をしたそうだ。
 
死んだその人を抱き上げたらすごく軽かったって。
血液って結構重いんだなあと言ってたよ。


その人、すげー几帳面な人で、絶対当直に遅刻しなかったんだって。
だから、しんでからも時間になるとコツコツ歩く音がしていて
すごく悲しくて辛かったとオヤジが言ってた。 
奥さんが不倫したのが自殺の原因らしいんだけど、船員も大変だね。


あ、あと水葬する時って、いっぱい足の方に重りを入れるんだって。
だから、棺桶は海底に突き刺さってるだろう、なんてことも言ってたな。

たいていの場合は船で冷凍して持って帰るらしいんだけど、
行きの船で太平洋のどまんなかとかで死なれると昔なので仕方なく水葬にしたんだって。

だから、「行きで死ぬなよ、カラダが国に帰れないぞ」ってよくおどされたそうだ。



海にまつわる怖い話・不思議な話 3


63 : 中河原海岸の怪 1:03/06/08 02:31
6月下旬のある夕刻、津市の中河原海岸を散策した。
梅雨の晴れ間のさわやかな風がわたり、
干潮なのだろう、波打ち際は100mほどの彼方に引いていて、姿を現した干潟に水鳥たちが群れている。

今、のどかな光景が広がるその辺り一帯で、
昭和30年7月28日、市立橋北中学の女子生徒が水泳の授業を行っていたところ、
大惨事が起こったことをご記憶の方も多くみえることだろう。
その様子を伝える文章を、以下に引用する。

「静かだった海を突然大波が襲った。
生徒達は次々と海底へ引きずられてゆき、36名が死亡、生存者は9名という悲惨な事故となってしまった。
この日は天候も良く、遠浅のこの海岸では子供でも足がつくはずだった。
地元の人は「澪(ミオ)に違いない」と言った。
澪とは、遠浅の海岸に大きな川が流れ込むことによってできるすり鉢型のくぼみのことで、
川の流れと波がぶつかって、「タイナミ」と呼ばれる津波が発生することがあるのだ。

ところが、生存者の一人である中西弘子さんは、津波ではない恐ろしい体験をその時していた。
助けを呼ぼうと海岸の方へと急ぐ弘子さんの足にその時、何かがからみついた。
確かにそれは人の手で、その手が弘子さんを水中に引き込もうとしたというのである。

昭和20年7月、日本は第二次世界大戦の真っただ中で、
アメリカ軍の空襲は津市にも被害を与え、250人の市民が焼死した。
火葬しきれなかった遺体は7月28日、海岸に埋められたという。

生徒達の事故があった日と、空襲で犠牲となった人々が埋められた日は、奇妙に一致する。
弘子さんや他の人が見たあの防空頭巾の人々は、その犠牲者たちの霊なのであろうか。
現在この海岸は、遊泳禁止となっている。」


64 : 中河原海岸の怪 2:03/06/08 02:32
その惨事のことも知りつつ、目の前の水鳥が遊ぶ光景に誘われて、
ズボンの裾を膝の上まで折り曲げ、干潟を渡り波打ち際まで行こうとした私は、
突然、砂地の中へ両足をめり込ませた。
膝を越えて腰近くまでぬかるんだ砂の中に吸い込まれるようにはまり込んで、踏ん張りようもなく沈んでいく。

あわてて両の手を届く限り伸ばして体を支え、
ゆっくりと片方ずつの足を引き抜き、潟の上に這い上がった。
 
少し落ち着いて干潟の様子を見てみると、
砂地の上を川のように海水が溝状に溜まっている部分があり、
その部分の砂地はトロトロで、手を突っ込んでみるとズブズブと入っていく。

干潟になっているときだったから、手をついて足を抜くこともできたし、
その様子を見ることもできたけれども、
潮が差して海水に覆われた状態で足を取られたら、手をつくことも、足を抜くこともできなかっただろう。
 
今日も干潟は穏やかで、水鳥たちが群舞する光景はのどかである。
砂地の中に1人の人間が消えたとしても、全ては波が洗い流して、
あとはまたいつもと変わらない光景が繰り返されたことだろう。


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海にまつわる怖い話・不思議な話


672 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/09 10:44
神奈川県横須賀市の最東部に観音崎というところがあります。
そこは近くに公園もあり、
横須賀では有名な観光地のひとつなので、昼間は家族やカップルでにぎわっている平和な地です。
しかし、夜になると、、、

横須賀はちょっとした起伏が意外とあり、観音崎も例外ではありません。
海と陸の境もちょっとした傾斜になっており、石畳の道以外はたくさんの木々に囲まれています。
行ってみれば分かりますが、大通りから石畳をうねうねとのぼっていき
小さな森林をぬけたらすぐ海という感じ。

海と陸の境には今は使用されてませんが、ちょっとした白い灯台があります。
横須賀の東部に位置するこの灯台は昭和の頃は随分と活躍したそうです。
何の事情があったのか分かりませんが、
この白い灯台が廃止されてからは、海の事故が絶えなかったとか。

また、近くに走水の防衛大学校があり、海上自衛隊を目指す若者が学んでいるわけですが、
厳しいノルマや閉鎖された中での訓練のきつさを苦に観音崎から身を投げる学生も少なくなかったそうです。
灯台以外は何の明かりもなかったため、自殺ではないという説もあります。

友人と4人で或る夜、観音崎の灯台へ行きました。
今では、白い灯台の周りには柵がはられ、入れないようになっていましたが、
恐ろしいほど静かで一種独特な雰囲気です。
写真は撮らなかったけど、実際行ってみるとこの異様な空気を感じ取ってもらえると思います。



681 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/10 10:25
そういう謂れがあったんですか!! 
祖母(故人)と叔父一家が、以前浦賀に住んでいて、何度か車で遊びに行った事があるのですが、
観音崎の前の道をを通る度、妹が必ず「何かココ気持ち悪い」と言っていました。
(私も両親も何も感じた事が無いのですが...)

 
遠縁の親戚に、昔、某手かざし教団に所属していて、現在は真○宗の僧侶になっている人がいるのですが、
叔父が彼を車で案内した時に、観音崎の前で突然、
「一寸ここは見過しには出来ないので、降ろしてください」と言い出し、車を降り、
数珠を出して熱心に拝んでいたそうです。




海にまつわる怖い話・不思議な話

206 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/11 00:53
海を職場にしている漁夫や船員たちが、その長い海上生活の間の奇妙な体験と言えば、
誰もが、先ず第一にあげるのに船幽霊がある。
 
最近は余り耳にしないが、
昭和の初め頃までは、随分あちこちでこの噂はあったと古老たちは語る。
それは、油を流したようなどんより曇った夜や、また、天気が時化(しけ)る直前、
生暖かい風がぴたりと止んだ夜更け等には、よく船幽霊に出会ったという。

もともとこの船幽霊というのは、海で遭難した人の霊と信じられ、
その不慮の災穀の無念さがその場に残り、後に迷い出るものとされている。

その出現は無数の火の玉であったり、ある時は泳いでいる漁夫の姿であったり、
たちが悪いのになると、狐や狸が化かすように人の目を迷わすこともあるといわれる。

北風が吹きつける寒い冬の夜更け、漁を絶えて港に帰りを急ぐ舟が、
一様によく見かけたのは、「千づる」と呼ぶ火の玉の群であった。
じゅず繋ぎになった一連の火の玉が、
岸の岩から岩に飛び移って乱舞する様子に、「あゝ、また今夜も千づるが飛ぶ」と語り合ったという。

またこの船幽霊の悪い質(たち)のものは、船の行手をいろいろ変化させることがある。
何もない灘中を、急に大きな岩礁に見せたり、
突然、大船が突進して来るように見せ、
また、岩礁が多い危険な海面を何もない大海原に見せかけるなどして、
舟が思わぬ事故を引き起すこともあったともいう。

これら船幽霊のさまざまな現象に、
実際に遭遇した古老たちの体験話を、ここに紹介することにしよう。





207 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/11 00:55
尻無浜の太田某氏が、まだ若い大正末期頃のことであった。
太田氏は、いわしの掛網漁に、同僚の舟と二艘で阿久根港に出かけた時である。

その日は、何かの都合で同僚の舟は阿久根港に残り、太田氏の舟だけが、
その漁場である牛深沖に向かった。

その日は天気が良く、順調に漁を絶えて、真夜中に牛深沖から帰路についたのである。
ところが、途中何となく船幽霊につけられている気がする。 
同僚の舟は阿久根に残っているのに、
この同僚の舟が後から、しかも明りをつけてついて来るのである。

そうしてもっと不思議なことは、
舟は帆に一ばい順風を受け、一直線に尻無浜に向かって走っている筈なのに、 どうしたことか、
一向尻無浜の丘が見えてこないのである。
時間的にみて、もう、とっくに尻無浜に着いていなければならぬのに、
どこをどう走っているのか、全く不思議であった。

こうして、一晩中走り続け、
明け方になって、串木野の羽島港沖に来ていることを知り、改めてびっくりしたという。



208 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/11 00:56
この時は、幸運にも天気が良くて、その急変に遭わず難を免れた。

これと同じ例として、同じ尻無浜の尻無浜休次郎、同藤吉、太田与太郎の三名は、
一晩中船幽霊にその進路を迷わされ、
その内に天気が急変して大時化となり、三名共沖合いで遭難すると言う事件があった。
それは、正月も間近い師走の26日の夜で、
3名の死体は、串木野の羽島海岸に打ち上げられていた。

また、船幽霊は、泳いでいる漁夫の姿で司れ、
元気で海上を航行していたり、漁に励んでいる姿を見ると恨めしく、
「友達になろうよ、同志になろよ」と、舷側にすがりつくという。

それは亡者の仲間に引き入れようとの魂胆からといわれ、
かって藩政時代、その御用商人として琉球や大島通いの河南源兵衛船も、
この船幽霊には悩まされたと伝えられている。
 
琉球通いの船等は、何日間も昼夜を問わず灘中を走り続けたが、夜になると
毎夜のように、鉢巻き姿の船幽霊が艦側にすがりついた。

この漁夫姿の船幽霊は、真夜中を過ぎる頃には、両方の舷側をびっしり埋める位すがり着き、
口々に「柄杓(ひしゃく)を貸せ、柄杓を貸せ」と、せがむのだといわれている。
この柄杓で船に海水を汲み入れ、船を沈没させて、
その乗組員を、亡者たちの仲間にしようとの魂胆だったという。

だが、この憎らしい船幽霊であっても、決して腹を立て意地悪をしてはいけないとされた。
それは、この船幽霊を怒らせれば、岩礁を大梅原に見せる等、どんな仕返しをされるかわからないからで、
快く船幽霊の要求どおりにしてやることにしていた。
そのかわり、柄杓は、完全に底を打ち抜いたものにし、どんなに亡者たちが力んで水汲みをしても、
決して海水は船内に入らぬようにした。



209 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/11 00:56
源兵衛船の23反帆船は、千五・六百石の米を積む大船で、
これらには百個近くの底無し柄杓が、常時備えてあったといわれている。

亡者が柄杓を貸せとせがむと、船員たちは「よしよし」と、全部の亡者に底無し柄杓を渡す。
すると、亡者たちは底なしとも知らず、喜び勇んで海水の汲み入れを始める。
片手を舷側に片手に柄杓を持って、一生懸命汲み入れる姿は、
これが本当の亡者かと、憎らしくなるものだったという。

こうして、この船幽霊の亡者たちは、疲れも見せず、せっせと柄杓をふるって水汲みをするが、
その内、東の空がほの白く明け初めると、
いつの間にか一つ消え、二つ消えて、その姿は消えてしまうのであった。

また、高之口の西田某氏も、船幽霊についてつぎのように語った。
ある時、大きな帆船に乗組んで航海した。
風は順風で帆は一ばいに張られ、船は矢のように穏やかな夜の海面を走っていた。
ところが、急に船足が落ちてきたのである。 
帆を見るとやはり以前と変りはない。
不思議に思い舷側を見ると、夜目にもはっきりと、
鉢巻き姿の亡者たちが、両方にずらりとすがり着いているではないか。
船足が落ちた原因がわかった。

このことを知った船頭は、平常、よくあることであったのだろう。
 心得たもので、奥に入ると、木灰を小箱に一ばい入れたのを持ち出した。
そうして舷側の風上に立ち、
「ご免」と一言いうと、木箱の木灰を手づかみにして舷側の亡者の頭に振りかけた。
すると、舷側の亡者の姿は忽ち消え失せ、船足はもとにもどって走りだしたという。



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