サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

タグ:虐待

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325 :名無しさん@おーぷん :2015/05/08(金)00:25:04 ID:9DK
私の一番古い記憶は三歳。
木枯らしの吹く夕方、一人でブランコを漕いでいるところ。
手も足もかじかんで、とても冷たい。
でも今帰れば母に叱られる。
祖母に迎えに来て欲しい、ここはいつも来る公園なのだからきっとすぐわかるはず。
そのうち、風に揺られてるのかブランコに揺られてるのかわからなくなる。


私は母に虐待されて育った。
飲み物をこぼした、ちょっと足音をたてて歩いた、声を出して笑った。そんな理由ですぐ折檻された。
気が済むまで殴られる、安全ピンでお尻を刺される、冬に水風呂に入れられる。
煙草を吸わされ背中を灰皿にされる、食事を抜かれる、家に入れてもらえない。
私に向かって拳を振り上げる母は、喜んでいるように見えた。

父は見て見ぬ振りをした。
失敗して叱られ何度も蹴られる私の横で、テレビを見ながら食事をしてた。
終わると、「お母さんの言うことをちゃんと聞きなさい」と言った。

助けてくれたのは祖母だけだった。
折檻の傷の手当てをして、一緒の布団で眠ってくれた。
私をかばい、代わりに蹴られてしまったことすらある。
それを見た時、恐ろしさに泣いてしまった。
お前のせいで痛い目にあったと叱られるんじゃないかと思った。
それ以上に、もう自分を嫌いになるんじゃないかと思って、恐怖で息が詰まりそうだった。

二人で部屋に戻ると泣きながら祖母の足に湿布を貼り、
自分は殴られても大丈夫だから、いいからと必死に訴えた。何より祖母に嫌われるのが怖かった。
祖母は私を抱きしめて泣いた。
そしてそのまま一緒の布団で眠った。


 


326 :名無しさん@おーぷん :2015/05/08(金)00:26:16 ID:9DK
あれは多分五歳頃。
ふと夜中に目を覚ますと、隣で眠ってるはずの祖母がいなかった。
きっとトイレに行ったんだろうと思い、そのまま目を瞑った。

でも、しばらく経っても戻ってこない。
もしや母に何かされたのかと思い、そうっと起き上がり、襖の外の様子を伺った。
何も聞こえない。
音をたてないように襖を開け、祖母を探しに出た。

真っ暗な家の中、どこにもぶつからないようにと注意していた。
気づかれればまた殴られる。
トイレにも台所にも、居間にもいなかった。
もしかして自分を置いて出て行ってしまったのだろうかと思い、
居間を通って玄関に靴を見に行こうとした。

庭に面した窓のカーテンが、少し開いている。
外に人が立っているように見えたので、隙間から覗いてみた。

祖母がいた。
こちらを向いて、無表情に突っ立っている。
良かった、私を置いて行ったんじゃなかった。安堵で胸が一杯になり、カーテンを開けようとした。

すぐに思い留まった。何かおかしい、いつもの祖母と何かが違う。
あんな気味の悪い祖母は見たことない。
何がおかしいのかはすぐにわかった。

祖母は犬の首を持っていた。
どこから捕まえてきたのだろう、薄い茶色で、舌がでろりとたれている。
大きさは多分中型くらい、それでも首を切るのは大変だっただろう。
犬の頭も、足元に転がった体も、祖母も、赤く染まっていた。
しばらく突っ立ったままだった祖母はやがてだるそうに犬の胴と頭を持ち、どこかに行ってしまった。

見てはいけないものを見たんだろう。
私は震えながら布団に戻り、どうか祖母を元に戻して下さいと神様に祈っていた。
神様なんていないとわかっていたけれど。


目が覚めると、祖母は隣で眠っていた。
元に戻っていなかったらどうしようと思い、起こさずにずっと見つめていたら、目を覚ましてくれた。
「おはよう、おなか空いたかい?」
そう言って笑ってくれた祖母は、いつもの祖母だった。
あぁ良かった。安心して、うん、おなかすいた。と返事をした。
祖母から漂う生臭い匂いは、気にしないことにした。


 
327 :名無しさん@おーぷん :2015/05/08(金)00:27:13 ID:9DK
家の中を、狐や狸や犬のようなものがうろうろしているのが見えるようになった。
父も母も気づいていないようなので、自分にしか見えていないんだろうと思った。

ある日祖母にそのことを言うと、とても嬉しそうな顔をした。
それは何をしてるんだい?と聞かれたので、ありのままを答えた。
父と母にまとわりついていて、それがくっついてると二人ともとても気分が悪そうだと。


夜中に母が叫ぶことが多くなった。
昼間も青い顔をしている。どうやらあまり眠れないらしい。
母の体調が悪くなってから折檻はだいぶ減ったが、いらいらしているのだろう。
体中ライターの炎であぶられ、手のひらに研いだ鉛筆の芯を何本も差されたりした。

その頃から祖母に、玄関から出入りしちゃいけないよと言われた。
理由は問わなかった、大好きな祖母の言いつけだ。
祖母と私は裏の勝手口に靴を置き、そこから家に出入りするようになった。


家の中が生臭くなってきた。特に父と母から強く臭うようだ。
二人とも奇麗好きだったのに、だんだん身なりに構わなくなってきた。
爪が伸びて、中に黒いものが詰まってる。
服もなんとなく汚れてる。
お箸を使わない。


 
328 :名無しさん@おーぷん :2015/05/08(金)00:28:15 ID:9DK
父が独り言を言うようになった。
何を言ってるのか聞きたくて、後ろからそっと近づいてみたが、聞き取れない。
父はとても臭い。
それは獣の匂いなのか、父の下着に溜まった排泄物の臭いなのかわからない。

母が金切り声をあげる。空中に向かって包丁を振り回す。
そういえば最近、折檻されていない。
もう母には私が見えていないのだろう。


七歳の時、市役所や病院の人が来て、父と母を連れて行った。
祖母は宜しくお願いしますと頭を下げていたが、みんなが帰ると私を振り返ってにっこりした。
私もにっこりした。
大好きな祖母と二人だ、これでもう何も怖くない。


十三歳の時に祖母は脳梗塞で倒れ、体が不自由になってしまった。
家の中にいた獣達は、皆祖母にまとわりついていった。
そう告げると祖母はため息をつき、きっと返ってきたんだねぇと呟いた。

それから二年、痴呆でゆっくりと子供に戻りながら、祖母は他界した。
全身に原因不明の湿疹と蕁麻疹が広がり、掻き毟りながら逝ってしまった。
遺体を解剖して、死因は蕁麻疹で喉が腫れた窒息死だったそうだ。
原因不明の湿疹と蕁麻疹は、動物アレルギーからくるものだと言われた。
動物を飼ったことはなかったけれど、わかりましたと返事をした。

私はまだあの家に住んでいる。相変わらず勝手口から出入りしている。
獣達の姿も、獣のようになってしまった祖母の姿も見える。
祖母が何をしたのかは聞かなかったが、きっと私の為を思ってのことだろう。
どのような姿であれ、祖母が側にいてくれる。
それだけで嬉しい。


http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1408972689/


895 : 本当にあった怖い名無し:2015/02/04(水) 07:59:36.73 ID:xjtCBc+C0.net
サイコキラーが殺す対象って、最初は虫から始まって、
だんだんネズミやハムスター、ウサギ、犬猫と大きくなっていくんだってね


子供が虫を殺す程度のことはあるけれど、
犬猫に手をかけるようになったらかなり危ない(つぎは人間)

だから、まわりの大人が見逃してはいけないと、ラジオで宮崎哲弥が言ってた

教育や家庭環境にかかわらず、そういう人間は一定数存在すると


【閲覧注意・自己責任】

アルバートの証言によれば、殺人を行ったのは23州に及び、その犠牲者のほとんどが貧しい黒人だったという。
彼は被害者の遺体を食べ、尿・血液・排泄物も口にしており、サディズムとマゾヒズム、フェチズムが複雑に混ざり合った性癖を満足させようとした。
だが中々満足のいく結果を得ることは難しかったという。

しかし逮捕後は、一転して「幼少期に受けた虐待」にその要因があると主張。
同時に 「神が自分に伝道を指示」(殺人伝道)を行ったとも言い張っている。

⁂アルバートの殺害方法は、長時間の拷問の末の死亡を好んだ。
食べられる被害者は縛られ、肉を柔らかくするために釘付きのベルトで鞭打たれたが、そのベルトは彼のお気に入りの器具の1つだという。


【判明している事件(未遂含む)】
・実は、事件の1つ1つは詳細が明るみになっていない。
400人という犠牲者の数も、妄想癖を発症した彼の虚言の可能性もある。
(ほとんどの遺体は見つかっていない)

・1924年、農場から8歳の少女が誘拐されそうになる事件が起きている(未遂)。
しかし、その4日後にはアルバートは同じニューヨーク州で8歳の少女を誘拐、殺害した。

・1926年、5歳の少女を誘拐、殺害。

・1927年、4歳の男児を誘拐。一緒に遊んでいた3歳の友人が「ブギーマン(子供をさらう妖怪)が来た」と証言。ショッキングなその言葉に地元では大騒ぎとなる。
この時アルバートは、被害者を監禁レイプ後に拷問で殺害、バラバラに遺体を解体し、胴体と太腿を食べ、それ以外の部所は湖に遺棄したという。

・1928年、最も有名な誘拐・殺害事件が起きる。
アルバートはフランク・ハワードの偽名である家族と知り合い、言葉巧みに10歳の少女を誘拐、殺害した。

・1930年、4歳の少女を誘拐、殺害

・1931年、6歳の男児を誘拐、殺害

・1932年、16歳の少女を誘拐、殺害

・同年、17歳の少年を誘拐、殺害

・1934年。1928年に誘拐された10歳の少女の親が依然として行方を探している事を知り、母親宛に匿名の告白文を送りつける。結局はこの手紙が決め手となってアルバートは逮捕された。

(手紙の内容)
・誤字・脱字が多く、妄想的な箇所が随所にみられ、創作あるいは思い込みの可能性あり。
文章も平坦で、洗練されているとは言い難い。
(全文は長いので、主な部分だけを意訳で抜き書きする)

親愛なるミセス○○(少女の母親)へ

1894年、私の友人が香港へと渡り、船を盗まれ帰国できなくなりました。
当時の中国は飢饉で、ありとあらゆる種類の肉が売られており、12歳以下の子供達は食料として売買されておりました。
あらゆる店で、子供達の肉を販売していました。
高額で売られていたのは、少年少女の尻の肉でした。
友人は長期間滞在するうちに、すっかり人肉の虜になってしまったのです。

やがて彼はニューヨークに戻り、7歳と11歳の少年を誘拐し、裸にして自宅に監禁しました。
衣服は全て焼き捨て、1日に数回、肉を柔らかくするために彼らを殴打し、彼らは酷く苦しみました。
友人はまず、11歳の少年を殺害しました。彼の方が太っていて、当然多くの肉を持っていたからです。
頭部・褒め・内臓以外は全て料理され(cooking)、食べられてしまいました。
次いで幼い少年も同じ運命を辿りました。

当時、私は○○(地名)に住んでおり、よく人肉の美味さを聞かされて、いつか私も食べたいと思っておりました。
1928年6月3日の日曜日、貴女宅でランチ(昼食)をとっていた時、○○(少女)が私の膝にのりキスしてくれ、私は彼女を食べる事を決意したのです。

パーティに連れて行っていいという貴女の許しを得て、私は彼女を連れだしました。
用意していた空き家へ連れて行き、外で待つように言うと、彼女は花を摘んでいました。
私は2階で裸になると、窓から彼女を呼びました。
服を脱がないと、彼女の血がこびりついてしまうことがわかっていましたから。

彼女が来るまで私は隠れていましたが、見つかった途端、彼女は逃げだしました。
何とか捕まえましたが、彼女は親に言いつけると言い、私は彼女の服も脱がせました。
すると、彼女は暴れて暴れて・・・・・。仕方なく、首を絞めて殺したのです。

その後は、彼女の肉をバラバラにして私の自宅に運び込みました。
料理し、食べたのです。ローストした彼女のお尻の、なんて柔らかくて美味しかったことでしょう。
彼女を全部食べきるまで、9日間かかりました。

私は、その気になれば彼女をレイプし汚す事もできました。しかし、そんなことはしませんでした。
彼女は清らかな処女のまま、天に召されていったのです。


正直アルバートの真意は測りかねるが、おそらくサディズムの誘惑に勝てなかったのだろう。
その年のうちにアルバートは逮捕されたが、逮捕時にはカッターナイフで抵抗したという。

また、上記の数個の事件は警察が同一犯人との証拠を押さえていたために認めたものでしかなく、他にも見つかっていない多数の被害者がいた可能性が高い。

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当時の報道写真 供述通りの場所から少女の白骨が発見された

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逮捕後のアルバート

【体内の釘と針】
・一方、マゾヒストとしての彼の性癖にも凄まじいものがある。
彼は釘や針に固執しており、SM行為の相手が見つからなければ自分で痛みを得る必要があった。
自慰行為として性器の周辺に釘や針を打ちこみ、飲みこんでもいたらしく胃の中からも見つかっている。

彼の体はレントゲン撮影されたが、陰嚢部分には29本もの針が埋め込まれていた。

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黒い部分が骨盤 陰嚢・鼠蹊部・腰・太腿に釘や針

背骨・骨盤のあたりにも針が打ちこんであり、自然に抜けたあるいは抜いた針の分も含めると、相当な数になる。
当然痛みは持続し、常に痛みを感じていたはずだが、アルバートは逮捕されるまで自傷(自慰?)行為を止めることはできなかった。

また、アルバートは綿にオイルを沁みこませ、直腸に入れて火をつけ、文字通り体の内部から焼ける感覚に夢中になったともされるが、同時にツメの裏側に針を通す痛みには耐えられなかったという話もある。
実際のところはどうなのか、妄想的なアルバートの供述のように、話にセンセーショナルな尾ひれがついている可能性も否定できない。

実際、裁判当時から司法や警察の者の中には、事件の正確性に疑いを持つ者や同情的な者もいたらしい。
(住居に被害者の形跡は発見されず。物的証拠はなく、状況証拠と自供内容のみ
サイコパスだという意見もあれば、極端な妄想症の狂人との意見もあった。
だがどちらにしろ世論は彼の死刑を望み、結局は歪んだ倒錯と性的異常と判断され、有罪となった。

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死刑時の様子

1936年1月16日。
当日、65歳のアルバートは電気椅子に座りながら、「最高のスリル」だと語ったという話がある。
しかし実際の最後の言葉は「なぜ、私がここにいるか分からない」だった。
彼は本気で神の啓示を受けたと思い込んでいたのかもしれない。

また、死刑執行後、1度目の電流では体内の針がショートして死にきれず、2度目の電流でようやく死亡したという噂がまことしやかに流れた。
しかし実際にはそれは通常の手順でしかなく、確認と警戒のために必ず電流は2度流す事になっている。

彼には成人した6人の子供がいたが、全員が引き取りを拒否した。

現在、彼の遺体は凶悪犯が集まるシンシン刑務所の墓地に埋葬されている。


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【閲覧注意・自己責任】

アメリカの犯罪史にアルバート・フィッシュという名の殺人鬼がいる。
1936年に電気椅子で死刑執行されてしまったが、残虐というにはあまりにも異様なこの人物像は、現在でもアメリカ犯罪史で史上最悪の殺人鬼だという。

カニバリズム(食人)に取りつかれた人物であり、「満月の狂人」、「ブギーマン」、「ブルックリンの吸血鬼」など複数の異名を持つ。
身長165cm、体重58kgと割と小柄な男だったが、児童暴行・殺害・カニバリズムを行っており、被害者はほとんどが子供であるが、成人も含まれると考えられている。
極端なサディストであるとともにマゾヒストであり、苦痛・拷問に固執していた。
他にも糞性愛・尿性愛・ペドフィリア(小児性)等多くの性的嗜好を持つ。
1910~1934年まで、400人は殺害したと自供しているが、正確な被害者数は不明。

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若い頃のアルバート


【生い立ちと性癖の誕生】
・アルバートの出生は1870年。父親は75歳で母親は32歳(43歳差)。
もともと精神疾患患者が多く輩出される家系だったらしい。アルバートは4人兄弟の末っ子だった。
アルバートが5歳の時に父親が死亡(80歳)、母親は働くために彼を孤児院に預けている。

だが、この孤児院では躾と称する虐待が日常的に行われており、特に仲間の前で下半身をさらしつつ尻を鞭打たれるという屈辱的な体罰が良く行われていたという。
幼いアルバートはおねしょを繰り返し、度々他の子の前でむき出しの尻を鞭打たれている。

いじめのターゲットでもあった彼は何度も脱走を繰り返し、同じ罰を何度も受けるうちにマゾヒズムに目覚め、打たれながら勃起するようになった。


やがて安定した職を得た母親は彼を引き取ったが、シングルマザーであるため生活は忙しく、アルバートは孤独を感じていたらしい。10代前半で彼は同性愛にのめりこみ、特に幼い男の子を好んだ

糞性愛・尿性愛といった性的嗜好(フェティシズム)は、この頃には目覚めていたと考えられている。フロイトの説では排泄にともなう嗜好は心理学的発達関係に大きく関係する。(肛門期)

アルバートは15歳の頃、学校を中退し塗装工の職につく。才能があったらしく、彼は後にこの仕事で全米を転々と流浪するが生活に困る事はなかったらしい。
だが家族がニューヨークに引っ越したのをきっかけに、アルバートは男娼として働きだした。
この頃にはすでに幼い男の子を捕まえては強姦を繰り返していたという。

しかし驚くことに、アルバートは28歳(1898年)の時に22歳の女性と結婚し、6人もの子を設けている。
実子に暴力をふるう事はなかったが、犯罪的行為を止めることはなくトラブルが絶えなかった。

・1903年。
未遂ではあったが、刑務所に服役中のアルバートは知的障害を持つ囚人を去勢しようとしている。
また、同じ刑務所内に同性の恋人がいた。。



【連続殺人の開始】
・1910年、アルバートの証言によれば最初の被害者である男児を殺害したという。
動機は、「幼い子供の苦しむ顔が見たかったから」。しかし、この事件は証拠が不十分で確認できていない。

1917年には、不倫した妻が許せず家から追い出すが、父親と残された子供達との関係は悪化の一途を辿った。我が子に父親を殴打するよう命じ、釘や鋲が打ちこまれた板で叩かせるなど自傷行為はエスカレートしていった。
アルバートは子供達に「キリストの受難を越えなければ」と説明したというが、痛みに喜び、射精する様子を子供達は目撃していた。
この頃から、自慰として性器に針を刺す行為を始めたと思われ、余程嫌気がさしたのだろう、今度はアルバート本人が子供達から家を追い出される結果を招く。

⁂奇行が目立つようになったアルバートは、宗教的な幻聴や幻覚を見るようになったと思われる。5歳で死に別れた父親も、宗教にのめり込み奇行が多かった。

だがその後、手に職を持つアルバートは各地を放浪しつつ、サディスト・マゾヒストの本領を発揮してゆく。


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411 : 本当にあった怖い名無し:2014/08/29(金) 02:48:27.41 ID:uhpOwabB0.net
夏の終わりで毎年思い出す事件をフェイクありで

もう10年以上前なんだけど当時安アパートに一人暮らししてた時の話

俺の左隣の部屋は空き部屋だったんだけど
安いけどかなりボロいアパートで
進んで住みたいようなところじゃなかったから特に何も思わなかった
当時は仕事が忙しくて帰宅は深夜で隣人とは引っ越しの時に挨拶したぐらいで
どんな人が住んでるのかはよく知らなかった

8月も終わりに差し掛かったぐらいに
仕事がちょっと落ち着いてまだ辺りが明るいうちに帰宅出来た
久々にこんな時間に帰宅出来たからとビール片手に何もしない時間を楽しんでた 

そしたら誰も居ないはずの左隣りの部屋からコトコト音が聞こえてきた
てっきり誰か越してきたのかと思ったんだけど
その音が止んだと思ったら今度は猫の鳴き声みたいなのが聞こえてくる
大家に黙って猫でも飼ってんのかと思ったけど
こんなボロアパートだし別にいいかと思って放置した

 
そして12時過ぎてもう寝ようと思って部屋の電気を消したらまた猫の声が聞こえてきた
ずっとナァナァ発情期みたいな鳴き声が聞こえてて
さすがにちょっとイラッとしたんだけどよくよく聞いてみたら
なんか猫の鳴き声じゃない気がしてきた

頭に浮かんだのは赤ん坊の鳴き声…
生まれてすぐぐらいの赤ん坊が過呼吸起こしながら泣いてる感じ
 
でもこの時は半分以上酔っ払ってるから
子連れでも越してきたのかで自己完結して寝た





412 : 本当にあった怖い名無し:2014/08/29(金) 02:49:31.31 ID:uhpOwabB0.net
翌日そんなことがあったのもすっかり忘れて仕事に行って
また2日後に定時で上がることが出来た
 
また酒飲みながらダラダラしてたらまたあの猫とも赤ん坊ともつかない声が聞こえてきた、
前よりもずっとハッキリと…
もう赤ん坊の鳴き声としか聞こえなかった

赤ん坊だし仕方ないとは思うものの
こう、赤ん坊の鳴き声ってのは癇に障るというか落ち着かなくなるんだよ
あんまり長く続くようならちょっと文句でも言おうと思ってたんだけど
酒の威力でそんなことも忘れて寝てしまった


更に翌日右隣の住人の大学生と丁度出くわして
昨日の泣き声うるさかったですねーと挨拶ついでに言ったら「?」て感じだった
左隣りの赤ん坊ですよ~と言ったら
「あそこ誰も住んでませんよ?」と言われてお互い困惑しながらそのまま仕事に行った
 
その日も定時上がり出来たけど
確かに左隣りの部屋は明かりもついてないし人が居る感じもしなかった
ただやっぱり泣き声が気になるし
もしかしたら鍵破って住み着いた浮浪者とかが居るかもしれないと思って
一応大家に連絡した

近くに大家は住んでるからすぐに来てくれて部屋の鍵を開けようとした
そしたら既に鍵が開いていた…


これはマジで浮浪者が住み着いているのかもとなって
一応傘を武器に大家と部屋に入った 

そうしたら部屋の中から異臭、
何かが腐ったような臭いがしてハエとかの虫が飛び交ってた 
すでに日が傾いて薄暗くなってる部屋の真ん中に落ちてる何かにハエがたかってるようだった
最初は何か分からなかったんだけど
動物の死体かと思ったんだけど近づいてみるとそれは半分ミイラ化した赤ん坊だった


413 : 本当にあった怖い名無し:2014/08/29(金) 02:50:29.70 ID:uhpOwabB0.net
直ぐに警察を呼んで
結局マジで赤ん坊の遺体だった
生後すぐに捨てられたというよりも周囲の状況からしてここで産んでそのまま捨てたようだとのこと…
ただ遺体の状態から既に1ヶ月近く経ってて前の晩に俺が泣き声を聞くことは有り得ない…
俺が聞いたあの泣き声は一体何だったのか…
結局赤ん坊の親は分からずに今も不明なままだと思う

そんなことがあってそのアパートはすぐに出たんだけど
この時期が来ると毎年思い出して気分が落ち込む…
もしかしたら助けられたのかもしれないと思うと
なんかもうしんどい…


http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1382553456/


278 : 本当にあった怖い名無し:2014/05/04(日) 09:13:36.46 ID:KPBeqKHS0.net
これは幽霊話ではなく生きている人間の怖さを物語る話です。
幽霊話が好きな人はスルーで。


プロテスタントでもホーリネス系の新興宗教の教会をやっている家。
お父さんがいちおう聖職者です。
信者数は十人もいないもよう。外観は一戸建てで一見するとキリスト教会にはみえまぜん。

その家では「学校にやると進化論を教えられる」という理由から、子供たちを学校には一切やっていない。
その宗派では聖職者は世の仕事についてはならないという戒律があり、
お父さんは五体満足で健康なのに世の仕事はしていない。 
信者がさほど多いとは言えない教会だから当然献金だけでは生活できず、
生活費の大半はお母さんが稼いでくるらしい。

お父さんは子供を学校にやらないかわりに日中は子供に教えている。
恐ろしいことに自分の子供だけではなく
信者を洗脳して信者の子供も「自分の手作り学校」に通わせている。
もちろん授業料はしっかりとって。(信者は献金と授業料の二重負担) 
ちなみにお父さんの学歴は高卒だそうです。

子供は働ける年齢になるとお父さんが選んだバイト先で働かせる。
バイトの送迎はお父さん。終わったらすぐに迎えに来る。
家族以外の人間と接触する時間は一分でも短くしたいのがお父さんの方針らしい。
 
子供たちは日曜日は家業の新興宗教のお参り&奉仕、
平日はバイトと教会兼家を往復して金を入れるだけの単調な生活らしい。

十代半ばからずっとバイトしているので、もうベテランではあるものの、
学校に行っていないのでどんなに働いても正社員にはしてもらえないのではないか?
学校にいった同年代は十代後半~二十代前半で
正社員として働いているというのに。
いちばんこわいのは、
子供たちはどうも自分の境遇のおかしさに気付いていないのかもしれないということ・・・
新興宗教の洗脳教育の怖さがわかりますハイ。


【閲覧・胸糞注意】

アメリカの死刑囚でアイリーン・ウォーノスという女性がいる。
女性でありながら稀代の殺人鬼であり、2002年に死刑執行されたが、この女性を題材にした映画や本は跡を絶たず、現在でも多くの人々に疑問を投げかけている。

無罪・冤罪という意味ではなく、アイリーンは間違いなく冷酷な殺人犯ではあるのものの、その悲惨な生い立ちと、強烈なキャラクターが印象づける後味の悪さは、現代アメリカ社会に多大な影響を与えたといえよう。

「Aileen Wuornos」の画像検索結果
アイリーン・ウォーノス

子供時代の虐待は深刻なトラウマを引き起こすが、当然のことながら犯罪の理由にはならず、劣悪・悲惨な環境から立ち直る人も多い。
だが、あまりにも彼女の境遇は悲惨すぎた。


【事件の概要】
・1989~1990年にかけて、フロリダで相次いで男性の腐乱死体が見つかった。
フロリダは温暖な地域であるため遺体の腐敗も早く、警察は証拠の入手に苦労することになる。
被害者の1人が全裸であったこと、側らにコンドームが発見されたことから、警察は犯人は売春婦ではないかと目星をつけるが捜査は難航した。

発見された被害者の身元は以下。
・リチャード・マロリー 51歳
・デイヴィッド・スピアーズ 43歳
・チャールズ・キャルズカドゥーン 40歳
・トロイ・バーレス 50歳
・ディック・ハンフリーズ 56歳
・ウォルター・ジーノ・アントニー 60歳

それぞれ共通点はなく、職業もバラバラ。
40~60代の被害者らは、全員が腐敗した状態で発見された。
警察はほぼ無力であり、アイリーンたちの自滅によって捜査はようやく進展することとなる。

きっかけはよくある車の自損事故。
女性2人が運転する車が民家の庭に突っ込み、その事故直後に2人は車を乗り捨てて立ち去った。
その車の所有者はピーター・シームズ(65歳)。
行方不明になっていた男性であり、目撃者の証言を得て、警察は2人組の女性を指名手配する。

⁂ピーター・シームズの遺体は結局発見されていない。


実はアイリーン本人には複数の逮捕歴があり、売春婦であることも警察は把握していた。
にも関わらず、警察側は有効な手がかりをつかむ事ができなかった。
最終的には元恋人のティリア・ムーアが司法取引し、情報提供することでようやく彼女の逮捕に漕ぎ着けることになる。
だが、この元同性愛カップルは別れた後も行動を共にしており、事件当時も一緒にいた可能性が高い。

「テルマ&ルイー...」の画像検索結果
映画「テルマ&ルイーズ」より。
強姦(レイプ)により殺人を犯した女性2人の逃避行を描く。


【アイリーンの生い立ち】
・前述したようにアイリーンは残虐な殺人犯ではあるが、当時から同情の声も大きかった。
しかし本人にとっては、その同情の声すら苛立だしく感じていた節がある。

アイリーンが誕生したのは1956年。兄が1人いる。
両親は16歳の母と19歳の父であり、1955年に結婚し、アイリーンの生まれる2ヵ月前に離婚した。
母親はアルコールに溺れ、育児を放棄(ネグレクト)。
アイリーンが4歳の時には子供2人を捨てていなくなった。

父親もまた問題を多く抱えており、未成年への虐待の常習犯。(母親は兄を妊娠した時わずか15歳)
精神病院の入退院を繰り返した後、1969年に13歳の少女強姦罪で収監された際に自殺した。
奇しくも娘のアイリーンも、この時13歳。
最も、アイリーン本人は一度も父親と会っていない。

母親の失踪後、兄弟は母方の祖父母に引き取られたが、虐待の日々が終わることはなかった。
祖母もまたアルコール依存症であり、祖父は日常的に暴力をふるう人物。
幼い兄弟はライターオイルをかけられ、火をつけられる事もあった。

「Aileen Wuornos」の画像検索結果
子供時代のアイリーン。

このような環境の中、アイリーンは自力で生きる術を身に着けて行く。
食べ物やタバコ等欲しいものを手に入れるため、11歳で彼女は複数の男性と性的関係を結んでいた。
それは近親であっても同じで、実の兄とも関係を持つ。
当時の彼女にとって体を売る(売春)ことは生存に直結しており、何ら疑問はなかったのかもしれない。

アイリーンの初めての出産は14歳。
相手は祖父の友人でレイプによるもの。
生まれた子供は、祖父母によりすぐに養子に出されている。

1971年、祖母が死亡すると、アイリーンは高校を中退する。(15歳)
家出はしたものの、結局は祖父の住む家の近くの森の中に廃材で自分で家を建てて住みついた。
雨や雪など、天候の悪い時には廃車の中で凌いでいたという。
彼女はやはり体を売ることで、ようやく生計を立てていた。

1974年、18歳のアイリーンは飲酒運転中に銃を乱射して逮捕されている。
2年後、20歳の彼女は暴力行為で再び逮捕されたが、兄の生命保険で罰金を支払い事無きを得た。
(兄は21歳で病死)

同じ年、アイリーンはヒッチハイクで69歳のルイス・フェルに出会う。
意気投合した2人はすぐに結婚するが、一か月後には離婚した。

1981年、恋人にふられたアイリーンは酔ってヤケになり、下着姿でコンビニに強盗に入り逮捕されている。
1984年、偽造小切手の使用容疑で逮捕。
1985年、銃と弾丸を盗んで逮捕され、さらに数日後には免許証の有効期間切れで再逮捕。
1986年にも窃盗で逮捕。運転していた車は盗難車で、車内からは銃も押収された。



メチャクチャな人生ではあるが、彼女が立ち直るチャンスは少なくとも2度あった。
1度目は兄の病死によりまとまった金が手に入った時期。
成人した彼女はその金で生活を立て直す事も不可能ではなかったはずだ。
2度目は裕福で包容力のある男性ルイスとの結婚であり、庇護者を求め続けたアイリーンが初めて安らげる場所になるはずだった。

「Aileen Wuornos」の画像検索結果
ルイスとアイリーン

しかし、いずれもアイリーンの複雑な人格形成により、彼女自身が自分でダメにしてしまった感が強い。
まともな生活習慣を送ったことのないアイリーンは金を全て浪費し尽くし、優しく接してくれたルイスには辛く当たり続け、結果として離婚を招いてしまった。

最終的にアイリーンはティリアと出会い、破滅への道を転がり堕ちてゆく事になる。


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583 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/25(金) 16:02:49.66 ID:dfwTilV1O.net
わずか数年間ですけど、カトリックの教会に通っていた者なのですが、
そこで感じた経験から言わせてもらいますと、
長崎の人って同じクリスチャンでもやはりなにか違うなあということです。
キリスト教が血肉化しているというか…

我々日本人がお盆になると本家に集まり
菩提寺でご先祖を供養し偲ぶことが血肉化しているのと同じような感じを、
長崎のクリスチャンの方々にはキリスト教において受ける、
という感じです。

やっぱり経てきた歴史の違いでしょうか、
見ていてまだキリスト教の歴史が新しく、自分の意志で受洗して
1代目2代目の人が圧倒的に多いその他の地域のクリスチャンとは明らかにその「深度」が違い、
無理するところ、衒(てら)うところが無いというか、
そんな感じが見受けられて正直信仰の凄みのようなものを感じました。


585 :本当にあった怖い名無し:2015/09/28(月) 01:45:53.43 ID:gk0BZkXI0.net
でも、島原の乱とかで亡くなった信者さんたちは 
カトリックの正式な「受難した聖人列」?だかに認定されなかったんだよね
土着宗教?とミックスされてるとかで、純粋なカトリックとは認めがたい、とかいう理由だったらしい 
なんかお気の毒


その後も幕府から迫害されて、狭い建物におしこまれて、餓死するまで何十人も放置したとか
大変な目に遭いながら長く信仰を守ってきたのにね


586 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/28(月) 02:35:04.68 ID:kyVMh91pO.net
確か殉教二十六聖人として列聖されてるかと思いましたが、
あれは別のものでしたかね?

また250余年に及んだ禁教時代のいわゆる「隠れキリシタン」は、
幕末に列強に対して日本が国を開いてから間もなく、フランス人神父により『信徒発見』がされ
世界を驚かせたわけですが、
時のローマ教皇は、禁教時代の司祭のいない状態(司祭無しのミサは本来は無効)での、
隠れキリシタンのみによって行われてきた「隠れミサ」を、
『禁教』という事情が事情であった、として正式なミサとして認定しています。

いずれにせよ、貴方の仰られるその『受難』こそが
まさに「キリスト教が血肉化し」「凄み」として感じられてしまうというところなんです。
キリスト教の歴史って『受難』の歴史という側面がありますから。


587 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/29(火) 15:23:23.91 ID:pJ5gAS5qO.net
弾圧が無くなれば力がなくなる


588 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/30(水) 03:04:25.16 ID:rohyaP7o0.net
>>586
詳しくなくて申し訳ないが、二十六聖人は秀吉によって亡くなった方々

 
島原の乱で亡くなった方々はやはりローマカトリックに認められなかったみたいですよ。 
理由

「島原の乱」が純然たる信仰のための抵抗ではなく、
年貢軽減を求める農民一揆としての一面があるからです。

ローマ教皇庁は、一揆は君主に対する暴力的反乱として、
キリスト教の教義に反するものであるという立場を取っていますので、
島原の乱で戦死したキリシタンたちを、殉教者として認めないのです。
(わかり易く書いてあるのはこれみたいです)
ttp://www.nagasaki-np.co.jp/press/sekaiisan/kikaku2/04.shtml参照。

カトリック頭固い、君主に逆らった許せない農民一揆、年貢減免目的、という定義ですね

秀吉の頃は九州にかなりの信者がいたみたいだから弾圧時はすごいことになってたでしょうね
最後水、みずといいながら餓死して亡くなった幼子兄弟の話を
テレビでやってて切なくなりましたよ


589 :本当にあった怖い名無し:2015/09/30(水) 03:11:49.29 ID:XJfnwRsjO.net
島原はね。確かにそうですね。
武器弾薬なんかの調達の仕方も素人ではありません(もちろん、その筋=プロの武士)からの
仕入れですし。
キリスト教の形を取った政治的反乱でしょうね。
その点では、仏教の形を取った政治権力志向集団だった一向宗の一揆と変わりません。


591 : 本当にあった怖い名無し:2015/10/01(木) 01:07:10.43 ID:5/Kf2n+R0.net
それにしても異常な年貢ですね
殿様が悪すぎる 
年貢減免を求めた庄屋?の身重の奥さんをとらえて見せしめに水牢でおぼれ死なせたり 
陰湿超えてます。はたから聞いても異常ですわ


五島列島辺りでずっと隠れキリシタン時代から信仰し続けてる家系にはいろんな話がありそうですね

私の地元でも、隠れキリシタンの寺がありましたよ(妙見)
マリア観音や、寺のマークもよーくみると十字が入ってました


594 : 本当にあった怖い名無し:2015/10/06(火) 02:23:37.74 ID:vWrbvUL40.net
イエズス会は、最初に宣教師派遣して、信者増やして
イエズス会のバック(当時はスペイン)と貿易して武器輸入したい大名は
キリシタンになって武器購入、引換に日本人(特に女性)を奴隷として引き渡す
おおかた信者が増えたところで、軍隊派遣してその国を植民地化

 
秀吉は、宣教師26人に国外退去するか、日本に滞在するならキリスト教から改宗せよと命令、
そのときさっさと国外退去すればよかったのに、ぐずぐずしてるから
イエズス会から殉教者とすれば、教えの指揮も高まるとの判断で犠牲にされたようなもの

秀吉は奴隷貿易として日本人が武器の引換になってることに激怒していたし

秀吉、家康がいなかったら、日本はフィリピンのようになったと言われている
 
そんな政治的な思惑、当時の世界情勢など知るよしもなかった
当時のキリスト教信者は気の毒というかなんというか


596 : 本当にあった怖い名無し:2015/10/06(火) 03:44:37.34 ID:mFdQrMMoO.net
仰る通りの側面はあります。

秀吉は九州を制圧すると宣教師に、
「奴隷として連れて行かれた日本人を連れ戻せ!それがどうしても出来ないというなら、
せめて今現在奴隷船に詰め込まれている日本人奴隷をただちに解放するように!」
と要請しているんです。
しかし、宣教師は、「奴隷商人が彼らの裁量において行っていること。我々も遺憾である」と、
とぼけた回答をしてきたんです。

それで秀吉は激怒しました。
ご存知の通り、あとは禁教令の布告へ一直線でした。


598 : 本当にあった怖い名無し:2015/10/07(水) 11:30:26.86 ID:x0tvsIGc0.net
当時のキリスト教は、侵略の道具だったからね。
今もそうかもしれないが・・・


600 : 本当にあった怖い名無し:2015/10/08(木) 21:18:42.82 ID:a/9Vm2ziO.net
島原の乱はほぼ酷政に対する農民一揆であって、宗教戦争とは言い難いからねぇ。
一揆民に土地のキリシタンが混じってただけの話だから、
バチカンからしたら単なる東洋の一小国の農民反乱でしかない。
また幕府側もキリシタン鎮圧が目的でなく、領民の大規模謀反鎮圧が目的だった。 

実際に宗教弾圧の一環で処刑された二十六人の信者と同列に扱われる筈が無いんよね。

原城跡に慰霊の十字架とかおっ立ってるから、さも宗教戦争ぽく見えるけど
実際は違うからバチカンもそれを理解した上で
島原の乱の農民側に列聖はおろか列福も地方崇敬の許可すら出さない。


599 : 本当にあった怖い名無し:2015/10/08(木) 15:07:42.57 ID:etWDtgTM0.net
島原の乱はそこの殿様が悪い。でなきゃ斬首になってない 


601 : 本当にあった怖い名無し:2015/10/09(金) 01:26:45.54 ID:bWXKfuD10.net
見栄を張って石高(米の、可能な年間収穫高)をかなり多めに幕府に報告したんだよね
それで何もしなくても重税決定 逆らえば火刑 たまりませんわ


関連記事
事件 「島原の乱」 1
事件 「島原の乱」 2

http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1430400003/


307 :名無しさん@おーぷん :2015/05/07(木)00:46:42 ID:aRe
婆ちゃんが子供の頃(1930年ごろ)の話。
近所の家に座敷牢があった。

座敷牢と言っても床の土がむき出しの掘っ立て小屋に鍵をかけて
閉じ込めておくという犬小屋みたいなもん。
入っているのはその家の娘。
産まれた時から頭がおかしかったらしい。
婆ちゃんの父(ひいじいちゃん)はあれは妾の子で、その妾が性病持ちだったので
あんな子が産まれてしまったと言っていたそうだ。
婆ちゃんの頃には既に30年以上その中に入っていた。

警察は何をしていたのかと婆ちゃんに聞くと婆ちゃんは警察もグルだったと言った。
その家は大変な大地主で、地元の議員とも繋がりがあったそうだ。
ぶっちゃけ、その大地主が怖くてみんな見て見ぬふりをしていた。
もちろん俺の家も。

ある日、その娘が脱走して村中を走り回った。
婆ちゃんは家の中でじっとしていろと言われたけどこっそりと家の窓からその娘を見た。
その娘は走りながら泣いていた。
まるで老人のようにしわくちゃの顔だったが、確かに泣いていたそうだ。





308 :名無しさん@おーぷん :2015/05/07(木)00:47:12 ID:aRe
結局その娘は町まで走っていった。
警察も流石にこれは見逃せなかったのかその娘は警察に捕まえられた。

後日、大地主が村中の家を迷惑をかけてすまなかったと言って廻った。
娘は精神病院に送りました、どうか内密にしてくださいと。

娘が本当に精神病院に送られたのかはわからない。
その大地主も、戦後土地を取り上げられてどこかへ出て行ってしまったそうだ。

婆ちゃんと散歩に行ったら「ほら、あのあたりだよ」とその座敷牢があったところを指さした。
郵便局になってた。
そこの郵便局に幽霊が出たりとか事故が起こったりとかそんなことは全然なかったけど、
そういう事件が起こった土地なんだなと今でも思う。



1996年のアメリカコロラド州ボルダー町で、何とも奇妙な殺人事件が起きた。
殺害現場(推定)は、自宅の地下室。
遺体の発見者は父親であり、パニックになった彼は汚れた彼女の遺体を移動させ、多くの証拠を消滅させてしまった。

被害者はジョンベネ・パトリシア・ラムジー6歳
美少女コンテストで何度も優勝した有名人であり、地元の名士(セレブ)一家で起きた不可解な事件であるとともに、両親ともに捜査に非協力という態度が大きな波紋を呼んだ。
現在でも未解決の事件であり、犯人の有力候補は推理されたものの、決定的な証拠は未だ見つかっていない。

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被害者ジョンベネ 

【家族】
・ラムジー家は両親と6歳のジョンベネ、9歳の兄・バークの4人家族。
警察側の不手際もさることながら、様々な不審な点から家族内部犯行説が有力になるにつれ、母親と父親もまた弁護士を雇い、身を守る事に必死にならざるを得ない状態に陥る。

なまじ被害者が有名人であったことが多くの無責任なマスコミ関係者の注目を集め、ここではマイナスの要因となった。

母親のパトリシアは元ミス・ウェストバージニアであったが、ミス・アメリカ(国をあげての美人コンテスト)になることはかなわなかった。そのため、娘のジョンベネに夢を託し積極的にコンテストに参加させ続けていた。
父親はコンピューター会社の経営者。(年収10億ドル:当時)

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【事件の概要】
1996年 12月25日
 ラムジー一家は友人宅のクリスマスパーティーに出席。
 パーティー終了後、車の中でジョンベネは眠ってしまったため、父親が抱きかかえてベッドに運ぶ。

12月26日
早朝(時間不明)
 ボルダー警察署に母親・パトリシアから通報が入る。
 「娘が誘拐された」との連絡に、即座に捜査本部が設置された。

 10分もしないうちに警官がラムジー家に駆けつけると、父親が脅迫状3通を提示。
 脅迫状の紙は、ラムジー家のキッチンにあったメモ用紙で、自宅の階段においてあったという。(発見は母親)

 「警察には連絡するな。午前8時~10時の間に連絡する。警察に通報したら娘を殺す。
 金を用意しろ」とあった。
  
 犯人の身代金要求額は11万8000ドル
  (この半端な金額は父親ジョン・ラムジーの当時のボーナス全額にあたる
 
 しかし10時を過ぎても犯人からの連絡はなく、警察官及び両親とその友人らが家中を再捜索した結果、父親が地下室で小さな遺体を発見する。(それまで地下室は除外されていた)

 6歳の彼女は口をガムテープで塞がれ、首には絞められた跡、頭部には頭蓋骨陥没痕があった。
 性的暴行の跡があり、抵抗したと思われる痕跡と犯人のものと思われる体液が付着していた。
 また、なぜか手のひらにハートマークが描いてあったという。

 驚愕した父親はジョンベネの遺体を抱きかかえ、リビングへと移動。
 涙ながらに汚れを拭いてやるなど、親としての行為は理解できても、多くの証拠を台無しにしてしまった

 信じられないことに、この事件では警察による現場維持が全く行われていない
 ミスというにはあまりにもお粗末なこの失態のために、多くの物的証拠が失われてしまった可能性も高い。両親は娘の遺体に取りすがって泣きくずれており、警察は被害者の遺体に第三者が接触することすら止められなかった。


【警察の失態】
・ボルダー警察署の一番の失態は初動捜査の遅れにあった。
遺体発見後も、前述のように現場保存すら満足にできていない。
DNA摂取は成功したものの、後に被害者本人のものと混同していた等のミスが続く

また、事件当日は前夜からが降り積もっており、連絡を受けた時点で本格的に動いていれば、外部からの犯人の侵入経路を発見できた可能性も高い
実際には、知らせを受けた知人らがラムジー家に集まり、(家の内外問わず)各々歩き回ったために足跡が散乱してしまった。(後に外部侵入の形跡なしと発表された)

唯一の手がかりらしきものとして、ラムジー邸の塀に足を引きずったような跡を警察が発見。
しかし、事件時についたという確証はない。

その後汚名を挽回すべく捜査は大がかりなものとなるが、凶器は被害者宅のキッチンにあった懐中電灯である可能性が高まった。(指紋は一切検出されず
強迫状に使用された紙もインクも全てあらかじめラムジー家にあったものであるうえ、身代金要求金額も不自然であるとして、家族内部犯行説が有力視されるようになる。

当時の警察側の見解は「犯行はあくまで性的暴行が目的であり、誤って殺害してしまったもの」であり、強迫状は後から付随したものであると判断。備え付けのメモ用紙を使い、それらしく偽装したとした。

ボルダー警察は両親を起訴したものの証拠不十分で不起訴となり、逆に今度は両親から名誉棄損で訴えられるなど事態は泥沼化し、事件解明には程遠い状態が続く。

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【マスコミ報道】
・あまりにもセンセーショナルな事件に人々は注目し、報道熱は過熱の一途を辿り混乱を招く。
家族内犯人説が独り歩きし、両親は別個に弁護士を雇い捜査の協力を拒んだ。

父親犯人説
・美少女コンテスト入賞常連者だった被害者は、日常的に虐待を受けていた可能性が浮上。
また、懐中電灯で頭蓋骨を陥没させるには相当な力がいる。ラムジー家唯一の大人の男性が父親だった。
何らかの事情で怒ったジョンが娘をなぐり殺してしまい、その死を偽装したというもの。

母親犯人説
・ジョンベネはおねしょをする癖があり、事件当夜にもおねしょをしてしまい、激昂した母親が誤って殺害してしまったというもの。
被害者には下半身に擦り傷があり、性的虐待の証拠とされたが、もし母親が怒りにまかせて被害者の下半身を乱暴に洗ったなら、同じような擦傷痕がつくのではないかと考えられた。
例えば浴室で娘を突き飛ばした拍子にバスタブの縁に頭を打ちつけたとすれば、頭蓋骨陥没もあり得る。その場合も傷痕は一致するという。

両親共犯説
・父親犯人説に基づく。
父親が何らかの事情で娘を死なせてしまい、母親が偽装したというもの。

使用人犯人説
・父親ジョンのボーナス額を知っていたため可能性として浮上。

実兄犯人説
・最も有力視される説。
被害者の胃にはフルーツが残されていたが、前日のパーティにそのフルーツは提供されていなかった
夜中に兄バークは同じフルーツを食べており、その入れ物にはバークと被害者の指紋が残されていた。
そのため、フルーツをめぐって兄弟トラブルが起こり、誤って兄が妹を殺害してしまったというもの。
この場合は両親が兄を守るために様々な偽装工作を施したとされる。

外部犯人説
・いわゆるストーカー殺人
被害者は美少女コンテストの常連だったため、ストーカー的ファンがいても不思議はない。
6歳でありながらセクシーな衣装を着こなし、大人びた表情を持つジョンベネは圧倒的な支持を得ていた。
但し、当時はあまりストーカー問題が重視されていなかったため、一部をのぞきあまり注目されなかった。
米国で失踪する少女達の数は年間数十万人

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実は事件当夜、父親は深夜に帰宅したためかハウスセキュリティを設置するのを忘れている
当時はラムジー邸の一部の窓の鍵が壊れており、鍵を忘れた父親が何度かその窓から出入りしていた。

さらに、ジョンベネ殺害事件から数ヶ月後には、同じダンス教室に通う少女が性的暴行を受け、誘拐されそうになる事件が起きている。(未解決


【現在】
・2006年、タイでアメリカ人男性がこの事件の容疑者として逮捕されたが、DNA鑑定で一致せず釈放される。
(ジョンベネの父親が真相究明のため霊視を依頼し、その結果浮上した容疑者。元教師のこの男性は一度は殺害を認めたが後に否認

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2008年、新たにDNA鑑定が行われ、犯人とラムジー一家全員のDNAは一致せず
(しかし、当時の技術が未熟だった為、潔白の証拠にはならないとの主張も続く)

2012年、当時の事件主任捜査官が出版した本の中で兄・バークの犯行説を強く主張
 
2013年、日本のテレビ番組に父親のジョンが出演。本の著者は、主任捜査官でありながら一度も家族に面会していない事を暴露。ボルダー警察に強い不信感を表すとともに、外部犯行説を主張。

事件後、父親は会社を辞めて独自に事件の探偵調査を行っている。
兄・バークは内向的な青年に成長し、テレビ番組などで当時の記憶と身の潔白を証言したが、その表情(笑顔)が不自然で不気味だとネット炎上を引き起こした。

母親は2006年に癌で死去。
娘の隣の墓に眠る。

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2016年、Googleに児童ポルノを違法アップロードした人物が逮捕された。映像は少なくとも数十個にのぼる。
現在、この人物とジョンベネ殺害事件になんらかの関わりがある可能性が指摘されている。


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