サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

タグ:虐殺

359:本当にあった怖い名無し:2006/04/15(土) 23:53:19 
ロシアにはOMOHという秘密警察のような部隊がある。
(西側でいう海兵隊の特種部隊的な物)
しかし、この部隊は、行き過ぎた行動をするのでモスクワの政治家からも好かれていなかった。
その行き過ぎた行動の一つに、こんな話がある。

あるイスラム過激派の武装集団が
ロシア人を人質に取りモスクワに身代金を要求すると言うテロ事件が発生した。
モスクワの政治家達は、テロに屈せず軍を動かすか、
身代金を払うかで慎重に会議を重ねて行った。
しかし一方でOMOHが独自に動き、テロリストの身元を洗っていった。
そしてある行動に出る。。。

彼らはテロリストの立て籠もる場所を突き止め、ある荷物を届けた。
中身は爆弾などではない。。。
テロリスト達は中身を見て絶句したであろう。。。

中にはテロリストの妻や子供達が、バラバラの姿で詰め込まれていたのである。

結局、ロシアは人質を助ける事が出来ず、
人質ごと、戦車で街を砲撃するという暴挙に出ることになる。。。



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1436905422/

123 : 本当にあった怖い名無し:2015/08/09(日) 10:33:21.73 ID:LtDi+le50.net 
故郷は長崎市。

8月になるとテレビはどこも戦争と原爆だらけ。
ふと、母がチャンネルを変えた。
「お母さん、これ、生で見たけん、もうよか」

誰の戦争体験よりも重い一言だった。



https://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1535920044/-100

55 :本当にあった怖い名無し:2018/09/17(月) 18:22:48.57 ID:1C2PCRN40.net
石じじい関連です。

第三次世界大戦といえば、日本の特撮映画「世界大戦争」(1961)でしょう。
当時は世界規模の全面核戦争の危機が現実味を帯びていたので笑い事ではない映画でした。
まさに火の海という・・・
フランキー堺一家の絶望的な最後の晩餐は見ていると窒息しそうな緊迫感があります。



「戦前の日本軍が朝鮮北部の工場で原子爆弾を開発していた」という与太話があるのですが
その場所が興南という海に面した町です。
じじいは、その町を何度か訪れたことがあるといっていました。

窒素肥料や火薬、亜鉛などを生産する工場が稼働し2万人以上の人が住む大都市だったそうです。
必要なものが全て揃い、暖房も行き届いていて
映画館や各種娯楽場もある夢のような場所だったとか。

この街は、日本窒素肥料株式会社によって開発されました。
水俣病の公害で有名な会社(系列)ですね。


http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1440824523/

852 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 15:04:45.76 ID:umIms6z+0.net 
福岡のA山っていう話なんだが、この話の原因らしきものに心当たりがある。
需要あるなら投下するけどどうですか?

 
854 : アイカゴ:2015/09/23(水) 15:05:44.51 ID:Z3W5yQC90.net 
おねがいしまーす





857 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 15:07:36.18 ID:umIms6z+0.net 
ありがとう。じゃあはじめるね。
慣れてないからちょっと読みにくかったらいってくれ。

この山、もう名前出されてるからいいとおもうけど、福岡の油山だとおもう。
登山の状況見る限り間違いないかと。
で、僕がここにこれを書こうと思ったのは、
おそらくこれが原因なんじゃないかということに心当たりがあったからなんだ


859 :本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 15:09:21.44 ID:umIms6z+0.net 
自分は、この山の近くの大学で、法学部にいってた。
研究対象がGHQ統治下の日本についてだった。
そこで目についたのが、この山でおきたある事件のこと。
一般的には「油山事件」とよばれてるんだ。


862 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 15:11:10.95 ID:umIms6z+0.net 
どんな事件かというと、当時敗戦間際でね。
「国民抗戦必携」っていう冊子があった。
これは空手だったり、クワや包丁でどうやって米兵と戦うかっていう冊子なんだけど、
この効果を実際にためすために、米兵の捕虜を油山で虐殺したっていう事件なんだ


865 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 15:12:36.56 ID:umIms6z+0.net 
実際に慰霊碑がのこっていて、裁判記録もあるんだが、
僕がとても気になったのは、この「福岡のA山」の話で、なんかおかしくなったA君が
「なにかよくわからないことを早口でしゃべりだした」ってとこ。
これ、英語じゃないか?


868 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 15:15:00.04 ID:umIms6z+0.net 
大学の時、なんどかこの山に登ったことがあるんだが、
登山道中腹には戦後に作られた慰霊碑もある。
碑文がないから、なにがおきたのかは知らない人にはわからないだろうけれど。

中腹の寺の参道から登山道につながっているんだが、
そこのわかりにくい横道を行った先には、
終戦時に軍人たちがまとめて腹を切った慰霊碑もある


873 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 15:19:07.83 ID:umIms6z+0.net
実際にはなんかの格闘本にちかいよw

ここの山の中腹のラブホテルなんかでも、いろいろ噂がある。
たぶん、この話をみるに、Aは特に他の人間になにをするでもなく、
「先頭にたって山をおりようとしてた」

この場所からなんとか逃れたいっていうのが、
そういう米兵の残留思念?みたいなのにシンクロしたんじゃないか
っていうのが、ちょっと心あたりあったところ。


875 : 本当にあった怖い名無し:2015/09/23(水) 15:19:58.95 ID:umIms6z+0.net 
少しスレ違いだったかなとおもうけど、ごめんねw
これで話は終わりです。



【閲覧注意】

【被害者たち】
・襲撃を受けた部隊は臨時特別機動隊であり、専門訓練を受けた機動隊ではなく支援部隊であった。
そのため武装も比較的軽装であり、ある意味非常に貧弱な装備しか持ち合わせておらず襲撃も150名ほどの想定しかしていなかった。

殉死した3人は下着のみの姿で発見され、半分が焼けただれた体で顔だけが異常に膨れ上がっていた。
遺体に加えられた残虐な損壊も甚だしく、ベテランの検視官すら「これが人間のすることか」と絶句したという。
死因は3人とも脳内出血と脳挫傷だったが、凄惨な暴行痕が残されていた。

小隊長の福島誠一警視(享年47歳)
・頭蓋骨亀裂骨折・脳内出血・肋骨17本の骨折(折れた骨は肺に突き刺さっていた)・顔、頭、胸部に28カ所の打撲傷。
柏村信治警部(享年35歳)
・火傷・頭蓋骨亀裂骨折・肋骨2本の骨折・頭部に複数の打撲傷・腕、背中にも打撲傷。
森井信行警部補(享年23歳)
・頭蓋底骨折・頭部に複数の打撲傷・顔、顎、胸、肩に火傷・左肩に打撲傷・左右の足に打撲傷。

これほど重大な事件であるにも関わらず、機動隊のフォローなしには現場検証すら難しく、捜査は難航する。警察官惨殺という殺人事件を起こした後でさえ、反対派及び中核派(極左暴力団)の抵抗・反撃・襲撃といった捜査妨害が続いていた。

とはいえ500人以上もの集団が秘密裏に集結・逃亡するためには、地元の地理に詳しい者の関与が必須であり、最終的には、空港反対同盟青年行動隊員らを中心に地元住民ら153人が連行逮捕55名が起訴となる。
逮捕者の連行に反対同盟は家族会を結成し、逮捕者に対する支援を開始。

しかし、以前の公務執行妨害やデモ集会時とは全く異なる事態に警察側の態度は硬化する。
それまでの逮捕者は、警察内でも同情的な意見もあり厳罰に処される事はなかったが、もはや殺人暴徒集団と同等に成り下がってしまった反対同盟(地元住民)らの責任は逃れようがなかった。


【変わる世論】
・当時は共産主義活動が活発であり学生運動に共感する者も多く、マスコミは反対派に同情的だった。
学生だけでなく反対派の子供までも「行動隊」と称して国家権力と戦うといった構図は、世論的にもわかりやすく、応援者も多かったと思われる。

しかし、この3人の警察官殺害を機にマスコミの態度は一変。
大っぴらに犯人捜しが行われ、世論も学生運動に冷ややかな眼差しを向けるようになった。

こんなエピソードがある。
都内の駅ターミナル内で、活動学生らが反対運動支援のカンパを呼びかけていた。
「学生側も危篤者二人。当局は巧みに報道管制をしいている」とのビラを撒くも「罪のない警官をなぜ殺した」と詰られ、殺人も許されると開き直る学生らとの諍いが、あちこちで勃発したという。

このような中、全共闘運動は急速に支持・勢力を失ってゆく。


【崩壊する反対派組織】
・警察官死亡のニュースは、反対派住民らの上にも大きな影を落とした。

反対同盟事務局長の北原鉱治は新聞記者の取材に対し「機動隊が前面に出てこのような代執行をしたことが、一切の事態の原因です」と断言。
「問答無用で死人が出るような状況を作っているのは権力側」であるとし、「警官三人が死んだ責任はあげて国側にある」と主張

しかし事の重大さがのしかかり、反対住民らは重苦しい雰囲気に包まれていた。
10月には青年行動隊の1人・三ノ宮文男が精神的苦痛を理由に自殺
他にも警察の捜査による逮捕者の続出や、法廷闘争の疲弊、加えて保釈金や裁判費用捻出など、代償はあまりにも大きすぎた。
生活すらままならなくなった住民達は、実力闘争離れから急速に離脱してゆく。

三ノ宮文男・・・事件時には「もうやめろ!」暴行を受ける警官の上に覆い被さってかばっていた。

しかし、この崩壊は新たな住民達の悲劇を生む。
闘争の実行役は地元反対同盟から新左翼活動家へと基軸が移り、巧みに闘争内容がすり替わってゆく。
闘争のため疲弊した農家を支援するとの名目で活動家らが地域に入り込み、活動家女性を嫁がせて親戚関係を作り上げるなど、いびつな力関係を強要し出す。
囲い込まれて活動家運動に巻き込まれた農家も少なくない

反対派から移行した農家には「脱落者」の烙印が押され、反省文を書かせられたり、暴力を振るわれる等の被害が相次いだ。


同年、同じような事件として朝霞自衛官殺害事件沖縄ゼネスト警察官殺害事件渋谷暴動事件といった警察や自衛官を狙った凶悪襲撃事件が相次いで起きる。

朝霞自衛官殺害事件
・陸上自衛隊朝霞駐屯地で警衛勤務中の自衛官が、新左翼党派によって殺害された事件。
犯人グループが「赤衛軍」を自称したことから「赤衛軍事件」とも。

沖縄ゼネスト警察官殺害事件
・沖縄返還協定に反対するデモ行進中、警備の警察官が殺害された公安・政治事件。
群衆内に過激派が紛れ込んでおり、山川松三警部(享年48歳)が殉死
棍棒等による殴打を受け、倒れたところを火炎瓶で攻撃され火だるまとなったが、 直後にデモ隊のなかから消火しようとする者が現れ、組合旗まで使って火を消し止めている
さらに警部はデモ隊の宣伝車で病院に搬送されたが、脳挫傷、クモ膜下出血で死亡した。

渋谷暴動事件
・渋谷で起きた暴動事件。27人の機動隊に対し、中核派150人が火炎瓶で襲撃
火だるまとなった隊員らは転げ回り、同僚が消化器で消し止めている。
逃げ遅れた21歳の巡査が囲まれて鉄パイプで殴打され失神
「殺せ!」と叫ぶ学生らは巡査にガソリンをかけ、次々と投げつけられた火炎瓶の火柱の高さは5メートルに達した。焼死者1名、重傷者3名

事件後も、活動学生の主張は「弾圧に対する労働者、農民側からの階級的復讐」であり、「アメリカはベトナム人民を殺し続けているが、佐藤(首相)はこれに協力している。だから、われわれ人民にも佐藤を殺す権利がある」(当時はベトナム戦争時下)、「権力のイヌは殺されても当然だ」と嘯き続けた。

一方、機動隊・警官隊側もやはり人間であり、復讐や怒りに身を任せて過激な弾圧に出る者も決して少なくはなかった。
そもそも活動学生は労働者でも農民でもない。社会経験すらないただの学生の鬱屈を思想にすり替えた「甘え」に近く、都合良く矛盾から目をそらし犯罪(殺人)を声高に叫ぶ集団に怒りを感じたとしても非難することはできないだろう。


暴力は暴力を生む。
そのループはどこかで断ち切らない以上、延々と続く。

1993年、日本社会党の伊藤茂運輸大臣が殉職警官の顕彰碑に献花した際、「社会党が反対運動に火を付けたから警察官が死ぬ事件が起きた」と、反対派住民らから冷ややかな声が囁かれた。

2007年、かつて逮捕された元青年行動隊員が殉職した3警官の顕彰碑に献花。
「婚約者がいた警察官や子持ちの人もいた。当時は相手の立場まで想像できなかったが、今なら残された家族の気持ちにまで思いが及ぶ」と語っている。

【閲覧注意】

【事件前夜】
・この事件が発生したのは、第二次行政代執行時。
当然、その前には第一次行政代執行が行われている。

1971年1月、空港公団は土地の買収にあたり損失補償金の支払いを開始したものの、地権者は受け取りを拒否。受け取り期限を過ぎたため、当時の県知事は法律に基づき再期限を設け、応じない場合は2~3月に代執行(第一次行政執行)を行うと通達。

第一次行政執行では、反対同盟はバリケードを組み、地面に掘った穴に立てこもることで代執行を阻止。
この時、反対運動に加わらなかった周辺地域住民らにも対し、反対同盟はビラや宣伝カーなどで抗議活動をアピール。結果として多くの野次馬や親戚・友人らが集まったため、機動隊の投入は行われず事態は膠着する。

2月24日。反対同盟の少年行動隊が代執行実施班に体当たりし、ガードマンが応戦した際に警棒を用いたため負傷したとして入院する騒ぎが起きる。野次馬の中には活動支援学生らが紛れ込んでおり、人々を扇動したため投石などの暴行傷害が発生
知事は代執行を停止する。

再開後も同じような妨害工作が為されたが、3度目の代執行時には機動隊による検問を設けたため事態は逆転する。

しかし、度重なる妨害工作に苛立ったのだろうか。日当で雇われた公団臨時職員らは、体を括り付けた農民ごと木を引き抜き、次々と非情な態度でバリケード等を破壊
「壊し屋」と称された公団臨時職員らは、木の上の農民を振り落とす際には網を張ってはいたが、あまりの混乱に直接地面に落下、骨折するなどの負傷者が続出、逆に機動隊員が制止する場面もあった。

暴動は13日間続き、述べ動員数は反対派が約2万人。
機動隊は約3万人で、機動隊・空港関係者・県職員・作業員らの負傷者は1071人
(火炎瓶などの攻撃で重傷を負った者含む)
一方反対派の負傷者は606人にすぎず、逮捕者は461名に留まった。
 


【事件の発生】
・第二次行政代執行の開始は9月。
千葉県警察機動隊・警視庁機動隊、関東管区機動隊など、総勢5300人の警備部隊が動員された。
一坪共有地には日本社会党議員等の一坪地主が座り込み、敷地内には再び立てこもり小屋が設置されていたほか、事件前日の15日には中核派などの過激派2000人が現地入りしており、「権力の手先である機動隊を殲滅、北総地帯を解放区とする」と強く宣言していた。
また、過激派の間では「警察は権力の手先であり、すきあらば殺せ」が合言葉となっていた。

16日。代執行開始直後から「ゲリラ部隊」が警備部隊を次々と襲撃
空港予定地北西側で爆発物や襲撃暴行が発生したため、東峰方面の警備がやや手薄になる。これが惨劇の元となった。

当時、東峰十字路を警備していたのは神奈川警察の堀田大隊261人
3つの中隊に分かれ、各自の担当の警備に向う。
反対派の地元青年行動隊及び学生からなるゲリラ集団は火炎瓶・竹槍などで武装し東峰地区へ。
東峰十字路に機動隊が入り込んだとの情報に、ゲリラ集団は2隊に分かれて攻撃を開始する。

やがて、東峰十字路付近にて両者が激突。
第3中隊の第2小隊の小型輸送車が火炎瓶攻撃により炎上、部隊は分断されたまま700名を超すゲリラ集団に襲撃を受けた。
連絡を受け救援部隊が向かったが、それらもまた各自襲撃を受け、指揮系統は大混乱となり部隊は総崩れとなった。

パトカー・輸送車等の車両は炎上し、この部隊だけで80名の負傷者が続出。全身火傷失明骨折全ての歯を折られた者100針以上縫う大怪我を負った者もいる。

東峰十字路北部に展開していた第1中隊第1小隊(福島小隊)は、完全に孤立し、200名を超すゲリラ部隊に包囲されたまま、火炎瓶・角材・丸太・投石で執拗な攻撃を受け、重傷者20名、殉死者3名を出す最も悲惨な結果となった。


直接火炎瓶を投げつけられ火だるまになりのたうちまわる隊員らを、襲撃集団は数人がかりで竹槍や釘を打ち込んだ角材で殴打。動けなくなった隊員は衣服を剥ぎ取られ、装備を奪われた状態で滅多打ちにされた。
「殺せ」「ヤッちまえ」との叫ぶ声の証言もあり、ずたずたにされた隊員らは裸にされて土下座させられている。
付近の住宅には居住者がいたが関わり合いを恐れており、機動隊員らもあえて無関係の第三者に助けを求めることはなかった

死亡した福島警視は、火炎瓶を受けて火だるまになり、転げ回っていたところを集団で襲われ、手錠をかけられて鉄パイプ等で滅多打ちにされている。
他の2人も倒されたところを同様に滅多打ちにされて虐殺された。

生存者の証言には、襲撃された警察官は後で「証言できないように」顎や顔を集中攻撃され、倒れた隊員には濃硫酸をかけてわざわざ火炎瓶で放火していたとの目撃談がある。
また、成田赤十字病院の院長は、防弾チョッキの上からでも骨折するよう、かなり強固な武器で殴られていたと証言。

ようやく救援部隊が到着した時には、血塗れでうめく隊員達を残しゲリラ集団は逃亡していた。
(衣服を剥ぎ取るなど)武装解除された者が36名、他に30名がゲリラ集団に拉致されていたが、同日中に全員が機動隊によって救助されている。

現場検証の場も凄まじかった。
たたき割られたヘルメットや、引きちぎられた血塗れの衣服、血痕のついた竹槍が多数見つかり、付近の道や草叢までもがベットリと血がついていたという。
通常火炎瓶はコーラやビール瓶が使用されるが、この場では数百もの一升瓶の破裂跡があった。
火力の威力は、数十メートルの火柱に相当
また火炎瓶には農薬が使用されており、盾で防いでもガソリンが飛び散り、必ず引火するように改良されていた。

あまりに凄惨なこの襲撃には仲間である反対派からも非難の声があがり、後日マスコミを通じて地元住民や目撃者達もやりすぎだったと証言

ショッキングすぎる証言や映像に人々は驚愕し、思想や対立とは関係なしに残虐な犯罪集団が暴走し始めている事にようやく気づきはじめた。


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【閲覧注意】

【事件の終焉】
2月1日
・山本・大槻の遺体を埋めるため車で移動中の坂口らが、大勢の警官と指名手配のポスターに警戒、遺体を車に乗せたままベースに戻り報告する。

しかし森は坂口を信用せず、翌日坂東に様子を見に行かせることを決定。

森は金子が総括しない時には「子供を取り出す」必要があり、いざとなれば自分が取り出すと話しだす。永田も手伝うと言い、子供の父親である吉野は「拒絶はできない」ためやるしかないと決意

子供を組織の子として育てるという森に、永田は母体である金子を小屋に入れ食事させることを提起し、坂口の同意を得て彼女を屋内に移動させる。
小屋内でも金子への批判・追及は続いたが、永田は女性陣に金子の体をきれいに拭かせて新しい服を着せてから再び縛った。

この頃は森と山田の対立が深まっていた。
執拗な過去の追及に山田はCC(中央委員会)からの辞任を表明するが、批判と総括要求は続く。

2月2日
・森から青砥に婦人科の医学書購入の指示あり。
あまりにも非常識な指示に呆れ結局青砥は従わなかったが、森は本気だったのか何度か同じ指示を繰り返している。

山田の総括が不完全であるとして食事の禁止が決定
森は屋外に雪で台を作らせ、その上に山田を正座させた。
この時思わず植垣が「またか」とつぶやくと、隣にいた青砥も「いやだなあ」と答えている。

正座は一日中続いたが、夜も「総括できていない」として屋内で正座が続く。
森は山田の総括は「0.1パーセントの可能性」でしかないとし(つまり不可能)、監視付きで一日一杯の水のみで重労働の薪拾いをさせることを決定。

2月3日
・早朝、山本と大槻の遺体を埋めたメンバーが帰還し、森・永田・坂口の指名手配ポスターが多く張られていることを報告。

金子は永田にトイレを訴え、永田は森に進言したが森は無視。繰り返し永田が訴えると、ようやく認めたものの間に合わなかった。
下着を替え再び柱に縛ろうとするが衰弱した金子は立つ事ができず、永田は森に金子を横に寝かせることを進言。森は金子が刃向かう可能性があるとして寝かせて縛った。

この夜、就寝前に永田は吉野に金子へ牛乳(ミルク)を与えるよう指示を与えている。
金子本人は既に正気を失いつつあったが、吉野は気づかなかった。
メンバーの傍らで奇妙な発言を繰り返す妻に焦った夫は、森の視線を気にして牛乳を与えることを失念してしまった。
動揺を隠し冷静な振りをして就寝した吉野は、翌朝、妻の餓死死体を発見することになる。

一方、空腹のまま薪拾いを行っていた山田は不慣れなため良い成果を出す事ができなかった。
再び山田は逆エビ型に縛られ、そのまま追及と暴行が始まった。

2月4日
・早朝に金子みちよの死亡が確認される。
11人目の被害者

⁂事件発覚後、掘り起こされた金子の遺体には妊娠8ヶ月で身長40.5cm、体重1630gの胎児がいた。
逮捕後、吉野は女の子だった事を聞き泣き出したという。

金子の死に、森は体内の子供を取り出す事を断念。
金子が自分の死を隠していたため不可能になったとし「子供の私物化と闘えなかった」、「子供の私物化を許したのはCCが躊躇したから」とCCへの自己批判を行った。
(あくまで自分の責任ではなく、委員会全体の責任とすり替えた)

この件は大きな波紋を呼んだようである。
永田は山田の総括について、食事の有無と総括は無関係であること、丸太敷きの床のうえに逆エビに縛るのは厳しすぎると主張。坂口らの同意を得て、山田に食事を与え柱に縛り直すことを決定。
金子の遺体はこの日のうちに吉野らによって埋葬された。

⁂思考が麻痺していた吉野は、妻の遺体を埋葬するにあたって初めて遺体は物ではなく「人」だと認識したらしい。穴に落とされた彼女は痛いだろうと感じ、腹部が地面に当たると「子供の悲鳴が聞こえたような気がした」という。

この日以降、森は永田とともにベースを離れ都内のアジトに潜伏
かつて下山メンバーが交通手段を決めずに行動していたことを激しく批判・追及していた森本人が、全くのノープランで下山したことに永田はひどく驚いた。
(その後も同じような事態を永田は何度も目撃する)

ようやくここで永田は森の大きな矛盾口先だけの言行不一致と自己保身責任逃れの現実逃避に気づくことになるが、引き返すにはもう遅かった。

2月5日
【迦葉ベース】
・榛名ベースを解体するため、数人のメンバーが榛名山に出発。

2月6日
【迦葉ベース】
殺された山本順一の妻、保子が脱走
子供は取り上げられており、夫も殺されたためたった1人での逃亡だった。(1972年3月出頭)

脱走に気づいた中村愛子が坂口に報告、坂口は保子が子供奪還のため警察を連れて来ることを警戒した。
総括中で縛られたままの山田に警察が来たらどうするか問い、手榴弾で自爆するという回答に何故銃で戦うといわないのかと反論。山田が銃を持って戦うと答えると、「総括は終了した」と宣言、縄をほどくが山田の手足は凍傷で動かなくなっていた

坂口は中村に金を渡し、山本夫妻の子供を連れて榛名に向かい、その後ベースメンバーに妙義山に移動するよう伝えるよう要請。坂口の言葉を受け、中村は乳児を連れて迦葉山を下山。榛名に向かう。

2月7日
【榛名ベース】
・小屋の解体を終えたメンバーは迦葉への移動を開始していた。
移動手段にはバスが使われたが、服装や悪臭などから不審がられ、当初予定のバスを見送り停留所で次のバスを待つ。
この時、前沢虎義が突然走り出し脱走。(1972年3月出頭)
板東が同行していたが、人目を気にして追うことができなかった。

また、赤ちゃんを連れた中村はタクシーで榛名山に向かったが、その汚れた身なりと表情から親子心中を疑ったタクシー運転手が警察に通報保護された。
(中村は翌日友人に迎えに来てもらい、次の日には友人に山本夫妻の子供を預けて消息を絶つ。1972年3月出頭)

【迦葉ベース】
・坂口が森への報告のために下山、公衆電話から都内のアジトに連絡するも連絡がつかず。
坂口は必ず山田を助けるつもりでおり、いざとなれば森の殺害すら考えていた。

しかし突然の榛名メンバーの帰還に事態は混乱する。
妙義山への移動が伝わっていなかった上、前沢の脱走中村の失踪にメンバーは浮き足立ち、騒然とした状態のなかで坂口は山田の総括完了宣言ができず、坂口と青砥がレンタカーの調達中に再び山田は縛られてしまった

2月8日
【迦葉ベース】
・メンバーら妙義山へ出発。
ようやく森らと連絡が取れ、坂口は前沢と中村の脱走を伝え、自己判断で妙義山への移動開始、山田の縄を解いたと報告。
しかし、途中で強硬派の板東が電話を奪い取り、山田の自爆する発言は問題であると進言
山田への総括の必要性が森と板東との間で強調される。
これにより、坂口が森に感じ始めていた「戦闘意思が腰砕けになって」しまったという。

森は永田に坂口は「共産主義化をわかっていない」と批判、「坂口君はこれまで永田さんに庇護されてきた。今後はそれは許されない」と強く主張。
残念ながらこの段階で、事実を最も的確に把握していた坂口の行動は封じられてしまった。
坂口は山田の総括完了を宣言できず、山田の運命が決まってゆく。

実はこの日、たった1日違いでで榛名ベース跡地が警察に発見されている。

2月9~11日
・移動しながらベース候補地の探索。
ようやく妙義山に洞窟を見つけ、ベースとする。(妙義ベース)
坂口のリーダーシップは的確であったが、それ故に山田のケアにまで手が回らなかった。
縛られたまま寝袋に入れられて放置されていた山田の衰弱は激しく、体を必死にねじって雪を食べようとしていたという。青砥はその様子に山田が脱水症状になっているのではないかと感じていた。

2月12日
・12人目の最後の被害者、山田の死亡が確認される。

坂口が森に電話で死亡を報告。その様子が悲しそうだったと、森は永田相手に坂口批判を開始。永田は坂口を擁護したものの、それも批判の対象になった。

勢いあまったのだろうか、森は自分の妻にも問題があるため森と永田が結婚するのが「正しい」道だと宣言。永田は了承し、翌日坂口にその旨伝えることを告げると、今度は森が躊躇ったという。

2月13日
【都内】
・坂口上京。
森は山田の縄をほどいた事で坂口を批判
山田の遺体はまだ埋葬されておらず、森はすぐに埋めるよう坂口に要請。
坂口は山田の最後の言葉「総括しろだって?ちくしょう!」を森に伝え、暗に賛同していないことを示したが、森本人に伝わったかどうかは不明。
永田、森が好きになったので離婚したい旨を坂口に告げる。坂口はしばらく無言の後、頷く。

2月14日
【都内】
・森の不在時に、永田は本当は坂口が好きだと伝えるが、坂口は取り合わず。
森の帰宅後、離婚に向けて相談と称して2人は喫茶店で総括について話し合う。永田は必要なことだと諭すが、坂口は「総括が何だか分からなくなった」と回答。

2月15日
【都内】
・榛名ベース跡地発見の記事を新聞で知った森と永田が妙義山へ移動開始。

【妙義山ベース】
坂口・板東による総括会議。(坂口は14日のうちに帰還)
坂口が山田の縄をほどいた件で自己批判の後、「私を批判して欲しい」と言うも誰も発言せず
各自の総括を順番で行うが、途中で居眠りはじめた者もおり、「もうやめた」と植垣が発言。全員で眠ってしまった。
深夜、坂口ら数人で山田の遺体を妙義山中に埋葬。

2月16日
【妙義山ベース】
・坂口らはラジオで榛名ベース跡地が発見されたことを知り、移動を決定。
少人数の方が怪しまれないため、合流地点で再集結することにして、先発隊の車が出発。
坂口も森達2人に電話連絡するため一緒に同乗。
(2人は妙義山へ移動中だったが連絡がなかったため坂口は知らなかった)

途中、検問に引っかかり警官の職務質問を受けるが、坂口は顔の割れていない杉崎ミサ子と奥沢修一に時間稼ぎを命じ、板東ともに逃走
杉崎と奥沢は9時間車に籠城し、その間に坂口らは一旦妙義山ベースに戻り、残っていたメンバーと一緒に再び長野方面へと移動。

⁂警官達は森と永田の2人組をメインに探しており、「不審なアベックを見ませんでしたか?」との問いにまさか坂口は森と永田のことだとは夢にも思わなかったらしい。

【妙義山中】
・妙義山ベースへ移動中の永田と森が、山狩り中の警官に職務質問を受ける。
が、身綺麗で手配中の山岳組とは雰囲気が異なっていたため、うまくすり抜けることに成功。
ベースへ戻る方法で永田と森で意見が食い違う。永田は最短距離でベースに向かおうとするが、森は山狩りを警戒して迂回ルートをたどる事を主張。
結局は森の主張通り迂回ルートを通ったため、翌日先回りされて逮捕される結果を招く。

2月17日
【榛名ベース】
・森と永田が無人のベースに帰還。
山狩りの警察官達に包囲された事を知った2人は「殲滅戦」を覚悟。
森は「もう生きてみんなには会えないな」とつぶやいたが、それは「敗北主義以外のなにものでもなかった」と永田は後に回想

警察官に発見された2人は格闘の末、あっさりと逮捕。「殲滅戦」で彼らは傷1つ負わなかった。

【逃亡中のメンバー・場所不明】
・2人の逮捕はラジオで速報で流れ、坂口達は驚くが奪還に向けて決意を表明。

2月19日
・坂口らは山中で道に迷い、何とか軽井沢にたどり着く。
着の身着のままで逃げてきた彼らはまず食料を確保しようとして、通報され4名が逮捕された。
(植垣、青砥、伊藤和子、寺林真喜江)

この逮捕もまたラジオで速報として流れ、残った坂口、坂東、吉野、加藤兄弟の2人があさま山荘事件を引き起こす。

あさま山荘事件・・・追い詰められた連合赤軍メンバーが保養所の管理人の妻を人質に立て籠もった事件。警官隊・機動隊に囲まれた長期にわたる籠城にも関わらず一切の要求もなく、人々に不気味な印象を与えた。連合赤軍メンバーの親族らも集まり説得を行ったが、その中には処刑された寺岡の親族もおり、籠城したメンバーらは無言でそれらを聞いていたという。

2月28日
・長時間の籠城により人質の安否が気遣われ、ついに機動隊が山荘に突入。
抵抗したものの5人は逮捕。
これで脱走者を除く生存メンバーは全員逮捕となったが、この時点ではまだ死者(総括リンチ被害者)の存在は判明していなかった。

しかし、まもなく迦葉ベースが発見されると、大量殺人の証拠が浮上する。
次々と発見される無残な総括遺体の様子は連日報道され、そこで初めて我が子の暴行死を知った親も少なくない。

また報道を受け、逃亡中の4人(岩田平治、山本保子、中村愛子、前沢虎義)も翌3月中に全員が自首・出頭。事件は終結した。

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【閲覧注意】

【混乱するメンバー達】
1月25日
・迦葉ベースにて、新しい地獄が始まる。
車をぬかるみにはめたとして山本が批判され、しかし免許のない者に車の仕組みが理解できるはずもなく山本は批判を認めなかった。
あくまで「自分は革命の手伝いに来た」のであり、CCの決定には従うがそれだけだという山本は正座の罰を受け「山に来るべきでなかった」と涙を流す。
山本夫妻の子供は別のベースに隔離されていた

榛名では大槻が「なんで総括をされているかわからない」と泣いており、永田本人も理由がわからないまま森に従い続けていた。
相変わらず森は懐中電灯の電池を金子が隠し持っていると主張、永田に荷物を調べさせるが見つからず。
さらに妊娠中の金子は出産に備えてこっそりタオル類を隠しているに違いないと主張、調べさせるが見つからず。

森は次に、金子は永田に反発し男を利用しているとしたが肝心の永田がそうは思えないと反論
しかし森は持論を撤回せず。
印旛沼事件で殺害した向山と大槻がかつて恋人関係にあった事を持ち出し、厳しく追及・批判
金子と大槻を縛る事を永田に提起。

永田は無言のままだったが、妊婦の金子はタンスに寄りかかれるように縛り、食事も与えるといった内容にようやく同意する。
が、縛られた後は2人ともトイレにも行けず放置されることとなった。

1月26日
【迦葉ベース】
・森の指示で山本の総括が決定追及・暴行の後に逆エビ型に縛る
坂口は榛名で大槻と金子が総括のため縛られていることを報告。植垣は大槻に恋心を抱いており、その関係についての追及も行われた。植垣は追及終了後も大槻が縛られているのならと正座を続ける。

【榛名ベース】
総括されている者の態度ではないとの理由で、金子が柱に縛り付けられる。
森は前日の発言を翻し、当面食事を与えないと決定
出産を控えた普通の主婦的な態度で甘えている、妊娠を言い訳にしているというのが問題であり、生まれる子は個人の所有物ではなく我々全体のものでなければならない、と語る。

永田はこっそり大槻に食事を与えたが、その後は食事を与えることが禁じられた。

1月27日
【榛名ベース】
・山本総括の報告を聞いた森は、ベース小屋の完成前であるにも関わらず別の場所への移動を提起。
森・永田連名で坂口へメモを伝えたが、実際は永田は全く関与していない
別行動をとっていた奥沢と山田孝が風呂に入った事を知り、森と永田は山田への批判・総括要求を決定。(奥沢は迦葉へ主発した後であり、その後も奥沢への批判追及は行われなかった)
さらに森は金子がお腹の子供を私物化しているため、子供を(体内から)取り出すことを考えなければならないと永田に語る。

1月28日
【榛名ベース】
・森は坂口らに金子逃亡の危険性ありとして髪を切る事を指示。妊婦への暴行が始まった。

さすがに永田は殴るのを躊躇していたが、森は金子に「永田さんが憎いだろう?」と尋ね、はいと答えさせると、「組織の女ボスになろうと思っても無駄よ」と針金で殴らせた。
入山を後悔していた金子は、森に脅されながらも山本夫妻の子供と一緒に榛名ベースへと移動する。

1人残された青砥は自殺・逃走を考え、警官隊のガサ入れが来ないかとさえ期待していたという。
(山田孝と合流後、迦葉へ向かう)

【迦葉ベース】
・奥沢の落とした運転免許証が近隣の者に発見され、警察に情報が漏れるのではないかと騒然となる。
吉野は、例え相手が一般人でも殲滅戦を行うべきだと決意。

1月29日
【迦葉ベース】
・森らが合流。吉野の「殲滅戦計画」を受けた森は、一般民間人を巻き込む事について吉野を批判・追及。吉野は釈明した。
ベース小屋はまだ半完成だったがテントを引き払い小屋内へ移動。
大槻、金子、山本の3人は床下に縛られた

山本はCCの矛盾点を挙げ、論理の破綻を指摘したが、森は相手にせず。
舌を噛み切り自殺しようとし猿轡をさせられた。(山本は抗議のため水すら飲むことを拒否
妻である保子は夫の胸に顔を埋め、泣きながら「総括して」と繰り返した。

1月30日
【迦葉ベース】
・夜中のうちに山本が死亡。(9人目の被害者
森は「敗北死」であると断定した。

また大槻がベース移動後は真面目に総括に取り込んでいないとして批判対象になったが、永田が無言を貫き、この時は大槻問題はスルーされた。
代わりに奥沢と山田が風呂に入ったことが問題視され、山田への総括要求が決定する。(山田本人不在

しかし後に会議では永田は突如大槻の攻撃側へと変化し、永田の言葉を受けるかたちで森は大槻への殴打を決定。
その後床下へ移動すると既に大槻節子は死亡しており、死因は殴打決定の声が聞こえた事による「ショック死」=「敗北死」であると森が断定。永田が全体へと報告する。(10人目の被害者

1月31日
【迦葉ベース】
・資金集めに奔走していた山田がベースに帰還。カンパ失敗を森に報告。
批判が始まったが、山田が反論すると今度は風呂問題を持ち出して追及、しかし批判のみで終了する。

面白くなかった森は、金子は夫・吉野から自分に乗り換えて権力を奪おうとしている「権利主義者」であると騒ぎ、批判攻撃しつつ、お腹の子供の様子を看護学生の中村愛子と医大生の青砥に診察させている。

【閲覧注意】

【処刑の開始】
1月17日
・寺岡恒一を含む山岳調査隊がベースに帰還。
森は板東國男に寺岡に逃亡の様子はなかったか問いただし、CC(中央委員会)で総括できなければ死刑も止むなしと決まったと告げるが、実際にはそのような合意は無かった

夜、CC会議にて寺岡の総括・追及開始
殴打のなか、森から自分が指導者になりたかったんだろうとの言葉が飛び出した。
寺岡は森にリーダーの器ではない旨を発言、殴れと言ったが、森は「寺岡の指示で殴る」事を拒否。

1月18日
・早朝、睡眠中の全員が起こされ永田による寺岡の過去の問題点が追及される。
被指導部メンバーに決定権はないため全員無言だっだが、追及が始まると全員が参加し暴行開始

初めから総括=死を覚悟していた寺岡は、逆に森を挑発して煽り続けた
逃亡の意思を聞かれそのつもりだったと答え、組織を乗っ取りどうするつもりだったかと聞かれ金と女に囲まれた生活をすると答えた。
女について聞かれた寺岡は永田以外の女性のメンバー名を挙げ、永田が「私は」と聞くと「あんたは関係ない」ときっぱりと断言。

追及の中で、ついに森はナイフを取り出す。
寺岡の足を刺し、永田とともに権力との癒着があるだろうと責めた。
強く否定した寺岡に、森は「反革命」の烙印を押し、「死刑」を宣告。異議を唱える事のできる者はいなかった。

森は縛られ取り押さえられた寺岡の胸をアイスピックで刺すが、寺岡は死ななかった。
他のメンバー達も首・胸・心臓めがけて刺すが、それでも絶命しなかった。
数人がかりでタオルで首を絞め、ようやく寺岡は息絶える。

さすがの森も寺岡の死を「敗北死」とは言えなかったらしい。処刑は「テロリズムとの闘い」であったとして寺岡を刺した者を多いに評価するとしたが、他者からは同意も反対もなかった。
その後森は処刑を「分派主義との闘争」と言い換え、会議では永田が森のメモを読み上げ、総括の一環と位置づけている。

気まずかったのか、森は山本順一がスターリン主義について触れたこと処刑時の大槻節子の態度にも問題があると言い出し、矛先を他者に向けようとする。
なかでも山崎順は寺岡処刑に消極的だったとしてターゲットとなり、森は総括要求に踏み切った。

この日、名古屋で活動中の岩田充男が伊藤和子に逃亡を宣言。そのまま立ち去った。
伊藤は自分が試されているのではと訝しみ、その後ベースに帰還。

1月19日
・伊藤がベースに到着。
山崎が岩田不在に気づき「逃げたな」と言うと、森は自分が常に逃亡を考えているからそう考えるのだと責め立てた。が、実際に岩田逃亡の報告を受けた森は驚き、脱走者がでたことで逮捕されれば自分は死刑になると焦ったらしい。

だが岩田も殺人罪に関与しているため自首はしないだろうと考え直し、ベースの移動を提案。
永田は森の「敗北死」理論を信じ切っており自分が罪を犯したとは思っておらず、森の様子を見て逆に不思議に思ったという。

最もこの頃は都会部で活動していた女性メンバーの逮捕がラジオで山岳組にも伝わっており、彼女もかつて別の山岳組のベースにいたことがあること、また殺害された進藤隆三郎の恋人でもあったことからもベースの移動が論じられていた。(この時点でまだ女性は進藤の死を知らない

ベース移動に関し、森は山崎を連れて行けないとして処刑を示唆
移動のための処刑はあまりにも安易すぎるとして、永田は一芝居を提案。髪を切られ縛られた山崎に、死刑を宣告しその様子次第で今後を決めるというニセ死刑である。

森が山崎に死刑宣告を伝え数人でナイフを突きつけたが、坂口は力を抜いて暗に芝居であることを山崎に知らせていた。自分は死んで当然と答えた山崎に、森はこの日は満足する。

1月20日
・山崎の様子に深刻さが無くなったとして再び森が批判開始、アイスピックを使った総括を要求
寺岡の処刑時に「刺さなかった奴がいる」と言い出した森の言葉を受け、坂口が名乗り出た。

追及された山崎は、青砥に優しい言葉をかけられた時「逃がしてくれる」と思ったと発言。
慌てた青砥は山崎に殴りかかり、坂口が山崎の足にアイスピックを刺した。
森は山崎に他メンバーの批評を要求。他メンバーにも山崎への憎悪を煽ろうとしたと思われるが、逮捕された生き残りのメンバーの多くが「実に的確に言い当てていた」と証言。

森による暴行開始。他の者も参加した。
森主導の追及により、かつて山崎は警察に逃げ込もうとしたと話し、死刑宣告を受ける。

森、山崎の胸をアイスピックで刺すが絶命せず。
植垣と青砥がナイフで刺し、数人がかりで首をロープで締めて絞殺
8人目の被害者
森は山崎がそれまでの被害者達を「殺された」と解釈「人の弱みにつけ込んだ権力闘争」を行なっていた事が悪いと総括批判

同日、森は懐中電灯の電池の紛失は金子が隠したからだと騒ぐ。(金子は否定
会議上でこの問題が取り上げられると森は無言を貫いたが、その後は金子みちよへの批判が相次ぐ。

森曰く「僕の方ばかり見ている」金子は内縁の夫の吉野から自分に乗り換えようとしており、男を利用価値のあるなしで見ていると主張。吉野本人に妻への批判要求を行わせ、吉野に「もう金子に足を引っ張られたくない」発言を引き出した。
以前から金子は永田に気に入られようと離婚希望をしていたが認められず、森の一言であっさりと吉野からの離婚表明となる。

この日、ベースに奥村修一が合流。

1月21~25日
・ベース移動時期。(榛名→迦葉山ベース)
この間も森は吉野及び金子への追及を緩めなかった。

23日ひっそりと山崎の遺体が埋められ、メンバーの一人・青砥は皆に気づかれないようこっそりと合掌したという。青砥もまた森から批判対象になっていた。

また冬の山岳地帯のため、24日には山本保子、25日には夫である山本順一の運転する車がぬかるみにはまるトラブルが続いて起き、森を苛つかせた。

【閲覧注意】【動物好き胸糞注意】

「検索してはいけない言葉」で知られる「ウクライナ21」だが、この映像に映っている少年3人らは実際に起きた連続猟奇殺人事件の犯人であることをご存じだろうか。

この動画は、少年3人らが男性を拷問し殺害する内容であるが、少年らは他にも女性や子供等を襲い、その様子をも映像として残していた。
実際はどうであれ、スナッフフィルムとして金を稼ぐつもりだったらしい。

画像動画の1シーン

しかし、ここに不可解な事実が存在する。
無計画で杜撰な殺人を繰り返した3人が逮捕されたのは、殺害を初めてからわずか1ヶ月。
その間の犠牲者は21人にものぼる。
(「ウクライナ21」の由来はここから来ている)
彼らの逮捕が2007年
映像の動画サイト流失は2008年
犯人らは収監・拘束されており、当然第三者の関与が考えられる。
そのため公式には本物映像かどうかは不明だという。

だが、映像の3人は間違いなく殺人犯であり、映像内で殺害された男性の遺体もまた発見されている事実を記載しておく。

*2010年チリのテレビ局が現地に赴き、被害者遺族や事件の生存者、少年親族らの聞き取りドキュメンタリー番組を制作した。結局真相は解明されなかったものの、この映像における世界的影響の大きさがうかがわれる。


【事件の概要】
この殺人人事件の国際的総称は「ドニプロペトロウシク・マニアックス」(Dnepropetrovsk maniacs)。
ウクライナのドニプロペトロウシク地方で起きた事件であるとともに、少年らもドニプロペトロウシクに在住していため。
直訳すれば「マニアックな人々」だが、ニュアンス的には社会病理的な意味合いを持つ症候群(シンドローム)に近い。地理的にも民族的にも複雑な歴史を持つウクライナは政治的にも当時様々な問題を抱えていた。

*チェルノブイリ原発事故が起きたのもウクライナ国内。20を超える州と1つの自治国家2つの都市からなる複合国家。様々な民族・社会形態が混在する。ユダヤ人も多い上、極端な例としては古来から朝鮮系民族も居住。

犯人の名はビクトル・サエンコ、アレクサンドル・ハンザ、及びイゴール・シュプルンヤク。
ともに同級生で19歳。
3人はそれぞれ弁護士や検察といった権力側の裕福な家庭に育ち、殺害のターゲットになったのは経済的にも社会的にも弱い立場の者達ばかりだった。(狙われた子供達は全て年下)

Dnepropetrovsk_Maniacs
左からイゴール、アレクサンドル、ビクトル

後述するが、ビクトルの父親は弁護士で息子の弁護を務め、冤罪や無罪を強く求めていた。
警察側は詳細を公表していなかったものの、怒った地元民との軋轢等で裁判は泥仕合的な展開とつながってゆく。
(映像のネット流失は裁判の最中)

第1の殺人
2007年6月25日夜。
地元に住む33歳の女性キャティヤ・イリチェンコが友人宅から帰宅途中に襲われ殺害される。
帰宅しない彼女を心配した母親が、明け方に頭部が潰された彼女の遺体を発見した。
実行犯はビクトルとイゴール。
2人で彼女の頭部を四方からハンマー(金槌)で滅多打ちにしていた。

第2の殺人
・被害者はやはり地元にすむ男性ロマン・タダレヴィッチ。
キャティヤ殺害直後に襲われたと思われる。
彼女の殺害現場から近い場所のベンチで遺体となって発見された。
寝ているところを襲撃されたらしく、彼の頭部もまた原型をとどめていなかった。

実は詳細が判明(公表)されているのはこの2件のみ。
あまりにも凄惨かつ遺体損壊が酷い事件のため警察は詳細公表を控えたらしい。
だが、地元を中心に噂は急速に広まってゆく。

・7月1日
ユージン・グリシェンコの遺体が路上で発見される。
同日、ニコラス・サチェクの遺体もまた近くで発見された。
(この時盗まれた被害者の携帯電話の転売が、後に大きな役割を果たす)

・7月6日
イゴール・ネクヴォロダ、エレナ・シュラム、バレンティーナ・ハンザの遺体が発見される。バレンティーナは3児の母だった。

犯人らの手口はほぼ同じで被害者を鈍器で殴り倒し、動けなくなったところを執拗にナイフや鈍器で執拗に攻撃。主に顔や頭部を破壊し、内蔵や体の一部を切断している。
この頃からマスコミが騒ぎ始め、「ドニプロペトロウシクの狂人たち」に地元住民は震え上がった。

・7月7日
農村にすむ14歳の少年2人が襲撃を受ける。
アンドレイ・シダックとヴァデム・リャホフは、自転車で青い車の側を通り過ぎようとして、いきなり殴り倒された。シダックはそのまま意識を失ったが、リャホフは何とか自転車に跨がり逃げ出す事に成功。車は執拗にリャホフを追ったが、彼は何とか逃げ切った。

その後、友人を心配した彼が安全を確認しつつ現場に戻り、大量の血だまりの中に倒れているシダックを発見。かろうじて息のあることを確認したリャホフは必死に助けを求め、ようやく通りがかった車でシダックを病院に運んだが、結局友人は助からなかった。

一時的にではあるが、リャホフには友人殺害の嫌疑がかけられたらしい。だがすぐに疑いは晴れ一連の連続殺人の関与が判明する。
余程無念だったのだろう、リャホフは警察に全面的に協力し犯人らのスケッチを描いて提出する。
やがてこのスケッチが、犯人逮捕への大きな進展を生むことになった。

・7月12日
セルゲイ・ヤツェンコ48歳が失踪、殺害される。
4日後に発見された遺体には壮絶な暴行跡が残っていた。
この時撮影された動画が流失した映像となる。セルゲイの殺害動画は後に裁判で証拠として公開され、人々に大きなショックを与えた)

・7月14日
スクーターに乗っていたナタリア・ママルチェク45歳が2人の男に殴り倒され、ハンマーで撲殺された。現場は雑木林を抜ける道路であり地元住民が犯人を目撃、追跡したが犯人2人は逃亡。
また、近くにはわずか数メートルの距離でテントが張られており、複数の子供達が息を潜めて事件を目撃していた。彼らの証言はリャホフと一致し、警察はスケッチの配布に踏み切ることになる。

数人の被害者の所持品が盗まれていた事から、警察は地元の質屋に盗難リストとリャホフのスケッチを配布。すると意外な程あっさりと犯人の少年らの身元は判明する。
彼らは堂々と盗品を売りさばいていた。

・7月23日
ビクトル、アレクサンドル、イゴールが逮捕され、一連の異常連続殺人事件は収束する。

各被害者に接点は全くなく、ほとんどの犠牲者は酒に酔った者(女性含む)や子供、高齢のホームレスや見た目が弱そうな男性のみ。

多くの者が生きたまま手足を切断され、中には刃物で目玉をえぐり出された者もいる。
被害者の妊婦は、子宮を引き裂いて胎児が引きずり出されていた

性的被害を受けた被害者はおらず、陰湿な殺害方法残虐な破壊行為を繰り返す殺人犯に地元はパニックに陥ったと思われる。捜査は大々的に行われたが人々は疑心暗鬼に陥り、容疑者にあげられた人物は数千人に及ぶともいう。


【犯人たち】
・前述の通り少年らは全員が裕福な家庭で育った。
ビクトルとイゴールの父親は弁護士、アレクサンドルの父親は検察官である。
3人とも相当に甘やかされた環境で育った事は間違いなく、最も暴力傾向の強いイゴールの親は息子を溺愛し息子のためなら努力を惜しまなかった。

ビクトルの父親は息子の弁護を務めたことで地元でも話題となる。
ビクトルとアレクサンドルは幼なじみだった。

3人にはコンプレックスがあり、イゴールとビクトルは高所恐怖症虐めの暴力におびえていたという。
一方アレクサンドルは、血や火傷のような生々しい傷に恐怖を感じていたらしい。
このコンプレックスを克服すべく、イゴールは動物を使って殺戮や暴力、血の恐怖を乗り越えようと提案。弱い動物を虐待し、暴力と死の恐怖を乗り越えようと考えた、らしい。
しかし、映像に残る彼らの記録の被害動物や被害者らの傷は生々しく、ひどく血生臭い

動物虐待はエスカレートの一途をたどる。
生きたまま皮を剥ぎ内臓を引きずりだし笑顔で記念写真(勝利写真)を撮った。
ネット上には写真も流失しており、やはり頭部を破壊した写真が多い。

犠牲になるのはいつも犬や猫(子猫や子犬含む)・ウサギなどの小動物であり、首を吊って木に吊すなど、やはり抵抗できない状態にしてから拷問のような殺害を開始
中には生後間もないと思われる目の開いていない動物もおり、そういった血塗れの動物の横で得意気または満面の笑みでポーズを取る姿は、正直、理解に苦しむ。
彼らが何ら罪の意識なく虐待殺戮を楽しんでいたのは間違いない。


ビクトルとイゴール モザイクは惨殺された小動物
木に吊し、頭部の皮を剥いだ


棒状のものには赤いシミが付着


笑顔でハンマーを手にポーズをとる


らが17歳の時、イゴールが年下の子供を殴って自転車を強奪。
ビクトルはそれを知りつつその自転車を買い取ったことで2人は逮捕された。
しかし未成年のため刑務所には収監されていない。

学校卒業後、定職に就いたのはビクトルのみ。
アレクサンドルは職を転々とし、イゴールは無職だが陰でこっそり無免許タクシーを運行していた。
その車は両親が彼に買って与えたものである。

やがてイゴールはビクトルとアレクサンドルの協力を得て、タクシー強盗に手を染めるようになっていった。

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