サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

タグ:貧困

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71:名無しさん:2014/03/22(土)17:55:50 ID:cXQLQ1iEP 
こんにちは。シンガポールで軍隊で体験した話しをしたいとおもいます。
日本語があまりうまくないのでわかりずらいかもしれませんが。

まず徴兵はみんなプラウテコンという離れ島で三ヶ月基礎訓練します。
そのあとで部隊にランダムで配属(たとえば戦車、歩兵、artilleryとか)。
その離れ島での訓練は色々な怖い事がおきてきたけど
その中のひとつ。私の友達のの部隊の話し。

友達のプラトゥーンには一人弱い人がいた(すぐいじめられる)。その人はリーとします。
いじめとまではいかないがよく周りからからかわれてた。
だから、上官もそいつを集中的にねらった。

その上官は、あまり詳しく言えないけどシンガポールの偉い人の息子です。
凄い嫌なやつでとにかく理不尽だから皆嫌ってた
(例えば顔が気に食わないという理由で罰された)
そんで、ジャングル訓練という物があって、
本当に7日間風呂も歯も磨かないし、寝るにはtrench掘ってライフル構えながらねる。
その訓練は上官にとっては楽しい場所。
何故なら好き放題私新兵をいじめられるから。
やはりリーが狙われ、毎日何かと罰をうけた。
例えば、お前体臭くさいとか、メガネ取られて、夜、光のない中目標まで歩けとか。
そんなのできっこないから、出来なきゃ罰を受ける。

ジャングル訓練での罰は皆寝てる時に見張りをする。
リーは毎日狙われ、全く眠れなかった。
又、彼は弱いからすぐないて、それを見て上官と下士官達は大笑い。


72:名無しさん:2014/03/22(土)17:56:04 ID:cXQLQ1iEP 
シンガポールではとにかく金持ちが凄い権力もってる。
例えば、私が小学校の時に、
クラスに大臣の息子がいてマンチェスターユナイテッドがシンガポールに来た。
その時我々にとってマンチェスターは皆見たいけど平日だから見られない。
しかし大臣の息子が見にいけて、
おまけに新聞にまででっかくベッカムと記念撮影の写真があった。
我々は不満に思い、先生に怒った。
しかし先生は「大臣の息子だから君たちとは立場が違うんだ」と怒られた。

話しを戻します。
その三日目、河を渡る訓練だったんだけどここで事件が起きた。
簡単そうに見えるけど25kgのカバン、6kgのlbv、
さらに3.6kgのSAR21ライフルにヘルメット着けて渡るにはかなりの体力が必要。
ここでも、リーはできなかった。
上官は怒って腹を蹴り、ライフルで顔を殴った。
リーは倒れうずくまってた。
さらに上官はリーの顔を河の中に突っ込んだ。かなり長く。
リーはもがいたがしばらくして大人しくなった。

しばらくして上官は手をはなした。
しかしリーは顔をあげない。皆青ざめて彼を起こしたが息はしていない。
すぐさま救急隊をよんだけどかれは生きかえらなかった。


73:名無しさん:2014/03/22(土)17:57:02 ID:cXQLQ1iEP  
勿論訓練は中断、皆キャンプに戻って今日は家に帰すといった。
起こった事に恐怖してた皆は皆疲れてた。
しかし、これで帰れるという少しの嬉しさもあった。

しかし、帰る前、誰にも言わないという約束の紙にサインさせられ、
絶対にただの事故って言え、でなければお前らの家族ごと潰すと上官にいわれた。

リーの親には勿論事故で話し、上官はいかにも彼が悪いみたいな芝居でウソをした。
親は事故は起きるもんだからと悲しいけどしょうがないといって事は終わった。
その後、上官は何事もなかったかのように暮らした。

何が怖いかって百人以上も現場で目撃してたのに
誰一人証言する勇気のなさと親は息子の死に方をわからずに葬式した事と、
上官がその後、肺がんになるまで6年間何事もなかったかのように生きた事。

ながくて下手でごめんなさい。必死にかきました。
私が軍人だった頃も人が死に、幽霊もいっぱいいたから軍隊は怖かった。



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1427669698/

1011 : 本当にあった怖い名無し:2015/06/02(火) 02:36:32.03 ID:7GmcGFJI0.net
ドキュメンタリーだけど。
中国の話。ここ十年くらいの話のようだった。
NHKだったな。

番組は、村から十五歳くらいで出稼ぎに出る女の子の旅立ちから始まる。
村は質素な家に住む人ばかりで、その女の子も貧乏な家の暮らし。
お父さんとお姉さんは都市部に出稼ぎに出て、
家に残っているのはお母さんとお祖母ちゃんと女の子だけ。
出稼ぎに出て、お金を稼いだら
村の中心部にある土地を借りて(中国では土地の所有権がなく、使用権を買うことになるらしい)
家を建て、みんなで住むのが家族の夢。

一緒に村を出る少し年上の女の子と泣きながら村を後にする女の子。
いつか帰ってきて、家を建て、幸せに暮らすために、不安を胸に旅立つ少女。

都市部につくと、近代化された工場で毎日仕事をする日々。
同じく地方の村から出てきた同じような年齢の少女たちに混じり、仕事をする。
都市部の暮らしは、綺麗な寮があり、
週末は同じ年頃の女の子たちと出掛け、楽しみもあり、キラキラ輝いていた。
仕事は楽ではないが、お給料は良くて、お金を稼げることに喜ぶ少女。
カメラは一旦ここで止まる。
数年後、同じ街でお父さんとお姉さんと暮らしながら必死に働いている少女の姿があった。
働きが認められ、現場の中でもポストが与えられ、イキイキと仕事をする少女。
帰省するお金ももったいなく、出稼ぎの家族三人村にはほとんど帰っていないという。
それでも、働くことに喜びをもち、夢を叶えるために必死で働く少女の目は輝いていた。




1012 : 本当にあった怖い名無し:2015/06/02(火) 02:37:24.57 ID:7GmcGFJI0.net 
更に数年後、カメラが再び工場を訪ねると、少女は工場にはいないという。
工場の業態が変わり、少女の所属していた部署は閉鎖となったという。

スタッフが父親の元を訪ねると、父親も解雇され、次の仕事を探していた。
少女は工場を辞めたあと、男性と知り合い、その地元に帰って商いをしているという。
取材を申し込んだが、断られてしまい少女の姿を再び見ることはできなかった。

カメラは、少女の元ではなく、彼女が生まれ育った村に向かう。
そこで暮らしていたのは、数年前と変わらず土作りの質素な家で、
小さな畑を耕す母親と、寝たきりになってしまったお祖母ちゃんだった。
村の中心部の土地は、地価が上がってしまい、頑張って稼いだお金でもまだまだ足りないという。

数年前までは?元だったのに、、、、とため息をつく母親と、
寝たきりで寂しそうに、いつかまた家族で暮らしたいねぇ。
早くそんな日が来ないかねぇとつぶやくお祖母ちゃんで番組は締めくくられる。

頑張って頑張って、ただ一緒に暮らしたいと願っていた家族が、
バラバラになり顔を見ることも出来ずに暮らしていて、
その未来も見えないことにすごく後味の悪さを感じた。

お祖母ちゃんは家族とそのあと一度でも食卓を囲めたのだろうか、、、、


一連の流れの発端となったこの諸島の地主・所有権を持つ人物は、1970年代に正式にアメリカより返還をうけた。何度も石油関連企業や政治家から売却依頼を受けつつ、全て断っている

石原・地権関係者・地権関係者と30年来の友人である山東昭子参院議員の仲介により、半年にわたる三者の極秘交渉の末、「個人で所有するには限界がある」こと「政府に買い上げてもらいたいが、今の政府は信用できない」との結果を受け、東京都に諸島の所有権を売却することを決断。

2012年4月、当時の都知事石原慎太郎が東京都による尖閣諸島購入計画を発表。
「東京都尖閣諸島寄附金」を募集開始。
口座開設後、入金は増え続け、野田内閣により尖閣諸島が国有化された9月11日以降は鈍化したものの、翌2013年1月末の募集打ち切りまでに集まった資金は計約14億円。

「尖閣 国有化」の画像検索結果

これらの流れに中国政府は激しく反発

日本政府(野田内閣)は中国政府の反発を和らげ、「平穏かつ安定的な維持管理」の為に国有化を決定。
9月11日、日本政府は魚釣島、北小島、南小島の3島を購入し、日本国への所有権移転登記を完了。
購入費は平成24年度予算の予備費から支出。


この結果寄附金は宙に浮く形となったが、石原は関連施設の整備費用に充てることを条件に寄附金を国に譲渡することを表明、後任の都知事に就任した猪瀬もこれを踏襲。
その後返還を求める声もあがった。


【反日デモの再燃】

・2012年反日デモは最大規模のものとなり、デモ隊が暴徒化し大規模な破壊・略奪行為に発展してゆく。

「尖閣国有化 デ...」の画像検索結果

尖閣諸島の国有化に対し、中国のほとんどのテレビや新聞などの多くのメディアが異例とも言えるほど大々的に尖閣特番を編成、反日感情の煽り合戦となる。
温家宝総理は北京・外交学院での講演で「中国政府と国民は主権と領土の問題で、半歩たりとも譲歩しない」と堂々と発言。

国有化が最終決定した同月10日~13日までに上海市だけでも日本人への暴行が多発、報告されたものだけでも日本人4人が負傷。

中華人民共和国版Twitterとも言われる「新浪微博」では「殴るのはよいことだ。痛快だ。小日本は最終的に滅亡してしまえ」「野田(総理)が罪を犯したからこうなるんだ」等、暴行を支持する書き込みが相次ぐ。
14日には広東省東莞で日本人が2~3人の中国人から背後から暴行され、手や足に怪我を負った。


比較的小規模なデモは連日続いていたものの、上記の事件を受け「日本の誤ったやり方に対する義憤は理解できる」「中国全土が日本の誤った行動に憤りをたぎらせ、政府による正義の要求や対抗措置を支持している」と外交部の報道官が発言したことから、同月15日にはデモの規模が一気に拡大、中国の50都市以上で反日デモが発生し、各地に武装警察が投入されるほどまでに抑制が効かなくなった。

9月15日(土)

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北京:日本大使館前に2万人のデモ隊が押しかけ、規制用の鉄柵を突破して卵や石を投げつけたり日章旗を燃やすなど暴徒化。
江蘇省蘇州・陝西省西安・湖南省長沙:それぞれ1万人規模のデモが発生。
蘇州:暴徒らが日系スーパー「蘇州泉屋百貨」の店舗を破壊し宝飾品などの商品を略奪
外国企業が多数集積している高新区にある商業街「淮海街」では、主に中国人が経営する日本食レストランやゴルフショップを無差別に破壊。
西安:一部の暴徒が武装警察によってホテル内部に拘束、反発した屋外の暴徒らがホテルのガラスを割る。
長沙:反日スローガンを書いた横断幕が配られ、日章旗の焼き捨て、日本車への攻撃、日系スーパー2店舗を破壊・略奪・放火。この店舗は徹底的に破壊と略奪を受け、被害総額は10億円超。、
山東省青島:数千人規模のデモ隊の一部が暴徒化、日系のスーパーや自動車販売店を徹底的に破壊、火を放つ。現地の日本人は「これはデモではなくテロだ」と語る。
重慶市:3,000人規模のデモが発生
四川省成都:「セブン-イレブン」3店が破壊・略奪される。

この日のデモには、運悪く動けなくなったトヨタ・カローラが人間を乗せたまま襲わる事件が起きた。
乗っていた中国人は一命は取り留めたものの意識不明に陥り、半身不随の後遺症が残る被害を受けている。
犯人はたまたま通りかかった者で、生活の苦しさの鬱憤を晴らすためにやったという。
興奮状態から上半身裸になり「愛国無罪!」「造反有利!」と叫んでいたのを目撃されている。

犯人が逮捕されたのは後日。
SNSの書き込みにより身元が判明してからである。

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「尖閣 デモ 2012」の画像検索結果

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9月16日(日)
・少なくとも108の都市で反日デモが行われ、全土で数十万人がデモに参加
各地では警備体制が大幅に強化された。

広東省広州:1万人規模のデモが行われ、一部の暴徒らが日本総領事館への侵入を企て、総領事館と同じ敷地にあるホテル「花園酒店」のロビーや日本食レストラン、日本車を破壊。
同じ州の別の市でも複数の数千人規模のデモが発生、暴徒らは市共産党委員会の庁舎に侵入、警察車両を破壊、警察官に暴行したため、武装警察が放水催涙弾も発射される騒ぎとなった。
北京:日本大使館前は武装警察が大幅に増員されたことからか、前日ほどの混乱はなし。
在中の日本人が日本語を話すと強迫されたり、タクシーの乗車拒否、嫌がらせの電話が相次いだ。

この日、西安におけるデモ隊のリーダーの一人は西安警察幹部である中国共産党員であることが確認されている。
その他の地域におけるデモも、私服警官や治安部隊が指揮を執って行っていた。

9月17日(月)
・複数の都市でデモが行われたものの、各地で警備が強化された上に平日ということもあり、デモの規模は格段に縮小。
山東省青島や広東省の地元警察は15日に破壊活動を行った暴徒の一部を特定して拘束したことを発表。
陝西省西安地元警察は15日の破壊活動に関する容疑者の情報提供を呼びかけ、市内中心部でのデモを禁止する。

9月18日(火)
・9月18日は満州事変の発端となった柳条湖事件の発生した日であり「国恥日」として、中国国内では毎年反日が盛り上がる。日系企業や日本人にとっても今回の相次ぐデモで最も危険な日と認識
各地の日系企業の生産工場や日系商店でも臨時休業が相次ぐ。
また、中国の漁業監視船が1,000隻の漁船を引きつれて尖閣諸島にやってくると日中のメディアで報じられており、緊張が高まったが、実際には過去最多となる12隻の中国公船が接続水域に進入し、3隻が一時領海を侵犯したに留まり、1,000隻の大漁船団は現れなかった。
これに対して海上保安庁は日本全国から巡視船を増派し、過去最大の50隻体制で警備にあたっていた。

この日のデモはこれまでで最大となる110都市以上で勃発

「尖閣 デモ 2012」の画像検索結果
遼寧省瀋陽:2000人がデモに参加、日本総領事館に投石。ガラス67枚を割り、周囲の日系企業や日本食レストランにもペットボトルなどを投げつける。
北京:日本大使館では早朝にガラス球や金属などでガラス6枚が割られているのを発見。5,000人が「島を返せ」等と叫びながらデモ行進をし厳重に警備する警官隊ともみ合いになる。
上海:日本総領事館でも1万6千人あまりがデモに参加「日本を滅ぼし沖縄を取り戻せ」等と書かれたプラカードが見られたが、現地警察の厳重な警備・統制にしたため15日ほど大きな破壊行為はなし。
広東省広州:日本総領事館の前で1,000人あまりがデモ。
雲南省珠江:アウディの販売店では中国人スタッフ達が「也要殺光日本人、也要収復釣魚島(日本人を皆殺しにしろ、魚釣島を取り戻せ)」という横断幕を掲げた。
このことによりアウディジャパンは、Twitterの公式アカウントで日本国民に謝罪している。
上海:ユニクロ店舗が現地従業員の判断で中国の尖閣領有を主張する張り紙を掲げたため、ユニクロと持株会社のファーストリテイリングは「一企業が政治・外交に関していかなる立場もとるべきでない」との考えから遺憾の意を示し、再発防止に努めることを発表。

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デモの影響は次々と外資企業にも及び、チャイナ・リスクの影響力をまざまざと他国の人々に見せつけた。

9月19日(水)
・中国政府が反日デモの抑制を強め、各都市でデモ禁止の通達を出した事により急速に事態は縮小・沈静化する。中国全土においてデモが起きたのは数箇所のみ。
中国のネット環境において、当局の規制により「反日」のキーワード検索が不可能となる。



当時日本製品を所持できたのは、比較的裕福層に限られていた。
中国進出していた日本企業にも大きな被害がでたが、日本製の品を扱う中国企業や、個人でも所有の日本製品を破壊された者も多いと思われる。デモに参加・日本製品を破壊しつつ、日常では日本製の電化製品で裕福に暮らす学生など、大きな揶揄を生んだ。
すでに、「反日」パフォーマンスのためのデモであり、強力な統率者のいないデモ団体はただの強盗集団となり、コントロール不可となった当政府が権力で規制することでデモは鎮静化した。
なお、これらの暴動化の情報は、SNS等で互いに自慢しあうような風潮があったとみられるふしがある。


【中国政府の対応】
・9月17日、中国外交部は暴力的デモについて、「事態が深刻化するかどうかは日本側の対応にかかっている」と発言。

19日には、アメリカのレオン・パネッタ国防長官と会談した習近平国家副主席が、「日本は中国の主権と領土を侵害する過った言動をただちに止めるべきだ」「日本国内の一部の政治勢力が茶番を演じている」「国有化が領土問題を激化させた」と、尖閣諸島国有化を批判。
2008年から中国は尖閣海域に公船を派遣し続け、2010年9月の漁船衝突事件以降は月一回の頻度に派遣を激化させていたことはあえて無視したと思われる。
また、尖閣諸島に対する日米安保の適用についても「米国が釣魚島の主権問題に介入せず、事態を複雑化させないことを望む」と牽制。

これに対しパネッタ国防長官は「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲内であり、軍事的な衝突に発展すれば、アメリカも関与せざるをえない」と回答。梁光烈国防相にも同じような発言を伝えている。


暴力的なデモが収束した9月19日以降、前年の衝突事件の後と同じように日本からの輸入品の通関を厳格化させ遅滞させる嫌がらせを開始。
「思想を統一し、(政治的な)方向を把握」するために、書店から日本人作家や日本語学習書などの日本関連書籍を引き上げさせた。


この頃には中国政府は、毎月船を出航させ、尖閣周辺の日本領海内や日中接続水域、領海侵犯を繰り返していたが、国有化以降は更にエスカレートする。

・2012年9月14日には6隻の「海監」が同時に尖閣諸島を領海侵犯、9月18日は12隻の公船が接続水域に侵入し、このうち3隻が領海侵犯。(前述)
18日は1000隻の漁船団が現れるとの報道があり、日本の海上保安庁巡視船50隻の他に、海上警備行動が発令される事態に備えて海上自衛隊の自衛艦も距離を置いて集結していた。
その後も中国公船はやはり接続水域の出入りを繰り返し、海上保安庁の巡視船艇や海上自衛隊監視を受けている。

18日以降は7日間連続で、中国当局の航行が続く。

9月24日の午前6時半過ぎには2隻が、10時40分にはもう1隻が、それぞれ領海侵犯したのを海上保安庁の第十一管区海上保安本部が確認。
巡視船が無線を使い退去を求めたが、反応はなし。
これを受け、同日に、野田佳彦総理大臣は総理大臣官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置。
河相周夫外務事務次官らと首相官邸で協議、「情報収集を徹底し、連絡を密にとってほしい。」との指示。

その後、河相事務次官は程永華在日本中国大使に対し、電話で領海外へ退去するように要求。その後2日間の日程で訪中する。
25日に張志軍中華人民共和国外交部筆頭副部長と4時間に渡り会談。双方は協議継続で一致したものの、議論は平行線のままで、関係改善の糸口を見いだすには至らず。
つまり、4時間かけて次回の日程を決めただけであった。

9月26日、中国や台湾の報復措置が強まるなか国際連合総会に出席した野田佳彦総理大臣は、「一方的な力や威嚇を用いて実現しようとする試みは、国連憲章の基本的精神に合致せず、決して受け入れられない。」と主張する。総会後、ニューヨークで行われた記者会見では、「後退する妥協はありえない。」と発言。

9月27日には同じ国際連合総会の一般討論演説で楊潔篪中国外交部長が「日本が釣魚島を盗んだ。」と主張、日本を非難。国連大使の兒玉和夫が、尖閣諸島は日本の領土であるとの答弁を行い、中国の李保東国連大使と論戦を交わしている。

中国機も多く飛行し、侵入を繰り返す
海上保安庁の巡視船から通報を受けた航空自衛隊が、戦闘機8機と早期警戒機を緊急発進させたが、既に中国機は領海の外に飛び去った後だったという事件も起きた。(中国機尖閣諸島領空侵犯事件)。



侵入したとみられる中国海監のY-12洋上監視機




【経済的影響】
・日中関係は著しく悪化。
中国では日系商品に対する不買運動が起こり、日本車販売は急激に落ち込む。
日系自動車各社は中国国内工場の減産や休業措置をとり、日本から中国への完成車の輸出も停止。

中国の地方政府や国有企業は日系企業に発注した案件をキャンセルし、日系企業の取引停止措置、日本人社員との面談を禁止する。
日系企業への学生就職紹介も拒否、日系企業への就職拒否も広がった。

トヨタ自動車・マツダ・日産自動車などは不買運動の影響を大きく受けた。
これを受けてトヨタ自動車は、中国への自動車輸出停止や生産台数の大幅な削減を決定。
ダイドーリミテッドやファミリーマートなどでは出店計画の見直しが行われた。
国際協力銀行の奥田碩総裁は「日本製品の中国での生産や販売は半減以下になっている。」と指摘。
日本貿易会の会長を務める槍田松瑩三井物産会長は、中国海関総署による輸入通関での遅れなど、中国当局による事実上の経済制裁(嫌がらせ)が開始された可能性があるとの認識を示す。

2013年1月31日、山口県下関市に本社を置く株式会社山本工業が、反日デモで中国青島の主力工場が焼き討ちにされた影響で自己破産。


しかし、その一方で、2012年12月に第2次安倍内閣が発足してからはアベノミクスにより超円高が緩和され、日本政府が様々な観光誘致策も行ったことで、訪日中国人観光客は激増。
また2013年の中国市場での日本車の販売台数も回復しており、特に2015年においては日本車が外国車としては最もシェアを伸ばしている

・国有化以降は、尖閣諸島への中国公船の領海侵犯の件数は爆発的に増加する。
2013年7月に中国の各海上保安機関が統合し、中国海警局が発足してからは、中国公船の大量建造・大型化・武装化も進み、尖閣諸島周辺海域での海洋をめぐる事態は深刻化

これらに対し、日本側は「尖閣領海警備専従体制」を構築して2016年2月に完成させた。
また、2018年度末までに規制能力強化型の新たな小型巡視船を宮古島海上保安部に9隻配備し「尖閣漁船対応体制」を完成させ、2019年度末までには新型ジェット機を3機配備して「尖閣24時間監視体制」を完成させる予定である。



【海外の反応(社説)】
・米国紙『ウォールストリート・ジャーナル』-2012年9月25日
尖閣国有化に対する中国の対応について、中国政府が反日行動の煽動と抑制の「二重のコントロール」を行っていると指摘し、批判。
野田政権が東京都の尖閣購入に先んじて国有化を実施し、尖閣諸島の件で対中摩擦を未然に防ごうとしたにも関わらず、むしろ中国への挑発と受け止め、尖閣諸島海域にその漁業監視船等の公船を送り込んだり、反日デモの暴動化を煽動したことは「危険かつ、自国の経済停滞から国民の目を逸らす」ものであると分析

他にも、同諸島の主権の問題については外交的手段で抗議すべきものを、あえて軍事的衝突に発展するような形の措置をいくつも選択していると指摘。

これらの中国の対応は侵略的であるとし、その背景には反民主主義勢力に民族主義的傾向の加わった動きの現れと見なしている。
国際秩序に挑戦し崩そうという動きが、実際に国際秩序を不安定化させる危惧は避けられず、中国が日本をはじめとする近隣諸国にそのような攻勢を掛けることを米国は断固として阻止しなければならないと、主張。

・ドイツ紙『フランクフルター・アルゲマイネ』-9月24日
尖閣諸島国有化に対する中国の行動について、百年前の大英帝国などの列強も行っていた事として、中国への批判に消極的な見方を踏まえながらも、過去の欧米諸国の帝国主義的政策になぞらえて「古典的」な大国主義的政策との懸念を表明。

中国の過激な反応に対する日本の野田政権の冷静な対応を評価し、かつて欧米列強の帝国主義に苦しめられた歴史を経験したはずの中国が「同じ手法を使っている」と批判。中国が自制しなければ帝国主義時代の状態に逆戻りすることになると指摘


一方、中国の国内事情にも言及し、反日意識の高まっている国民に対し、中国政府が下手に理性的にクールダウン的対応を取れば逆に国民の反発を受け兼ねない事、信頼性を低下させている中国共産党(=為政者)は窮地に追いやられ、その結果孤立した「独裁的指導部」が不測の事態を起こす危険性を危惧。

その上で、打開策の鍵は日本との同盟関係にある米国の役割にあると強調
南シナ海における領有権問題も視野に入れ、中国に一方的に有利な結果を招かないよう、この問題の関係諸国に呼びかける。
しかしその一方でまた、特に大国としての中国がその度量を示せるか否かが大きいとしている。


・シンガポール紙『ストレイツ・タイムズ』-2012年9月24日
シンガポールは、どちらかといえば中国寄りの報道を続行してきた。
この問題は歴史的なものに根源があり、その確執が今回の騒動を生んだと論じている。
戦後において、日本は中国その残虐行為の謝罪を適切に行ってきた一方、靖国神社参拝問題・歴史に関する修正主義的な部分で、逆に指導者のその謝罪が不誠実とみなされた可能性を指摘。

アジアの隣人である中国のニーズに日本はより敏感になるべきであり、尖閣諸島は「購入」ではなく、ICJ(国際司法裁判所)のような第三者機関にこの問題を付託すべきであると明記。

中国(北京政府)に対しては、反日抗議を抑制し理性的対応を求める一方、日本がによるこれまでの対中援助や貢献の事実を中国国民に教育すべきであるとし、中国は日本を歴史的に許す挑戦をすべきと説く。
許すことは憎悪と不寛容のサイクルの長期化を打破する重要なことであると強調。

「野田前政権による沖縄県・尖閣諸島の国有化が日中関係の悪化を招いた」と指摘。

同紙-2011年6月17日では、漁船衝突事件について
「中国人船長を日本の刑法で起訴しようとするなど、日本領土として尖閣諸島を扱う実績を積もうとした日本政府の行為は、中国には絶対に許せるものではなく、強烈な反応も合理的なものだった」と記載。

一方、在シンガポール日本大使館が2013年2月21日付で寄稿した記事も記載している。
記事内で大使館は「緊張が高まった原因は国有化(2012年9月)ではなく、(2008年に始まり、2010年9月の漁船衝突事件以降に常態化した)尖閣周辺海域への中国艦船の派遣や領海侵犯にある」と反論。
中国海軍艦船が海上自衛隊護衛艦に射撃管制用レーダーを照射した問題などを取り上げ、「中国が一方的に挑発行為の手段に訴えているのは極めて残念だ」という内容をそのまま記載している。


この問題は根深いようでいて、実は相当単純明快である。
中国は新しい資源を手にしようと画策し、日本はルールを守れと述べているのみ。
民主与党の時代には、中国への特別配慮が当然とされ、それ以前にも微妙な問題として棚上げで先延ばしにしてきた経緯がある。
再び自民党が政権復帰を果たしたことで、2010年の衝突事故時の計44分の流失ビデオも再公開された。

また、真偽のほどは定かではないが、追突時に海に落下した保安員を中国船が押しつぶそうとしたり、銛で突いたとの話もある。泳いで逃げる保安員の後を追いかけ、何度も乗り上げようとした上、船をぶつけて挟み潰そうとしたが、間一髪で他の保安員が海から引き揚げたとの内容で、ほぼ都市伝説化している。

デモにおいても、船同士の衝突にしても、人口の多い中国においては人の命は軽く見られがちであり、人命確保を最優先とする日本のやり方は相当生ぬるいものに映るらしい。

先に挙げた尖閣諸島衝突時の船の船員、船長は酒に酔っており、中国国内において酒に酔った行為は責任が問われにくい、だから日本側も譲渡すべきという意見がマスコミから出たが、そもそも海上にて責任者が泥酔状態という事態の危険性が理解できていなかったらしい。

領空侵犯の際にも、中国軍の乱暴な操縦が指摘されており、デモの最中でさえ、暴力的な小競り合いが相次いだ。

国民性の違いと言ってしまえばその通りだが、その、日本的な考えからは自暴自棄的に映るその行動がさらに大きく爆発した時、中国経済の破綻や崩壊だけで果たして済むのかとやや興味深いところではある。

最後に、自民党により公開された44分の衝突ビデオの映像を記載する。
記録用ビデオなので、わかりやすい解説や状況説明はないが、十分に事態が確認できる。
たった44分の映像であるが、2国間の現代史において、大きな転換期を引き起こしたこの記録の意味は計り知れない程、大きい。










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百物語2015


105 : 猫虫 ◆5G/PPtnDVU:2015/08/29(土) 22:57:19.30 ID:rKZkpF2O0.net 

今の彼女と付き合い始めたばかりの頃の話。
とある駅前で彼女と待ち合わせをしていたのだが、その日は時間より早く着いてしまった。
近くに喫煙所があったのでそこで煙草を吸っていると、
すぐ近くで黒人男性が露店の準備をし始めた。
並べているのは、カラフルなビーズで作られたネックレスやブレスレット。
どれも鮮やかな原色が多用されており、大ぶりなビーズが多く使われた派手なものばかりだ。

 
退屈なので横目で品物を見ていると、その黒人が視線に気付いて声をかけてきた。
「オニイサン、見テッテヨ。コレ、アフリカ本物ネ。ケニア、コンゴ、スーダン、イロンナ国ノヨ。安イ安イヨ」
いや俺そんなの付けないし、と断ろうとした時、運悪く彼女が来てしまった。
「お待たせー、あ、カワイイ!」
俺の顔もろくに見ないうちから、彼女の目は色とりどりのアクセサリーに釘付けとなった。
すぐに幾つかのネックレスを手に取ると、置かれた小さな鏡の前で自分の胸元に当て始める。
 
「最近フォークロアが流行りなんだよねー。私もこういうの一個欲しいなって思ってたんだ」
まずい流れだなと思っていると、案の定彼女はキラキラした笑顔で俺を見つめた。
「買って!」
「やだよ、自分で買え」
「今日、記念日じゃん!買って!」
「何の記念日だよ」
「付き合って、えーと…5週間ちょっと記念日!」
凄まじく半端な記念日を提示され、俺は言葉を失った。


俺の沈黙を勝手に肯定と判断した彼女は、どれにしよっかなーとひとしきり悩んだ後、
ひとつのネックレスを手に取った。
「これ…」と呟いた後、笑顔だった彼女の顔から、すっと笑みが消えた。
その瞬間、俺は彼女が別人に変わってしまったかのような感覚を覚え、言いようのない不安を感じた。
 
彼女はどこかうつろな表情でネックレスを見つめたまま、「これにする。これがいい」と黒人に差し出した。
「アリガトネー、サンゼンエンネー」と言いながら、黒人がネックレスを袋に入れて彼女に手渡す。
 
正直俺は、このネックレスを彼女に買ってやりたくはなかった。
さっき感じた不安が頭を離れなかったからだ。
だが、黒人に「オニイサン、サンゼンエン」と真顔で催促され、俺は流されるまま金を支払ってしまった。




106 : 猫虫 ◆5G/PPtnDVU :2015/08/29(土) 23:02:48.97 ID:rKZkpF2O0.net
「ありがとう、大事にするね!」
そう言って振り返った彼女からは、先ほどの異様な雰囲気はすっかり消え失せていた。
 
結果的に上手く騙されたような気がしないでもなかったが、
彼女はああいう妙な小技を瞬時に繰り出せるほど器用なタイプではない。
あの時の嫌な感じはただの気のせいだと
自分に言い聞かせ、「今後、記念日は月一回だけな。それ以上は認めん」と彼女を小突いた。

 
夕食を摂ろうと入ったレストランで、
注文の品が来るまでの暇つぶしに彼女はさっきのネックレスを取り出し、さっそく首に掛けた。
「どう?似合う?」と笑ってみせる彼女は実に嬉しげだったのだが、
胸元にかかったそのネックレスをまじまじと見直してから
「あれ?」と首をかしげた。 
「なんか思ったより地味。こんなだったっけ?」


そのネックレスはバッファローの角を楕円に削った黒と白の大きなビーズの間に、
緑と黄色の小さなガラスビーズが交互に挟まれているだけのシンプルなデザインだった。 

確かに、これ以外で彼女が手に取っていたのはもっと派手なものばかりだったので、
俺も彼女がこれを選んだ時は意外に思ったのだ。

「じゃあ、返品して他のに変えてもらわない?」
怖がらせたくはなかったので理由は明かさず遠回しにそう聞いてみたのだが、
彼女の答えは
「うーん、まぁシンプルな方が使い回しもきくし、これでいいよ」だった。

まあ、変な感じがしたのはあの時だけだったし、たいして気にするほどの事でもないかもしれない。
ちょうど頼んでいた料理が運ばれてきたのもあって、俺達はそこで話を打ち切った。


107 : 猫虫 ◆5G/PPtnDVU :2015/08/29(土) 23:06:02.19 ID:rKZkpF2O0.net
その夜、彼女の部屋で眠っていると、夜中に彼女が突然ガバッと飛び起きた。
その気配につられて俺も目が覚めた。
「何、どうしたの」
眠い目をこすりながら彼女に尋ねると、彼女はしばらく俺の顔を見つめてから
「…なんだっけ?」と訳の分からない質問で返してきた。
 
聞けば、怖い夢を見て飛び起きたのだが、内容をすっかり忘れてしまったのだという。
ああそう、と速攻で寝直す体勢に入った俺は、彼女にぶーぶー文句を言われながらも眠りに落ちていった。


それからほぼ毎日、彼女は悪夢にうなされるようになった。
目が覚めるといつも内容を忘れているのだが、泣きながら目覚めることもあった。

あのネックレスが怪しいと思った俺は、あの日感じた不安をついに彼女に打ち明けた。
「だからさ、やっぱ捨てたほうがいいって。あれ買ってからじゃん、うなされるようになったの」
しかし、俺の主張に彼女は難色を示した。
「あれが原因とは限らないじゃん。違ってたらもったいないもん」

どうしても捨てるのは嫌だと言う彼女と折衝を重ねた結果、とりあえず
何日か俺が預かってみることで話が付いた。 
 
俺はネックレスを持ち帰り、彼女がしていたようにベッドの脇に置いて眠ってみたが、
特に悪夢は見なかった。

だが、彼女の方は効果覿面だった。
ネックレスを手元に置かなくなってから、悪夢を見る事がなくなったのだ。 
明らかな変化に、今度は彼女の方から処分を頼んできた。

彼女は俺が鈍感だから影響を受けないのだと茶化したが、
「だからって普通に捨てたりしないで、ちゃんとした人にやってもらってね」と俺の身を案じてくれた。
俺は彼女の言葉に従い、神社で禰宜をやっている知人に処分をお願いした。


108 : 猫虫 ◆5G/PPtnDVU :2015/08/29(土) 23:10:04.20 ID:rKZkpF2O0.net
そのネックレスを見るなり、知人は「あー多分これ遺品」と言った。
詳しく話せと言われて経緯を話すと、なるほどねとうなずかれた。 

「前に似たようなの預かった事があって調べたんだけど、
アフリカとかの貧困地域だと死者の遺品は遺族の大事な収入源なんだよ」
宗教観もあるのだろうが、
手元に置いて故人の思い出に浸る事よりも、明日ご飯を食べる事の方がよほど大事なのだろう。
そんなわけで、遺品を安く買い取って
物価の高い国に持ち込んで売ってるような露店ってのは結構あるそうだ。
最近だとネットオークションにも多いらしい。


一応「俺が影響を受けないのは鈍感だからですか」と聞いたら、
「それもあるかもしんないけど」と大笑いされた。
「まぁ多分、女性の方が影響受けやすいんじゃないかなぁ。
霊が憑いてるというより『念が残ってる』って感じなんだけど、そういうのは女性の方が感じやすい。
それにこれは女性の持ち物だっただろうから、同性の方が思いを共有しやすいのかもね」

モノが手元を離れれば問題ないとの事だったので、ネックレスだけ供養してもらう事になった。

かくしてアフリカの遺品ネックレスは
遥か極東の神社でお焚き上げ供養を受け、天へと還った。
 
輸入雑貨が持て囃される昨今だが、
出処のはっきりしない物を買うという事のリスクを痛感した出来事だった。


後味の悪い話 その12

107 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/02 11:48
昨日夜『とくダネ』でやってた話。(今年の3月にあった実話)

両親の離婚によって、
祖母と3人で暮らしている小学生の兄妹がいた。
(母親は家を出て、父親は借金返済の為に住み込みで働いている)
祖母は元々目が不自由。
しかも転倒事故で足腰も痛めてしまい、ほぼ寝たきりの状態。
なので兄妹が身の回りの世話をしていた。
食事はいつも兄が作る白いごはんと味噌汁。
家の中は散らかり放題。学校も休みがち。

そんな状況をかわいそうに思った近所の住民が市役所に通報し、
市役所職員などの努力によって祖母にはホームヘルパーがつき、
そして兄弟は両親の育児放棄による虐待の認定を受け、
児童福祉施設に保護してもらうという話が進んでいた矢先、家が火事になり3人とも焼死。
最初の通報から1年余りも経過していた。

もうちょっとで最悪な状況から抜け出せたかもしれないと思うと、非常に後味ワルー ( ノД`) ウワァァァン!!


108 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/02 12:21
>>107
とくダネじゃないけど、そのニュース見たよ。
たしか子供達は次の日に学校に行く予定じゃなかった?
しばらくの間ずっと学校に行けなかったから、
近所の人が世話してくれて、いろいろ文房具とか用意して。
記憶が曖昧なんだけど、泣くに泣けない話だったな。


111 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/02 18:17
火事の原因は何だったんだろう。放火だったら後味悪?


113 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/02 19:04
>>111
出て行った母親が再婚決定のため、「なかなか会えなくなる」と買ってくれたテレビと石油ストーブ。
火事の原因はその石油ストーブでした。

つかテレビなかったんだな…。
なんかもう何もかも後味悪すぎる。



http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1467116370/

560 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2016/07/02(土) 15:22:36.22 ID:gNaAzMnV0.net
特殊清掃の仕事をしていたことがあって、
自分の働いていた会社は、死人の出た部屋の掃除やペットの死体処理、ゴミ屋敷の撤去まで受注していた。

ゴミ屋敷の撤去、とりわけゴミの処分方法は地域によってかなり差がある。
法人が家屋内のゴミをトラックに積むっていう作業自体に
自治体の許可が必要だけれど、この許可は、
地方自治体によって紙切れ一枚とトラックがあれば誰でも取れる地域から、
どんなにあがいても一般企業に許可がおりない地域がある。

自分の働いていた会社は、ゴミ屋敷の撤去を受けるにも関わらず許可がおりない地域だった。
そういう時に使う合法的にゴミを捨てる裏技があって、古物商や貨物運送の認可を使うようなものだ。

これはかなりグレーゾーンのやり方で、
何よりこの裏技は、ごみをトラックで運べるだけで処分場所を
確保出来る訳ではなかったものだから、処分に関しては会社によって様々だった。
その頃自分はその会社に入りたてで見習いみたいな扱いだったものだから、
何処の現場で作業をする時も社長が同行してくれていた。

ある日ゴミ屋敷の仕事が入った時もそうで、
営業担当が行った見積もりから一週間後に社長含む6名で行うことになった。
作業は初日にリサイクル出来る資源や物を分け
二日目に積み込むという形で、予定通り二日目の夜にはトラック2台がびっしり埋まり現場は空になった。

社長とお客が精算を終えると、
社長が「今日はお前に処分付き合ってもらうわ」と自分に言った。
他の従業員が普通車で事務所に戻った後、
慣れない4t車を運転して社長の運転するトラックについていった。

最初は見慣れた国道だったけれど、段々と曲がって細道を抜けていくうちに
行った事の無い工業地帯に入った。
道の両側には何を入れているか分からない倉庫や、
看板の無い自動車修理屋のような物が見えていた。

いかにも闇だなと周りを伺いながら走っていると、車内にある無線に社長から連絡がきた。
『これからいく所は道は覚えなくていいし、誰かの顔も名前も覚えなくていい。
挨拶もいらないから』みたいな感じだった。


561 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2016/07/02(土) 15:24:28.10 ID:gNaAzMnV0.net
少し油断していた時に突然言われ、あせりながら無線で分かりましたと言い、
背中の汗が冷たくなっていくのを感じた。

そこからさらに10分程進んだところで右に曲がった。
その途端辺りが真っ暗になり、そこは私道だと気づいた。
道の両側には何もなく、社長のトラックのテールランプを頼りに進んでいった。

トラックのブレーキランプが点いた所で慌てて停車し、エンジンを切ろうとした時にまた無線が入った。
『エンジンそのままで車から降りなくていい』
返事をしようとした所で息が詰まった。

社長のトラックと自分のトラックの間に何か出てきた。
ライトに照らされたのは70歳位の老人達だった。目の前だけで20人はいたと思う。
髪は歪に禿げていて、所々破けたシミだらけの服を着ている。男も女もいた。
自分のトラックが揺れ始めて、その人たちの数が目の前だけではないと気づいた。

とっさにドアに鍵をかけ、社長に無線を送った。
かなり慌てていたからよく分からないことを言っていたと思う。けれど返答はなかった。

老人達はトラックの荷台を開けると中のごみに群がって左右に放っていき、
自分のトラックの揺れもどんどん大きくなっていった。
日本の底辺中の底辺、底無しの闇だと思った。

ゴミを左右に放っていく度に見える横顔はどれも無表情で、
たまに出てくる生ゴミを取り合ってパーともグーとも取れない手で殴り合っていた。
ゴミを放る左右の場所はライトで照らされている筈なのに、不気味な程真っ暗だった。
何故か目から涙が出てきて、作業着の膝に額を付けて丸まった。
トラックが揺れる振動と外から聞こえるゴミを掻き分ける音が重なって、おーんおーんおーんと耳に響いた。

気がつくと音が止んでいて、頭を起こすと老人が一人だけ居てこちらを向いていた。
皺か煤か分からないようなぐちゃぐちゃの顔でニィと口角を上げていた。
歯は一本もなかった。
こちらに何か言っていた。
口の動きは会社で見慣れた『ありがとうございました』だったと思う。

老人が道から消えた所で社長のトラックが進みだし、
ついて行くとまた知らない道に出たけれど、しばらくすると見知った道に出た。

その後そこに行った事や社長とその話をしたことはなかったけれど、
その日の帰りに一言だけ「あそこは合法だから」と言っていた。

凄く失礼だけれど、ああなってはいけないと深く思った。



一連の流れの発端となったこの諸島の地主・所有権を持つ人物は、1970年代に正式にアメリカより返還をうけた。何度も石油関連企業や政治家から売却依頼を受けつつ、全て断っている

石原・地権関係者・地権関係者と30年来の友人である山東昭子参院議員の仲介により、半年にわたる三者の極秘交渉の末、「個人で所有するには限界がある」こと「政府に買い上げてもらいたいが、今の政府は信用できない」との結果を受け、東京都に諸島の所有権を売却することを決断。

2012年4月、当時の都知事石原慎太郎が東京都による尖閣諸島購入計画を発表。
「東京都尖閣諸島寄附金」を募集開始。
口座開設後、入金は増え続け、野田内閣により尖閣諸島が国有化された9月11日以降は鈍化したものの、翌2013年1月末の募集打ち切りまでに集まった資金は計約14億円。

「尖閣 国有化」の画像検索結果

これらの流れに中国政府は激しく反発

日本政府(野田内閣)は中国政府の反発を和らげ、「平穏かつ安定的な維持管理」の為に国有化を決定。
9月11日、日本政府は魚釣島、北小島、南小島の3島を購入し、日本国への所有権移転登記を完了。
購入費は平成24年度予算の予備費から支出。


この結果寄附金は宙に浮く形となったが、石原は関連施設の整備費用に充てることを条件に寄附金を国に譲渡することを表明、後任の都知事に就任した猪瀬もこれを踏襲。
その後返還を求める声もあがった。


【反日デモの再燃】

・2012年反日デモは最大規模のものとなり、デモ隊が暴徒化し大規模な破壊・略奪行為に発展してゆく。

「尖閣国有化 デ...」の画像検索結果

尖閣諸島の国有化に対し、中国のほとんどのテレビや新聞などの多くのメディアが異例とも言えるほど大々的に尖閣特番を編成、反日感情の煽り合戦となる。
温家宝総理は北京・外交学院での講演で「中国政府と国民は主権と領土の問題で、半歩たりとも譲歩しない」と堂々と発言。

国有化が最終決定した同月10日~13日までに上海市だけでも日本人への暴行が多発、報告されたものだけでも日本人4人が負傷。

中華人民共和国版Twitterとも言われる「新浪微博」では「殴るのはよいことだ。痛快だ。小日本は最終的に滅亡してしまえ」「野田(総理)が罪を犯したからこうなるんだ」等、暴行を支持する書き込みが相次ぐ。
14日には広東省東莞で日本人が2~3人の中国人から背後から暴行され、手や足に怪我を負った。


比較的小規模なデモは連日続いていたものの、上記の事件を受け「日本の誤ったやり方に対する義憤は理解できる」「中国全土が日本の誤った行動に憤りをたぎらせ、政府による正義の要求や対抗措置を支持している」と外交部の報道官が発言したことから、同月15日にはデモの規模が一気に拡大、中国の50都市以上で反日デモが発生し、各地に武装警察が投入されるほどまでに抑制が効かなくなった。

9月15日(土)

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北京:日本大使館前に2万人のデモ隊が押しかけ、規制用の鉄柵を突破して卵や石を投げつけたり日章旗を燃やすなど暴徒化。
江蘇省蘇州・陝西省西安・湖南省長沙:それぞれ1万人規模のデモが発生。
蘇州:暴徒らが日系スーパー「蘇州泉屋百貨」の店舗を破壊し宝飾品などの商品を略奪
外国企業が多数集積している高新区にある商業街「淮海街」では、主に中国人が経営する日本食レストランやゴルフショップを無差別に破壊。
西安:一部の暴徒が武装警察によってホテル内部に拘束、反発した屋外の暴徒らがホテルのガラスを割る。
長沙:反日スローガンを書いた横断幕が配られ、日章旗の焼き捨て、日本車への攻撃、日系スーパー2店舗を破壊・略奪・放火。この店舗は徹底的に破壊と略奪を受け、被害総額は10億円超。、
山東省青島:数千人規模のデモ隊の一部が暴徒化、日系のスーパーや自動車販売店を徹底的に破壊、火を放つ。現地の日本人は「これはデモではなくテロだ」と語る。
重慶市:3,000人規模のデモが発生
四川省成都:「セブン-イレブン」3店が破壊・略奪される。

この日のデモには、運悪く動けなくなったトヨタ・カローラが人間を乗せたまま襲わる事件が起きた。
乗っていた中国人は一命は取り留めたものの意識不明に陥り、半身不随の後遺症が残る被害を受けている。
犯人はたまたま通りかかった者で、生活の苦しさの鬱憤を晴らすためにやったという。
興奮状態から上半身裸になり「愛国無罪!」「造反有利!」と叫んでいたのを目撃されている。

犯人が逮捕されたのは後日。
SNSの書き込みにより身元が判明してからである。

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「尖閣 デモ 2012」の画像検索結果

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9月16日(日)
・少なくとも108の都市で反日デモが行われ、全土で数十万人がデモに参加
各地では警備体制が大幅に強化された。

広東省広州:1万人規模のデモが行われ、一部の暴徒らが日本総領事館への侵入を企て、総領事館と同じ敷地にあるホテル「花園酒店」のロビーや日本食レストラン、日本車を破壊。
同じ州の別の市でも複数の数千人規模のデモが発生、暴徒らは市共産党委員会の庁舎に侵入、警察車両を破壊、警察官に暴行したため、武装警察が放水催涙弾も発射される騒ぎとなった。
北京:日本大使館前は武装警察が大幅に増員されたことからか、前日ほどの混乱はなし。
在中の日本人が日本語を話すと強迫されたり、タクシーの乗車拒否、嫌がらせの電話が相次いだ。

この日、西安におけるデモ隊のリーダーの一人は西安警察幹部である中国共産党員であることが確認されている。
その他の地域におけるデモも、私服警官や治安部隊が指揮を執って行っていた。

9月17日(月)
・複数の都市でデモが行われたものの、各地で警備が強化された上に平日ということもあり、デモの規模は格段に縮小。
山東省青島や広東省の地元警察は15日に破壊活動を行った暴徒の一部を特定して拘束したことを発表。
陝西省西安地元警察は15日の破壊活動に関する容疑者の情報提供を呼びかけ、市内中心部でのデモを禁止する。

9月18日(火)
・9月18日は満州事変の発端となった柳条湖事件の発生した日であり「国恥日」として、中国国内では毎年反日が盛り上がる。日系企業や日本人にとっても今回の相次ぐデモで最も危険な日と認識
各地の日系企業の生産工場や日系商店でも臨時休業が相次ぐ。
また、中国の漁業監視船が1,000隻の漁船を引きつれて尖閣諸島にやってくると日中のメディアで報じられており、緊張が高まったが、実際には過去最多となる12隻の中国公船が接続水域に進入し、3隻が一時領海を侵犯したに留まり、1,000隻の大漁船団は現れなかった。
これに対して海上保安庁は日本全国から巡視船を増派し、過去最大の50隻体制で警備にあたっていた。

この日のデモはこれまでで最大となる110都市以上で勃発

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遼寧省瀋陽:2000人がデモに参加、日本総領事館に投石。ガラス67枚を割り、周囲の日系企業や日本食レストランにもペットボトルなどを投げつける。
北京:日本大使館では早朝にガラス球や金属などでガラス6枚が割られているのを発見。5,000人が「島を返せ」等と叫びながらデモ行進をし厳重に警備する警官隊ともみ合いになる。
上海:日本総領事館でも1万6千人あまりがデモに参加「日本を滅ぼし沖縄を取り戻せ」等と書かれたプラカードが見られたが、現地警察の厳重な警備・統制にしたため15日ほど大きな破壊行為はなし。
広東省広州:日本総領事館の前で1,000人あまりがデモ。
雲南省珠江:アウディの販売店では中国人スタッフ達が「也要殺光日本人、也要収復釣魚島(日本人を皆殺しにしろ、魚釣島を取り戻せ)」という横断幕を掲げた。
このことによりアウディジャパンは、Twitterの公式アカウントで日本国民に謝罪している。
上海:ユニクロ店舗が現地従業員の判断で中国の尖閣領有を主張する張り紙を掲げたため、ユニクロと持株会社のファーストリテイリングは「一企業が政治・外交に関していかなる立場もとるべきでない」との考えから遺憾の意を示し、再発防止に努めることを発表。

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デモの影響は次々と外資企業にも及び、チャイナ・リスクの影響力をまざまざと他国の人々に見せつけた。

9月19日(水)
・中国政府が反日デモの抑制を強め、各都市でデモ禁止の通達を出した事により急速に事態は縮小・沈静化する。中国全土においてデモが起きたのは数箇所のみ。
中国のネット環境において、当局の規制により「反日」のキーワード検索が不可能となる。



当時日本製品を所持できたのは、比較的裕福層に限られていた。
中国進出していた日本企業にも大きな被害がでたが、日本製の品を扱う中国企業や、個人でも所有の日本製品を破壊された者も多いと思われる。デモに参加・日本製品を破壊しつつ、日常では日本製の電化製品で裕福に暮らす学生など、大きな揶揄を生んだ。
すでに、「反日」パフォーマンスのためのデモであり、強力な統率者のいないデモ団体はただの強盗集団となり、コントロール不可となった当政府が権力で規制することでデモは鎮静化した。
なお、これらの暴動化の情報は、SNS等で互いに自慢しあうような風潮があったとみられるふしがある。


【中国政府の対応】
・9月17日、中国外交部は暴力的デモについて、「事態が深刻化するかどうかは日本側の対応にかかっている」と発言。

19日には、アメリカのレオン・パネッタ国防長官と会談した習近平国家副主席が、「日本は中国の主権と領土を侵害する過った言動をただちに止めるべきだ」「日本国内の一部の政治勢力が茶番を演じている」「国有化が領土問題を激化させた」と、尖閣諸島国有化を批判。
2008年から中国は尖閣海域に公船を派遣し続け、2010年9月の漁船衝突事件以降は月一回の頻度に派遣を激化させていたことはあえて無視したと思われる。
また、尖閣諸島に対する日米安保の適用についても「米国が釣魚島の主権問題に介入せず、事態を複雑化させないことを望む」と牽制。

これに対しパネッタ国防長官は「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲内であり、軍事的な衝突に発展すれば、アメリカも関与せざるをえない」と回答。梁光烈国防相にも同じような発言を伝えている。


暴力的なデモが収束した9月19日以降、前年の衝突事件の後と同じように日本からの輸入品の通関を厳格化させ遅滞させる嫌がらせを開始。
「思想を統一し、(政治的な)方向を把握」するために、書店から日本人作家や日本語学習書などの日本関連書籍を引き上げさせた。


この頃には中国政府は、毎月船を出航させ、尖閣周辺の日本領海内や日中接続水域、領海侵犯を繰り返していたが、国有化以降は更にエスカレートする。

・2012年9月14日には6隻の「海監」が同時に尖閣諸島を領海侵犯、9月18日は12隻の公船が接続水域に侵入し、このうち3隻が領海侵犯。(前述)
18日は1000隻の漁船団が現れるとの報道があり、日本の海上保安庁巡視船50隻の他に、海上警備行動が発令される事態に備えて海上自衛隊の自衛艦も距離を置いて集結していた。
その後も中国公船はやはり接続水域の出入りを繰り返し、海上保安庁の巡視船艇や海上自衛隊監視を受けている。

18日以降は7日間連続で、中国当局の航行が続く。

9月24日の午前6時半過ぎには2隻が、10時40分にはもう1隻が、それぞれ領海侵犯したのを海上保安庁の第十一管区海上保安本部が確認。
巡視船が無線を使い退去を求めたが、反応はなし。
これを受け、同日に、野田佳彦総理大臣は総理大臣官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置。
河相周夫外務事務次官らと首相官邸で協議、「情報収集を徹底し、連絡を密にとってほしい。」との指示。

その後、河相事務次官は程永華在日本中国大使に対し、電話で領海外へ退去するように要求。その後2日間の日程で訪中する。
25日に張志軍中華人民共和国外交部筆頭副部長と4時間に渡り会談。双方は協議継続で一致したものの、議論は平行線のままで、関係改善の糸口を見いだすには至らず。
つまり、4時間かけて次回の日程を決めただけであった。

9月26日、中国や台湾の報復措置が強まるなか国際連合総会に出席した野田佳彦総理大臣は、「一方的な力や威嚇を用いて実現しようとする試みは、国連憲章の基本的精神に合致せず、決して受け入れられない。」と主張する。総会後、ニューヨークで行われた記者会見では、「後退する妥協はありえない。」と発言。

9月27日には同じ国際連合総会の一般討論演説で楊潔篪中国外交部長が「日本が釣魚島を盗んだ。」と主張、日本を非難。国連大使の兒玉和夫が、尖閣諸島は日本の領土であるとの答弁を行い、中国の李保東国連大使と論戦を交わしている。

中国機も多く飛行し、侵入を繰り返す
海上保安庁の巡視船から通報を受けた航空自衛隊が、戦闘機8機と早期警戒機を緊急発進させたが、既に中国機は領海の外に飛び去った後だったという事件も起きた。(中国機尖閣諸島領空侵犯事件)。



侵入したとみられる中国海監のY-12洋上監視機




【経済的影響】
・日中関係は著しく悪化。
中国では日系商品に対する不買運動が起こり、日本車販売は急激に落ち込む。
日系自動車各社は中国国内工場の減産や休業措置をとり、日本から中国への完成車の輸出も停止。

中国の地方政府や国有企業は日系企業に発注した案件をキャンセルし、日系企業の取引停止措置、日本人社員との面談を禁止する。
日系企業への学生就職紹介も拒否、日系企業への就職拒否も広がった。

トヨタ自動車・マツダ・日産自動車などは不買運動の影響を大きく受けた。
これを受けてトヨタ自動車は、中国への自動車輸出停止や生産台数の大幅な削減を決定。
ダイドーリミテッドやファミリーマートなどでは出店計画の見直しが行われた。
国際協力銀行の奥田碩総裁は「日本製品の中国での生産や販売は半減以下になっている。」と指摘。
日本貿易会の会長を務める槍田松瑩三井物産会長は、中国海関総署による輸入通関での遅れなど、中国当局による事実上の経済制裁(嫌がらせ)が開始された可能性があるとの認識を示す。

2013年1月31日、山口県下関市に本社を置く株式会社山本工業が、反日デモで中国青島の主力工場が焼き討ちにされた影響で自己破産。


しかし、その一方で、2012年12月に第2次安倍内閣が発足してからはアベノミクスにより超円高が緩和され、日本政府が様々な観光誘致策も行ったことで、訪日中国人観光客は激増。
また2013年の中国市場での日本車の販売台数も回復しており、特に2015年においては日本車が外国車としては最もシェアを伸ばしている

・国有化以降は、尖閣諸島への中国公船の領海侵犯の件数は爆発的に増加する。
2013年7月に中国の各海上保安機関が統合し、中国海警局が発足してからは、中国公船の大量建造・大型化・武装化も進み、尖閣諸島周辺海域での海洋をめぐる事態は深刻化

これらに対し、日本側は「尖閣領海警備専従体制」を構築して2016年2月に完成させた。
また、2018年度末までに規制能力強化型の新たな小型巡視船を宮古島海上保安部に9隻配備し「尖閣漁船対応体制」を完成させ、2019年度末までには新型ジェット機を3機配備して「尖閣24時間監視体制」を完成させる予定である。



【海外の反応(社説)】
・米国紙『ウォールストリート・ジャーナル』-2012年9月25日
尖閣国有化に対する中国の対応について、中国政府が反日行動の煽動と抑制の「二重のコントロール」を行っていると指摘し、批判。
野田政権が東京都の尖閣購入に先んじて国有化を実施し、尖閣諸島の件で対中摩擦を未然に防ごうとしたにも関わらず、むしろ中国への挑発と受け止め、尖閣諸島海域にその漁業監視船等の公船を送り込んだり、反日デモの暴動化を煽動したことは「危険かつ、自国の経済停滞から国民の目を逸らす」ものであると分析

他にも、同諸島の主権の問題については外交的手段で抗議すべきものを、あえて軍事的衝突に発展するような形の措置をいくつも選択していると指摘。

これらの中国の対応は侵略的であるとし、その背景には反民主主義勢力に民族主義的傾向の加わった動きの現れと見なしている。
国際秩序に挑戦し崩そうという動きが、実際に国際秩序を不安定化させる危惧は避けられず、中国が日本をはじめとする近隣諸国にそのような攻勢を掛けることを米国は断固として阻止しなければならないと、主張。

・ドイツ紙『フランクフルター・アルゲマイネ』-9月24日
尖閣諸島国有化に対する中国の行動について、百年前の大英帝国などの列強も行っていた事として、中国への批判に消極的な見方を踏まえながらも、過去の欧米諸国の帝国主義的政策になぞらえて「古典的」な大国主義的政策との懸念を表明。

中国の過激な反応に対する日本の野田政権の冷静な対応を評価し、かつて欧米列強の帝国主義に苦しめられた歴史を経験したはずの中国が「同じ手法を使っている」と批判。中国が自制しなければ帝国主義時代の状態に逆戻りすることになると指摘


一方、中国の国内事情にも言及し、反日意識の高まっている国民に対し、中国政府が下手に理性的にクールダウン的対応を取れば逆に国民の反発を受け兼ねない事、信頼性を低下させている中国共産党(=為政者)は窮地に追いやられ、その結果孤立した「独裁的指導部」が不測の事態を起こす危険性を危惧。

その上で、打開策の鍵は日本との同盟関係にある米国の役割にあると強調
南シナ海における領有権問題も視野に入れ、中国に一方的に有利な結果を招かないよう、この問題の関係諸国に呼びかける。
しかしその一方でまた、特に大国としての中国がその度量を示せるか否かが大きいとしている。


・シンガポール紙『ストレイツ・タイムズ』-2012年9月24日
シンガポールは、どちらかといえば中国寄りの報道を続行してきた。
この問題は歴史的なものに根源があり、その確執が今回の騒動を生んだと論じている。
戦後において、日本は中国その残虐行為の謝罪を適切に行ってきた一方、靖国神社参拝問題・歴史に関する修正主義的な部分で、逆に指導者のその謝罪が不誠実とみなされた可能性を指摘。

アジアの隣人である中国のニーズに日本はより敏感になるべきであり、尖閣諸島は「購入」ではなく、ICJ(国際司法裁判所)のような第三者機関にこの問題を付託すべきであると明記。

中国(北京政府)に対しては、反日抗議を抑制し理性的対応を求める一方、日本がによるこれまでの対中援助や貢献の事実を中国国民に教育すべきであるとし、中国は日本を歴史的に許す挑戦をすべきと説く。
許すことは憎悪と不寛容のサイクルの長期化を打破する重要なことであると強調。

「野田前政権による沖縄県・尖閣諸島の国有化が日中関係の悪化を招いた」と指摘。

同紙-2011年6月17日では、漁船衝突事件について
「中国人船長を日本の刑法で起訴しようとするなど、日本領土として尖閣諸島を扱う実績を積もうとした日本政府の行為は、中国には絶対に許せるものではなく、強烈な反応も合理的なものだった」と記載。

一方、在シンガポール日本大使館が2013年2月21日付で寄稿した記事も記載している。
記事内で大使館は「緊張が高まった原因は国有化(2012年9月)ではなく、(2008年に始まり、2010年9月の漁船衝突事件以降に常態化した)尖閣周辺海域への中国艦船の派遣や領海侵犯にある」と反論。
中国海軍艦船が海上自衛隊護衛艦に射撃管制用レーダーを照射した問題などを取り上げ、「中国が一方的に挑発行為の手段に訴えているのは極めて残念だ」という内容をそのまま記載している。


この問題は根深いようでいて、実は相当単純明快である。
中国は新しい資源を手にしようと画策し、日本はルールを守れと述べているのみ。
民主与党の時代には、中国への特別配慮が当然とされ、それ以前にも微妙な問題として棚上げで先延ばしにしてきた経緯がある。
再び自民党が政権復帰を果たしたことで、2010年の衝突事故時の計44分の流失ビデオも再公開された。

また、真偽のほどは定かではないが、追突時に海に落下した保安員を中国船が押しつぶそうとしたり、銛で突いたとの話もある。泳いで逃げる保安員の後を追いかけ、何度も乗り上げようとした上、船をぶつけて挟み潰そうとしたが、間一髪で他の保安員が海から引き揚げたとの内容で、ほぼ都市伝説化している。

デモにおいても、船同士の衝突にしても、人口の多い中国においては人の命は軽く見られがちであり、人命確保を最優先とする日本のやり方は相当生ぬるいものに映るらしい。

先に挙げた尖閣諸島衝突時の船の船員、船長は酒に酔っており、中国国内において酒に酔った行為は責任が問われにくい、だから日本側も譲渡すべきという意見がマスコミから出たが、そもそも海上にて責任者が泥酔状態という事態の危険性が理解できていなかったらしい。

領空侵犯の際にも、中国軍の乱暴な操縦が指摘されており、デモの最中でさえ、暴力的な小競り合いが相次いだ。

国民性の違いと言ってしまえばその通りだが、その、日本的な考えからは自暴自棄的に映るその行動がさらに大きく爆発した時、中国経済の破綻や崩壊だけで果たして済むのかとやや興味深いところではある。

最後に、自民党により公開された44分の衝突ビデオの映像を記載する。
記録用ビデオなので、わかりやすい解説や状況説明はないが、十分に事態が確認できる。
たった44分の映像であるが、2国間の現代史において、大きな転換期を引き起こしたこの記録の意味は計り知れない程、大きい。










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515 :本当にあった怖い名無し:2008/08/09(土) 11:29:38 ID:pQEGaTE00

703: 2008/07/31 18:10:11 lOgZzHMX [age]
『中国の希望と絶望』
著・林青悟/かんき出版

中国の乞食はたいてい幼児を、しかも手や足のない不具の子供を抱いているケースが多い。
巨頭症(体と頭の大きさが同じくらいの不具)の赤ん坊や、
両腕や両脚の肩や膝から先が折れて欠損している幼児を抱えて、道行く人にお金をせびる。
不具の幼児を抱えていると、乞食商売は成り立つという。
 
学生の一人がこんな事を言った。
「奥地から出てきて、仕事を見つけられない人は、乞食をします。
そのために、他人の子供を盗んできます。
一方で子供を売る親もいるでしょう。
彼らは子供の手や足をポキポキ折ったり、切り取ったりして、その子供 を抱えて乞食をします」
 
乞食の抱える手足のない子供が全てそれなのか、確かめるすべはなかった。
学生は続ける。
「しかし子供は手足が無くても成長しますから、やがて使えなくなり、捨てます」
「捨てられた子供乞食はどうなるのか。死ぬのか」
「さあ、そこまでは知りません」
 
そんなやりとりがあって、半年ばかり経っただろうか。
学生達が言い出した。
「いい天気ですから、暗い教室より公園に出た方がいいんじゃないですか?先生」
 
そこで玄武湖公園で中国式席取り遊びをして、
その後でみんなで美味しいラーメンを食べよう、ということになった。
公園の一角に接して建っている南京の名刹の一つ、古鶏鳴寺の裏門通りを抜けて市内に向かおうとして、
私はふと立ち止まり寺を見上げた。
 
裏門に至る登り坂は段々になっていて、その階段の両側全てに乞食少年が座り込んでいる。
見るところ、 その乞食たちはすべて、両手は肩から、両足は膝から先がない。
座らせられたまま自力で移動することはできないから、
かんかん照りの中、終日そこに据えられて、通行人に笑いかけ、小銭を乞うているのだった。
「これが、使えなくなって捨てられた子供たちの、なれの果てなのか」

立ちすくむ私は、「先生、見ないで」という女子学生に手を引っ張られ、学生達の群の中に戻された。


今までにあった最大の修羅場を語るスレ2

765 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)20:48:53 ID:8O86ZE79x
まだ20代前半の頃のはなし
私は上京して一人暮らしをしていた。
そこへ幼馴染のA子がアポなしでやってきた。

久しぶりに会うA子にすごくビックリした。結婚してA子も東京にいるのは知ってた。
まだ携帯もネットも普及していない時代だったから、年賀状で近況を知らせ合うのが当たり前。

A子の顔は痣だらけで、
こんな言葉は当時はなかったけど、DVだと察しはついた。
話をきくと、A旦那は賭け事で借金がかさみ、A子に風俗へ行くように命じた。
A子拒否。怒り狂った夫に暴力で脅され、
監禁されたけれど夫の目を盗んで着の身着のまま逃げ出してきた。

年末の寒い中、薄っぺらな上着を脱いだA子は
ほつれてポロポロのセーターに膝の抜けたジーンズ
穴の開いたよれよれのスニーカー、靴下も履いてなかった。
手にしているのは私の年賀状だけ、お金がなくて半日歩いてやって来たそう。

庇ってやろうにも、生活の面倒見てあげるほど私もお金を持ってない。
年賀状等もすでに何通か送っているので、私の住所がばれるのも時間の問題。
私の母が義父にDVを受けていたのに警察が何もしてくれなかったし
都会の警察は違うかもしれないけれど、
警察に呼び出された義父が
帰宅してから母にさらに暴力を振るっていたのも見ていたので、警察もダメだと思った。

私も東京に知り合いがいるわけでもなく、
同僚とはこんな修羅場に巻き込む程親しくない。
A子にしても、助けてくれる知り合いがいるなら私のところになんか来ない。
とりあえずA子を風呂に入れて私の服を着せて、
二人で途方に暮れていた。
A子はいくらかお金を貸してほしい、きっと返すから、と言って泣いた。
現実的にそれしかない気もした。
その時、ピンポンが鳴った。

私たちはドキドキして顔を見合わせ、私は玄関にまさに忍び足で向かい、ドアスコープで外を見た。
玄関の前にいた男と目があった。
ビックリして飛びのき、声が漏れないように手で覆って部屋に戻った。
私は無言のままA子の手を握って、首を振った。

私はめまぐるしく考えた。
逃げなきゃ、と思った。
アパートは二階だし、でもベランダからどうにか…と
ベランダのある寝室に使っている部屋の方を見た時、心底驚いた。
心臓が一瞬止まって血の気が引いて、
次に顔がかーっと熱くなった。

閉めてあったふすまが開いていて、男が二人立ってた。
男たちがニヤリとして、一人が玄関に向かった。
玄関の開く音がして、男たちが数人、入ってきた。
妙なもんで、ああ、土足のままだよ、なんて思った。


767 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)21:01:22 ID:8O86ZE79x
続き

男の一人が、奥さん、逃げたらだめだよ、
旦那の借金はちゃんと返してもらうよ、とかなんとか言ってた。
気づいたら私とA子はへたり込んで、両手をしっかり握り合ってた。
この際だから、お友達にも協力してもらう?なんて、誰かが言った。

私は、男たちの顔を順番に見て、一番偉そうな男の顔を見て、あれ?と思った
ぴた、って思考が止まって、あれ、誰だっけって思った。
向こうも私の顔を見て、何か思い出したみたいで、
隣の男に何か言って、私の出したハガキを見て、また何か言って、
全員ぞろぞろと部屋を出て行った。


769 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)22:29:34 ID:8O86ZE79x
私とA子は、へたり込んだまま茫然としていたんだけど、
私はさっきの男が誰だったか、一生懸命考えていた。

母の男は次々変わって、年も職業もいろいろだったけど、まあどれもろくでなしだった。
でも母の男たちの年齢よりは、かなり若かった。まだ30代中くらい。
それにろくでなしたちは、あんな幹部的な人ではなく、チンピラ程度の下っ端ばっかり。
私の実父も、いわいる「鉄砲玉」かなんかで、刑務所に入っている間に生まれた。
祖父母が認知すると前科者の娘になってしまうと、わざわざ認知しなかったような男。

やっと動けるくらいに落ち着いてから、私は玄関の鍵をかけに行って、
なんとなく、ドアを開けたらその男が廊下に立ってた。

ビックリしたけど、怖くなかった。
顔をじっと見てたら、男が玄関に入ってきた。男は玄関からは上がらなかった。
台所には足跡がいっぱいあって、男はそれを見て、眉をぴくって動かした。
変なもんで、その眉毛で、記憶がぱーっとよみがえった。

男は、義兄でした。

義兄と言っても、幼稚園から小学校の低学年くらいの間、
母と暮らしていた男の息子で、
私も同じ苗字を名乗っていた気がするので、たぶん義兄だったんだと思う。
当時義兄は高校生くらいで、原色のTシャツと、ボンタン?ふっとい学生服ズボンの印象がある。
学ランも長くて、膝くらいまであった。


772 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)23:05:46 ID:8O86ZE79x
続きです。

義兄はとても良くしてくれました。
母は私の世話なんか全然しなかったので
一緒に暮らしていた間、義兄がご飯作ってくれました。
よく義兄の彼女が来ていて、ヤンキーだけど優しかった。
妹さんのお古だけどって、かわいい服や、可愛い文具なんかもくれた。
私の人生の中で、あの頃が一番幸せだったように思う。
それでも、その一時期をすっかり忘れていました。

私は、義父に売られていました。
義父の小遣い稼ぎで、ロリオヤジたちに、たぶん時間いくらで。
それまでは触られたり舐められたりだったけれど、無理に入れられて、痛くて泣いた。
家に戻っても痛くて痛くて、
帰宅した義兄に泣いて訴えたら、病院へ連れて行ってくれた。

たぶん、病院から通報されたんだと思う。義父が逮捕されて、母に殴られた。
お前が我慢しないからだって。

その後、施設に入ったけど、しばらくの間、義兄はよく面会に来てくれた。
私は母に引き取られたり施設に戻ったりを繰り返していたので、義兄とは連絡がとれなくなった。
中学を卒業する頃、母が酔っぱらって車道で寝ていて車にひかれて死んだ。
それで東京へ出てきた。
A子は中学時代、そんな私にでも仲良くしてくれた唯一の友達だった。

でも世の中甘くないよね。
中卒で保証人もいないような女を雇ってくれるところなんかない。
結局、昼は超底辺工場で働いて、夜はキャバクラ。
そのうち、定時制の高校を出て、昼は小さい会社の事務に雇ってもらった。
当然生活出来ないのでキャバクラも続けてた。


773 名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)23:38:07 ID:8O86ZE79x
義兄に「元気だったか」と聞かれたので、うなずいたら、
「そうか」と一言言って、頭をポンポンされて、そのまま帰って行った。
結局、義兄に会ったのはこれが最後。

数日後、弁護士がやってきて、
A子の夫の借金はA子が返済する義務は一切ありませんと言われた。
A子には、就職先と住まいが用意されてた。

弁護士に義兄の連絡先を聞いたけど、教えてくれなかった。
A子を脅しに来たやくざ者たちがどこの人たちかもわからないし、
私にとって「おにいちゃん」でしかなかった義兄の名前もわからない。

私は勤め先の息子と結婚した。
結婚した時、弁護士さんが、義兄からの結婚祝いを届けてくれた。
それっきり音沙汰ない。
夫や義父母にはある程度は話してあるけど、義兄の事は言っていない。
A子も今はまともな人と結婚して幸せに暮らしている。
 
>>770 
その通りです。すいません、わかりにくくて。
ドアスコープを覗いたら、向こうもこっちを覗いてたんですよね。
中に人がいるかどうか確認するため覗くらしい。
知らないから、ビックリしました。
男たちは寝室の窓から入ってきてました。
 
なんで今頃この話を投下したかというと、A子がおばあちゃんになったと連絡が来たからです。
うちの子たちはまだ高校生なんだけど。

私の生活はあの後も前もあまり変わりなかったので、夢だったんじゃないかと思う事もある。

自分の子供時代は抜け落ちている部分がかなりあって、
子供時代から妄想癖があるので、現実と妄想の区別がとても曖昧なんだよね。
でも義兄が食べさせてくれた、でっかいパフェの記憶は妄想じゃないと思うんだ。
最近、更年期で涙もろくてさ。
義兄に会いたいと、よく思う。
毎年、弁護士さん宛てに家族写真入りの年賀状を送っている。
義兄に届いているといいなぁ。


804 :名無しさん@おーぷん :2014/09/28(日)20:07:00 ID:PbP4ATlqo
>> 765です。
今日は家族がみんな留守で暇なのでまとめ読んでたらもう載ってたよ。早いよね…。
皆さんが話題にしてくれて、義兄に同情してくれてました。
ありがとうございます。

でもね、何人かから指摘されていたんだけど、義兄は同情に値する人ではないと思います。

私にとっては本当に優しい大切な兄だけれど、
あの時私がいなかったら、義兄が来なかったら
A子と私の運命はまるで違うものになっていたはずです。
あの当時だと、トルコか、あるいはもっと底辺の場所へ送られてしまったのだと思います。
たぶん、義兄がそんな場所へ送った女性は沢山いると思います。

義兄が私に連絡を取らないのも、
私が義兄を探さないのも、
今だに兄の本名も知らないのも
義兄と私の関係が公になったら自営業の我が家にとっては致命的だからです。

年賀状を弁護士さんに送っているのも、A子に止めた方がいいと言われました。
A子にしてみれば、義兄は神様みたいな人です。
元夫から解放してくれただけでなく、再起のチャンスもくれました。
足を向けて寝れないよ、とA子が自分で言ってました。
それでも、家族の為に止めた方がいいと忠告してくれたんです。

でも、忘れられないんですよ。
赤いソーセージが入っただけのケチャップスパゲッティや、
こげこげのチャーハンを義兄と美味しいねって笑って食べました。
義兄が作ってくれたゴツゴツの石ころみたいなおにぎりのお弁当を持って遠足に行った。
タコウインナーと卵焼きがアルミに包んで入れてあった。
塩水に浸してない茶色いリンゴもあった。
運動会の時には義兄の彼女がお弁当を作ってきてくれて3人で食べました。
どっちのお弁当も、本当に美味しかったんですよ。

今は鮮明に思い出したけど、義兄と再会した時、私は義兄の思い出の何もかも、全部忘れてた。

結婚して、お弁当作ったりしてると、ぽつぽつ思い出すの。

思い出す度に本当に切なくて、あの後の義兄の人生はどんなだったのだろうと考える。

一緒に暮らしている頃から、兄はとても暴力的でした。
往来で喧嘩を始めたり、いったん火が付くと誰彼かまわず殴り倒したり。
でも、私にはいつでもとても優しかった。

私が病院に運ばれた時、義兄は義父を半殺しにしました。
私の中では、義兄はヒーローでした。誰より強くて、私を助けてくれる。
たぶん世の中にとっては義兄は厄介者以外の何物でもないのだと思う。
でも、会いたいんです。
わけもなく泣きたくなるのは、きっと更年期のせいですね。
子供時代、妄想をして現実逃避していた癖が抜けなくて、いろいろ考え過ぎちゃうんですよね。
これで最後にします。
おばさんの泣き言におつきあいくださってありがとうございました。


815 :名無しさん@おーぷん :2014/09/29(月)05:39:32 ID:C6CLq5ILS
>> 804
お気持ちお察しします
義兄さんなりに一生懸命幼い妹をかわいがってくれたのも伝わってきます
そんな義兄さんが道を大きく逸れることになってしまったのも、
酷い親の影響も大きかったんでしょうね…

A子さんの忠告ももっともだと思うけれど、ハガキを弁護士通しっていうのは悪くないし
ギリギリセーフなんじゃないかと
陰の業界のことはよくわからないのでなんですが、
おじいさんと呼ばれるような年齢になってから弁護士事務所で面会とかどうなんでしょうね
でも、きっと義兄さんはあの時、妹が売り飛ばされる時に介入できて
(たぶん売り飛ばしにきたんでしょうけど)
その二人が、立派に立ち直っているのが何よりもうれしいと思っているはず
>>765さんとA子さんのこれから先の人生が平穏で幸せに満ち溢れたものでありますように


――――――――――――――――――――――――――――――

843 :名無しさん@おーぷん :2015/01/27(火)10:18:59 ID:xnd
ずいぶん前に、このあたりのスレで書き込みました。
昔、借金取りから逃げてきた友人を追って来た借金取りが生き別れの義兄で
毎年弁護士経由で年賀状を送っている更年期のおばさんです。

兄の事を思い出すと辛くて会いたくて仕方なくて、
母が酒浸りだったので私は付き合い程度の酒しか飲まなかったのに、私も酒浸り状態になりました。
更年期で薬を処方してもらっていたので
キッチンで泡ふいて倒れて、運ばれた病院で夫に義兄の事も家族や生立ちを全部話しました。

とても複雑な話なので、過去に部分的にぽつぽつ話した事はあったけど、
じっくり話したのは結婚20年で初めてでした。

結果から言うと、夫はほぼ全部知っていました。
それも私が知っている以上に。
なんで知っていたの、と聞くと、なんと義兄から聞いていたそうです。
夫は義兄の消息を知っていました。

うちは自営なので、過去何度も経営の危機に陥りました。
その時に助けてくれた取引先が義兄の息のかかった会社で、
結婚時に夫が取り寄せてくれた戸籍に載っていた義兄の名前を見て
義兄と私の関係を知って、話をしに行ったそうです。

私は幼くて覚えていませんでしたが、
義兄は母からいろいろ聞いていて覚えていたそうで
私の消息を探す過程で義兄は私の実父や実祖父の事も調べてありました。
ふたりとも健在です。
私も母も父は刑務所に入っていると思っていましたが、それは嘘でした。
祖父母が妊娠した母を追っ払う為についた嘘です。

要はちょっとしたやんちゃ時代に母と知り合って遊んだだけで、
ちゃんと大学を出て祖父の会社を継いで、今では地元の名士として安穏と暮らしています。
私の事は義兄が訪ねるまで知らなかったそうで、
私の知らない間に私を認知していました。

祖父については、もっと話が複雑です。
私の祖父は進駐軍の将校です。つまりアメリカ人。
祖母はそのお相手役でした。

母が生まれた後祖父は帰国、数年後に
母を日本に置いて祖母も渡米、そのまま米国で亡くなりました。
母は認知されていたので母も私も米国籍を持っています。
(私は知らなかったけど)

結婚するまで私は天涯孤独と思っていましたが、
実際には米国に祖父や叔父叔母従兄妹がいて日本には父と異母弟妹がいたわけです。


844 :名無しさん@おーぷん :2015/01/27(火)10:19:32 ID:xnd
つづきです。

夫は義兄から口止めされていたそうで、でもずっと義兄と連絡を取り合っていました。
ただ私がそこまで義兄の事で思い詰めているとは思っていなかったようで謝ってくれました。
そして義兄がいるホスピタルに連れて行ってくれました。

義兄は、会いに来たらいけないよと、何度も言いました。

私は最初の日は一日泣き続けて話になんてまるでなりませんでした。
義兄は末期のがんで、年末に亡くなりました。
最後の数か月だけでも一緒に過ごせて、本当に良かったです。
沢山話が出来たし、記憶よりずっと小さくて痩せた体で、
でも幼い頃のように甘えさせてくれました。

義兄の人生も波瀾万丈でした。
私を可愛がってくれた高校時代の彼女と結婚して子供も生まれたのに
二人を事故で同時に亡くしたそうで、それ以来孤独に暮らしてきたそうです。

夫は20年もの間、ずっと義兄の事を私に話すべきかどうか悩んでいたそうです。
悪い事も沢山したのだろうけれど、
私にとってはとてもいいお兄さんだった、
とても大好きだったと義兄の為に泣いてくれました。

葬儀は私の家族だけで行い、妻子と同じ墓に埋葬しました。
遺品はほとんど処分済で、お墓の納骨室の中にほんの少しだけ家族の遺品がありました。
見覚えのある大好きだったお姉さんの遺品を見たらまた泣きました。

長々と書いてしまいました。
最近やっと気持ちが落ち着いてきたので、誰かに聞いてほしくて書き込みました。


「ソハの地下水道」
2011年のポーランド・ドイツ・カナダ合作の伝記映画。
アニエスカ・ホランド監督 。

第二次世界大戦中にユダヤ人たちを地下水道にかくまい、命がけで守り抜いたポーランド人レオポルド・ソハの実話を題材にしたロバート・マーシャルの同名書籍を映画化した。


第84回アカデミー賞外国語映画賞のポーランド代表に選出され、ノミネートされた。






【ストーリー】
・ナチス支配下の時代。
ポーランド人下水修理業者であるソハは、空き家となったユダヤ人の家から金目のものを盗み出していた。

やがてソハはゲットーから逃げ出してきた行き場のないユダヤ人たちに、有料で下水道内での潜伏生活を協力するようになる。

決して善人とはいえないソハではあるが、極限状態の彼らと接するうちに心は徐々に変化し始めた。
が、時代は過酷だ。

ソハの相棒がドイツ軍によって首を吊るされた。ホンの些細なことで、自分の周囲にも危険が迫りくる。

一度はユダヤ人らと距離を置こう決心するソハだが、最早彼らを見捨てることはできない。
ソハは、彼らを命がけでかくまい続ける。
また、家族よりもユダヤ人を大事にするソハに反発しつつ、家族はソハを支え続けた。


だが、人の心は脆い。
ユダヤ人たちの中にも下水道での生活に限界を感じ、逃げ出す者が現れた。
しかし逃げてもは収容所に送られるか、下水道内で行き倒れて死ぬか。2つに1つである。

さらに、1人のユダヤ人女性が妊娠・出産するも、潜伏生活を維持するために、産み落としたばかりの我が子を母親自らが手にかけるという悲劇も起きた。

精神的に追いつめられ、何度も危機に瀕しながらも、ユダヤ人たちは幾度となく難を逃れ、下水道を知り尽くしているソハのおかげで必死に生きのびた。

そして、大雨により下水道は増水した。
下水道に住むユダヤ人達は地上に出ることができない。ソハも、それを知りつつ、どうすることもできない。

が、彼(ソハ)の必死の行動により、彼らの命は奇跡的に助かる。
14ヶ月、潜伏生活を経てようやく自由を手に入れるたユダヤ人達は、ソハとともに生き延びた喜びを分かち合う。



ラスト。

その後。ソハは自分の娘を助けるため、ソビエト軍の暴走トラックに轢かれて死亡する。
その彼の死を、近所の者は「ユダヤ人を助けた天罰」とささやく。



余談ではあるが、ソハと妻ヴァンダら6,000人以上のポーランド人がイスラエルから表彰されており、本作は彼ら全てに捧げられている。


―――――――――――――――――――――――――――――――
後味の悪い話 その160

314 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/12/03(木) 23:52:24.84 ID:6/BebpsC0.net
実話を元にした映画『ソハの地下水道』。

第二次世界大戦中のドイツ。
主人公「ソハ」は、下水道の修理人という職業の傍ら、
無人となったユダヤ人の家に空き巣に入ることを副業としている小悪党だった。

そんなある日、ソハは下水道隠れていた大勢のユダヤ人を発見する。
見逃してほしいと懇願するユダヤ人たち。
ソハはユダヤ人の足元を見て高額の口止め料を要求した。
それ以来、下水道のユダヤ人たちを匿って世話をすることがソハの副業となった。

ユダヤ人たちの下水道での生活は過酷なものだった。
ある者は凍え死に、ある者は病死し、ある者は外に出てドイツ軍に射殺された。
初めは小悪党だったソハだが、次第に心境が変化していき、ユダヤ人たちに肩入れするようになっていく。
ユダヤ人たちの金が尽きると、ソハは自腹でユダヤ人たちの世話をするようにまでなった。
(しかもソハは「タダで動く人間だと思われたくない」という理由から、
こっそりユダヤ人の一人に金を渡しておいて、「金を払うフリ」を他のユダヤ人たちの前でさせていた)

ソハとユダヤ人たちは様々な苦難にあう。

時はたち、ついに終戦。
ソハはユダヤ人たちを地上へと解放する。
日の光の中、全員が号泣し抱き合った。

画面が暗転し、モノローグ。
『この数ヶ月後、ソハはソ連の暴走車から自分の子供を庇って事故死した』
『近隣住人たちはソハの死を「ユダヤ人を匿ったことへの天罰」と蔑んだ』
『人は、神を利用してでも他者を罰したがる』


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