サイケデリック・奇譚

永遠の日常は非日常。

タグ:飢餓

【閲覧注意】

貰い子殺人とは、何らかの事情により育てられない新生児を育てるといって貰い子にし、親から養育費を受け取った後で殺害する殺人である。

二次世界大戦前の日本において堕胎・人工中絶も違法であり、それ故にこっそりと産み落とされる私生児も多く、また不倫絡みの場合には離婚だけではなく姦通罪も適用となる。

また、社会自体が貧しかったため既に多くの子供のいる家庭では養うことはできない場合も多かった。

こういった事情により、育てられない新生児などを、ある程度の養育費をつけて貰い子、すなわち里子に出す場合が少なくなかった。
しかし、中には養育費目当てで貰い子を引受け金銭受領後に邪魔になった新生児を殺害する事件も起きた。

被害者が新生児であるうえ、実親も子供の運命を危惧する余裕もなかった時代でもあり事件が露見しにくかったと思われる。
そのため、大量殺人に至った場合が多い。
また、1955年ごろまでの医療技術・医療体制・出産体制では、新生児・乳児の死亡は珍しいことではなかったため、医師も訴え出ればそれほど深く調べずに死亡診断書を書いてしまうことが多く、こうした犯罪の温床になっていた。

現在ではこのような養育費をつけて貰い子にだすことが多くないことと、助産師制度が国家資格化され医療と一体化されたこと、新生児死亡率が極度に下がり不審死と自然死が厳密に判定できるようになったことなどから、同種の犯罪はほとんど発生していない。


佐賀貰い子殺人事件
1902年、佐賀市内在住の40代の夫婦が、生後6ヶ月の女児を養育費70円で引き取り1年後に餓死させた。
が、この時事件は発覚せずこれで夫婦は味をしめたと思われる。
その後夫婦は行商人の女と共犯し、近隣各県から私生児を10~25円の養育費で引き取っては殺害し土に埋めた。なかには生き埋めにされた新生児もいる。
逮捕後、被害者は新生児60人以上と自供。
夫婦はともに死刑、行商人の女に懲役12年の刑が確定し、夫婦の死刑は執行済みである。
事件が発覚した当時、あまりの蛮行に激怒した近隣住民が夫婦の家を破壊したという。

板橋貰い子殺し事件
東京板橋にあった岩の坂地区で貰い子が1年で41人が殺害された疑惑が発覚した。
この地区の長屋の住民には、古くから上流階級などの不義の新生児などを貰い殺しをしていた者がいたとみられる。容姿の優れた女児と体力のある男児は育て、炭鉱夫や遊女として売ることもあったという。
また、わずかな期間で不審な死に方をした新生児も多かったが、犯罪として実証された事例はほとんどなかったようだ。
なお、この事件をスクープしたのは東京朝日新聞の三角寛記者であるが、彼の経歴から事実が誇張された可能性もある。

川俣初太郎貰い子殺人事件
東京目黒在住の33歳男が、子供の貰い手探しの広告を見つけてはその広告主の産婆を訪ね、何十円かの養育費を受け取ったうえで殺害していた。
5年で25人を殺害。
男は後に死刑になった。

寿産院事件

ミルクや食べ物をほとんど与えず病気になっても治療しない等の虐待により、1947年1月からの一年間で預かった112人の乳児・幼児のうち、85人が死亡した事件。
被害者らの大部分は私生児であり、貴族の子も2人いたという。
預かり料は子供一人あたり最高8400円で、1947年だけで90万円を荒稼ぎしていた。
院長の女とその夫と助手の女が殺人罪で起訴されたが、1948年東京地裁は、院長の女に懲役8年、夫に懲役4年、助手の女には無罪を言い渡した。

愛知貰い子殺人事件
板倉しげ(45)は、伊勢藤堂藩士の娘として生まれている。
1898年より私生児を40~50円の養育費と共に引取り次々と殺害。
1913年5月には既に200人ほどの子供が殺されていたとされる。
日露戦争時には夫が出征・死亡するなどして貧窮に陥った未亡人らの子供を次々と引き取り、殺害。
犯行の足がつかないように2、3人殺すごとに引越しを繰り返していた。
共犯者の沖つた(45)と猪飼なか(62)は浮気相手を連れ込むための隠れ家で貰い子を殺害。
子供を40円で預けたある母親が我が子に会えないのを不審に思い警察に相談、事件が発覚した。
坂倉しげ、沖つた、猪飼なかの3人とも1915年に死刑が執行されている。


死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?


845 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:20
■発見されたミイラ船
1927年10月31日、カナダ西海岸バンクーバー島。
ワシントンのシアトル港への帰路についていた、アメリカの貨物船「マーガレット・ダラー」号は、
行方不明になっていた小型漁船「良栄丸」を発見した。

ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、激しい死臭、白骨体、足の無い死体。
船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。

船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
船尾の司厨室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、
コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。
船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。

ところが、船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。
そのノートによると、良栄丸の情報は以下の通りだ。


重量は19tで1本マスト
船主は和歌山県の藤井三四郎
船長は三鬼時蔵
機関長は細井伝次郎
乗組員は12名
神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日
約1年間漂流していた
ここで疑問が浮かぶ。
発見された死体は9体、記録には12名とある。
3名はどうなったのだろうか。





846 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:22
■不幸な漁船
1926年12月5日、
神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。
天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、
翌12月6日に銚子港に寄港した。
しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。
が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。
そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、
紀州船によく似た船が現れたので、
信号を送ったり船員が叫んだりしたのに、応答も無く通り過ぎてしまったという。

三鬼船長は漂流を決意、
記録には「4ヶ月間は食べられる」と書いてあった。

12月16日にも「東洋汽船」と書かれた船が近くを通ったが、
応答はなかったという。
なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。

記録にはこう書かれている。
「どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。ただ汽船を待つばかり。反対にアメリカへ漂着することに決定。
帆に風を七三にうけて北東に進む・・・。
しかし、漁船で米国にたどりつこうとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」



847 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:26
■恐怖の記録
ここからは説明は要らないだろう。
記録文のみで充分に迫力が伝わってくる。


「12月27日。カツオ10本つる」

「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」

「2月17日。いよいよ食料少なし」

「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。
恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた」

「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、
「ひとめ見たい・・・日本の土を一足ふみたい」とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする」

「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。
水葬に処す」

「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。
井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。
全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」

「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、
「おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、にじが見える・・・。」などと狂気を発して、
左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。いよいよ地獄の底も近い」



848 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:26
「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、
三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、吉田藤吉の頭をめった打ちにする。
その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。
のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて
歯という歯から血液したたるは、みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」

「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。
全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。
血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものはなしと心得たい。
これもみな、餓鬼畜生となせる業か」

「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」

「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。
人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」

「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。
地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。
同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」



849 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:26
「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。
ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし」

「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。
山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。
あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。
友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。
白骨のぞきて、この世の終わりとするや・・・」


日記はここで切れている。
だが三鬼船長は、杉板に鉛筆で、以下のような家族宛ての遺書を残していた。


「とうさんのいうことを、ヨクヨク聞きなされ。
もし、大きくなっても、ケッシテリョウシニナッテハナラヌ・・・。
私は、シアワセノワルイコトデス・・・ふたりの子どもたのみます。
カナラズカナラズ、リョウシニダケハサセヌヨウニ、タノミマス。
いつまで書いてもおなじこと・・・でも私の好きなのは、ソウメンとモチガシでしたが・・・
帰レナクナッテ、モウシワケナイ・・・ユルシテクダサイ・・・」



851 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:27
■奇妙な事実
しかし、記録を調べるうちに、奇怪な事実が浮かびあがった。
数十回に渡って他の船にであっていながら、救助に応答する船は一隻としてなかったことだ。
そして、吉栄丸は太平洋横断の途中、たった一つの島さえも発見できなかったのである。

しかし、アメリカの貨物船
「ウエスト・アイソン」号のリチャード・ヒーリィ船長は、次のように述べている。 

「1926年12月23日、
シアトルから約1000キロの太平洋上で波間に漂う木造船を発見したが、
救助信号を送っても返事が無いので近づきました。
しかし、吉栄丸の船窓や甲板に立ってこっちを見ていた10人ほどの船員は、誰一人として応えず、
馬鹿らしくなって引き上げたのです」

だが吉栄丸の記録にこのことは書かれていない。
一体、彼らにはなにが起こっていたというのだろうか。


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582 :本当にあった怖い名無し:2005/06/13(月) 21:57:51 ID:vw0jWuEv0
田舎住まいなので、通学するときにはいつも田んぼの脇道を通っていた。
その日も家に帰る為、
いつものように田んぼの脇道を、カエルの鳴声を聞きながら歩いていた。
すると田んぼの中に、ピンク色の割烹着のような服を着た人が立っているのに気が付く。

「ああ、田植えか何かしているんだな」
そう思って良く見てみると、何か動きがおかしい。

片足で腰をクネクネさせながら、
白いビニールの紐のようなものを、新体操をしているかのように、体の回りでグルグルさせている。
何と言うか、フラフープをしているような、そんな動き。

変な汗が、俺の体中からフツフツと湧き出てきた。
しかもソレは片足でケンケンしながら、少しずつコチラに近付いて来ている。





583 :ケンケンちゃん2:2005/06/13(月) 21:59:08 ID:vw0jWuEv0
ゲコゲコと蛙の鳴声が響く夕焼けの田んぼの中で、俺は何故か動けずにソレを見ていた。
腰をクネクネさせて、ピョコピョコとコチラにやって来るソレに、顔は無かった。と言うか見えなかった。
写真でブレた時みたいな、激しく顔を振っている。
そんな感じ。
体は普通に見えるのに、まるで顔の部分だけぼやけていると言うか・・・。

俺は目がかすれたのかな?と思い、
何度も目を擦ってみたが、ソレの顔は相変わらず見えない。
しかも、もう目の前まで来ている。

「ああ、こらもう俺の人生終わったな」
そう思ったと同時に、涙が物凄い勢いで流れた。
目が痛くて開けていられない程に・・・
俺はその痛みと恐怖で気絶してしまったらしく、次に目を開けた時には自宅の布団の中でした。



584 :ケンケンちゃん3:2005/06/13(月) 22:00:37 ID:vw0jWuEv0
そこには俺を囲むように、
親父と祖父、祖母と近所の坊さんが居て、なにやら念仏のようなものを、声を揃えて唱えている。
なんだかその状況が可笑しくて、
「ブフッ!」と吹き出すと、
祖母がグッっと俺の体を押さえ付けて、「ジッとしてろ!」と低い声で言った。


結局それは、俺が目覚めてから1時間程続いたのかな。
その後、祖母に聞いた話しでは、
俺が出会ったアレは『案山子の神様』とかなんだけど、
その案山子は寂しかったのか何か知らないが、俺を自分の仲間にしようとしたらしい。
「連れてかれたら、一生泥の中で暮さなきゃいけねえんだぞ」と、祖母は最後に言いました。

おかげで今でも、田んぼに
案山子がポツンと立っていると、恐くてしょうがないです。



619 :本当にあった怖い名無し:2005/06/14(火) 04:17:46 ID:9kYKDdu50
ケンケンちゃんの話すごく面白かったよ。p(^^)q

で、無粋だけどお願いあるです。
気絶してるあいだの話とか、知ってたら聞きたいんですけど。
その神様の犯行(?)だって事、なんで他の人たち解ったんだろ、とか、きっと初犯じゃないのね、とか
気になるです。



787 :ケンケンちゃん 後日談:2005/06/15(水) 22:46:14 ID:SlWRJvJy0
親父に電話で色々聞いてみました。


気絶した俺を見つけたのは近所の人だった。
田んぼの脇道に人(俺)が倒れていたので、「まさか・・」と近付くと、涙を流したまま倒れている俺。
その目の前に、俺を見下ろすような形で立っている案山子。

「やっぱり」と思い、俺の祖父や坊さんに知らせたそうです。

昔も似たような事件が、何回かあったみたいです。
殆どの人は助かっているそうです。

しかし、発見された時に、目の前の案山子を見つめたままケラケラと笑い続け、
案山子の側を離れようとしない者も、何人かいたそうです。



788 :ケンケンちゃん 後日談2:2005/06/15(水) 22:49:56 ID:SlWRJvJy0
さらに嫌な話も聞いてしまいました。
なんでも昔々の食糧難の時に、その村にいる役立たずの人を食いぶちを減らす為に殺してしまうそうです。

しかし、ただ殺すだけではと、田んぼを荒らす獣除けに、逃げられないように足を片方切断して
白装束を着せ、田んぼに立て掛けた十字型の木に縛り付けてしまう。
片足両手等を縛られて、殆ど身動き出来ないその人は、そこから抜け出そうと体をくねくねさせる。
それを遠くで見る村人は、「あれならあと2、3日は余裕で持つな」と話すそうです。
縛られた人は、大体餓死か日射病?で死ぬが、中には熊や野犬などに食われてしまう人もいるそうです。
(獣除けになっていない・・・)


まあ、そんな非道な事をやってれば、祟りや何だで、その村に色々起ったので、
(ここら辺の事は、親父も祖父に教えてもらえなかったみたいです)
生きたまま案山子にされた人を、『神様』と祭り上げた。

まあ、俺の親父も死んだ祖父も
無類の酒好きなので、何所まで本当か何所までが嘘かわからんです。



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861 :本当にあった怖い名無し:04/11/29 01:47:12 ID:ULDwsM1m
じっちゃま(J)に聞いた話。


昔Jが住んでいた村に、頭のおかしな婆さん(仮名・梅)が居た。
一緒に住んでいた息子夫婦は、新築した家に引っ越したのだが、
梅は「生まれ故郷を離れたく無い」と村に残った。
しかし他の村民の話では、「足手まといなので置いて行かれた」そうだ。


その頃から梅は狂いはじめた。
普通に話しをしているかと思うと、いきなり飛びかかり腕に噛み付く。腕の肉が削り取られる程に。

そんな事が何度かあると、
「ありゃあ、人の肉を食ろうておるんじゃなかろうか」と、村中で噂が広まった。
まだ子供だったJは、
「なぜ警察に言わんのね?」と言うが、「村からキチ○イが出るのは、村の恥になる」と大人は言い、
逆に梅の存在を、外部から隠すそぶりさえあったという。

風呂にも入らず髪の毛ボサボサ、
裸足で徘徊する梅は、常に悪臭を放ち、日に日に人間離れしていった。





862 :733 4-2:04/11/29 01:48:44 ID:ULDwsM1m
村民は常に鎌等を持ち歩き、
梅が近付くと「それ以上近寄と鎌で切るぞ」と追い払う。


そんなある日、2、3人で遊んでいた子供達が梅に襲われ、
その内の1人は小指を持っていかれた。
襲われた子の父母は激怒。
梅の家に行き、棒で何度も殴りつけた。
止める者は誰1人いなかったという。

「あの野郎、家の子の指をうまそうにしゃぶってやがった」


遂に梅は、村はずれの小屋に隔離されてしまう。
小屋の回りはロープや鉄線でグルグルに巻かれ、扉には頑丈な鍵。
食事は日に1回小屋の中に投げ込まれ、便所は垂れ流し。
「死んだら小屋ごと燃やしてしまえばええ」
それが大人達の結論であった。

無論子供達には、「あそこに近付いたらいかん」と接触を避けたが、
Jはある時、親と一緒に食事を持って行った。


小屋に近付くと凄まじい悪臭。
中からはクチャクチャと音がする。
「ちっ、忌々しい。まーた糞を食うてやがる」
小屋にある小さな窓から、おにぎり等が入った包みを投げ入れる。
「さ、行こか」と、小屋に背を向けて歩き出すと、
背後から「人でなしがぁ、人でなしがぁ」と声が聞こえた。



863 :4-3:04/11/29 01:50:18 ID:ULDwsM1m
それから数日後、Jの友人からこう言われた。
「おい、知っとるか。あの鬼婆な、自分の体を食うとるらしいぞ」
その友人は、親が話しているのをコッソリ聞いたらしい。
今では、左腕と右足が無くなっている状態だそうだ。


ある日、その友人とコッソリ例の小屋に行った。
しかし、中から聞こえる「ヴ~、ヴ~」との声にビビリ、逃げ帰った。

「ありゃあ、人の味に魅入られてしもうとる。あの姿は人間では無い。物の怪だ」
親が近所の人と話しているのを聞いた。
詳しい事を親に聞くのだが、「子供は知らんでええ」と何も教えてくれない。


ある夜に大人達がJの家にやってきて、何やら話し込んでいる。
親と一緒に来た友人は、
「きっと鬼婆の事を話しておるんじゃ」。
2人でコッソリと1階に降りて聞き耳を立てるが、何を言っているのかよくわからない。
だた、何度も「もう十分じゃろ」と話しているのが聞こえた。



864 :4-4:04/11/29 01:51:47 ID:ULDwsM1m
次の日の朝。
朝食時に、「J、今日は家から出たらいかん」と父が言うので、
「何かあるんか?」と聞くと、
「神様をまつる儀式があるで、それは子供に見られてはいかんのじゃ」と説明した。


しかたなく2階から外を眺めていると、例の小屋の方から煙りがあがっているではないか。
「お父、大変じゃ!鬼婆の小屋辺りから、煙りが出ておるぞ」
しかし父親は、
「あれは畑を燃やしておるんじゃ。下らん事気にせんと勉強せい!」と、逆に怒られた。


それから数日は、相変わらず小屋に近付く事は禁止されていた。
しかし、ある日友人とコッソリ見に行くと、小屋があった場所には何も無かったそうだ。


884 :733 5-1:04/11/29 20:11:26 ID:v6kaMasJ
小屋が無くなってから数日後、
Jの友人(A)と共通の友人(B)とで集まった時に、
Bが「Cから聞いたんじゃが、なんでも夜中に、鬼婆の霊がCの家の戸を叩きよるらしいで」と話した。


家に帰り、その事を父に伝えると、
「人は死んだら戻って来るでな。なーに、49日が過ぎれば無事成仏するで、気にする事ぁねえ」
「でも、なしてCの家に戻るのね?自分の家に戻りゃあええのに」
「梅さんは少し変わっていたでな。帰る家を間違がえてるだけだで」
とアッサリ言ったので、
Jは「なんだ、あたりまえの事なのか」と思った。


ところがそうでは無かった。
どうもCの親が、くじ引きか何かで梅がいた小屋を燃やす役目になってしまい、
それが梅の恨みを買ってしまったらしいのだ。
それは近所の大人達が、
「Cの家に、またイブシがやって来しゃったらしい」
「小屋を燃やしたもんで、怨みを買うたんじゃろ」と話をしていたのを聞いたからだ。


このイブシ?(聞いた事のない言葉だったので忘れてしまったらしい)という言葉は、
この村だけのいわゆる『隠語』というやつで、
恐らく『幽霊』の意味ではないかとじっちゃんは言った。

大人達は、「梅の霊の事は村民以外には話すな。話すと霊がその人の前にやって来る」と言うので、
それを恐れた子供達は、誰1人として話さなかった。
また、大人達は隠語を使う事により、うっかり他の場所で喋っても、村の恥部が他人に漏れずに済む。
とにかくそこの村民は、自分の村を守る事に必死だったらしい。



885 :5-2:04/11/29 20:12:21 ID:v6kaMasJ
夜な夜なやってくる梅の霊に、Cの家族は疲れてしまったのか、
「わしらも子も眠れんで困っとる。家を出るしか無かろうか?」と、Jの家に相談にやって来た。
Jの父は、
「しばらく家を捨てるしかあるまい。最悪、あの家は一度ばらしなすって、作り直しゃあええ。
その間は家に住みなっせい」
こうしてCの家族は、Jの家に同居する事に。


さっそく自分の部屋で、JはCにこう聞いた。
「なぁなぁ、Cは鬼婆のお化けを見たんか?」
「見とらん。ただ、家のドアを叩く音が毎晩するんじゃ」
「風とかじゃ無かろうか?」
「知らん。最近は耳に布切れ押し込んで寝てまうで、音は聞こえんが、
一晩中電気がつけっぱなしなもんで、全然眠れんわ」



886 :5-3:04/11/29 20:14:28 ID:v6kaMasJ
「おい。今日のイブシ除けは済みなすったか?」と、父が母に指図をする。
イブシ除けとは、いわゆる『魔除けの一種』で、玄関の軒先に、スルメや餅や果物等をぶら下げておくのだ。
この村では、人が死ぬと毎度行う儀式だった。

「朝になると、吊るしておいた食い物が無くなっとるんじゃ」とCは言うが、
「いや、猿に持っていかれたんじゃろうて」とJは否定した。

それでもJは不安だった。
「Cの家族が家に来た事で、鬼婆も家にやって来るんじゃなかろうか?」と、
嫌な予感があった。


そして夜、
Jの隣ではCがぐっすりと寝ている。
耳から詰めた布が、はみ出しているのが可笑しかった。
下の階では、ガヤガヤと大人達の声がする。
しばらく天井をボーッと見ていると、「ドンドンドン」と太鼓のような音が響いた。
同時に大人達の声も、一瞬ピタリと止んだ。

Jの予感は適中した。
梅が家の玄関を叩いてるのだ。
Jはそう思うと恐くなり、ユサユサとCを揺り起こした。
「ううん・・・なんねー」
と寝ぼけるCに事情を説明。
共に震えながら、大人達のいる1階に降りて行く。

大人達はボソボソと何かを喋っている。

Jが怯えながら「お父・・」と言うと、
「気にする事ぁねえで、さっさと寝なっせ」。
またガヤガヤと、大人達は別に気にする事なく、普通にビールを飲みはじめた。



887 :5-4:04/11/29 20:15:39 ID:v6kaMasJ
次の朝、Cと一緒に玄関を出ると、魔除けの食い物が無くなっていた。
「な?俺の言う通じゃろ?」とCが言う。
その事を親に聞くが、「あれは朝1にしまい込むでな」と答えるだけであった。


そしてソレはしばらくの間続いたが、ドアをノックする音がしなくなると、
「ああ、49日が終わったのだな」と思った。
その村では、49日が過ぎるまで墓を作らなかった。
遺体は火葬か土葬をしておき、49日が来るまでは「魂を遊ばせておく」そうだ。

村のはずれには集合墓?があり、村人はここに埋められ墓が作られる。

しかし、梅の墓は別の場所に作られる事になった。
「御先祖様の墓とキ○ガイの墓を一緒にするのは申し訳ない」という理由だそうだ。
死んでもなお村人として扱われない梅に、Jは少し同情したが、
怒られるのが恐いので、口にする事はしなかったそうだ。



888 :5-5:04/11/29 20:17:05 ID:v6kaMasJ
そして、梅の墓は川原に作られた。

墓といっても1、2本の縦長の板で出来た簡易な物で、
さらにその回りには囲いも何も無く、「ただポツンと立っていた」そうだ。
しかも、川のすぐそばに立てられている為、ちょっと強い雨が降ると、増水した川に流されてしまう。
実際梅の墓は、1ヶ月もしない内に流されてしまった。


流されるという事は、人に忘れられてしまう。まさに『水に流す』のである。
流されてしまってはしかたがない。
俺達は悪く無い。
そんな『自分勝手な不可抗力』という名の殺人や非道が、その村ではあたりまえに行われていたらしい。


身内がそばに居ないというだけで、人1人が村ぐるみで消されてしまう恐怖。
そして、それをあたりまえと思う大人達に、Jは恐怖した。
「自分も大人達の機嫌を損ねたら、何されるかわからん」と・・・

だから、その村では大人が絶対であり、
いわゆる『不良』と呼ばれる子供もいなく、子供は大人達の従順者であった。


「村落という閉鎖的な場所で、独自的な文化を持つというのは恐ろしい事で、
そこでの常識は常に非常識だった。
あのまま村で大人になったら洗脳されて、あの大人達と同じになっていただろう。
だからお前は、たくさん友人を作って、
色んな人の意見に耳を傾けて、常に自分の行動に間違いが無いか疑問を持て」と、
死んだじいちゃんは語ってくれた。



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